盲目の時計職人

―自然淘汰は偶然か?―

リチャード・ドーキンス (日高敏隆 監修、早川書房、2004)

 

論敵たちから「ウルトラ・ダーウィニスト」と揶揄されるドーキンスの面目躍如。『利己的な遺伝子』の著者が現代進化論の主流となりつつあるネオ・ダーウィニズムの神髄を明らかにした著作で、1993年に『ブラインド・ウォッチメイカー』として2分冊で刊行されていたものの改題・新装版。

「盲目の時計職人」とは、目的や意図を持たないデザイナー、すなわち自然淘汰のこと。「デザイナー(設計者)」という言葉を使いたくなるのは、生物の世界があまりにも複雑で、かつ生物の体は環境の中で生きるという目的によく叶っているようにみえるから。しかし、自然が複雑な生物をデザインしたとしても、そこには目的がない。目的なしにつくったのに、なぜこれほど複雑でしかも見事にできているのか。これはぜひとも説明しなければならない事柄です。そして、「目的」や「意図」を用いずに明快に矛盾なく説明できる理論は、「自然淘汰」だけ。

突然変異と自然淘汰のみで進化を説明するダーウィニズム(正確にいうと「ネオ・ダーウィニズム」)は古典的な進化論の代名詞です。西洋世界では進化論を何とかして葬り去ろうとして虎視眈々と狙っている勢力があり、この勢力は進化論の内部にありながらダーウィニズムを少しでも批判するグループが現れると、それに飛びついて都合のいいように利用し、あるいは見当違いな肩入れをして、ダーウィニズムを攻撃します。マスメディアや科学ジャーナリズムも読者が飛びつくこの種の話題を大げさに報じる。一般の人々にはその辺の事情がわかりにくくて、結局「進化論というのは正しくないらしい」といった誤った認識だけが広まる、という図式があります。

このような事情に業を煮やしたドーキンスが、ダーウィニズムに対するあらゆる批判や攻撃に対して、ていねいに反論し、また対立する諸理論の「各個撃破」を試みたのが本書ですから、面白くないはずがない。ダーウィニズムに対する最も大きな誤解は、「自然淘汰はランダム(偶然、無作為)である」というもの。しかしドーキンスは、自然淘汰はランダムではな、累積的であるということ(累積淘汰)、そしてそうでなければ進化はあり得ないことを、見事に説明しています。

本書のもう一つの目玉は、スティーブン・J・グールドの断続平衡進化説(本書では「区切り説」)や木村資生の中立突然変異説への批判です。といっても、ここでもまた問題なのは、ジャーナリズムがこれらの理論によってダーウィニズムが否定されたかのように取り上げていることです。しかしドーキンスによれば、これらの理論はダーウィニズムを補強するものでこそあれ、決して否定するものではありません。その意味では本書の中でこれらを扱った章のタイトル(「区切り説に見切りをつける」「ライバルたちの末路」)は過激すぎるようですが。

 

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