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【 空白の古代史を想う 】


空白の古代、ロマンとミステリー、これに空想の糸を織り込んで遊んでみませんか。

きっかけは「桜」です。木工材料としての「サクラ材」のパソ通での話が始まりでした。
サクラの語源はなんだろう・・納得できるものはまだみつかっていません。
もうひとつは鳥居です、鳥居ってなんだろう・・
そして、神様ってなんだろう・・
泥沼にずぶずぶと・・
わずかな資料と乏しい知識から広げる空想ですから、誤りや知らなかった事実を知れば空想も変わると思います。

それでもいくつかを心がけておきたいと思っています。
本当に事実であること以外は白紙に戻して、自分の感覚でとらえなおしてみること。
自分の感覚もできるだけ白紙に戻して他者の立場からも眺めてみること。
断片ではなく大きな流れの一部としてとらえること。

さすがに超古代になると材料は骨と石だけで、いささか織るには固いのですが、まずは日本人の祖先のあたりからスタートします。
順次歴史を下りながら、その中に事実、自説、他説、空想、を織り交ぜて、空白ではなくなる時代までゆくつもりです。
それがいつの時代になるかはむずかしいところですけれど。

事実や出所のはっきりしたものは黒文字で書き、
あやしげな自説などはちょいとぼかしてこの薄い色で書きます。
随時「参」というポインタを設けてそこをクリックすれば「余談」を読めるようにしておきます。
誤字脱字多々あると思いますがご容赦願います。
ご意見、情報などお聞かせいただければたいへんありがたいです。
もし、興におのりになれば空想の機織りにご参加ください。

それでは空想の糸の機織り開始

1999.02.18 川上しのぶ


【 第1章 北の人々 】


10万年前
間氷河期。宮城県に旧石器群、日本は温帯針葉樹林。
どんな人々だったのか・・現在につながる人々なのか、かなたに消えた人々なのか。

7万年前
ウルム氷河期始まる。
日本の杉属の衰退が始まり寒冷対応のトウヒ、モミ、松類が増加しはじめる。

5万年前
一時的温暖期(亜間氷期)杉属の勢力復活。
このころ従来の大型の粗製石器とは異なる小型で硬質の石を使う石器群が登場。
堆積物から日本海には対馬暖流が流入していたと推測される。

旧人の活動最盛期だったのではないでしょうか。
活動の中心は赤道の南北の森林地帯か・・アフリカ北岸、中近東、インド、東南アジアです。
不思議に思っているのは中南米です。環境は適当なのにここからは原人や旧人が発見されていないようです。
この点から私は人類はアフリカから広まった、という単一起源に賛成です。
南北アメリカ大陸へは海が広すぎて渡れなかった・・
ただし、アフリカにはチンパンジー、東南アジアにはオランウータンがいる。アマゾンに類人猿がいないところから、アメリカ大陸では運悪く猿も木から落ちただけかもしれませんけど。

4万年前
気候激動期、700-800年周期で寒暖、乾湿が激変し全体として寒冷乾燥化に向かう。
日本からネアンデルタール系文化に類似した石器が発見されています。

旧人たちは北や南や山や海へ移動を繰り返したのではないでしょうか。
巨大な大自然の「フルイ」に乗せられて。
野尻湖のナウマン象を狩った人々はその後を生き延びたのでしょうか・・

参:「DNA人類進化学/宝来聴」をベースにしたこの時代の列島の人々の誕生の仮説(2005/05)



ハーッホイーッ
△▼!!?#・・ホッホーッ◇○▼!!・・



(失礼、どんな言葉を話したのか見当がつきません)

3万年前
日本は寒冷乾燥となり杉などが姿を消す。世界的に気候と植生、動物相の変化の大きい時代。
ヨーロッパではこのころネアンデルタールなど旧人が滅亡し、クロマニヨンなど新人が登場する。
日本の石器もこれまでとは異なる形態と製作技法に変化し、黒曜石などを使う石器が登場する。

この気候激動のなかから現在に直結する人々が生まれたんじゃないかと思います。
北で、南で、山で、海で、生き延びることができた人々。
それぞれがそれぞれの文化を後に伝え始める時代、それらが潜在意識の中に埋め込まれる時代。

有色と白色の差、これもこのころ得られた特質なんじゃないでしょうか。
人間は太陽の光からビタミンDを作れるそうです。
ただし光が多すぎるとかえってまずい、それをコントロールするのが肌の色のフィルターというわけです。
DNAの差としてはとるに足らないわずかな差のようですから、これらは容易に得られた形質なのではないでしょうか。

2万年前
ウルム氷河期最終の極寒期。
九州鹿児島湾口の姶良カルデラの大噴火火山灰は日本全土に及ぶ。
日本海堆積物の分析によると、BC2万7千年頃までは九州付近の暖かい海水表層水と原始黄河の冷水が日本海に混合流入し津軽海峡から流出していた。
BC2万年前後では海水面が低下し黄河の水によって日本海の塩分が希釈されて海洋性生物が死滅する。

