Preface/Monologue2025年 9月


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熊野岳避難小屋直下の馬の背稜線から御釜を俯瞰し南蔵王を遠望する

ここまでのCover Photo:熊野岳避難小屋直下の馬の背稜線から御釜を俯瞰し南蔵王を遠望する

1 Sep 2025

あまりに暑くて、まるで九月という気がしない九月の始まり。

5 Sep 2025

台風が来て、気温の点では一息つく。一息つきながら、秋の山行計画を考える。いつから安定して涼しくなるのだろうかと思いつつ。


先日、山形の月山を紹介する山の番組があって、月山再訪もよいかも、と調べてみると、山上にある神社は今月のうちに閉じてしまうようなので、出羽三山巡りとしてはすでに計画が遅いかと。山だけなら来月初旬までならなんとかなりそうだが…

出羽三山は、だいぶ昔の初訪時は六十里街道歩きと絡めての計画だったので、湯殿山、月山、羽黒山の順序で廻ったが、参拝の順序としては羽黒山から始めるのが正しいらしい。羽黒山が過去、月山が現在、湯殿山が未来を表すものらしく、湯殿山が三山の奥の院なのも最後に詣でるものという意味あいだろう。


その初訪時には湯殿山から金月光の長いハシゴ場を経て施薬小屋に出て、何杯飲んでも200円という薬湯をいただき、この小屋の有難みをいわば歴史的に実感したのだけれども、いまは小屋自体がなくなってしまっている。その日の宿は頂上近くの鍛冶小屋という小屋だったが、現在では同じく存在しないと知った。金月光は登らないだろうけど、仲間と泊まった鍛冶小屋の跡地は尋ねたいかなと。行くにしてもこの秋ではなくて来年以降だけど。

8 Sep 2025

映画『ジュラシック・ワールド/復活の大地』を観た。


映画が始まってしばらくのあいだ、恐竜の生息地に向かうまでの話はとりとめのない印象で、じつは面白くない映画なのではと心配になった。 なにせ今までのシリーズ作品は早々に恐竜たちと遭遇する印象があったのだが、今作は始まってすぐブロントサウルスが町中で渋滞を引き起こすものの、自然のなかに生きる古代生物の描写はなかなか出てこない。

しかし海の巨大生物モササウルスが現れたあたりから俄然、物語は締まったものに。舞台が陸上に移り、見上げるばかりの断崖絶壁をどうルート探索したのか半日足らずで登ってしまえたかのように見えるのはどうかと思えたものの、とくに終盤、過去作で語られた忌まわしい実験結果が主人公たちに襲い掛かってくる展開はまさに正統派ホラーそのもの。最後の最後まで緊張感途切れず。ちょっと巨大肉食恐竜、動作が鈍いかな、と思えなくもないけれど。


主役がスカーレット・ヨハンソンなのは知っていたが、相方がマハーシャラ・アリだとは気づかなかった。『グリーン・ブック』でのイメージが強くて。こういうアクションものも演じるんだ、と。もちろん二人とも悪くなし。 今作はいわば主役恐竜はいない。T・レックスやラプトル(と思えるもの)は出てくるものの、ラプトルらしきはラプトルでなくても。

15 Sep 2025

やや涼しくなってきたか、この九月。歩いた後に食べる梨が美味しい。


三浦半島の二子山。二子山山系自然保護協会は「二子山山系主要分岐図」の更新に当たり、”森戸林道”を廃道扱いにしていたことに今日気づいた。理由は、「2008年に森林組合が解散して林道として使われなくなり、神奈川県や葉山町が管理する道路ではないことを明確にするため」とのこと。

そうか、随分前から林道ではなかったのか・・・。以前のように、地すべりだか山崩れだかが起きて甚大な被害が生じた場合、誰も回復作業をしないということなのだろうか。せっかくの好ルート、今後荒れるに任せるのはじつにもったいないのだが、重機が必要なくらいの場合は、二次被害が懸念されるのでさすがにボランティアでの作業というわけにもいかないだろうし・・・。

22 Sep 2025

会津の七ヶ岳を黒森沢コースから登り、七つ(実際には11とも13とも)のピークを縦走して周回。


黒森沢コースの後半には護摩滝という滝があり、数メートルの垂壁が眼前に。Web上の報告が言う通りロープが下がっているので、巻き道を使わず直登もできそう、というかそれが楽しみで。さっそく沢靴に履き替える。人生二度目の沢靴。

