前月へ 翌月へ 以前のPreface/Monologue(index)に戻る ホームページに戻る 頁末尾へ
ここまでのCover Photo:甲州高尾山の隣のコブからお坊山と笹子雁ヶ腹摺山を望む
1 Oct 2024
まだ秋の長雨の季節。
直近の予定が立てがたい。
とくに遠地の山は。
しかも暑けりゃ暑いで出足が鈍るし、寒けりゃ寒いで同様。
時とともに我が儘と面倒臭がりの度合いが増量。
2 Oct 2024
秋晴れの空を見上げつつ鎌倉へ。三十三観音巡礼の続き。
本日は鶴岡八幡宮の北北東、低いながら山が迫り谷間が狭まるなか佇む5番札所来迎寺から。鎌倉駅から天園ハイキングコースの稜線を目指して歩いて行くが、初めて訪れる来迎寺は観光向けのお寺ではないようで最後の車道分岐に標識が立っていない。反対側ばかり見て歩いていたためその分岐を見落として旧里見弴邸を左になおも進み、とうとう山道が始まるところまで来てやっと通り過ぎたことに気づく。
今日は巡礼を止め、このまま登ってハイキングコースを辿ろうかとも思ったけれど、素直に元来た道を戻って目当てのお寺へ。高台にある境内は綺麗なものだった。
続いて6番瑞泉寺へ。途中の鎌倉宮で一休み。ここにはベンチがたくさんあり、疲れた足を休ませられるので助かる。この社のご祭神は護良親王で、社務所窓口には『逃げ上手の若君』に登場した親王の切り抜きが掲示されていた。連載2周年でのWeb人気投票では3位だったとか。
久しぶりの瑞泉寺はあまりに久しぶりだったので受付から先の鬱蒼とした坂道の部分を忘れていた。その手前でも、本堂の前でも、ヒガンバナが紅白取り混ぜて見ごろで、芙蓉と併せて見て回るうち名勝の庭園を見るのを忘れて帰りそうになってしまった。しかしこの岩壁剥き出しの庭を造った夢想国師という禅僧、京都天龍寺や西芳寺での作庭も行っている。同一人物が手がけたとは思えない。融通無碍。
10月なのに真夏日、午後から歩き出して疲れてしまって、当初予定の山越えして十二所方面へとするのはクモの巣も多そうだと気づいて気が進まず、山靴で来てしまった足も痛いしもう帰ろうかなと鎌倉駅方面に歩いて行くと、左に行けば半キロほどで杉本寺という標識を見つける。次の札所は杉本寺が面する通りの先にある。杉本寺へそれくらいならとそちらへ。ここも初歩き区間。巡礼は自身の定番ルートを外させてもくれ、新鮮な気分になる。足の痛みも忘れがちに。
しかし杉本寺から7番光触寺までは半キロでは済まず、往来の多い車道脇を半時歩いて到着。周囲の住宅と押し迫る山に狭められた境内は、入ってみると外見と異なりかなり落ち着く。車道もやや離れて喧噪も控えめなのがまた良し。御朱印を書いて頂くまでの間が慌ただしい気分を鎮めていく。
こののち8番明王院へ。藁葺き屋根の本堂に参拝し、観音堂でも手を合わせる。ここでもう4時なので本日はここまで。鎌倉といえど歩けば時間がかかり、お寺によっては拝観にかなり時間をとりたいものもある。なので秩父でのときと同じく午前中からまわるようにしなければ。疲れたので駅まで徒歩は諦め、最寄りバス停でバスを待つ。
近いうち訪れる予定の”竹の寺”報国寺は平日でもだいぶ参拝客が来るようで、自分しか乗っていなかった鎌倉駅行きバスはお寺最寄りの浄明寺バス停でほぼ満席になった。続く杉本観音の停留所でさらに乗車してきたので、やはり早い時間帯に訪れるのが吉らしい。
12 Oct 2024
足利行道山に登ろうと出かける。
が、恐ろしいことに宇都宮線小山駅を寝過ごして終点宇都宮まで。せっかく宇都宮まで来たのだから…とは考えず、乗ってきたので折り返す。
小山から両毛線に乗り換えて着いた足利駅ではもはや登山口まで行く妥当なバスはなし(3時台の終バスしかない)。なので行道山から市街地へ南下する予定とは逆に、駅から行道山を徒歩で目指して北上することに。
まずは高台にある足利織姫神社に登ってハイキングコースに入る。この日は夏日に加えて境内までの石段229段で最初から汗まみれ。絢爛な社殿が建つ境内は展望が良く、あの渡良瀬橋も一望。しかし下流の三連アーチ橋である中橋のほうが見た目が良い。こちらはつい最近架け替え工事が始まったとか。
展望の良い花崗岩の岩場が頻出する両崖山までの道のりは行き交う人が多いが、ほとんどの人は両崖山の西にある天狗山を市内から周回するコースを歩いているらしく、両崖山を越えて行道山方面に入ると人影がめっきり減った。
コース上ではそこここに萩の花が咲き、まるで山歩きに来たというより萩の花を見に来たかのよう。平坦な稜線は歩きやすいが、細かいコブの上り下りがあって北上しようが南下しようが予想よりは楽なコースではない。
