サン=ブリユー、イリオン探訪記

 2013年10月はじめに、おとずれることがながねんの念願だったパラントのゆかりの地、サン=ブリユー Saint-Brieuc とその郊外のイリオン Hillion をたずねてきました。以下にその記録を残しておきます。

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 2013年9月30日から10月1日まで、アンジェ Angers でひかられた、≪La Transgression≫という学会に参加し、わたしも口頭発表をしてきた。
 学会の日程が発表採択当時の予定からは短縮され、日程に余裕ができたので、パリにもどるときにブルターニュを経由することにした。
 学会がおわったあと、アンジェにもう1泊して、翌日、サン=ブリユーにむかった。
 TGV にのっていて、サン=ブリユーがちかづくと、それだけでも気分が高まる。
 駅におりたつと、もう、おどりだしそうな心境だ。

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 駅から間近のホテルに投宿。たいへん親切で、設備、サーヴィスともにすばらしい。
 いったん部屋にあがり、大荷物を置いてからまちなかに出る。

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 中心街に近いところにある、サルバドール・アジェンデの名を冠した公園。フランス人はアジェンデが好きなようで、あちらこちらのまちにアジェンデの名をもつ街路や施設がある。

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 市立博物館にたちよる。サン=ブリユーの歴史、そして民俗にかんする展示があった。

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 ブルターニュらしい美しいまちなみを楽しみながら歩き、観光案内所で Hillion-La Grandville に行くバスの貴重な情報を得る(市営バス TUB の時刻表だけを見ていて、Hillion-centre までしかバス便はないものと思っていたが、実は TIBUS という県営のものもあり、そちらは遠くまで行く)。タクシーで行けば目的地までは楽なのだが、目的地で待たせなければならないので、ゆっくり見ていられないという難点がある。

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 Lous Guilloux はこのまちでは大切にされていて、中心街の住所には、Guilloux の小説ではどこのモデルになったかが併記されている。

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 Rue Palante にたちより、写真をとる。この一角に(学期中は)パラントが住んでいたとのことだが、家屋単位で正確に≪Ici habitait...≫のような標識はない。

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 比較的みじかい通りなので、入口から出口まであるいた。出口の Rue Palante の標示の足もとに、なんと、わたしの家の玄関わきの敷地内に咲いているのとおなじ、ムラサキカタバミが咲いていて、みょうなつながりがあるように感じた。

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 まちなかにもどり、College Le Braz へ。 College Le Braz は、かつてパラントがいちばん長く教えていた Lycee de Saint-Brieuc があったところだ。

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▲コレージュの一角が市立図書館になっている。

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 翌10月3日、7時におきてホテルで朝食をとる。
 駅前から8時5分の TIBUS にのり、Hillion-La Grandville にむかう。駅前はまだ自動点灯の街灯がついたままのほど暗い。
 とちゅう、Langueux のあたりから、あいにく、たたきつけるような雨になる。
 Hillion にはいってもやまず、8時30分、La Granville でバスをおりたときも、まだかなりふっている。

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 バス停の屋根の下で傘をとりだし、パラントが休暇をすごした別荘にむかう。その通りの名は、サン=ブリユーとおなじく、ジョルジュ・パラント通り。

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 この別荘は、パラントがついには自殺した場所でもある。いまではひと手にわたったらしいが、パラントがみずから発註してたてさせた家なので、わたしとしては見る価値がある。

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 ここをすぎるとすぐに海だ。

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 写真をとり、観光案内所のひとが推奨してくれたように海沿いを歩こうかと思ったが、ひどくぬかるんでいたので、やめて、バス通りをあるいて Hillion-centre まで2.5kmほどのみちのりをひきかえすことにする。
 とちゅう、雨がはげしくなるたびに木陰で待つが、いちばんひどいときは、それでもまったくふせぐことができず、服が重くなるほど、すっかりぬれた。

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 休みながらでも30分くらいで Hillion-centre に着く。9時半。
 まだけっこう雨がふっているので、パラントの名まえを冠した市民会館 Espace Palante で30分ほど休憩させてもらう。

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 10時ころに Espace Palante を出て、墓地にゆく。雨はやんでいる。Palante の墓は、それ以降におなじ場所にほうむられた別人の名まえが正面に書いてあった(ふたりめの妻ルイーズはパラントの死後再婚したのでここにははいっていないが、じつは妻の親族がふたりはいっている)ので、しばらくそれとわからず、目の前にきていたにもかかわらず、さがしてしまった。

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 Palante の名まえは苔とカビと泥がないまぜになったような汚れで見づらい。名まえのところだけでも、なるべくぬぐってきれいにしようとつとめたが、ほとんどとれない(いまおもえば、墓地の入り口でデッキブラシをかりてきて掃除すればよかった)。
 墓前で、21世紀になってからわたしが訳書を出したことをフランス語で報告したが、いくらフランス語で話しても、そもそも墓前で故人に話しかける行為そのものがニホン的だったかもしれない。
 墓には、パラントの名まえ、主要著書、引用句がしるされている。
 墓地からは、おくふかい入り江が干潟のようになったイフィニャック湾がみえる。長らく海をながめていて、11時30分ころ墓地をでる。

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 イリオンのまちの中心。ほんとうはこの写真の左側に市役所があるのだが、拡張工事中で仮庁舎に移転していて、いまは無人。

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 Espace Palante のむかいにあるクレープリーで昼食をとったあと、サン=ブリユーゆきのバスのりばへ。
 12時58分 Hillion-centre 発の TUB のバスにのって、イリオンをはなれる(もっとイリオンにいてもよいのだが、バスの本数がすくない)。

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 13時30分ころ、Saint-Brieuc の中心街 Clemenceau につく。
 ホテルにもどって服と靴をぬぎ、乾かす。シャワーもして、ようやくすっきりする。
 ≪冒険≫といってもよい、大雨のなかでのイリオンゆきだったが、つぎのようなルイ・ギユーのことばを思い出すなら、ちょうどよいときに行ってきたともいえる。≪[...] le soleil ne convient pas à Bretagne [...] son vrai visage n'apparaît qu'à travers les brumes ou sous la pluie≫ (Louis Guilloux, Souvenir sur Georges Palante) (「太陽はブルターニュには似あわない。ブルターニュのほんとうの顔は、霧をとおして、あるいは雨のなかでしかあらわれない」)

 サン=ブリユーには翌4日まで滞在した。ここちのよい滞在だった。