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ここまでのCover Photo:霧ヶ峰の草原を行く
3 Aug 2025
先日、朝の名古屋駅の名鉄バスセンターで郡上八幡行のバスを待っていると、大きめのザックを背負った山姿の人たちがやってきていた。7時くらいだったかになるとみなバス乗り場に移動する。
どこに行くのだろうと買い物ついでに見に行ってみると、行先は薬師岳。受付のひとに尋ねると一泊二日ツアーだという。名古屋からバス一本で登山口往復か、楽そうだな、こういうのもよいかと、帰宅してから首都圏でのツアーを探してみると、当然ながらこちらにもある。
ただし費用はそれなりにする。とくに宿泊山行のは。有名な山小屋は予約しようとしても満室であることが多いようなので、ツアーに参加して確保というのは良案にも思えるけど、これで押さえられているせいで空きがなくなっているのかも。そうだとしても山小屋経営上やむなしか。とくにコロナ後は大変そうなので。
4 Aug 2025
『欲望という名の電車』のナショナルシアターライブ映画を観る。
現実と折り合えなくなった没落上流層の人間が破滅する物語。主人公は自分に都合の良い話をでっちあげて自分で信じ込む。事実など見たくない、魔法を見ていたいというようなことを言う。そんな姿勢では現実世界で生きていけない。そして自分が破滅したことにすら気づかない結果に。現実逃避のきっかけに同情の余地はあっても、逃避の仕方が上手くなかった。助けの求め方が下手だった。人間、常に自立できるとは限らない。
はるか昔から戯曲の名は知っていたものの、文庫化されていても手に取らずじまいだったのを、本来の舞台での上演(の映画)を目にすることでようやく中身を知る。作は半世紀以上前だけど演出が舞台空間から現代的で、まさに今の話として入り込める。内容は、つい最近つくられたのではと思えるほど。忘れがたい話。
5 Aug 2025
先週に引き続き、川崎ミューザでオーケストラを聴く。昭和音楽大学オーケストラ。指揮は田中祐子。なお、学生オケのチケット代はかなり手頃。
本日はモーツァルトの交響曲31番『パリ』、ドビュッシーの交響詩『海』、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』第二組曲、それと『ボレロ』。
『パリ』は初めて聴いたのだけど、解説パンフにある通りなかなか壮麗。モーツアルトの時代ではオケの規模と楽器構成は現代とは比すべくもなく、太めの管楽器(チューバとか)はなく、打楽器もディンパニだけ。ほかの曲では別なのがあるのかもだけど、『パリ』のオケ規模はこの作曲家にしてはかなり大きいらしい。曲調は活力に溢れて躍動的。そのせいか指揮者の方が鳥が羽ばたくような指揮をする。なかなか見ていて楽しい。
『海』は、CDとかで漫然と聴いているといつのまにか終わってしまう。生オケだと音が迫ってきてなんとかついていける。転変していく曲なので、ソナタ形式に慣れた当時の聴衆は初めてこれを聴いたときに大いに困惑したことだろうなと改めて。
ラヴェルの『ボレロ』、あのリズムを刻むスネアドラムの奏者がどこにいるのか最後までわからず、これが気になって気になって、曲後半はやや注意力が散漫に(譜面台で楽器が隠れて見分けられず。実際には舞台中央に)。しかし最後のシンバル→銅鑼→大太鼓の打撃連鎖と雪崩れ落ちるエンディングは何回聴いてもカタルシス。暑気払いに最適、思わず笑ってしまうこと今回も。(声は出さずに)
11 Aug 2025
先週、先々週に引き続き、川崎ミューザでオーケストラを聴く。東京交響楽団による"サマーミューザ"のフィナーレコンサート。文化的な夏だ。涼しいところにしか行かないだけだけど。
本日は芥川也寸志の手になる映画音楽『八甲田山』から抜粋と、バルトーク『ヴァイオリン協奏曲第2番』、ニールセン『交響曲第4番「不滅」』。
