Preface/Monologue2016年 9月


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志賀高原・東館山から横手山(奥)と志賀山(右)、裏志賀山
ここまでのCover Photo:志賀高原・東館山から横手山(奥)と志賀山(右)、裏志賀山
1 Sep 2016

二百十日。

今年の二百十日は、八月三十一日だったそうな。
本日の、九月一日ではなく。

北海道と岩手の水が早々に引くことを。
4 Sep 2016

雨予報の、実際には晴れた日曜日、
ミューザ川崎にオーケストラを聴きに行く。


ベートーヴェンの交響曲4番。
巨大な3番と5番に挟まれて、自分のなかではやや影が薄かったものの、
ライブで聴くと、とくに第一楽章が7番に匹敵する快活さ。
親しみが湧きました。

R・シュトラウスの、歌劇「ばらの騎士」組曲。
この作曲家は大編成オーケストラを自在に使う。
華やかな一曲。


本日の目当ては、ラヴェルのラ・ヴァルス。
個人的に、ボレロや展覧会の絵に並ぶお気に入り。

ウィンナワルツに敬意を表して作曲されたというこの曲、
雲間から下りていく視線の先に舞踏会場が現れ、
会場内ではワルツを踊る人々・・・という描写で始まるものの、
終盤は混乱が増大していき、優雅さは断片化され、
典雅な場所はまるで戦場のように。

何度もCDで聴いていますが、実際にライブで見聞きすると驚くばかり。
大混乱の挙げ句、銅鑼の連打と大太鼓の一撃で終わるのを目にして、
なんだこれはと笑いがこみ上げてきて。
(ワルツに銅鑼は無いだろう・・・ラヴェルの発想恐るべし。)

演奏は東京交響楽団、指揮はロレンツォ・ヴィオッティ。
いまや世界で売り出し中の美男子指揮者。
その指揮、ロックバンドのヴォーカルのような動きに似たところも。
見ていても楽しい。機会があればまた。


しかしミューザ、4階席でも音がよい。
6 Sep 2016

この日、利尻島に、本来なら9月一ヶ月で降る雨が、一日で降ったとか。
50年に一度の大雨だとか。

鴛泊のキャンプ場にテントを張っていた人はさすがにいなかろうが・・・
あの甘露泉水もしばらくは濁ったままだろうか。

島を周遊する道路は無事だろうか。
登山道がいっそう抉られてしまってなければよいのだけれども。
11 Sep 2016

東日本大震災から5年と半年。

行方不明の連れ合いのかたに宛てて、
毎日手紙を書き続けるご婦人をTVで見た。
「はやく帰ってきてください」と。

ひとの命はその人だけのものに非ずと、
あらためて。
13 Sep 2016

湿度はあいかわらず高いけれども、
涼しさのかけらくらいは感じられるようになったこの頃。
秋山の計画を立てようかなという気にも。

秋雨の季節が終わってからの。
15 Sep 2016

この9月、日照時間が6時間を超えたのは、
いまのところわずか4日間だけだとか。

この調子の天候があと一ヶ月続くとも。
来週の連休はもちろんのこと、10月の3連休も雨がちに?

11月は休日の並びが悪くて、連休がないのだよねぇ。
仕事が一息つけるという利点はあれど。
17 Sep 2016

好天の三連休初日、地元川崎の美術館巡りに。

まずは本日で閉館してしまう砂子の里資料館へ。
4,000点もある収集物の中から、選り抜きの近世版画71点。
なによりの目当ては、歌川広重『月に雁』。

 (これは絵はがきのコピー)

高値がついている昔の切手の図柄でしか知らなかったが、
じっさいには鮮やかな色合い。これだけでも来た甲斐が。

ここには北斎、歌麿、春信を始め、先ごろ見た勝川春草もあって、
見応え十分。ああもっと早くに通えばよかった。
入場料無料なのに・・・

ぜひまたどこかで(有料ででも)収集品の公開をお願いしたい。


それからかわさき市民ミュージアムへ移動。
『描く!マンガ展』の後期展示を見に。
とくに平野耕太の作品を。(セラスあいかわらずカッコよい)

こたびは時間があって、前来た時にとばしたものをゆっくりと。
あずまきよひこ『よつばと!』は、読んでなかったのだけれど、
なかなか魅力的。



なんでもない一日を、いとおしく描く。
刹那主義とは対局の、地に足の着いた日常物語。
描かれる風景がまたすばらしい。

遅ればせながら読もうかな。
22 Sep 2016

雨の中、本日が最終日のポンピドゥーセンター傑作展へ、
上野の東京都美術館に。



フォービズムが出現したあたりの1906年から、
フランスの現代美術の殿堂であるポンピドゥーセンターが開館した1977年まで、
一年当たり一作品をフランスに関わりのある作家から選び、
現代美術史を通観するというもの。


会場構成は凝ったもので、若手建築家が設定している。
三層に別れた陳列スペースの二層目は、
絵画は蛇腹状に構成された壁面に架けられ、
次の作品が目に入らず、眼前のものに集中できる。

とはいえこれは諸場の刃で、会場全体が概観できない。
部屋の真ん中に立って大きく見渡し、好きな絵を目にとめることができない。
(第三層は円形空間なので、これができる)

