平気で暴力をふるう脳

デブラ・ニーホフ (吉田利子 訳、草思社、2003)

 

『脳が殺す』(下表参照)では、無差別大量殺人、連続殺人などの凶悪な犯罪を犯すタイプの人間が主題でしたが、本書はもう少し広く、暴力的・攻撃的な行動全般を取りあげています。つまり、重篤な精神疾患や脳の神経学的損傷がなくても、平気で暴力をふるう人間がいますが、ある人間がそのような大人に育っていく原因を探るのが目的です。この問題に関するこれまでのさまざまな研究、考え方、理論、立場に対して、著者は近年著しい進歩を遂げた神経学を武器に挑んでいます。

ある個人の行動パターンは脳の神経学的特徴によって決まる、というのが根本命題。その神経学的特徴は、ある程度は遺伝子によって制約されるが、大部分は(母胎内を含む)環境からの刺激によって方向付けられる。すなわち、攻撃的・暴力的な脳の誕生には乳幼児期の環境のあり方が大きく影響すると考えられます。そのことを裏づけると思われる動物実験が、たくさん紹介されています。

人間も他の霊長類などと同様に、集団の中で生きていくために友情を結んだり、敵をしのいだり、地位を維持したりといったことのために、さまざまな「生きるストレス」を受けます。その繰り返しの中で、脅威の知覚とそれに対する生理的対応が徐々に形成される。しかし、ストレスの強度や質が異常で破壊的である場合は、成長しつつある神経系はその異常な刺激に適応しようとするため、かえって環境に対する本来の正常な適応的能力が育たず、適応的反応=破壊的暴力という誤った図式ができあがってしまう。

幼少期の親との関係はとくに重要です。「(親から受けた)虐待が(自分の子供への)虐待を生む」とよくいわれるのは、神経学的な裏付けがあったのです。もちろん、子供にとって異常で破壊的なストレスとは、親による虐待だけではありません。しかし、ここからが重要なのですが、人間の脳には可塑性があります。できるだけ早期に、正しい方法で介入すれば、攻撃的な脳を人間らしい脳に変える(戻す?)ことができるのです。薬物投与、認知行動療法など、いくつかの試みが紹介されています。

では、大人になってしまった暴力的人間に対しては? いや、絶対に手遅れ、ということはありません。暴力的な脳に社会性を回復させるために、あらゆることを試みるべきです。しかし、少なくとも刑務所は、暴力的な脳にとって最悪の環境です。なぜなら刑務所は、攻撃的・暴力的な脳を作り上げた環境の、最悪の部分を増幅したような場所だからです。厳罰主義は問題を何ら解決しないどころか、かえって逆効果。

『子育ての大誤解』では、親は子供の性格・人格形成に永続的な影響を与えないと主張されていましたが、極度の虐待については著者も判断を保留していました。虐待をする親が通常の心理学的研究のための調査に簡単に応じる(そして正確に答える)とは、考えにくいからです。つまり、子供への虐待は、子供の人格に永続的な悪影響を与える可能性がある? しかし、本書によれば、それもけっして「取り返しがつかない」わけではないのです。

人間の暴力一般の生物学的起源とは別に、一部の攻撃的・暴力的性格の人間がなぜ存在するのか、その理由は本書に尽くされているといっていいでしょう。ここまでわかっているのかと、驚きすら覚えます。しかも、それに対する積極的な介入が有効であることもわかっているのです。しかし、このような科学的研究の成果を犯罪防止に役立てるためには、攻撃的・暴力的人間には厳罰主義こそが最善の対策である、という世間一般の誤解をまず正す必要があります。

 

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