行き先に三角錐の秀麗な山が見えてくる。あれが大岩山だろうが、そこここに立つ首都圏自然歩道の行き先表示板には”大岩毘沙門天”とある。その案内に導かれて途中の車道歩きを続けていくと、大岩山最勝寺の門前に着く。日本三大毘沙門天の一とのことで、これは立ち寄らなければならない。
石段を上がって目に入る山門にはなぜか金剛力士像が印刷物になっている。これは三年前にお寺に迫った山火事のときに像を搬出した名残で、急を要したため修復作業も必要となり、まだ預け先に保管されているが故らしい。古びながらも予想外に壮大な本殿は内陣に入ることができて、矍鑠とした高齢の住職に出迎えられる。
こちらで御朱印をお願いすると、ご本尊の前で自分の氏名を織り込んだお経を唱えて頂ける。先の予定があるにはあるが、遠くない時期に当初予定の南下するコースで再訪するつもりなので、山中のお寺で時間が流れるに任せることにする。
大岩毘沙門天に一時間近く滞在したため、行道山を越えて浄因寺経由で下山すると最終バスに間に合わない時刻になってきた。来た道を戻るか、予定通り山稜を辿って下山し、歩いて足利駅に戻るか…とか考えつつ、それでも大岩山には登ってみるかと稜線に戻ってみると標識があり、大岩山・行道山経由で浄因寺まで90分、巻き道を辿ればお寺まで30分、という記載がある。後者を行けばバスに間に合う。疲れていたので巻き道を辿ることにした。こうして行道山は後日が確定。
山腹道の巻き道を出た先は浄因寺の参道途中で、階段道を登ってお寺に寄ってみた。無人の境内はやや荒れ気味で、葛飾北斎が「くものかけはし」として描いた清心亭も遠目に見上げるだけになっていた。境内からバス停までは20分くらいかかった。こちらのバス、終バス発車5分前ですでに駐車していたが、客がいるのに扉を開けない。雨が降っていても外で待たせるのだろうか。
足利市街地に戻って、時間があったので鑁阿寺を見学した。コスプレの女子グループが三々五々いてここはなにかの聖地なのかと思ったが、この日は「足利仮装探訪実行委員会」なる団体主催のイベントがあったらしい。
20 Oct 2024
栃木県の鹿沼へ、古峯(ふるみね)神社に。JR鹿沼駅からバスで。
神社の日本庭園である古峯園(こほうえん)は、”寺社の日本庭園”という予想からかけ離れた広大なものだった。毛越寺に匹敵しそうな大きな池を配し、その背後に緩やかに高まる斜面までが園地となっている。有人の休みどころが二か所もあり、鹿よけも兼ねてるだろう金網で囲まれた敷地をゆっくりまわると優に三十分はかかる。この日はまだ紅葉し始めだったが、最盛期は見ごたえのあるものらしい。そうでなくとも、池の畔からの眺めは一歩一景。
古峯神社は日曜の午後のせいか参拝客多し。神社建物内部に入ることができ、宿泊にも使用される各種広間も目にできる。御朱印所も内部にあり、出向いてみると30分待ちだという。次のバスに乗れなさそうな時間であり、さらにその次は1時間半後なので、明日朝、古峰ヶ原(こぶがはら)高原に登る前に再訪しようとこの日の受領は諦めて午後一番のバス停へ。昼前の行きと同様、乗客は自分一人だった。
鹿沼市街に戻り、まだ日が高かったので鹿沼市の文化活動交流館という施設に寄ってみる。博物館設備があり、彫刻がふんだんに施された山車や鹿沼宿の歴史展示を目にできる。こちらの学芸員らしきかたがたは説明熱心で、かつ内容が面白いのでつい聞き入ってしまう。鹿沼にはかつて城があったが、城主が秀吉でなく小田原北条についていたため、小田原開城後、跡取りなく城主逝去したため廃城になってしまった、いまにお城が残ってればなぁ、等々。聞けばこの日は自分のように傾聴する来館者が続いたので自席に戻る暇も無かったそうな。
21 Oct 2024
古峯神社バス停から古峰ヶ原高原周遊。
古峯神社に立ち寄って本日の山行の無事を願い、御朱印を頂いた後、三枚石新道に入ろうと神社前を走る車道を上がる。しばらくは楽な道のりだが、40分ほどで急登となる。振り返れば枝越しに禅頂行者道の薬師岳や夕日ヶ岳らしきが窺えた。薬師岳らしきの左奥に大きな山塊が見える。女峰山と帝釈山だろうか。
積み重なるような大岩をコースタイム通りに抜けて30分くらいすると、浅く窪んだ沢筋らしきを苔に覆われた畳大の岩群が埋め尽くしているところに出た。斜度が緩んだなかを行けば三枚石に出る。実際に相対すれば写真で見るのとは重量感が違う。登ってみたくなるが”立ち入り禁止”の札が下がる。岩室に不動明王が祀られており、その上に乗るなど罰当たりという事だろう。
