雑感 2003/03 |
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同時多発テロ発生前、旅仲間の知人からこんな話を聞いた。 彼が中東の某国を旅行していた時、たまたま映画「インデペンデンス・デイ」が公開されたので、その国の映画館に見に行った。 このSF映画、簡単に言うと宇宙人が侵略してきて、地球のみんなで防衛するというストーリー。 途中、巨大な円盤が攻撃を始め、ホワイトハウスが木っ端微塵にされるという、アメリカ人には何ともショッキングなシーンがある。 ところがその時―― 拍手と歓声が巻き起こった。 彼はその反応に驚愕した。 「これ――アメリカ映画だぞ??」 しかし、世界人類の一致団結を促すアメリカ大統領の演説シーンには一転、観衆はすすり泣いていたらしい。 どうも自然に感動していたように見受けられたそうだ。 (ちなみに僕自身(in大阪)はこのシーンで、あまりに情けなくて泣けた。「人間ちゅうのは、共通の敵がおらんと結束でけんほど、アホなんか??」 ――ただのヒネクレ者でこれだし、アラブ人にとっても、あるいはもっと複雑な意味での涙だったのかもしれない。) アメリカ嫌いのくせにアメリカ映画を見に行って、アメリカ危機一髪のシーン(というより人類もろとも危機一髪なんダケド……)に快哉を叫ぶ観衆――まったくヘンな話だけど、まだあのむごい事件が起こる前だった。 僕はこの話をしてもらって、率直で人情味豊かそうなまだ見ぬこの国の人々に、ほのかな親近感を覚えた。 ともあれ、公開時は「アメリカの手前味噌映画だ!」という批判もされたりしていたこの映画、見る人によってはここまで違う感興を誘っていたのだそうだ。 (受け手の多様な価値観を引き出している点では、むしろその単純明快さを賞賛できるかもしれない。 なお、妙な偏見を持ってもらいたくないので、国名は書かない。 イラクではない。) そして同時多発テロが発生した時――「まるで映画みたいだ」という嘆息が当時よく聞かれたが、一方で「映画みたいに」喜んだアラブ民衆がいた。 だが、「映画ではない」。 一般市民を何の前触れも無く虐殺する行為は、人として喜んでよいものとは到底思えない。 僕にとって一番悲しかったのは、犠牲者に対するこの想像力の欠如だった。(従って、喜んでしまったアラブ民衆の気持ち、その背景も同時に斟酌すべきだとも思っている。) 賢明な米国の人々は、気づいているんじゃないだろうか――官民を分けての戦争遂行が初めから幻想にすぎないこと、その上で戦争を肯定し、民間人の犠牲はやむを得ないと言い切った途端、即自分自身が攻撃目標になるおぞましさに。 少なくともあのテロ以降は、リモコンのボタンを押すように武力行使に賛成したり、報道を「映画のように」安穏と鑑賞したりすることなど、不可能だろう。 別にテロを肯定したいわけではなく、これはすでに戦前、石原莞爾が「世界最終戦争論」で予見していることだ。 核兵器で僕らは生まれた時から全体攻撃の脅威にさらされているし、形が変わっただけで無差別テロも核兵器も、立体的(構造的)に国民自体を攻撃対象としていることに違いは無い。 世界最終戦争=全面戦争といったモデルの代わりに、冷戦〜代理戦争を経て、現代は「テロ・ノイローゼ国家のモグラ叩き」へと移行したのかもしれない……もっとマシな選択肢も、あると思うんだけど。 「オマエのやり方は間違ってるぞ」と、正面切って言われている今のうちが花かと思う。 軍事力を頼みに無理を通せば通すほど、周囲から嫌われるだろう。 本当に嫌いになったら……映画で素直に感情を動かすことすらできなくなるかも。(昨今の翼賛的映画へのシフトも、自分で自分の首を絞めているのではないだろうか。 一度かけた色メガネは外しにくいものだ。 アメリカ文化の代表選手たる映画の、さらなる自由と繁栄を願う。) そして、テロは――杞憂ならいいんだけど、もっと陰湿で残虐なものになっていくような気がする。 もしアメリカに敵意を燃やし、ハイテク武装の常勝軍に立ち向かうのもナンセンス、かといって大陸間弾道ミサイルの開発もできないとなれば、その手口は戦略になり戦術になり、戦法になりうる。 相変わらず犯罪でしかないのだが、実質上敵側の総攻撃になると考えておいた方がいい。 この悪辣なテロ攻撃にシラバっくれられて、毎度々々グレーのまま「世界の警察」が出動していると……アメリカはどんどん名を落とす。 アレ? これ、実はヒステリックになればなるほど――輸出入の失速で、自ら作りあげた経済システムの中、アメリカがゆっくり自滅するハメ技じゃないのか? い、いいのか? フランスのワインをぶちまけて喜んでいて。 (ついでに言うと、日本は今のうちに食料自給率を上げておいた方がよいのでは? 40%はちとノーテンキすぎるぞ?) 本当に必要なのは、相手を一時的に屈服させるだけの圧倒的軍事力でも、ハンマーを一度振り上げたら簡単にはやめられなくなるモグラ叩き地獄でもない。 60億の人間が微笑んで生活し、誰一人「恨みのモグラ」に身を堕すことが無くなるヴィジョンと意志だ。(これもまた一方で、武器商人という人食いモグラがいるそうな。 このモグラの叩きにくさを考えると、現実的には相当困難な理想かもしれない。 ちなみに、本当のモグラさん(哺乳類)に他意はない。) 自由と平和、文化と思想の多様性を愛するアメリカの人々のためにも、戦争に反対したい。 今反戦を唱え得るアメリカ人は、アメリカが本来備えるべき自由そのものだと思う。 戦争も反対だがデモ隊同士のケンカもやめてほしい。 グローバル・スタンダードを諸外国に強要することなく、色んな人種や民族・主義主張の違う人々がその違いを認め合う演習も、元々国内で十分できるはずだ。 オマケ: ところで――僕が「ID4」で一番に思い出すのは、このエピソードでも巨大な円盤でも無くて、実は、『出口』……アレ、未だにすっごく気になってるなぁ。