作曲年としては最も新しい『八甲田山』が一番古く聞こえるのは旋律重視、リズムに(素人耳には)驚くところがないからか。芥川也寸志がメロディメーカーであるのはよくわかるのだけど、少し前の日本映画の映画音楽だからか仰々しく聞こえる気も。物語が吹雪の山でのものなので劇的になっているのはわかるけれども。
そうそうコンサートでかからないのではというバルトークが聴けて嬉しいのだけれど、ヴァイオリン協奏曲は聴き慣れてなかったので正直キツかった。いわゆる”現代音楽”に聞こえた。マジャールの民族音楽の精華が端々に聞こえるような気はしたものの。
ここでソロを弾いていた服部百音さん、ソロを弾くだけあって技術はとんでもなく、アンコールのソロ曲はピツィカートから始まって弓で弦を叩いて弾いたりと、それもピアニッシモの音を出す。演奏した曲はサイ・ファシルという作曲家のもので超絶技巧を要するらしく、演奏中の会場は見事なまでに楽器の音しか響いていなかった。
本日の目当てであるニールセンの「不滅」、なんと打楽器がティンパニしかいない。管楽器の種類とかは置いといてもモーツァルトの時代のままじゃないか。しかしこれが大活躍。とくに最終楽章にあたるところでは2セットのティンパニがバトルを繰り広げて会場を制圧、これを実際に耳にし目にできてじつに爽快。全オケが一斉に音を出して聴くものを圧倒する局面と含めて、よい暑気払いに。
13 Aug 2025
いわゆる運動靴で遠出し、舗装道でないところを歩くとすぐに靴底が痛む。以前からこうだっただろうか。近ごろのこの手の靴は滑らかな舗装道を歩くことだけ想定している靴底になっているのではなかろうか。
そんなことを考えているので、ローカットの山靴を代わりに履くことにしようと山道具屋へ。何足か履き比べて良いものが見つかったものの、好みの色が店内在庫にない。高い買い物なので妥協するのもどうかと取り寄せしてもらうことに。
ついでにテント泊用のザックを見る。試し背負いのフィッティングに手間取っていたら店員さんに声をかけてもらい、ザックの相談から山の話へ。来客が少ない時間帯だったのでいろいろお話を聞かせてもらって楽しかった。
靴を選びに来たのだけど色がなくて取り寄せにしましたという話を話題に出すと、「明日富士山に行くので登山靴を買いに来た」というお客様がいたとか。履きならしのため買った靴を履いて家まで帰ってもらったと言われていた。GJ。
20 Aug 2025
岡山にある連れの実家への里帰り中。
この日は二人して映画『国宝』を見る。歌舞伎俳優たちの物語だが、出演している梨園出身の寺島しのぶによれば「ありえないことだらけ」な話らしい。しかし現実味の多寡が判断できない素人からすると人間ドラマとして見ごたえがある。主演の吉沢亮と、相方の横浜流星の女形姿もまた。
しかしこの映画に説得力を--掴みを確実にしたのは、主人公の少年時代を演じた黒川想矢。このとき中学生だとか。女形の美しさも素の少年らしさも偽りを感じさせず。5歳から子役?なるほど肝が据わってるはずだ。
21 Aug 2025
連れの希望で、鳥取の大山に登りに行く。二人とも再登。この日は大山寺の宿への移動。
ただ移動だけではもったいないので大山寺や大神山神社を巡拝する。緩やかながら長い上り坂の参道の先にある寺は、中国三十三観音札所二十九番の規模に見合うものながら誰もいない。本堂も閉扉。参道わきに立ち並ぶ旅館も廃業して空き家になったものが目立ち、モンベルショップを初め新しい店はあるものの、25年前の初訪時はもっと賑やかだったのではと思えることしきり。そのとき泊まった宿もこの五月に閉業してしまったとか。コロナのせいらしい。
連れは子供のころ家族でこの大山に来ていたそうで、学校行事でも訪れて団体で大山に登ったそうだ。あちこち歩きまわるにつれていろいろ思い出してくるらしかった。夜間照明に集まるカブトムシ取りに行ったこととか。
