この驚くべき一冊をはじめに読めたことは、心理学者たる私のキャリアの中でも至上の体験の一つとなった。――これは、著名な言語・心理学者でチョムスキー派の論客としても知られるスティーブン・ピンカーが、本書に寄せた序文の一節です。ピンカーが「はじめに読めた」のは、本書が彼の勧めにより執筆されたからです。世界15ヵ国語に翻訳された本書は、1997年に米国で出版されると、いや、出版前から賛否両論の大論争を巻き起こしたそうで、その反響の大きさは、「The Nurture Assumption Website」で伺い知ることができます。 副題の「子どもの性格」とは、もちろん大人になっても残る性格のことですから、この問いは「人間の性格を決定するものは何か?」と言い換えても同じことです。また、この場合の「性格」は原書では personality ですから、むしろ「人格」に近く、性格も含めてその人の心の領域のほぼ全体といっていいでしょう。これは、人類にとって普遍的な問いではないでしょうか。人間の身体的特徴の大部分が遺伝によるものであることを知っている現代人(のみでなく、昔から人々はこのことに気づいていたはずですが)でも、性格となると、遺伝だけでは説明できないことが多すぎると思っているからです。簡単にいえば、きょうだい(「兄弟」と書くと男同士のみを指すので、ひらがなで書きます)の性格は、体つきほどは似ていないどころか、ときには正反対だったり、親とも全く似ていなかったり。なぜ、こうなるのか。はたして、「性格(人格)」を決めるのは、生まれか育ちか(Nature, or nurture?)。 この問題に関して、欧米では一卵性双生児、二卵性双生児、親が同じきょうだい、親が異なるきょうだい、などを対象に、すでに膨大な数の心理学的、行動遺伝学的研究が行われています。そして、結論もだいたい落ちつくところに落ちついた感があります。すなわち、子ども(人間)の性格(人格)のおよそ半分は遺伝子により説明できる(親に似るという意味ではなく、生まれつきということ)。残りの半分を説明するのは生後の環境である。本書の著者もこの結論には完全に同意しています。しかし、・・・ 「環境」とは何か。これまでの研究のほとんどすべては、子どもが育つ家庭環境を問題にしてきました。すなわち、親の育て方、躾け方、教育熱、育児観、親の職業(とくに母親の職業の有無)など。そして次に、きょうだい関係、生まれ順、年齢の開き、一人っ子かどうか。さらに、両親そろっているかそれとも片親か、そろっている場合は実の両親かそれともどちらかが再婚したのか、また親が子供たち全員を同じように扱うかどうか、などなど。そして、これらの要素が、子ども(人間)の性格形成に何らかの、あるいはかなりの影響を及ぼすことが「証明」されてきました。とくに、親の育て方が大きい。 かくして、「子育て神話」(本書の原題)が成立したのです。子どもを良くするのも悪くするのも、親の育て方次第。あふれんばかりの愛情を注いでやれば心優しい子になり、厳しく躾ければ自己管理できる子になる。善悪をきちんと教えれば正義感の強い子に育つ。子どもの成績は親がどれだけ勉強を見てやるかにかかっている。幼い頃から本をたくさん読み聞かせ、家にいつもたくさんの本を置いておけば、本好きの理知的な子になる。子どもの人格を尊重して接すれば子どもは自尊心を持つことができる。末っ子ばかりを可愛がってはいけない。他の子や自分と比較するのではなく、その子のありのままの姿を無条件に認めて受け入れることが大切だ。子どもが3歳になるまでは、母親は仕事を持つべきではない。 今や世の中にはこの種の「神話」があふれ返り、その結果、世の多くの親が後悔と良心の呵責に苛まれることになるのです。私の子育ては失敗だったのだろうか、と。子どもが我がままで我慢が足りないのは、私の躾けが足りなかったから? 勉強嫌いになったのも、私が勉強を教えてやらなかったから? 口下手で内向的なのは、私がよき話し相手になってやらなかったから? その通り。今時の若者が礼儀知らずで利己的なのは、そもそも礼儀知らずで利己的な親に育てられたからだ。親から恒常的に体罰を受けると、自分が親になったときに平気で体罰をするようになる。