「自由」という言葉を広辞苑(第三版)で牽くと、かなり詳細に語釈されている。 いささか長くなるが、その一部を引用してみる。 (この引用文の後に続く「社会的自由」に関しても、別に参照されたい。) (2)(freedom; liberty) 一般的には、何かをすることに障害(束縛・強制など)がないこと。 自由は、こうした条件からの自由であるから、条件次第でさまざまな自由がある。 無条件的な絶対の自由というものはない。 何かをする自由は、障害となる条件を除去・緩和することによって拡大するから、人間の目的のために自然的・社会的条件を統制することも自由と呼ばれる。 この意味での自由は、自然・社会の法則の認識を通じて実現される。ふー。 (蛇足かとも思うが、)これを今の状況に鑑み、僕なりに「自由解釈」してみる。 (2)(freedom??) イラクの大量破壊兵器を廃棄することに障害(妨害・隠蔽など)がないこと。 元々こうした条件でしかなかったはずだから、条件次第でさまざまな選択の余地があったはずだ。 無条件的な絶対の武力行使の自由というものは断じてあってはならない。 イラクの自由は、障害となるフセイン政権を除去することによって拡大するようにも思えるが、アメリカの目的のためにイラクの政治的・社会的条件を統制することも自由と呼ばれそうな気配だ。 この地域の自由は、国際世論・国連安保理の賛同を通じてこそ実現されてほしい、のだが。作戦名・「イラクの自由(Operation Iraqi Freedom)」――ムチャな命名だ。 完全に自由を履き違えている。 (武力行使の目的もいつの間にかすり替わってたし、(おかげで?)上記の文章の主格もイラクなんだかアメリカなんだか、ゴチャゴチャになってしまった。 申し訳ない。) なお前後するが、広辞苑の「自由」の第一義(古い方の語釈)は、 (1)[後漢書 閻皇后紀] 心のままであること。思う通り。自在。(古くは、勝手気ままの意に用いた。 綏靖紀「威福(いきおい)自由(ほしきまま)なり」) 〔強調は筆者。〕 作戦名・「イラクを勝手気ままに思いどおり」 なるほど、これなら……って、納得できるかよ……。 あと9時間ほどらしい――また増えるのか。 不条理な破壊。 不条理な流血。 不条理な怨恨。 それらを背負わされる人が、家族が。 自由は、他人を害しないすべてをなしうる権能にある
――フランス人権宣言――
一時期減っていたのですが、最近またウィルスメールがよく届きはじめています。 とくによく届くのはW32.Klez系ウィルスで、これはかなり悪質なようです。 種類によって機能に差異があるようですが…… 1.発信元の詐称 適当なメールアドレスを詐称して発信するので、感染源を特定しにくい。 (感染者本人ではなく、詐称されたアドレスの人がエライ目に合う。) 2.発信先の広範取得 アドレス帳だけでなく、閲覧したホームページのキャッシュからもメールアドレスを抜き出して勝手に送信する。 (まったく赤の他人からも送られてくる、ってワケ。) 3.ファイル添付送信 パソコンにあるデータから勝手にファイルを添付してばら撒く。 (デジタル写真が届いたりしてた……プライバシーの侵害だ……。) 4.データ破壊活動 毎月6日に、いくつかのファイルを無情報化(0で上書き)する。 ……などなど、詳細は省きますが、おだやかじゃないです。 ウィルス対策をまったく講じていない方は、下記のサイトなどをご参考にしてください。 参考:シマンテック社のウィルス情報 http://www.symantec.com/region/jp/sarcj/data/w/w32.klez.gen%40mm.html しかし――こんなもん作って何が面白いんだろ? 製作者の天才的頭脳は認めるんだけど、才能のムダ遣いもいいとこじゃないでしょか。 もったいない。 あるいは、何かの商売か? 戦略か? うーん。 だったら許せないなぁ。 ダリは「その作品が自分を愛してくれるような、作品を作れ」と言ったけど、ウィルスは全くその言葉に当てはまってないように思う。 実に迷惑極まりない作品(?)だし、製作者自身の情緒もちょっと心配だ。 VXガスや炭疽菌とか――爆撃機に核ミサイル――も、あるいはみんな同じかな。 なんでこんなものに頼らなくちゃいかんのだろ。 なんでこんなもの平気で作れるんだろ――使いたがるんだろ??? (テツandトモさんに歌ってほしいよ。) どこの親が人を殺せと教えたよby与謝野晶子(再)。 最近こういうものの映像をみるたび、父チャン情けなくて涙が出てくらぁ……うっ、うっ。
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