第9回 : 天井画雲龍図(京都・妙心寺法堂)

展覧会では見られない美術作品があります。たとえば、教会にある美術の数々とか、寺にある襖絵や天井画。今回は、いわば「展覧会の絵」の特別ヴァージョンです。
時々、美術館に行くと学芸員の皆さんの解説を聞きながら見て回れる機会がありますが、今回は、妙心寺で天井画と浴室をセットにした見学コースに、それはそれは説明がお上手な解説者が付いて回ってくださいました(いつもこうらしく、1時間に3回くらいコースが組まれています。1コースは35分程度みたいです)。

見に行ったのは1999年8月12日です。何気なく見たいなと思ってお金を払ったら、いま見学が出たばかりだから後を追えと言われて、法堂の中に遅刻して入っていくと、担当のご婦人が解説を始めたばかりでした。

天井を見上げると「探幽法眼守信筆」すなわち狩野探幽の手になる『雲龍図』があります。
絵の構想を練るだけで3年、絵を欠くのに5年、その前後に寺の高僧と3年問答をしたそうです。ふだん展覧会で見る絵と違って、解説者は法堂のなかの三方を回るように言います。見学者一同、西から始めて南、東へ回ったのですが、するとあら不思議、はじめのうち龍のあごが下に見えていた下り龍から、あごが上がり登り龍へと変わっていきます。はじめのうち眼は片方だけがよく見えるのですが、そのうち両の眼が見えるようになり、さらに鼻がはっきり認識できるようになるに至って目と見間違いやすい状態にすらなります。東に回りきったころ、改めて眼の位置に注目するとそれは天井画の中心に位置しているように見えます。
探幽はこの天井画を描くにあたってアイデアを固めるまでに3年、制作に5年を費やしたそうです。またその前後、寺の高僧と3年に亘って問答をしたとさえ言われているそうですから、想像を超える労力がかかっているのでしょう。
横道にそれますが、労力といえば探幽ばかりではありません。実は、この法堂の柱はかなり太い欅の丸太ですが、これはもっと太い1本の丸太から4本とったものの一つなのだそうです。にわかには信じがたい太さですよ。これを富士山から切り出して、筏を組んで海を下って大阪へ、さらに川を使って京都まで、そして市中は、その太い丸太を運ぶわけですが、往時の道幅がさほど広いわけがありません。辻にある家は一度立ち退いてもらって取り壊し、後で寺がその人達に家を立て直したという話が残っているそうです。丸太町通りという知名の由来でもあるそうです。

そうそう、見学者全員で雲龍図の真下に行って、2回ぐるりと回ってみました。龍が動いているような気がすると言われて。これは、こちらの目が回って動くように見えるという簡単な仕掛けですね。龍が動いて見えるというのは自分が動く(身体を回す)ことを考えずに言うわけですから、天動説を説いているようなものだといったら変でしょうか?
【1999年8月13日記】


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