Preface/Monologue2022年 9月


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那岐山山頂からガスがかかる広戸仙を望む、左奥は山形仙

ここまでのCover Photo:那岐山山頂からガスがかかる広戸仙を望む、左奥は山形仙

2 Sep 2022

もう秋雨前線が猛威を。例年であれば活動開始は半月くらい後なのでは。
台風まで加わって天気予報は当てにならないことしきり。

ともあれ各地の被害が最小であることを。

4 Sep 2022

青春18きっぷを使って連れと富士宮に日帰り。ただの観光なので足まわりは運動靴。


残念ながら本日の富士山はほぼ全身が雲隠れ。午前中はほんの少しだけ山頂部が見えていたものの、身延線の車窓からカメラを向けている人たちは納得がいかない様子。

駅を出て、まずは名にし負う富士宮やきそばを食べに。屋外にテーブルの並ぶお宮横町はまだ10時なのでお客さん少数。初代B級グルメ王者は麵が太く弾力があって食感よく、鰯の粉がまぶされて味もよい。期待通りの旨さ。


駿州一之宮の富士山本宮浅間大社は朱塗りの社が端正で美しい。しかしそれ以上に美しいのは脇にある湧玉池の水で、豊富な富士山湧水が広がる水面は濁りが全くなし。感心して眺めていたら近くから蛇が蛇がと騒ぐ声が。なんだろうかとあらためて水面を見ると、蛇が一匹、首をもたげて優雅に泳いでいく。実物の蛇が泳ぐのを初めて見た。もし白蛇だったら間違いなく神の使いと言われたことかも。

池から溢れ出る水は川となって勢いよく市街地に流れ出す。神社の脇には親水公園のようにしつらえられた一角があり、暑い日差しのもと、普段着の子どもたちが全身濡れ鼠にして水遊びに興じている。汗をぬぐいながら歩く大人たちからすると羨ましい限り。


すぐ近くの富士山世界遺産センターにも立ち寄る。壁面に投影される登山道からの光景を眺めながららせん状のスロープを上がっていくという設定はなかなか楽しい。本物の山登りなら辛いだろうけどこれならいいと連れも楽しがっていた。

6 Sep 2022

青春18きっぷの最後の一回分を消費しに千葉へ、寺社巡りに。


まずは2月末の筑波山にある大御堂を巡って以来の板東札所巡り。本日は29番千葉寺へ、本千葉駅から半時ほど歩く。

このお寺、通称は「ちばでら」で、地名も千葉寺町(ちばでらまち)なのだけど、正式には「せんようじ」と称するらしい。奈良時代の創建で、境内中央にそびえ立つイチョウの大木が歴史の古さを教えているようだ。この木は幹周りが10メートルもあるという。一見の価値は十分にあった。


本千葉駅に戻り、外房線で房総半島を横断し、田園風景を眺めるようになると上総一ノ宮駅。歩いて10分ほどの玉前神社は境内は派手ではないが拝殿・本殿が黒塗りのじつに美しい建物。近年塗り直されたのか色艶がとてもよい。

建物の古い写真を見ると単に黒一色だが、いまでは向拝の軒や柱の縁、向拝虹梁に朱線を入れるなど粋な装飾が加えられている。重々しくありながら華やかで、これをデザインした人、受け入れた人は、進取の気性があるのだろう。


境内には「はだしの道」なるものがあり、地図で表記されるのでなんのことかと思っていたが、少し広めの植栽の周囲に敷き詰められた小さな丸石の道を裸足で歩く、というものだった。入り口には表札があり、「一周まわりて無垢となり、二周回りて気を入れて、三周回りて気を満たす」とある。

ここまで来たからにはと靴と靴下を脱いで歩き出すと、いや痛い。たとえ丸石でも、とくにかかとの中央一点に当たるように踏むとものすごく痛い。一周でやめようかとも思ったが、なんとか三周回った。足裏の血行がよくなるという効果は間違いなくあるようで、しばらく歩行が快適だった。靴の有り難みもあらためてよくわかった。

11 Sep 2022

秩父御岳山を、普寛神社のある落合から登って三峰口に下りる。


コースタイムが短いので楽な山かと思っていたが、とにかく登り一辺倒なうえに傾斜が急でかなり疲れた。落合からのコースは王滝沢という沢沿いで水音が長いこと併走して楽しく、滝もいくつかあって名のあるのも無いのも見て面白くよいのだが、いかんせんこちらの足腰が。