22 Aug 2025
連れと二人で大山を夏山登山道往復。
それほど暑くならないうちにと6時半から登りだしたが登山口の駐車場はすでに満車だった。夏山登山口から入って上がっていく。一合目近くの阿弥陀堂までは石畳道だが、その先は丸太の土留めによる階段道となり、とてもキレイになった六合目小屋(狭いことは変わりない)を経て八合目先の木道まで延々と続く。オーバーユースによる登山道崩壊を防ぐためには仕方のない措置なのだろう。おかげで初訪時には目についた蛇籠があまり目立たなかった。
頂上近くの木道も、木道だから平坦とばかり思っていたら間違いでけっこうな斜度がある。なにせ木道途中に九合目があるのでまだ登らなくてはならない。着いた弥山頂上は頂上避難小屋のまわりだけ土の上を踏めるだけで、あとは木道の延長になっており、ロープで区切られていて三角点埋設場所にすら近づけない。危険極まりない稜線の先に鋭鋒をもたげる真の大山頂上である剣ヶ峰は、かつてのようには座って眺めることができず、弥山頂上碑の裏から本峰だけをなんとか窺い見るくらいになっていた。もはや死の淵に誘う美女の姿は拝めない。妙な気を起こすことがなくなって良いことだろう。
山頂着は9時半過ぎだったが、もう雲が湧き出してきていて遠望は途切れ途切れだった。それでも登ってくる最中では北壁の上に稜線を見上げ、山頂からは米子平野を見下ろせた。子供の時はこの山頂避難小屋周辺の平地を走り回ったという連れは、再び登ることができて感激していた。とはいえ過度に浮かれ立つことなく、延々と続く階段道を二人して慎重に下って行った。
25 Aug 2025
連れは一足先に帰京したので、ひとり岡山県の津山へ。酷暑続く夏だが低山歩きに。
初日はしかし市街地西部の寺社巡り。津山総鎮守の徳守神社を皮切りに、津山藩主の森家の菩提寺である本源寺を初めとする寺を巡る。津山は戦災を受けていないとのことで、見事な仏閣の甍を見上げて回れる。しかし暑い。軒先の日陰にベンチなどあれば歩を止めて休んでしまう。
津山といえば津山城や聚楽園がまず行くべき場所だろうけど、暑すぎて足が向かない。この日は月曜日で、大正時代の洋風建築が使われているカフェが軒並み定休日で冷房の効いた場所にも入れない。涼しくなってから再訪しよう。
26 Aug 2025
津山市北方、鏡野町と奥津町との間に聳える泉山(いずみがせん)に。
里から少し山間に入ったところに泉嵓(いずみいわ)神社という社があり、その脇の駐車場に車を置いて山頂を往復することとする。この日は朝から湿度が高く、傍らを流れる沢の水音が響く谷間は風もなくミストサウナのようだった。空は雲で追われ、日差しがないのは日焼けの心配がなくてよいのだが、福ヶ乢で主稜線に乗ってもガスで見晴らしがないのにはやや落胆する。ようやく空気の流れを感じられるようになってくるものの、最初のピークの井水山に登りついても、晴れていさえすれば進行方向に中央峰と泉山とが並ぶ姿が眺められるはずなのだが、あいかわらず展望は皆無。それでも雲間は途切れつつあり、ときおり日の光が差し込んできては小さいながら気持ちよい芝生の頂きを明るく照らす。明るすぎて暑い。
中央峰に登り返したところでようやくガスが多少は晴れてきて、登ろうとする泉山本峰を眺めることができた。ゆったりと丸い。山頂は井水山、中央峰よりは平坦部がやや広く、これら二峰と同じく芝生が心地よい。いま越えてきたばかりの中央峰が見えるくらいで期待した大山を初め遠望はまったく得られなかったが誰もいない山頂を独り占めして気分はよく、コーヒーを淹れて半時以上休憩した。山頂を去り際に反対側の登路である笠菅峠からの直登ルートを来た人と遭遇する。この日、山中で会った人はこのかただけだった。
