うさぎ追いしかの山ァー こぶな釣りしかの川ァー・・・。うさぎは追ったことは無いが、学校から帰るなり家の中にカバンを放り込み日の暮れるまで遊びまわったふるさと。子供のころに思いを馳せると、昨日のことのようによみがえってきます。
 今の世はものすごい量の物や情報が溢れかえり、それに振り回されて昔のことなど思い出すことなどあまり無い。
 21世紀は心の時代だと言われています。その豊かな心を育むきれいな環境を取り戻し守ろうと言う声が高まっています。
 失ったものを取り戻すのは難しいですが残っているものを大切にし後世に伝えていくのは私たちの義務ではないでしょうか。
 自分の熱い思いも含め、過去、現在、未来を思いつくまま書いて行こうと思っています。




父・信也作詩と書

ふるさと賛歌は父・信也が昭和58年に作詞。その当時の豊浦町報に掲載されました。
 詩は父が生まれ育った故郷・川棚を慈しんで詠んだものです。
 詩の中の鬼ヶ城は豊浦町の南端にある620mの伝説の山で、その近くにある狩音とともに私の住む地区から見える山です。
 白雲悠々たり霊峰の天とは狗留孫山(くるそんざん)のことで真言宗の古刹・修禅寺があります。
 権現の三山とは川棚川の上流の父が生まれ育った地区にある三つ並んだ山です。
 沃野(よくや)は富沃な川棚平野です。
 対馬暖流は常に北に向かって流れている海流です。
 厚島は川棚の沖にある島で、
Topページに写っています。
 レンゲ田にまろびとはレンゲの中に寝転がって遊ぶことです。
 そして、この豊かな故郷をいつまでも壊してほしくないという願いです。

 昨年、友人が大変気に入ってくれて、曲を付けようということになり知り合いの作曲家・穴見めぐみさんに依頼し、2014年曲が完成しました。
 この曲を地元の歌の先生に歌とピアノ 演奏を依頼し,みんなで練習しました。

<ふるさとの過去、現在、未来について>

過去現在

 過去と言っても自分がものごごろついてから以降のことしか分かりませんが、今と比べて全く変わってしまったものは数多くあります。自然に変わったものとしては、身の回りに何処にでも有った大きな松の木が松枯れで無くなったことでしょう。しかし、それとて人類の文化生活の産物である大気汚染によるのでしょう。
環境の変化の大部分は人工的に加工されたものや破壊されたものです。その中でも無残に壊されたものが海岸線です。
 特に川棚川の河口から小串にかけての浜辺はみごとな白砂青松の遠浅の浜辺でした。裸足で歩くとキュッキュッと鳴っていました。海に入ると「まんじゅうがに」という蟹やカレイの子供を踏むことがあり、足の裏が"こそばい"かった感触を今でも思い出します。あの透き通ってキラキラとした浜辺は何処へ行ったのだろう。
 その"豊かな財産"は高度成長時代に売却され、その副産物である瓦礫で埋め尽くされてしまいました。埋めることの出来ない沖合いには目には見えない大きなクレーターのような深みが出来たままで、それに海岸の砂が流れ込み海岸線の侵食という深刻な事態に直面しています。
川棚平野は昔海だったらしく、砂には貝殻が多く含まれています。他のページにも書いていますが、地名にも多く残っています。川棚川は昭和34年の洪水による氾濫などのため堤防の拡幅工事とともにコンクリートで覆われ水棲動物が棲めなくなりました。それ以前の川は豊かでクマ海老、シラガ海老、うなぎ、なまず、つ蟹、フナ、鯉、ドンコなどがいて、子供の頃追い掛け回したものです。また、大きなスズキが産卵のためでしょうか遡上していました。

未来

失われた過去にこだわっていても仕方ありませんが、2度と過ちを犯さないためにも語り部としての古老の話や、体験者の話は後世に残すことが大切と考えます。                                


豊浦町の名所旧跡
川棚平野
中の浜遺跡
川棚川(下村地区)
コラム