フルハウス 生命の全容

―四割打者の絶滅と進化の逆説―

スティーヴン・ジェイ・グールド (渡辺政隆 訳、早川書房、1998)

 

科学理論のパラダイムの中には、時として何の根拠もない「迷信」のようなものが紛れ込み、強固に根を張っていることがあります。たとえば、進化論における「生物進化の過程を特徴づける一般的な傾向は“進歩”である」というのがそれ――などというと、驚かれる方が多いでしょう。いや、そんなことはないって? 「それは進歩史観に毒された考え方で、ちっとも科学的ではない」と。確かにそうでしょうね。それなら「生物進化の歴史を通じて、一般的に新しい種ほど複雑さが増大する傾向がある」というのはどうでしょうか。えっ、そんなの当たり前だろうって? しかし、複雑化するとは、より複雑な環境(の変化)に適応する(している)ということで、やはり進歩といえるのではないでしょうか。「進歩」は否定するが「複雑化」は否定しないというのは、一貫性がないのでは?

著者は「断続平衡進化説」で有名なグールド。「フルハウス」とは、もちろんポーカーの役の名称ですが、ここでは「全体像」の意味。

地質学的な時代が新しくなるほど、複雑な構造を持つ生物種が増えてきたのは事実です(本書ではこのことを、何の根拠もなしに前提するのではなく、厳密な定義と基準により科学的に証明した研究を、いくつか紹介しています)。しかし、だからといって、新しい種は古い種よりもより複雑になる傾向があるわけではなく、むしろその反対である。なんだか、訳の分からない話ですね。そう、これは確かに「逆説」なのです。ちょうど、プロ野球草創期には大勢いた4割打者が近年ほとんどでなくなったのは、打撃技術が絶対的または相対的に低下したためではなく、むしろそれが向上したためである、というのと同様に……

このパラドックスを解くカギは、統計学の理論にあります。ある母集団の全体的な特徴の指標として、「平均値」を採るかそれとも「最頻値」を採るかによって、また「変異の幅(広がり方)」とその制約条件をどこまで考慮するかによって、その母集団に対する理解、とくに経時的変化の理解は全く変わってくるのです。

生物進化学の最新の成果を伝える本書の、「生物の進化には、構造上の複雑さの増大という傾向は、いかなる意味でも存在せず、一般的にはむしろ単純化の傾向が存在する」という結論は、誠に衝撃的です。進化学者を含めた生物学者たち自身が、この結論を受け入れるのにどれほど大きな抵抗を示したか、私たちにも容易に想像がつきます。だって、実際に化石の証拠を見れば、明らかに時代とともに複雑な種が増えているのですから。しかし実は、単純な種が減っていない(もっと増えている)ことに注目するべきなのです。

ともかくこれは、20世紀最後の、そしてもしかしたら最大級の知的衝撃かもしれません。著者は、人間は進化の階梯(はしご)の頂点に立つ最も高等な生物であるという、多くの「科学者」が無意識のうちに前提している人間中心的な自然観との対決を、心から楽しんでいるようです。

 

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