どうも幅が感じられない。
時間軸に沿った作品選定と展示、という方針からすると、
観客にも線形の鑑賞を強いて問題ない、と考えられたのかもしれないが、
窮屈な気がした。

この幅広さの不足感は、1作家1作品というのも寄与している。
メリハリが感じられない。
ピカソを1枚で片づけるのは、この美術館展としては、どうだろうか。
美術史通観としても、無難な従来通りの展示にした方がよかった気がする。


作品自体は気を惹くものが少なくない。
個人的には、「黒」を多用した平面作品が、鎮静作用を感じさせて、
足を長いこと止めさせた。以下はそのうちの一つ。

セルジュ・ポリアコフ『無題』

ポンピドゥーセンターの名を冠する展覧会には、
1997年の東京都現代美術館、2007年の国立新美術館でのものと、
過去2回観ているのだが、今回は残念ながら、ティンゲリーがない。
次回はぜひあのワケのわからない機械彫刻を持ってきてほしい。

雨とはいえ最終日だから混んでるのでは、というのは杞憂だった。
若冲やモネのように、一人の、それも人気のある作家の展覧会でなければ、
そうは混雑しないらしい。



さて帰ろうかと出口通路を歩いていると、ガラス壁越しに、
隣のギャラリーの展示が目にとまる。
巨大な木造構造物のインスタレーション。

気になりながら美術館出口まで向かったところで、
「やはり見ていこう」と、後戻り。




巨大木造インスタレーションは、これ。



この写真でも一部のみ。
実際には、背後でせり上がり、天井まで届いている。
南洋の民族の住居かと。
これが建物の中にあるのだから驚きだ。規模に圧倒される。
コンクリとか鉄とかとは違う、木材の軟らかな迫力にも。

見ているうちに、いったいどうやって作ったのだろうと。
そして、展示期間が終わったら、これらの資材はどうなるのだろうと。
まさに一期一会。可能なら見ておくべき。

ところで、この構築物から受ける感覚は、どこかで・・・と思えて、
帰宅して調べてみたら、作家の國安孝昌氏は、
藤野の”芸術の道”にあった『大地の塔』の作者だった。
(思いは名倉金剛山の麓へ。)

なお、この作品、タイトルはイタリア語で、
”ゆっくり行く人は、遠くまで行く”。


展覧会は5人の作家の作品が並ぶものの、
同じ「木」を題材としながら、できあがったものは全く異なる。

舟越桂氏は、あの、いつもの、彼岸から見つめてくるような半身像。
須田悦弘氏は、直島や原美術館で見たような、あの、本物と見まごう草木。

田窪恭治氏は、廃材を使って、教会の祭壇か、古代の祭儀施設かというものを。
そして土屋仁応氏は、水晶の瞳を持つ、現存ないし架空の動物たちを。









舟越氏以外の作品は撮影自由。
ファインダー越しの対話も楽しい展覧会。


入場料が手頃なせいか、作家が著名なせいか、
会場はほとんど若い人ばかり、とくに女性が多数。
ポンピドゥーセンター展の、世代不偏な会場とは、好対照。
24 Sep 2016

美術展の話題が連続してますが、天気も悪いですし。

サントリー美術館へ、鈴木其一展に。
江戸時代、琳派の酒井抱一の弟子として出発し、
琳派に留まらない独自の作風に到達した、とのこと。


日本画のため長期間の展覧に適さないのか、
期間中の展示品目は181点もありながら、
通期展示は20点前後という、期間の最初と最後でまるで内容が異なるものに。
今回の展観は、”最初”のを。



やはりなにより『朝顔図屏風(上図(左双))』。現代にも通用するモダンさかと。(通期展示)
加山又造の『千羽鶴』や、会田誠の『紐育空爆之図』に続いていくものを感じます。

モダンさはほかにも。
『三十六歌仙・檜図屏風』の、左双にあたる檜図は、金地に黒で直立する木々を描き、
同様に画面いっぱいにススキの群生を描いた『芒野図屏風』同様、
洗練されたデザインそのもの。

写実にも優れて、その技量は幅広い。
本物以上に本物らしい花菖蒲を描いた『花菖蒲に蛾図』(通期展示)、
堂々たるヒマワリを描いて油絵以上の迫力の『向日葵図』など。

題材も多様で、風景画も佳く、
『近江八景図巻』には水墨画にありがちな妙な誇張など感じさせず、
叙情に満ちた景色が冷静に描き出されている。
『山並図小襖』(通期展示)にある山々の波濤は、
逆光の奥多摩を見渡すかのようでもあり、
空気が澄んだ季節に高みへ足を向けたくなる。

特筆は、屏風『富士千鳥筑波白鷺図屏風』。
見たことがないほど若々しく感じる富士山と、
その富士に一歩も引かない筑波山とを対比して並べ、
山の絵好きは見ておくべき作品かと。
(江戸の人たちが、富士山同様に筑波山に親しんでいたことが伝わってもくる。)



展示内容はよいのだが、初めて訪れた美術館、
入館券が企画展とは何の関係もないものでがっかり。



前売り券だと券面も楽しいのでしょうかね。
28 Sep 2016

朝、家を出たら、今年最初のキンモクセイの香り。
職場の近くでは、数日前から、ギンナンの匂い。

受ける印象は対極ながら、いずれも秋を思わせて。

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