Preface/Monologue2024年 5月


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表参道から見上げる妙法ヶ岳。山頂は黒い尖塔部分。

ここまでのCover Photo:表参道から見上げる”三峯神社奥の院”妙法ヶ岳。山頂は黒い尖塔部分。

2 May 2024

ラインナップに正式編入されたガイドマップ「筑波山・加波山」を手に、奥久慈へ。日帰りでは難しい地域で、真夏や厳冬期に行くべきではないとすれば、紅葉か新緑の季節が時期だろうと。

移動に時間がかかるので初日は登りやすい山をと、水郡線下小川駅から熊の山と盛金富士を周遊する。

304mの前者へは欄干のない平山橋で久慈川を渡って山塊を北上する。少々距離があってアップダウンもある稜線を行くせいか、標高よりは歩きでがある印象。
植林も目に入るものの新緑の木々が目立つ山道は気分がよい。山上の神社に続く200段以上ある石段を登って出る山頂は大きく開け、目の前に久慈川と水郡線の鉄路を隔てて盛金富士が端正な姿を浮かべ、視線を右に転ずれば久慈川の流れの彼方に茨城県最高峰の八溝山、さらに右近くには明日登る予定の奥久慈男体山が北方に連なる稜線の合間に顔を出す。

山頂直下近くから分岐するルートで麓まで最短距離を下り、誤って国道まで出てしまってうろうろしてから久慈川を渡り、対岸の盛金富士を目指す。熊の山より少し高い340meだけど、登り一辺倒だったからか一時間かからず山頂に着く。眺望は久慈川を見下ろすくらいだったけれども麓から見上げられる山に登れたというのは達成感が得られる。しかしすでに夕方の4時、日の長い季節といえど風は冷たい。採石場で断ち切られた尾根を下り、下小川駅に戻った。


この日から常陸大宮駅にある宿に連泊する。駅近くに明日の朝食や昼食を買える店はなかった。宿はきれいで清潔だったが、コンビニへは15分ほど日の落ちた街道を歩かなければならなかった。おかげで、夜はたいへん静かだった。

3 May 2024

奥久慈山行二日目。水郡線西金(さいがね)駅から健脚コース経由で奥久慈男体山に登り、袋田の滝まで縦走する。登りは、やはり困難な方を、と思っていたのだが、昨日熊の山山頂で出会った地元のかたに「登るならそちらのほうがぜったい面白い」と推薦されたので、あらためて意を決したのだった。


登山口となる大円地(おおえんじ)までは車道歩き。西金つつじ祭りに向かうだろう車がときおり追い越していく。朝の谷間には鳥の鳴き声がこだまし、カエルの声も響く。

大円地には車が10台くらいは駐まっていた。つつじ祭りだけではなかったらしい。そばも食せる山荘の脇の山道に入ると健脚コースの分岐があり、看板が立っていていろいろ書いてあるが、詰まるところ行くなら自己責任で行ってという内容が記されている。もとよりそのつもりだが改めて気合いを入れ直す。焦らずゆっくり行こう。


出だしはどこにでもあるなだらかなよく踏まれたものが、徐々に岩場っぽい場所が増えてくる。初手こそ足だけで登れるが、尾根筋に出るところの一枚岩のようなのは少々力が要った。これで終わりか、たいしたことないな、と細い枝尾根を辿ると、重たい鎖が出てくる。掴まざるを得ないのが出てくる。足がかりを探さなければならないのが出てくる。まだ出てくる。まだまだ出てくる。見上げても頂上がどこにあるのか見当も付かない。しまったさっきのはただのプロローグ、これが核心部か。いつ終わるんだこれ。面白いのだがとにかく疲れる。

ようやく辿り着いた山頂は、そこまで狭くないものの、落ち着いて腰を下ろせる場所がない。だからかみな早々に下っているようであまり人がいない。石の柵で囲まれた祠があり、その裏手からの展望は広大で、昨日の熊の山より高い分、眼下に低山を波打たせながら北茨城の山々と栃木の高山を見渡せる。凄い浮遊感。男体山は登ってしかるべき山だった。

健脚コースが山頂直下の稜線に出るところに東屋がある。ここで湯を沸かして休憩したのだったが、意外と健脚コースを上がってくる人は多いらしい。家族連れも登ってくる。こちらが休憩している間に山頂を往復して涼しい顔で下っていく人もいる。水くらい持つべきではと思えもした。登路途中で追いついてきた元気な若者グループは友人同士の会話でなにやら物騒なことを言っていた。「このあたりで身体が横になって宙に浮いてたのを見た、あれはエグかった…」とか。いつどういう状況で誰がそうなったのか、聞いておけばよかったかな。


