第3回: フィレンツェとヴェネツィア(国立西洋美術館)

3ヵ月の会期をもつこの企画展も、いよいよ6月20日(日)で終了となります。
展覧会のチラシには「イタリア・ルネサンス美術展」という文字が大きく目立ちます。フィレンツェとヴェネツィアは、その二大中心地だったという企画で、絵画と彫刻60点がエルミタージュ美術館からやってきました。ほとんどが15〜16世紀の作品ですが、これに国立西洋美術館の収蔵品11点が参考出品されていました。エルミタージュ美術館といえば、さいきんの日本では、東武美術館ができた年から連続5年間、毎年企画を変えてエルミタージュ美術館展を行ってきたから馴染みの深い美術館です。
今回の展示は、1.フィレンツェの後期ゴシックから初期ルネサンスへ / 2.ヴェネツィアのビザンティン様式から初期ルネサンスへ / 3.フィレンツェの盛期ルネサンス / 4.ヴェネツィアの盛期ルネサンス / 5.フィレンツェのマニエリスム / 6.ヴェネツィアの後期ルネサンス。このように区分けされ、フィレンツェとヴェネツィアを対比させながら見ていけるようになっていました。
私の場合は、聖書に縁遠いせいか、「聖母子」にせよ「聖カタリナの神秘の結婚」にせよ、淡々と見てしまいます(私は5月28日に見に行きました)。
ただ、ティツィアーノの「悔悛するマグダラのマリア」(1565年頃)の前では、さすがにじっくり立ち止まって見ました。
右手で左胸を押さえ、口を半ば開き上方を仰ぎ見ながら、よく見ると涙があふれ出ています。目の回りも少し赤く腫れています。背景の暗さに対比してマグダラのマリアは前面で目立っています。画面全体から受ける「悔悛」の印象は、強烈でした。
実は事前にこの絵をLDで見ていた私は、実際の作品を見たとき、意外なほど涙が目立たないなと思いました。LDは、画集のようにディテールを拡大して見せてくれるので、よくわかるのです。しかも実際の展示会場は、作品保護の意味からでしょうか、やや暗めの場所で見ることになります。また、LDや画集は自分の目線と水平か見下す角度で見られますが、会場で見る絵は水平かやや見上げるかです。もしLDを見ていなかったら、私は涙に気づいただろうか? この絵の涙に気づかなかったとしたら「悔悛」を見たことにはなりませんからね。

「展覧会の絵」のコーナーで取り上げてきた3回の記事は、ともに上野にある美術館で行なわれました。先日「ピカソ展」が終わり、いままた「フィレンツェとヴェネツィア」が幕を閉じようとしています。この2、3ヵ月というもの上野の美術展は充実していました(ドラクロワも来たし・・・)。
【1999年6月15日】


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