狭い山頂からはところどころ開けた場所から奥秩父や西上州が。あれは甲武信岳ではというのが両神山の左手彼方に。山頂に祠があるのは珍しくないが、どうも狛犬の配置上、山頂全てが境内の扱いになっているように見える。こういうのは初めて。

下りは延々と植林の道。暗いし単調だしで実際の時間以上に長く感じる。もうすぐ麓の集落、というところで開けた場所があり、熊倉山がじつに格好良く立ち上がっているのが仰げる。このコース最大のポイントだが、これだけではないかと。


本日は『ウインドパレード』なる野外イベントの第一回がミューズパークで行われるとのことで、午少し前の西武秩父駅は若者が普段の10倍くらいはいた気がする。会場へのシャトルバスは三峰神社行きの隣の停留所からで、無関係とはいえ長蛇の列に恐れをなして神社行きバス始発を避け、秩父鉄道で三峰口まで出てから乗った。

乗ったバスは急行で、落合の停留場には止まらない。手遅れになる前に気づき、近くの大滝温泉で下りて落合まで歩いた。普寛神社は感染対策として閉鎖されており、境内には入れなかった。

14 Sep 2022

平日のこの日、通勤ラッシュが一段落してから高尾山へ。秩父御嶽山での脚全体の筋肉痛を運動することで緩和するために。

高尾山口から2号路へ。稲荷山コース、6号路と続けて左に見送ると背後には誰もいない。途中にある病院の敷地内に入っていくのは気が進まないのかも。山道に掛かるとそこそこ人がいるので全くの不人気というわけではないらしいが、岩混じりの急登が続くので敬遠されているとしても不思議ではない。訓練にはよいと思うのだけど。

霞台園地に出ればもはや観光地の世界。軽装のひとたちに混じって半時掛からず薬王院に着く。山には何度も来ているが寺に詣でるのは記憶にある限りようやく二度目。境内に鳴り響く鐘の音も新鮮で、舗装道を気にしないでもう少し頻繁に来るべきかな。(土日の混雑度合いはどうだかわからないが…)

本日はクールダウンが目的なので山頂は割愛。暑くて暑くて汗が噴き出して止まらないからもういいやというのもあった。来た道を戻りつつ行き交う人たちを見るに、2号路では中高年ばかりだったのが1号路では若者比率が高いことに気づく。聞こえてくる話し声からすると社会人の人たちもいるようで皆が学生というわけでもなさそうだ。『高尾の天狗と脱・ハイヒール』を思い出す。

しかし暑い。霞台園地の茶屋で冷やしキュウリを食べる。塩か味噌を付けて食べるので塩分補給もできて合理的。だいぶ昔の越後は八海山で休憩時にキュウリを食べた。あれは地元の無人販売でのものだった。高尾のキュウリも負けずに美味い。

下りは膝に負担をかけないようにと1号路を下山路に採ったが、下りだしと途中とにかなりの急勾配があることをすっかり忘れていた。路面が凍結する冬場はおっかなびっくりで下ったな、夏場は少なくともスリップの危険はなくて楽、とか思いながら下っていった。

16 Sep 2022

一昨日の夜にWindowsUpdateでのPC再起動を行ったら、Windows11の『スタート』ボタンが無反応に。マウスカーソルを乗せると色が失せて見えなくなるだけ。ついでにメモ帳も開かなくなる。

再起動では解消せず。検索インデックスを再構築という対処法があったので開始してみると、これがなかなか終わらない。翌朝ようやく終わったのでPCを再起動してみたが状況変わらず。

Windowsの回復、というのを開始してみたが12時間経っても「レジストリの復元中」とかで終わる気配がない。気合いを入れて強制停止し再起動すると、「回復に失敗、回復作業開始時点のまま」みたいな通知が表示され、何にもならず。

じつは検索インデックス再構築中に「システムファイル修復」を行っていたのだけど、効果が無かった。これをもう一度実行してみると、状況が解消した。どうやら、「検索インデックス再構築、システムファイル修復」と行うべきだったらしい。

このシステムファイル修復、初回は "Dism.exe /Online /Cleanup-image /Restorehealth" → "sfc /scannow" としたが、二度目は逆順で行っている。これが意味があるのかどうか、いまとなってはわからない。試せる状況は願い下げ。

