第16回 : 顔 ―― 絵画を突き動かすもの(国立西洋美術館)

いま国立西洋美術館では「顔 ―― 絵画を突き動かすもの」展が開催されています。会期は1月12日(水)〜2月13日(日)までと、いつもより少し短めです。私は”絵画を突き動かす”というサブタイトルに惹かれて行ったのですが、20世紀初頭から現代までの45作家、98作品が展示されていました。そしてよく見ると、企画は東京国立近代美術館となっているのです。調べてみると、現在、竹橋にある同館は増改築のため2001年秋まで休館中です(工芸館のほうは開館しています)。同館は休館中ですが、展覧会じたいは企画して実施していくとあり、今回はその一環に数えられる催しでした。

さあ、会場に入ってみましょう(入館料: 大人830円)。全体は6つのセクションに区分けされています。
T.個の創出
U.鏡の私
V.仮面
W.顔の崩壊と再生
X.顔のかたち、恐ろしい顔
Y.絵画の顔
T.個の創出は、絵画に現れた顔が画家やモデルから切り離されたひとつの強いイメージとなって、一人歩きを始めると解説されているのですが、「??」です。このコーナーを形成する19点の作品は、アルマ・マーラー(オスカー・ココシュカ作)、ドラ・マール(ピカソ作)、A.ランボー、クラナッハ、カフカ、J.アンソール(いずれも柄沢斉・作)などなど明確なモデルをもった作品が半数ほどあるのです。特定のモデルから独立したとみられる作品ももちろんあります。ここで言いたいのは、権力の象徴ともいえる王侯貴族の肖像画から、フツーの人間(有名・無名は別にして)を相手に描いた顔の絵画が、絵画作品として歩き始めたと捉えれば、それなりに理解できます。

U.は要するに自画像です。20世紀の画家の自画像ですから、絵画抜きでは生まれない、というか画家の絵画に対する主張がそのまま自画像に反映されている作品が集まっていると思っていいでしょう。そう思うと面白いように思えますが、実際には物足りなさも残りました。このコーナーにある萬鉄五郎の自画像は『雲のある自画像』(1912−13、油彩/キャンバス)だけなのですが、次のV.のコーナーには、萬の顔が変形されたような『自画像』(1915、油彩/キャンバス)があるといった具合で、見ていくうちに「あれっ?」と思ってしまいました。あまり細かいところでひっかかっても仕方ないのでしょうが、これだけにとどまらず、ところどころにわかりにくさが伴いました。

以前「身体」をテーマにした、20世紀のヨーロッパ美術を扱った展覧会がありました。19世紀後半に、肉体に対する精神の優位というキリスト教の価値観が変わったこと。フロイトの心理学の影響を受けて「夢」が肉体を表現した作品に反映されるようになったこと。その他いくつかの要素を挙げて多くの作品を展示したもので、強い説得力を持っていたと思います。思わずその展覧会の記憶がよみがえってきて、今回の「顔」というテーマで、絵画を突き動かしたものと言われても、さほど強いインパクトはないように思えて仕方ありません。

でも一枚、印象に残った作品を挙げておきます。
それは、ファン・リジュンの『シリーズ2 No.3』(1991−92、油彩/キャンバス、福岡アジア美術館蔵)です。
次のURLを開き、最上段の右から2番目をクリックしてみてください。
http://faam.city.fukuoka.jp/FAAM/J/CONTENTS.HTM
同じような顔、顔、顔が現れますが、よく見ると、少しずつ違いがあるのですね。目の大きさや光のあたり方など。妙にひかれました。この作品、ミュージアム・グッズの絵はがきも探したのですが、ありませんでした。
残念・・・・
【2000年1月23日記】


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