第11回 : 近代京都画壇と『西洋』(京都国立近代美術館)

この企画展は"日本画革新の旗手たち"という副題をもっていますが、「西洋」との対峙を常に迫られてきた日本画の世界に焦点を当て、京都における日本画の近代化の様相を検証しようとする展覧会だったのです。京都は、時に東京の動向よりも先鋭に模索の軌跡を残したこともあるそうですが、私には「そういうこともあるだろうな」と思うくらいで、具体的にはわかりませんでした。
会期は1999年9月12日(日)までで、月曜休館です。

登場する画家は、岸竹堂(明治初期にいち早く西洋的空間表現を取り入れた画家)に始まり、竹内栖鳳、橋本関雪、土田麦僊、小野竹喬(この8月に東武美術館でこの画家の展覧会がありました)、堂本印象、田口壮、秋野不矩、三上誠(この人はシュールレアリズムや抽象主義表現に鋭く反応した画家だそうです)らで、40作家の約80点が展示されていました。

今回は、印象に残った絵を先に挙げておきましょう。
土田麦僊 : 罰 (1908年) [この絵は3人の子どもが描かれています。何か悪いことでもしたのでしょうか、立ちんぼさせられています。画面中央の二人は、ややしょぼくれた表情なのですが、画面左端の子は泣いています。]
田口壮 : 喫茶室 (1934年) [明るい色使いで、これが日本画?と思ったほどです。中央の丸いテーブル(白いテーブルクロスがかかっています)を挟んで、二人の若い女性がいます。右側に立っている女性は、手に盆をもっていますから給仕とみてよいのでしょう。左の女性は椅子に座り、目の前には入れたてと思われるホットコーヒーが置かれています。二人が着ている洋装のドレスが、どちらもハイカラで高そうです。]

絵画の一点一点を見れば、ほかにもいくつか印象に残った作品がありました。ただ贅沢を言うようですが、展示されている作品と「西洋」とが、どこでリンクしているのか(あるいは反発しているのか)といった面がよくわからず、見ている途中からこのことが気になりだしたものですから、企画展の会場を出たときに、少しばかり不満が残りました。

思い出す展覧会があります。というより、この企画展を見にきた時にイメージしていた展覧会がありました。3年前、東京国立近代美術館が国立西洋美術館と連携プレーをして実現した「交差する眼差し ― ヨーロッパと近代日本の美術」がそれです。
たとえば、モネ、セザンヌ、ルノワールの絵画と黒田清輝、土田麦僊、中村彝らの影響を見とめられる絵画を同じ一角に見比べが可能なように展示する、そんな展覧会で、いまでも強く記憶に残っています。
土田麦僊のような日本画家も、洋画家といっしょに展示されることで影響が見て取りやすかったような気がするのですが、今回は日本画と西洋とのかかわりがテーマです。京都も同じ国立美術館ですし、できれば共同企画をしてほしかったところです(ちなみに3年前は、国立西洋美術館は改修工事のため休館しており、この種の企画がやりやすかったのかもしれませんけれど)。

ちなみに展覧会のカタログは購入しませんでした。帰京してから京都国立近代美術館のホームーページを探しつなぎましたが、望んだ情報は得られませんでした。
何を望んだか? この点については近いうちに「コーヒーブレイク」に場を移して書きたいと思います。美術カタログにかかわることですので・・・。
【1999年9月5日記】


トップページへ
展覧会の絵へ
前のページへ
次のページへ