やまさんのコラム集

このコラム記事は平成15年9月から10月にかけて8回のシリーズで山口新聞「東流西流」に掲載されたものです。

山口新聞 
<第一回> 平成15年9月7日掲載

タイトル・子供たちと柱松

私の住む 地区で恒例の行事である「柱松」という火祭りが8月12日に無事終了した。この祭りは数百年間続いた子供たちだけで行う伝統行事であった。しかし、河川工事など環境の変化により40年くらい前に中止していたものを15年前に大人の有志で当時を思い出しながら再現したもの。といっても、もはや子供だけでは出来ないので大人が全て準備をする。今から考えると、よくもこんな行事を子供たちだけでやっていたものだとつくづく思う。当時は松林から材木の切り出し、加工。野山に行って燃やす材料の萩の木、浜ぼうの採取、各農家から麦わらの収集。松明やホウズキ(火を燃やす柱)も鋸や鎌などを使って製作したのである。当時は5日間位行われたが今は1日だけ行なっている。日が暮れたころ子供たちは松明を持って「牛馬のご祈祷」と唱和して土手を歩く。やがてホウズキに点火して燃焼させ竹棒でつついて火の粉を散らす。その際、「柱松打ち上げたー」など大声で唄う。これは五穀豊穣を祈って行われたが、今では牛馬は耕運機に取って代り農業は様変りした。子供たちは日常的に刃物で物を加工して遊ぶ体験が出来ず、既製品や実体の無いゲームの世界で遊び、成長期に必要な感覚が身に付かない。学校と地域が連携して体験教育の機会を増やすことが必要と思う。


<第二回> 平成15年9月14日掲載

タイトル・ブロードバンド

「情報技術の進展はめざましい」という言葉は昔から良く使われるが、本当にこの分野の進展は留まることが無い。その恩恵にあずかっている真空管時代のアナログ人間の私にとってパソコンやその周辺機器はまさに魔法の箱で、その性能には驚かされるが、それを日常的に使っていると、それが当たり前となり、そのうち物足りなさを感じてくる。それを補うべく次から次へとバージョンアップされるから人間の欲望には際限が無く、この世界では「足るを知る」という訓えは今のところ通用しないようだ。インターネットも脳神経のシナプスのように世界中に広がり、私のような者までホームページを持つようになってしまった。ただ、内容が貧弱でポリシーに欠けているので見る価値はあまり無いが、見ようと思えば世界中どこからでも検索して見ることができるからすごい。また、居ながらにして自分の欲しい情報の入手や発信も出来る。今、世間はブロードバンド花盛りの感がある。しかし、その高速通信サービスの恩恵を享受しようにも出来ない地域が多数存在することはあまり語られない。通信スピードなど品質は世界に誇れるがインフラは韓国などよりかなり遅れているそうである。国がめざす行政のIT化の目玉e−japan計画も市町村合併が一段落するまであまり進展しないのかな。


<第三回> 平成15年9月21日掲載

タイトル・パソコンという箱

私が趣味でパソコン買ってインターネットを始めたのが5年前、その頃世の中はWindows98という革命的なOSが発売されており、それを組み込んだパソコンも売り出され、爆発的なブームが到来していた。それに伴いインターネット人口も増え、まさにIT革命の到来と騒がれだした頃だ。パソコンの価格も量販店を中心にどんどん下がり、私のような懐の軽い者にも手が出るようになり、購入した。昔、高価な百科辞典のシリーズをズラリと本棚に並べることが流行ったことがある。それは辞典と言うよりインテリアとしての価値が高かったように思う。同じように”パソコンも使わなければただの箱”なのである。パソコンやソフトは進化して扱い易くなったとはいえ、覚えるためにはそれなりの努力が要る。出荷されるパソコンは毎日のように性能は進化し続け、もたもたしているうちに型や性能は古くなってしまう。車の場合、殆どの家庭に普及しているが、免許を取れば誰でもすぐ乗りこなすことが出来、便利この上もない。しかしパソコンは免許は要らないが、使いこなす人は少ない。猫に小判と言えば失礼だが、その機能を考えるとなんとも勿体無い話である。かく言う私も”魔法の箱”の一部しか使いこなせていないので偉そうなことは言えないのであるが。


<第四回> 平成15年9月28日掲載

タイトル・切られた桑の木

2年前、近所の墓地に有った直径60センチくらいの大きな桑の木が墓地整備のためか根元から切り倒されてしまった。小さい桑の木は他にも有るが、この木ほど大きなものはもう見当たらない。最近は桑の木といっても知らない人が多いと思うが、熟すと濃い紫色のぶつぶつのある指先ほどの実を大量につける。私達が子供の頃、口や手を紫色にして食べたものだ。今食べても甘く懐かしい味がする。昔この辺りでも養蚕をしていた名残りなのか、たまに薄い黄緑色の蚕のまゆを見かける。昔は沢山の桑の木が有ったが、開発で年々すがたを消している。無造作に切る前にアクセントとして残せなかったのだろうか。田舎の人は、緑は有って当たり前、無くなっても特に気にもとめないだろう。今、外国から入ってきたアントシアニンという物質が含まれ目に良いというブルーベリーやその製品が市場に出回っているが、ひょっとして桑の実にも含まれているのではと想像する。この辺りはまだ雑木林が点在しており野鳥も多い。口先だけの自然保護を謳うのではなく、地域に住んでいる人たちが地元の自然に関心を持ち、そのすばらしさを再発見して大切にしたいもの。そして、おらが村や町の宝を自治会単位で登録し、協力し合って景観や木立を保全する制度は出来ないものかと考えた。