休憩後、まだ元気があるように思えたので、予定通り月居山・袋田の滝への縦走路へと入る。上小川駅への分岐を見送り、白木山への分岐に着くまでは穏やかな新緑の稜線道で、じつに快適だったのだが、その先のコースタイム1時間となっている部分が健脚コースのrepriseかと思える場所やらアップダウンの連続やら、岩床の沢を越えるために大きく下って登り返すとか気疲れするところ多数。いまの自分には健脚コースで腕力含む全身の体力を消耗した後に縦走はキツかったかというのは後悔先に立たずの見本。

この縦走コース、それでも歩く人たちはそこそこいるが、出会ったのは複数人パーティが2組か3組で、あとは単独行の人が5人くらいか。男体山や、ほとんど観光地の月居山(北峰の山麓部)よりはだいぶ静かで、コースの難易度も植生も低山とは思えない山深さを感じられる。あまり展望に恵まれていないのも深山の趣を強めていそうだ。


広い山城の跡を載せる月居山南峰を登り、階段で山頂から登山口まで固められた月居山北峰を下る(なお大子町が出している登山コースガイドには、南峰を月居山とし、北峰を”月居山前山”としている)。北峰にしろ前山にしろ、これを直接登ろうとは思えない急傾斜の階段道で、元気な若者グループも山頂目前で挫折していた。多数ある別ルートを採って南峰に登り、北峰を往復した方がよいと思える。

延々続く石段道脇の木々の合間から袋田の滝を透かし見られるが、全貌は把握しがたい。久慈川を渡る吊り橋近くに出たものの、観瀑台に向かう元気はもはやなかった。相対するのは明日登る予定の生瀬富士を下った後に改めてと日本三名瀑の一に背を向け、観光客の人並みを縫って水郡線袋田駅への長い車道を最後の頑張りどころと歩いて行ったのだった。

4 May 2024

奥久慈山行三日目。生瀬富士に登る。


昨夕帰路の電車に乗った水郡線袋田駅が出発点。月居山を前方に見晴らす国道に出て細くなった久慈川を渡る。川沿いの町道に入ると木々に遮られて車の往来は視界から消え、穏やかな流れを傍らに快適に歩く。昨日もここを歩けばよかった。

三叉路に小さく標識で「至 生瀬富士」とある登山口から森の中に入っていく。昨日の男体山もそうだったが出だしはじつに穏やかな道のりが続く。右手に見下ろしていた谷間が狭く浅くなったところで斜面を絡み出し、そのまま徐々に傾斜を加えていき、ついには正面突破を誘う岩場まで出てくる。巻き道があるので最初のは回避したが、次の10mかそこらのは久しぶりにクライミングのまねごとをした。ガバホールドばかりなので足下さえ気をつければなんとかなる。

山頂はあっけなく飛び出した。灌木と岩に囲まれたじつに狭い場所で、展望はよいのだが腰を下ろす気になれない。そういえば山頂部は南北に細長い岩稜では、と視界を遮る岩を回り込んでみると、戸隠山の蟻の戸渡のような左右が切れ落ちたのがだいぶ先まで伸びている。その先に2mか3mくらいの岩塔が突きだしていて先行者が群がっている。あれが近ごろパワースポットとか言われて人気のジャンダルムなのだろう。


昨日やや負荷を上げすぎたのでどうかなと躊躇したのだったが、ここで行かないと生瀬富士を登ったことにはならなかろうと向かうことにする。山頂部から大岩を巻いて岩稜に出るところがもっとも緊張するところで、どちらかというとこちらのほうがジャンダルムっぽい気がした。

岩稜に立つと、先にある岩塔まではところどころギャップがあるように思えたが、実際にはそれほどのことはない。戸隠山の”戸渡り”よりは遙かに幅があり、立ち止まって下を見ても左右の谷底が見えるということはなかった。しかし「誰もここでおにぎりを食べようとは言わなかったな」という声が聞こえてくるとおり、山頂とは別な意味で落ち着かない。ペットボトルのお茶を飲むのが精一杯だ。『そこに山があるから』という番組で出演者の金子さんがいつものようにハイな調子でここを歩いていたが、彼は凄いなと思えたものだった。


ジャンダルムを越えて行き止まりを確認し、岩稜を戻りながら足を止めてはすぐ隣の月居山、男体山とその左右の白木山、長福山、さらには一昨日登った熊の山や盛金富士らしきを展望する。男体山での眺望は広大だったが、ここでは高度感が強い。そして何よりこの岩稜での緊張感。男体山も生瀬富士も火山活動の結果らしいが、さもありなんと思わせる荒々しさだ。


下りは袋田の滝方面を目指す。ガイドマップでは山頂から立神山の山腹を巻いて下るように記載があったが、実際には「立神山山頂」と書かれた標識のある地点まで登ることになった。その後も小さいコブを何度か越えたものだから、袋田の滝を見下ろすという場所に行く力が失せ、寄り道せず土産物屋街に下っていった。