古峰ヶ原湿原に向かう。三枚石から緩やかとはいえひたすら下っていく。三枚石一帯が山頂部だった事に今さらながら気づく。左の視界が広がると秋色が広がりだした湿原で、縁に建つロッジ風の古峰ヶ原ヒュッテが絵になる。二階建てのヒュッテは水場もトイレもあり、一階は囲炉裏の灰が床に広がっていたものの掃除さえすれば居心地は良さそうだ。小屋前には目の前の湿原を眺め渡すベンチとテーブルがあって、湯を沸かしてコーヒーを淹れるにお誂え向きだった。
日光男体山開山の勝道上人が修行し、その後修験道の道場となったという”深山巴の宿”に立ち寄る。森の中、沢の流れを渡った先に円形の島のような平坦地があり、石像や碑が並ぶ先に小さな祠がある。その前で立ち止まって周囲を見回すと、先日の生島足島神社でのように、世界の中心の一つにいるかのような感触を受ける。
古峰ヶ原高原からはすぐ脇を通る車道を西に下ればわたらせ渓谷鉄道の足尾駅に出られる。計画変更してそちらに行こうかとも考えたが、帰路が長くなるので止め、予定通り”へつり地蔵”を経由して古峯神社に向かうことにする。往路も急なところがあったが、こちらも登りにとったら文句の一つか二つは出そうな階段道があり、修行の地は下から楽に到達できるものではないと知ったのだった。
26 Oct 2024
再び秋晴れの空を見上げつつ鎌倉へ。三十三観音巡礼の三日目。
鎌倉駅から朝比奈行きのバスに乗る。前回の乗車地点である泉水橋停留所が目的地で、浄妙寺や報国寺のある浄明寺バス停はいったん通り過ぎる。そこでみな降りるかと思ったらそうでもなく、朝比奈切通に向かうハイカーが多かったのかもしれなかった。
降りたバス停から二停留所分歩いて戻り、八番札所の浄妙寺に向かう。鎌倉五山第五位は伊達ではなく、民家が建ち並んでいるとは言えもともとの寺域はかなり広かったのが窺われる。山門を潜った先の石畳道両脇には禅寺らしい白石に苔と岩の枯山水が続き、足早に過ぎるには惜しい眺め。
参拝後、少し高いところにある石窯ガーデンテラスというレストランへ。小振りながら英国式の庭園を目前にするテラスで昼食代わりのクリームティーを。店の名は知っていたものの、お寺で英国式喫茶を楽しめるとは思っていなかった。
続いてすぐ近くの報国寺へ。いまやインバウンドの観光客にも大人気の竹の寺。平日休日関係なく訪問客が絶えない。幽玄な竹林を前にした喫茶処は満席だった。かつては土休日でも比較的楽に席に着けたものだったが・・・。
しかし今回の発見は枯山水の庭の佳さ。奥には瑞泉寺のような剥き出しの岩壁を見せつつ、手前の池のまわりに配された木々は計算された配置になっている。白砂のさなかに植えられた木の根元から伸びる草は茎が長く葉が大きく、ここもまた禅寺であることを思い出させる清々しさ。久しぶりに来ると、見落としていたものが見えてくる、というものなのかもしれない。
一日目の札所巡り同様、祇園山を左に回り込むように少々歩き、鎌倉駅から海側に寄ったところにある延命寺へ。脇は何度か通ったことがあるが、参拝するのは初めて。場所柄、周辺は車の往来で賑やかだが、御朱印をいただく寺務所内はそれは静かだった。
その近くにある十二番札所の教恩寺は車道から分かれる路地の先の奥まったところにあり、鎌倉ではあちこちに案内板が立っているがこの路地入口にはなく、訪ねる気で地図を参照して向かわないと気づかず通り過ぎてしまう。
もちろん参拝するひとはいないわけではなく、伺ったところ昨日は北海道と九州と、南北からの来客があったという。それぞれのかたが言われるには、北海道は道東からでもうかなり寒いとか、九州は隣県との仲が悪いとかで、隣の県民が歩いた後には草も生えないと言われるとか。『翔んで埼玉』の九州版ができるのでは。
札所巡りをしていると、ところどころでいろいろお話をうかがえる。開かれたお寺というものは、雑談から人生相談的なことまで、いろいろな受け止めをしてもらえるところでもあるのだなと。
28 Oct 2024
この冬からの”青春十八きっぷ”は、従来とは異なり連続する日での使用になるという。
これでこのきっぷを使用することは金輪際無くなった。
昨日、この冬の青春十八きっぷ使用の予定を考えたが、すべて無駄に。
前月へ 翌月へ 以前のPreface/Monologue(index)に戻る ホームページに戻る 頁先頭へ
Author:i.inoue All Rights Reserved