2万年以降では北太平洋系の生物群のみが日本海堆積物にみられることから、半島側は陸地で遮断され、北側から親潮が流入していたと推定されている。
北海道は大半がツンドラ地域東北は亜寒帯針葉樹、西日本は冷温帯落葉樹。
現在の屋久島あたりのみに照葉樹がある環境で、日本から杉属はほぼ消滅します。

西日本であれば落葉樹からの木の実が食料として得られた可能性がありそうです。
冬眠する落葉樹は冬の間に枯れてしまうかもしれないために、秋に種を大量にばらまいて安全を図ったのでしょう。
葉を落とすことも湿った積雪で枝が折れてしまうのを防いで生き残るための役に立ったのではないでしょうか。このあたり大自然の精妙さを感じます。

鋭利なナイフ型石器が登場し石器に地域性が認められるようになる。
九州、瀬戸内(当時は陸地)では半島や沿海州付近と同一石器が出現する。
しかし、北海道ではこれらナイフ型石器の出土はきわめて少ない。
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ハイーッホーッ
南だぁ奴らは南へゆくぞー、ホッホー仲間を集めろーっ・・移動だぁ・・



大陸草原地域のナウマン象などの獲物はより暖かい地域へ南下し樺太へは渡らなかったのでしょう。
その後を追う狩人も獲物のいる地域に移動していったのでしょう。

当時の瀬戸内は湖や湿原が散在し周囲からの河川水を集める大河が流れていてナウマン象の化石が多数出土しています。
また炭化した木片が多く出土することから、野焼きによる狩猟が行われていたのではないかとも推定されているようです。
ナウマン象はBC15000頃に絶滅します。
乱獲が原因の可能性、ありそうです。しかし、だから人間が極寒を生き残れたのかもしれません。

瀬戸内の分水嶺はBC7千年頃まで継続し、瀬戸内海となるのはBC6千年頃のようです。

BC12000頃
海水面の上昇で半島と九州が分離し対馬海流と黒潮の北上によって日本の温暖化が始まる。
また対馬海流の日本海流入によって温暖水蒸気の補給が始まり、BC1万年あたりから日本の湿潤化と多雪化が始まる。

日本海側の多雪化で最初に冷温落葉樹のブナやナラが拡大し、その後に南西モンスーンの発達による夏の豪雨化が起きる。
すでに拡大済みのブナ林が土砂や堆積物の流出を抑え、土地の肥沃が保たれて温帯型広葉樹林が大発達していったと推定されている。

日本にバイカル湖を起点にする細石刃石器群が登場する。
2万年前のナイフ型石器の拡大とは逆に、北海道から東日本へ拡大し、西日本の日本海側にまで伝播している。
九州ではこの石器群と類似だが異なる石器群が登場し、大陸南方からのものであろうという論がある。



ハハイッホホーッ
東だぁ奴らは東へゆくぞーハホッー仲間を集めろーっ・・移動だぁ・・



この時代の獲物は寒冷適応のオオツノシカやトナカイ類で、樺太や北海道へ氷結した海を渡ってきたが、温暖地域へはやってこなかった。
それを追う狩人もまた同じ道筋をたどったのでしょう。

ついで神子柴石器群と有舌石器群の2つが登場する。
神子柴石器群は北方型で東日本が中心で無紋土器を伴い、わずかな差だが有舌石器群より古いとされる。
(BC11000以前)
有舌石器群はBC11000以後とされ北海道、本州、四国までで九州にはない。
本州と四国の有舌石器群には隆線紋土器が伴うが北海道では土器がない。
九州では古い細石刃群が継続され、最古とされる隆線紋土器が発見されている。

本州ではすべての文化が存在し、北海道と九州では本州と共通項を持ちながらも本州に存在するどれかが欠如しているという分布になっている。

初期の土器の存在(発見)は温帯落葉広葉樹林帯であり、中部の寒冷草原地域には古い細石刃石器群が残り、土器が発見されていない。
東北北部でブナ林が拡大するのはBC7000以降で土器が発見されるようになるのも同じ年代のようです。

人々の生活は植生分布(及び動物分布)と密接な関係があるように見えます。

北海道では狩猟がメインのために土器を作らなかったのでしょう。
九州では採集と原始農耕が行われ、新たな狩猟用石器の開発はなかったが、農耕用土器の重要性が増して文様にまで至ったのではないでしょうか。
本州は北海道と九州の中間状態というわけです。
この人々が日本人の「一方の祖先」になります。

この時代の朝鮮半島(以後半島と書きます)ではどういう状態だったのか、あいにく資料不足でわかりません。
エスキモーやアメリカインディアンの祖先たちもこの温暖化が始まる時代に寒冷適応動物の後を追ってベーリング海峡を横断していったのだと思います。

寒冷化時代では南へ、温暖化時代では北へ。動物も人も動いていった。

世界最古の文化のひとつ縄文文化の誕生は間近・・「もう一方の祖先」がやってきます。

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川上しのぶ (c)1999/02