護摩滝の核心部は、おそらく、最初の棚に登りあげる垂壁。ロープがあるとはいえ、3~5メートル程度とはいえ、のっけから垂壁。しかも棚に出る最後のところで足をひっかけるところがみつからない。さてどうしたものかとしばし考え、棚に手をつきプッシングで身体を押し上げる。裾を濡らした程度で突破。本日のパンツは速乾性に優れたものなので多少の水浸しは許容範囲。靴下も沢用に履き替えているので平気。

これが強烈なのであとは楽。数段になって落ちる滝の顕著な部分を登り終えると、行く先には岩盤が階段状になったところを水が浅く幅広く快適そうに流れてくる。素晴らしい眺めに思わず高笑い。前後に人がいなくて幸い。


登山靴でも十分歩けると参照したガイドにあったが地元発行のパンフでは沢靴持参を推奨しており、山靴を浸水させるのは避けたかったので沢靴を引っ張り出してきたのだった。自分でも驚くちょうど20年ぶりの使用(前回は沢登り講習)。大丈夫かなと心配だったけどフェルトの靴底は剝がれもせず水中の歩行は実に快適。泳いだりはイヤだけど、沢歩きをする人たちは暑い夏にこういう快適さを味わっているのだろうと実感した。9月下旬の会津は暑すぎず水は冷たすぎず、よいときに来た。たまに間違えて浅い釜に足を突っ込みくるぶしまで浸かってしまい焦る。予期せず足首以上が水の中というのは怖い。沢での歩き方を忘れたのかもしれない、なにせ20年経っているので。。


沢から離れ、山靴に履き替えてしばしで山頂。この日は朝から快晴で、その勢いのまま、高原山、男鹿山塊が近く大きい。高原山はまるで八ヶ岳そっくり。右手彼方には日光連山、さらに右手に燧ケ岳。男鹿山塊の左手には那須連山、その奥に二岐山。二岐山は意外と大きい。那須の茶臼岳より遠くにあるのに茶臼岳と隣の朝日岳を足したより大きい。福島の山である二岐山はおいておいて、七ヶ岳は栃木の主要山岳の大展望台だった。(燧ケ岳も福島県だし、その他の福島の山々も多々展望できるけれど)

稜線縦走は上がったり下がったり。御坂の十二ヶ岳のようにピークに山名標識があるわけではなく、自分で数えないといけない。下岳と呼ばれる七番岳の後の山道で岩がごろごろしている部分が疲れた脚には少々辛かった。


コースタイムで6時間を切っている山だったけれど、周回に9時間半かかってしまった。山頂で一時間休憩したにしてもちょっとかかりすぎ。沢靴は、靴底はまったく問題なかった。人工皮革の表面はあちこち剥がれて綿部分が見えるようになってしまっていたけど。

23 Sep 2025

昨日の七ヶ岳に続き、本日は荒海山。一般ルートは八総鉱山跡からの往復しかなく、これを辿る。


過去の山行記録に、歩き出し早々の登山道を沢のように水が流れていたという報告があり、これに恐れをなして昨日同様に沢靴を持参したものの、来てみるとまるで問題なし、最後の渡渉地点に至っては伏流水化していてそもそも水がない。思い返してみれば目にした参考記録は梅雨末期ないし梅雨明け早々のもので、山に水が満ちていたころのもの。そりゃ登山道を水が覆いもするかもしれない。

一度も渡渉する機会がなく、けっきょく使うことがなかった沢靴を最終渡渉点を越えた先の草藪にデポし、稜線への急傾斜にとりつく。ロープが下がる斜面は登りであれば手を使わなくても行けるが、走り下るにはどうかと思える。そのどうかと思えることを朝の八時過ぎにしてきたかたがいた。しかも長靴で。相当に体幹ができているのだろう。いったい何時に登りだしていつ山頂に着いたことやら。

不思議なことに花崗岩の岩塔を見上げてザレた斜面をジグザグ登りするようになると稜線は近い。行けばブナの林で道筋はおだやか、やっと気分良く歩けると思ったのも束の間、山道は山腹を行くようになり、行く手を遮る木々の湾曲した幹を跨ぎ、小さな岩場をロープで攀じ、再び木の幹を跨ぐ。荷を下ろして休む場所も限られるまったく歩きにくい道で、断崖の上を文字通り木の根にすがって渡る個所もある。なぜかここはロープが途切れていて、捕まるものも踏むものも木の根だけ。この木が落ちたら荒海山は登れない山になるのではというスリリングな場所。