19 Sep 2022

支持率絶賛低下中。
低下原因について、「丁寧に説明する」と繰り返すだけ。
そんなことを言うヒマがあったらその場で説明すべき。

最近では「丁寧に説明した」と言い出す始末。
いつ丁寧にしたと?
文字通り、こちらを馬鹿扱いしている。

21 Sep 2022

千葉県の佐倉へ散策に。


駅から北に歩いて丘陵地帯に上がっていくと、どことなく角館あたりの武家屋敷を思わせる景観となる。それもそのはずで、ここは城下町佐倉の武家屋敷が残る一帯なのだった。保存されているのは三軒だけど、その三軒が大屋敷、中屋敷、小屋敷と、石高ごとに造作が違っている(玄関の造りから畳の縁の有無まで”居住の制”にて決められている)。

大屋敷には土間で隔てられた二畳ほどの「男部屋」なる畳部屋がある。用途も名称の意味もわからず、受付のかたに聞いてみると、外から用務に来る男衆の休み部屋なのだという。「なので部屋に煙草盆を置いているのです」。なるほどそういえば。まるで謎解きだ。

中屋敷と小屋敷は室内に上がることができる。お彼岸前とはいえ日差しがあってまだ暑い日、開け放した日本家屋の屋内はじつに涼しい。この畳の上で横になりたいなぁという願望を抑えるのに一苦労。


寺社巡りなどして佐倉城跡へ。元から城壁もなく、建物もなにも残っていない敷地の一角に建つのは国立歴史民俗博物館。できた当初は記念切手まで発行された施設もすでに40年経過。ようやく足を運ぶ。中はなかなか広く、展示も力が入っている。最初から丹念に見て回ると一日かけても終わらない気がする。

入館が午後になってしまったこともあり、初回の今回は全体概要を掴むと称してほとんど立ち止まらず進むのだが、迷路のような順路と、そうはいっても足を止めてしまう展示があるため(民俗コーナーであれば『白山山麓出作り小屋環境復元模型』とか『(福島県)朴橋のお人形様』(巨大藁人形の道祖神)とか…)、一時間経っても半分くらいしか進まない。


本日佐倉に来たのは、ここで行われている『亡き人と暮らす -位牌・仏壇・手元供養の歴史と民俗-』という特集展示に興味を惹かれてのことなのだったが、ようやく辿り着いた展示スペースは想像よりはるかに小さいもので拍子抜けした。「えっ、これだけ?」と、思わずあたりを見回したくらいに…

とはいえ新しい知見もあった。位牌というものは中国の儒教起源らしく、禅宗がもたらしたものを他の各宗派が用いるようになったらしいとある。禅宗がもたらしたというのは意外だった。自力本願と「故人の魂の宿るもの」である位牌とがあまり結びつかない気がするので。

時代の変遷とともに、位牌よりは遺影(写真技術が確立したため)という傾向があり、位牌をつくらないひとも多くなってきているとか。一方で、持ち運び便利なモダンな位牌とかもできている。現代人の意識やら住空間やらから、故人の象徴の扱いも変わってきているということらしい。3Dプリンタで故人の立ち姿をミニチュアで再現、という例もあった。それはさすがに自分としては…

30 Sep 2022

通勤ラッシュが始まる前に高尾山口駅へ。高尾山ではなく、東高尾山稜から南高尾山稜へと縦走しに。

草戸山まではトレランの人も走る歩きやすい傾斜の道。徐々に国道20号の騒音も離れていき、ここが高尾の隣かと思う静けさ(多少はエンジン音は聞こえるけれど)。展望台もある草戸山だけど老朽化で使用禁止、たとえ上がったところで樹木が育って展望なし。麓の城山湖の湖面は行程の途中で梢越しに垣間見るのみ。

草戸山を超えると短いながら急登がある。このあたりは神奈川県の管轄らしく、県内のあちこちで見かける擬木階段が現れる。巻き道もあるなだらかなものに変わってしばらくで、高尾山に至るまでの唯一の展望地点に到着。眼下に津久井湖の蛇行する湖面、彼方には左端に大山を配した丹沢山地の眺め。

歩道橋で大垂水峠を越える国道を渡り、高尾山へは山頂に向かわず大平林道を稲荷山コース合流点に向けて辿る。平日だからとはいえ人影皆無、これが高尾の山腹かと思うことしきり。眺望は時折見上げる稲荷山コースの稜線くらいでも南高尾山稜よりは開放感あり(広い林道なので)。林道名が高尾林道と変わってしばらくで往来の絶えない稲荷山コースに合流、疲労で長めに感じた尾根道を下って高尾山口に戻る。

南高尾山稜は春であれば花々が見られるらしいが、この季節はひたすら歩くだけだった。初めて歩いた静かな大平林道のほうが印象に残った。


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