第6回 : 常田健(ギャラリー悠玄)

年次有給休暇を取った7月30日所用を済ませて表へ出ると、暑い。「あっちっち」と言った方がピンときます。さて次はどこへ行くんだっけ? 「そうだ、あっち」(失礼!)

この日、私は銀座のギャラリー悠玄に初めて足を運びました。数寄屋橋のすぐ近くにある泰明小学校の正門の真向かいあたりの路地を入って左手に、このギャラリーはありました。
「常田健 ― 津軽に生きる88年」と題した特別企画展が、この8月8日(日)まで開催されています。

常田健。事前に入手していたチラシには"Tsuneta Ken"、当日買った入場券には"Tsuneda
Ken"とありますから、どちらが正しい読み方なのかわかりません(私の職業病)。
この画家は、1910年10月21日青森県生まれ。1928年、18歳で川端画学校に入学し、1930年にはプロレタリア美術同盟研究所で学びはじめたそうですが、1933年に帰郷。以後、青森で絵を描いているといいます。それも、農民の生活を軸に据えています。

1930年代半ばからの絵を見ることができましたが、田植えをしたり、種まきをしたり、農作業の合間に昼寝をしたりといった絵を見ると、制作年代の差異にかかわらず、一連の作業を描いたシリーズの連作かと錯覚しそうになりました。服装にしても、農作業にしても、60年前とさほどかわっていない部分も多いのでしょう。中に一枚、トラクターが画面の中央にドンと据えられて、何人かの男たちが刈った稲穂を処理していく絵がありました。こうした絵では、時代の変化を読み取ることが容易にできましたけど。
親子を扱ったコーナーも用意されていました。子は宝ということなのでしょうか。父子像も少しはあるのですが、大半は母子像。
「村の地蔵様」というのも、少し毛色の変わった作品でした。

ノスタルジックな田園風景と農民の生活が描かれているのかというと、決してそうではありません。
先に触れた農作業をとっても、黙々とした雰囲気が伝わってきます。水分をとっている作品にしても昼寝にしても、のんびりしたものとは違います。
1975年と1983年の制作年がある、何枚かの冷害を扱った作品など、農民の表情はおとなしく描かれていますが、それだけに深刻さが静かに伝わってきます。また、画面に飛行機を大きく描いた作品もありましたが、三沢基地の騒音公害訴訟のことなどを思い起こさせるに充分でした。
青森に本拠を構えて、りんご園を経営しながら描きつづけている画家ならではの作品なのではないかと考えました。

人口が増えるということは、それだけ食料も必要だということ。単純に考えれば、農業の重要性がそれだけ増すと考えるのが当然ではないでしょうか。自然が相手の仕事であれば、時に冷害なども避けられないのかもしれません。しかし、それにしても農業が充分に報われているとは思えません。
画家・常田健が60年以上にわたって描きためてきた農民の顔を見ると、60年前もさいきんもおとなしく、無表情にすら見えます。これをどう捉えたらいいのでしょうか?

(余談ですが)
さほど広くはない画廊での展覧会でしたから、カタログが特別に用意されていたわけではありません。しかし2種類の資料が販売されていました。一つは、この6月に出版されたばかりの『画集 常田健』(角川春樹事務所・発行 紀伊国屋書店・発売)。特別限定版だそうで13,000円也。もう一つは雑誌で『隔月刊 あおもり草紙』1999年6月1日号(通巻118号)。この号には「深耕七十年 画家常田健」という特集が組まれていました(600円)。買うかどうかはお好みしだい。
ちなみに私は、600円の割には内容も装丁も立派な雑誌を買いこんで、私の永久保存版としました。
【1999年8月1日記】


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