山頂直下はロープが連続する急登、泥だらけの岩場は足場が悪く滑ることもあり、腕力登りとなる場面も。左手の笹原の中に小さな小屋を見ると山頂はすぐ。飛び出した先は、昨日の七ヶ岳と同じく高原山、男鹿山塊が正面。だいぶ近づいている分だけ昨日より大きい。日光山群は稜線がほぼ雲の中、那須連山は男鹿山塊に隠れて茶臼岳は見えず、山列を縦方向から見るようになったためか、昨日顕著だった二岐山も判別しにくかった。ただ、高原山とは反対側のかなたには、昨日歩いた七ヶ岳が顕著なピークを山名通り七つ並べていた。これを見るのが目的の一つだったので達成できて満足。七番岳の別名を持つ下岳のさらに先に二つのゆるやかなピークがあるのも見て取れた。

ところで山頂の平地は狭い。おおぜいで休めるところではない。同時に休憩していた地元の方の話では平日だと誰にも会わないらしい。今日は休日なので人影は多い模様だが、それでも入山したのは11人だった(早く登りだして遅く下ったので人数がわかる)。11人が同時に山頂にいたわけではないが、もしそうだったらちょっと窮屈だっただろう。


下りは、山頂直下の急傾斜はともかく、稜線歩きが細かい上下が多くて下っている気がしないものだった。稜線から下って沢靴をデポしたところに着いてみると、隠していた靴がない。場所が記憶違いかと30分くらい周囲を探してみたがやはりない。誰かがゴミだと思って持って帰ったか(きれいな白いビニール袋にいれておいたので持ち帰るのに抵抗はなかったはず)、または野生動物が袋ごと咥えて持って行ったのか。まぁなくなってしまったものはしかたない。20年の経年劣化は靴表面に現れていたのでそこまで惜しくはないが、フェルトの靴底はしっかりしていたのでそこまで諦めきれなくもあった。後ろ髪を引かれつつ沢沿いを駐車場に戻った。

25 Sep 2025

映画『宝島』を観る。主役たちが熱演。


映画の山場はコザ騒動とその直後の主役たち同士の対決。市街地の騒乱描写は素晴らしく、あの『ジョーカー』のクライマックス以上とさえ思えるのだが、その後がちょっとダレてしまうのが残念。

しかしその残念さがあっても、米軍占領期から基地付き返還に至る沖縄の現地の状況は、物語の映像としてでも見ておくことにおおいに価値があるかと。地政学なるものを振り回すだけで、住んでいる人たちの痛みに思い至れないレプリカントとならないために。

29 Sep 2025

映画『レッド・ツェッペリン:ビカミング』を観る。

原題が”BECOMING LED-ZEPPELIN"であるように、バンドメンバーの生い立ちから始まり、時代背景を絡めながらどのようにロック史上で指折りに偉大なバンドが誕生し名声を確立---セカンドアルバムでの批評家たちの賛辞獲得---するまでに至ったかの物語。


いまや一番若いロバート・プラントでさえ喜寿。ジミー・ペイジは80代、J・P・ジョーンズはその目前。早世したボンゾの未公開音声を交えて、歳を重ねたメンバーたちが当時を語る。バンド結成前のプラントは破天荒な宿なし生活を送っており、未来のバンドメイトとすでに知り合いだったボンゾは妻から「プランティーとは仕事では関わらないで」と言われていたという。”プランティー”だったんだ。

ペイジとジョーンズが有能なセッションミュージシャンだったことは有名だけど、シャーリー・バッシーの”ゴールデンフィンガー”で共演しているとは知らなかった。ペイジはもちろんギター、ジョーンズはベース。あの張りのある歌声の裏でうねっているベースがジョーンズのものだったとは。仕事で出向いたスタジオでだろう、稀代の歌姫を生で見た若き二人は、「うわ、(本物の)シャーリー・バッシーだ」みたいな感想を抱いたそうな。


老け顔になったメンバーが当時の意気込みや信頼関係を語るのを聴くにつけ、幸福な気分になる。やはり始まりの頃が一番苦労が多くて、一番無我夢中で、後から振り返って一番楽しかったと思えるものなのだろう。アメリカで売れた後、本国イギリスで初めての単独公演をアルバートホールで行い、最後の曲が終わって歓声のなかステージを去ろうとするペイジが振り返って客席に向かって一礼する。故国の観衆に受け入れられたという素直な感謝が伝わってくる場面だった。

映画は『胸いっぱいの愛を』がフルで流れるのがクライマックスになる。ジミー・ペイジいわく”アバンギャルド”なサウンドが大音量で映画館の空間を暴れまわり、観客の顔の前にまで音の塊が迫ってくる。じつに快感。映画館に来た甲斐があったものだと。


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