<第五回> 平成15年10月5日掲載

タイトル・天井裏の侵入者

テンが我が家の天井裏に時々侵入するようになって久しい、季節としては冬から春先にかけてのようだ。夜になると連日のように走りまわり、うるさいので棒などで天井をつつくとしばらくおとなしいが、いずれ走り出す。最近は気にしているのか静かに歩くことが多いようだ。昨年は毎夜私の部屋の上に入り何かを転がして遊び、しばらくして出て行く。いつぞやはベランダのサンダルにじゃれついて片方持ち去ってしまった。当初、ネズミやイタチにしては音が大きすぎるし何だろうかと気になり、数年前なんとか見てやろうと屋根の入り口を見つけ写真を撮った。田舎で育った私はイタチは良く見るがテンは見たことが無い。体は猫より少し小さく細長い、顔は三角で黒っぽい。珍客で害はないので甘くみていたら、そのうち天井部分にシミが出てシッコの匂いがしてきた。そこで天井裏を覗いてびっくり、ウンコもしているではないか!。もう容認するわけにはいかない。侵入口を塞いだがまだ入る。今年原因不明の咳が出て医者の世話になった。テンが原因なのか分からないが、他に心当たりはない。テンには悪いが今年は何とか入り口を探してご遠慮願おう。それにしてもこの辺に居るはずのない狸が道路を歩いていたり、野生動物たちにとって安住の地が少なくなったのだろうか。

<第六回> 平成15年10月12日掲載

タイトル・舞妓の浜

川棚川の河口から小串にかけての浜辺はみごとな白砂青松の浜辺だった。昔、防風林として先人が植えたのだろう。かっては「舞妓の浜」と呼ばれていたそうだ。松林では茸の松露が採れ、砂浜は裸足で歩くとキュッキュッと鳴る鳴き砂だった。渚に入ると「まんじゅうがに」という蟹やカレイの子供を踏むことがあり、足の裏が"こそばい"かった感触を今でも思い出す。あの透き通ってキラキラとした遠浅の浜辺は何処へ行ったのだろう。その"豊かな財産"は高度成長時代に売却され、瓦礫で埋め尽くされてしまった。沖合いには目には見えない大きなクレーターのような深みが出来、それに海岸の砂が流れ込み海岸線の侵食という深刻な事態に直面している。なんと愚かなことと思うが、今巨費を投じて侵食防止の潜堤と人口海浜の工事が行われている。松の植樹もされると聞く。川棚平野は温泉街のある山側から海に向かってなだらかな丘状をなしており、すぐ沖には厚島が浮かんでいる。かつて漂泊の俳人、種田山頭火がここ川棚に逗留したおり、私のもっとも好きなところと絶賛した。国道191から山側はリフレッシュパーク豊浦などの整備が進み、川棚温泉の再開発も計画されている。山側だけでなく海岸一帯の再生にも継続的に力を入れ、舞妓の浜を蘇らせてほしいものだ。

<第七回> 平成15年10月19日掲載

タイトル・合併とまちづくり

先月私の住む下村地区周辺の4自治会の役員や有志による地域合同の協議会が結成され第1回目の会合が開かれた。これは友人である地区の議員の提案によるもので、合併後の地域の課題について今から話し合い、地域の衰退を防ぎ、活性化に取り組むことを目的としている。今豊関地区1市4町の合併について住民説明会も各地区で行われ、住民の最大の関心事である行政サービスの低下の懸念について、そうならない仕組みを作ると言っている。しかし合併は行政のリストラとも言われ、結果的に地域住民の要望がなかなか反映されないのではないだろうか。したがって住民が今まで以上にまちづくりに関心を持ち積極的に行政に対してはたらきかけていくことが必要になる。今回の地区の話し合いでは、地域の貴重な遺産である中の浜遺跡公園の周辺整備を取り上げることになった。中の浜遺跡は豊北町土井が浜より出土品や規模が上回っている貴重な遺跡で、この公園整備を図り、海岸線を含めた周辺の景観整備に取り組むこととなった。この会を地域の歴史、文化、伝統行事の継承など地域の課題を論議する場として末永く存続できたらと思う。

<第八回> 平成15年10月26日掲載

タイトル・「発揮会」と共に

15年前、子供の中学校の運動会で何十年ぶりかで近所の同級生のI君に出会った。話しているうちに彼が勉強会を創ろうじゃないかと提案して来た。何の勉強かと聞くと城野宏の脳力開発理論の勉強だと言う。能力ではなく脳力とのこと。何とも硬いが、ともあれ彼が会長で私が事務局としてスタートした。以来、徐々にテーマの幅を広げながら月1回の会合を一度も休まず続けて今に至っている。その間単なる勉強会から一歩踏み出しシンポジウム、フォーラム・IN・やまぐち、コンサートなど各種イベントも開催するようになり、まちづくりグループとしての「発揮会」の名が認知されるようになった。半面、発揮会は硬すぎるということでなかなか会員が増えない慢性的な悩みがある。それかと言って硬軟取り混ぜて面白おかしく運営すればと思うが、会社勤めの身、多くのエネルギーは割けない。無理していたら15年も続かなかったと思う。それでも会を支える会員は沢山いる。ま、こんな会も世の中にはあるんだと理解していただきたい。また、私自身裏方に徹するつもりが県内外のイベントにも積極的に参加するようになり、いろんな分野の人たちとの交流や体験は本当の意味での勉強になっている。ささやかだが、継続こそ力なりを実感する。年齢性別不問、みなさんもお気軽にどうぞ。