精神分析に別れを告げよう

―フロイト帝国の衰退と没落―

ハンス・J・アイゼンク (宮内勝ほか訳、批評社、1988)

 

ジークムント・フロイト(1854〜1939)は20世紀最大の思想家の一人とされ、彼が創始した精神分析学は、哲学・思想・文学・芸術など様々な領域に多大な影響を与えました。無意識、夢分析、自由連想、エディプス・コンプレックス、口唇性欲、性的抑圧、リビドー、死の本能、などなど、フロイトが確立した概念のいくつかは私たちにお馴染みのものです。

ところが、図書館や大きな書店に行ってみると、奇妙なことに気がつきます。哲学・思想書のコーナーにはフロイトと精神分析に関する書籍が比較的多くあるものの、肝心の精神医学・心理学書のコーナーにはそれらしきものがほとんど見つかりません。実際に精神医学の領域では、精神分析の理論と手法は、様々な理論や手法の中の一つではありますが、決して主流ではなく、有効性・有用性が確立されたものでもないのです。少なくとも医学の世界では、一般に精神分析的手法は科学(Science)とは認められていません。

フロイト学説に対しては当初から、精神分析学・心理学の内部においても批判が多く、ユング、アドラーなどがたもとを分かったことが知られていますが、精神分析という手法そのものに対する根元的な批判も多少はありました。とはいえ、それらの批判自体も、科学的にそれほど厳密なものではなく、多方面への絶大な影響というフロイト理論の圧倒的な成功と人気の前にかすんでしまったのです。そして、20世紀後半の「ポスト・モダン」の流れの中で、精神分析は再び脚光を浴びます(ジャック・ラカン)。

しかし、偽りの仮面はいつまでも通用しません。フロイトの「業績」や彼の後継者達の仕事に対して科学的な視点から様々な検討が行われ、その結果明らかにされた事実の多くは、彼らの主張を支持しなかったのです。本書はこのような立場から、精神分析が勝ち得てきた権威に対する幻想から人々が目覚めることを願って書かれました。

著者は精神分析が文学・芸術、歴史や解釈学、宗教学や社会学の理論などに与えた影響には一切触れず、あくまで精神分析の「科学」としての資格を問い、そしてそれを否定しているのです。このような扱いは不当ではないかという抗議に対して著者は、フロイト自身が自分を科学者と考え、それ以外の立場を拒絶していたと答えています。そして私見では、科学としての資格が否定されるなら、他のすべての領域において精神分析が果たす役割は何もないというべきでしょう。

 

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