親が離婚すると子どもが問題行動を起こしやすい。 校内暴力や学級崩壊も、覚醒剤や援助交際も、キレやすい若者も凶悪な少年犯罪も、すべて親の責任!!! 「酒鬼薔薇事件」に際して某芥川賞作家が「犯人の親は国民に土下座して謝れ」といったり、幼児を裸にして突き落として殺した12歳少年の両親を某大臣が「市中引き回しにして打ち首にしろ」といったり。まあ、ここまでひどくなくても、前者の事件の弁護人が後者の事件について、「親から十分に愛されていないと感じている子がいる。そういう状況が変わらない限り、いつかは同種の事件が起こると思っていた」と語るとき、反論できる人は少ないでしょう。 しかし本書の著者は、このような「神話」を成立せしめたこれまでの研究のほとんどが科学的に無効であること、逆にそれらの研究を仔細に再検討し、併せていくつかの信頼できる研究を参照することにより、親の育て方を含むあらゆる家庭環境は子ども(人間)の性格(人格)形成に永続的な影響を及ぼさないことを明らかにしています。そればかりでなく、著者は「子育て神話」が、人類にとって進化論的観点から見て無意味であること、近代化以前の社会には存在しない(しなかった)ことにまで、周到に言及しています。とくに、親の思い通りに育つことはその子(人間)にとって決して利益にならない、という主張は説得力があります。 それではいったい、子ども(人間)の性格形成に影響を及ぼすものは何なのか。半分が遺伝子だとして、残りの半分は? 親や家庭環境ではないとしたら、家庭外の環境や人間関係以外にはありえません。著者のいう「集団社会化説」では、学童期と思春期における家庭外での交友関係(といっても、個人対個人の友情ではなく数名から十数名の仲間集団)が大きな影響力を持ちます。どんな仲間と付き合うか、そしてその仲間集団内でどのような地位を確保できるか。これが重要なのです。このことを証明しようとした科学的研究はまだほとんど行われていませんが、本書で紹介されている古来の様々なエピソード、著者とその家族や友人知人たちの経験、神話・昔話といった人類の知的遺産の数々など、有力な状況証拠はたくさんあります。また、子育て神話の背景となったいくつかの研究には、家族よりもむしろ仲間集団の影響が大きいことを示すと考られる、間接的な証拠もあります。そして、ここでも進化論的考察と歴史的・比較社会学的考察が、集団社会化説を強力に支持しているように思われます。 本書に対する批判のかなりの部分は、著者の主張を「親は何もしなくてもいい」「何をしても無駄だ」あるいは「子どもをどう扱ってもかまわない」という意味に誤解したことが原因のようです。しかし、たとえ親は子供の性格(人格)形成にほとんど影響を及ぼさないのだとしても、著者自身が念を押しているように、親は子どもの人生に何も影響を与えないわけではなく、それどころか大いに影響を与え得るのです。子どもの様々な能力を伸ばせるかどうか、子どもに多くのチャンスを与えるか、それとも子どもの可能性を封じてしまうかは、親次第。また、親は居住地や子供が通う学校などを選ぶことによって、子供の交友関係をある程度は限定するのですから、子供の人格形成に間接的に影響を与えうることになります(えっ、理想的な子どもに育てるには、名門私立小学校へ入れればいいのかって? しかし、その子がそこの仲間集団内で好ましい地位を確保できるかどうかは、保証の限りではありません)。そして、たとえ子どもの職業や結婚相手の選択や子育ての方針などに影響を及ぼせないとしても、少なくとも生涯にわたる親子の関係は子どもの幼少年期における親の態度によって大きく左右されます。 集団社会化説は、単に子育ての問題にとどまらず、思春期特有の問題、公教育の役割と限界、世代間対立・文化の伝達と変容、青少年の犯罪対策、核家族・少子化の功罪、働く母親への社会的支援、望ましい地域社会のあり方、などなど、実に多くの問題に新たな光を投げかけているように思われます。 【補 足】 朝日新聞2003年8月9日朝刊に、先に触れた大臣の放言に対する読者の反響が掲載されました。「子育て神話」の浸透ぶりがうかがえますので、転載します。
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