下山は往路を戻ったが、途中で寄り道して「泉山ヒュッテ」を眺めていく。津山高校山岳部の生徒たちが創設に関わっている小屋で、いまは三代目あたりらしい。堅牢で室内の雰囲気も良く、寒い時期にここに泊まって稜線縦走など楽しいのではと思えた(ただしトイレはない模様)。なお、津山高校のHPを見るとこの小屋は高校の所有というわけではないようだ。
下山後、美作一宮の中山神社へ。街道筋が行き止まりになったような先に、長い石畳の参道を持つ古社が立つ。”中山造”と呼ばれる、正面に一間の向拝を突き出した本殿が見ごたえ十分。
27 Aug 2025
雨予報が出ていたので山は止めて寺社巡り。津山市の西に足を延ばし、真庭市に向かう。
まずは中国三十三観音霊場第四番である木山寺を。山中の二車線道路から分かれる一車線道路を少々長く上がっていくと標高430メートルの山上に広がる要塞のような寺に着く。門前に鳥居が立ち、石垣が二重に聳える不思議な雰囲気の場所だ。神仏習合の名残を色濃く残すお寺でいただいた御朱印は、それは流麗なものだった。
その後、木山神社に詣で、木山寺近くに散在する寺のいくつかを回る。寺ではないが、この地の出身である歌手の岸田敏志のギャラリーがあるとガイドにあったのでどんなものかとでかけてみる。そこは組子細工と木製家具の会社のショールーム内にあった。LPのジャケット、TVドラマや舞台の宣伝パンフ、本人自作の備前焼も飾られている。いまやすっかりいいおじさんだが、やはり「君の朝」は名曲だ・・・
28 Aug 2025
津山市西方、蒜山近くの新庄村に聳える毛無山(けなしがせん)に。山頂からさらに40分で着く白馬山まで稜線を歩いて登山口に回遊する。
”毛無山 山の家”という施設近くの広い駐車場に車をおいて歩き出す。一昨日の泉山と同じくまずは沢の水音を聴きながら谷あいを行く。杉木立が美しい中、沢筋を外れてしばらくで驚くほど豊かなブナの林を周囲に見るようになる。毛無山は標高1,218メートルで、ブナ林は1,000メートルに満たない場所から目に入る。蒜山高原の一角と言ってもよいこのあたりは冬ともなれば豪雪地帯となるはずで、ブナが多いのはそのせいかもしれない。いくつもある腕を振り立て身をくねらし優雅に踊る姿があちこちで静止している。天然の美術展会場。いやこれは凄いところだ。
山頂は見晴らしがよいのだが、本日も一昨日同様に雲が多く、東方に稜線伝いで行ける金ヶ谷山らしきが見えていたものの、すぐにガスに閉ざされてしまった。大山や蒜山の眺望はまるでなく、地図に当たらない限りどの方向に見えるかすら見当がつかない。それでも開けた山頂なので開放感に優れており、すぐ傍を静かにガスが流れるなかコーヒーを淹れて飲んでしばらく休憩した。
休憩後は登路を背に稜線を歩く。白馬山までは上り下りの少ない道のりで、ここでもブナが見られ、散策気分でじつに楽しい。ガスも晴れてきて、先ほどまでいた毛無山山頂を右手に、ガスに隠れていた金ヶ谷山を左手に望めるようになる。白馬山は木々に囲まれて展望のない山頂だった。
下山後は当然ながら汗まみれだった。この日、津山から帰る予定だったので宿で入浴というわけにはいかず、近いところでと蒜山まで車を走らせ、国民休暇村の本館で日帰り入浴を頼んだ。三階にある浴場の窓からは眼前に蒜山三座が望める。蒜山高原に向かう途中では大山も烏ヶ山も、そしてできれば今回登りたかった三平山も仰げた。夏場は暑いし、Tシャツやアームカバーの上からでさえ虫に刺されるが(アブとか・・・)、登って楽しくないワケではないことを再確認したここ数日間だった。でもやはり涼しいときのほうがよいな。
なお、毛無山の山頂手前、九合目の標柱が立つ場所に小屋があるが、鍵がかかっていて中に入ることができなかった。以前は壁のないただの東屋だったようだが、いまでは休憩すらできない。元に戻したほうがよいのでは。
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