暑い時刻ながら袋田の滝は見物客で盛況だった。トンネルの先に現れる巨大な岩盤の滝には度肝を抜かれたが、季節柄か下から二番目の滝は右端にしか水が落ちて居らず、両親が見たという台風直後の大迫力は想像するしかなかった。


早めに山行が終わったのはよいが、水郡線が2時間近く上り列車が来ない。なのでちょうど来た郡山行きに乗って隣の大子駅に出て、文化福祉会館で漆工芸展を眺めたり、古民家カフェでコーヒーを飲んだりして時間を潰した。大子漆は国内一との評価もあるらしく、艶やかな表面を見ているだけでも愉しい。店名を"daigo cafe”というカフェは内装調度もレトロ調で、どのテーブルに座っても違った景色が見られそうだった。

5 May 2024

奥久慈山行四日目。籠岩山に登ろうとして道間違いを繰り返し、登山口にすらたどり着けず。

一昨日の奥久慈男体山と同じく水郡線西金駅に降り立つ。途中の湯沢という集落までは同じ道のりを行くが、本日はそこでの分岐を右へ。当初はそこから800mほど進んだところの分岐を左に、本覚寺方面に行く予定だったのが、幅広の車道に誘われて直進。”西金つつじ祭り”なる会場に向かうらしい車に時折追い抜かれながら、初夏の光が廻る広い谷間を淡々と歩いて行く。

さらに道辺なる場所で「左に行けばつつじヶ丘」という標識の意味も考えずにさらに直進し、十二緒神社や三太の湯とかの案内を見るに至って、自分は三日前に登った熊の山山塊を回り込むように歩いているのだとわかった。

もうここまで来ると予定の山に行く気はしない。というかこんな状態で山に登るべきではない。山間のきれいに手入れされた屋敷が点在する景色を眺めて歩けただけで十分とし、久慈川の畔に出て盛金富士を見上げ、下小川駅でだいぶ長いこと来ない列車を待ち、宿に戻って長い午後を持参の本など読んで過ごした。

6 May 2024

行楽帰りの人波に巻き込まれるのを避けるため、常陸大宮駅を朝一番に出る水戸行きの列車に乗って帰路につく。籠岩山を初めとした未訪の山を訪ねに、そう遠くない時期にまた来ようと思いつつ。

24 May 2024

連れと車で北信に向かう。長野市街の手前、麻績ICで高速道路を下り、眼前に高まる聖山へ。


信州百名山の一座だが、登山口とされる三和峠からの標高差は僅か257m。涼しげな蝉の声が響く木々のなかの道のりで、分県ガイドでは登り1時間半とあったものの歩きやすい山道のおかげで1時間かからず山頂に到着。

山頂には巨大なアンテナが4基も立ち、その保守用車道が延びてきているので車で来れば5分かからず登頂できる。実際自分らが広い頂の一角で休んでいると黄色いランプをルーフに載せた車が上がってきて、ついでに眺めに来たという風情で保守員の方が登ってきた。

天候が許せば北アルプスの大観や北信五岳の姿が眺められるようだが、この日は霞が濃くて遠方の山はなにも見えず。ただ長野道を隔てた近場の山々は愛想が良く、昨年登った筑北の四阿屋山や過去に訪れた青木村の子檀嶺岳や夫神山が顔を出してくれていた。


聖高原から車で上がってくる途中には何の目的で作られたのか不明な広場があって、傍らには見上げる高さの藤の巨木が2本もあり見事な花の房を下げていた。これを見ることができたのも聖山に来た甲斐があったというものだった。

25 May 2024

戸隠の飯縄山に登る。前回は2018年だったので6年ぶり。連れと二人、西登山道から山頂を越えて瑪瑙山経由で中社に下る。歩程5時間超で二人ともかなり疲れたが、まだこのコースを歩けるとわかってともに喜んだ。

山中はヤマツツジが満開で、とくに瑪瑙山直下の平坦路では振り返る飯縄山の優美な稜線と新緑とあいまって素晴らしい眺めだった。コース上に雪はまるでなく、すぐそこに望める戸隠連山にも(高妻山にすら)ほとんどなかったが、彼方に広がる北アルプスはもちろん、妙高火打焼山にはまだだいぶ残っていそうに見えた。


戸隠山の蟻の戸渡は幅が20センチ程度になっていると分県ガイドに記載がある。それが事実ならもはや立って歩いていける場所ではない。しかも巻き道もなくなったという。宿で聞いたところでは、雨の降り方が激しいために浸食されてこうなったのだとか。ここもそのうち中国地方の大山のように破線路ですらないルートになってしまうのかもしれない。


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