> 戻る

Fastest Tribe
Chapter:1

第3話 予感


 ぼうん、とNAの割にやたらと野太い力強い咆哮。
 B16Aは屈指のスポーツエンジンだし、B16Bなんてインチキ市販エンジンが出るまでは最強の名を恣にした、リッター100越えエンジンだ。
 夜の峠ではこいつがVTECの回転数を超えあっという間にレッドへたたき込まれる。
 ホンダのエンジンは、レッドまで平気で回り、レブが『枷に暴れる猛犬』のような荒々しさがある。
 尤もレブらせる事はロスにつながる。
 ぎりぎりまでパワーが出るので、レブぎりぎりまで使いたいが。
 ここ高天岳(たかまがたけ)の阿良裳(あらも)峠ではできる限りレブらせない走り方が正しい。
 シフトは余裕をもって。
 どる、どると調教しようのない期待感をあおるアイドリングを響かせながら、ゆっくりとコースインする。
 今日も人通りも少なく、月が見える薄曇り。
 湿度も低く、絶好の日和。
 阿良裳の下りはまっとうな神経だったら絶対に走らない。通常はただの近道通り道にしか使われてない。
 ひどく狭く、対向車が通行できないような狭い場所がいくつもあり、ほとんどのコーナーはブラインドで、そして直線らしい直線がない。
 基本的には歩道を舗装して少し拡張した、程度だから普通は嫌うだろう。
 しかも荒れた路面がむき出しで車体を揺らし、襲いかかってくる。
 並のクルマで攻めようものならすぐにあれた路面に足を取られるだろう。
 ブレーキタイミングを間違おうものなら、あっという間に突き刺さることになる。
 アイドリングから一気に3速へとシフト。メータは見ないが40kmを越えたぐらいだ。
 そのぐらいはエンジン音で判る。
 その間に窓を全開、走行音が一気に車内へなだれ込んでくる。
 同時に、ひやりとした山独特の空気。
 緩やかな短い右、すぐ先にブラインドの入り口がある。
 ガードレールが近づく。
 僅かにブレーキ、くん、と足が反応して頭が沈み始める。
 同時にステアリングを僅かに切り、一気に右前へと加重を加える。
 姿勢ができあがる、その瞬間に視線をコーナーの奥へと向ける。
 つくべき場所、クリッピングポイントはいつものライン。
 頭の向きを予想しながら、さらに視線を奥へと向ける。
 まだ対向車は二つ以上コーナー先だ、何も、見えない。
 だが妙な予感がした。
 アクセルをさらに踏み込む。まだ、今日の一本目下りだ。全開まで開ける必要はない。
 タイヤの具合を感じながら、コースを見てステアを調整する。
 LSDががき、がきと音を立てる。
 だがまだイン側のタイヤは鳴かない。アウト側のタイヤも、この程度の荷重と速度ではきしみすらしない。
 良い調子だ。全てのタイヤのグリップ具合がまるで、自分の足のように感じられる。
 ゴム手袋で路面をさわっている感触。
 今日はクルマとの意思疎通も良い。空気も、肌の感覚も。
 でも今日は切れすぎている。このクルマに乗れ過ぎている。
 危ないかも知れない。
 すぐに折り返しのコーナーが来る。だがまだ速度が乗っていないので、グリップを見ながらアクセルを調節し、ラインを見極めるようにステアを返す。
 荷重がすっと水平に移動し、今度は左足が沈み込む。
 良い動きだ、足がまるで生き物のようにきっちり動いてくれる。
 柔らかくしなやかに、このあれた路面をきちんと捕らえている。
 今日のクルマの具合を確かめながら、テンションがあがってくるのが判る。
 アクセルを緩めるのが惜しい。テンポ良く現れる、もう何度も見たいくつものコーナー。
 ここをブレーキなしで連続旋回しようとすればそれなりの速度になるからこそ、ここでアクセルを踏んだまま振り回したい。
 アウト側のタイヤがきしんだ。口の端が引きつって、笑みが浮かんでしまう。
 その時、耳に別の音が届いたのが判った。
 夜闇を切り裂くタイヤの音、だ。


Top Next Back index