Preface/Monologue1999年5月


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5 May 1999
一昨日、西上州の物語山という登り一時間半の山に行った。
 
これが、前半に急な林道歩きが続き、後半には山道に入るもののこれまたひたすら急な一本調子の登りが続くという、きわめて単純な山だった。しかし山頂部は気持ちの良い比較的平坦な雑木林で、芽吹き始めた木々が薄黄緑色の霞をかけていた。
 
特異な名前から何らかの曰く因縁が予想されたが、戦国時代の落ち武者にまつわる話というのがあるらしい。その話にも出てくるメンベ岩という一枚岩を間近に仰ぎながら登ったが、今にも崩れそうな天気の空をバックに屹立している巨大な岩を見ていると、無念のうちに自死した敗者の怨念が漂い下りてくるようだった。
8 May 1999
世間ではもう連休明けしている昨日から今日、一泊行程で丹沢にこもる。

丹沢北端の山である焼山から6時間ほどかけて丹沢(&神奈川県)最高峰の蛭ヶ岳に登り、ここで泊まり。明けた今日はハードなアップダウンコースを歩いて桧洞丸まで縦走し、同じようにハードな犬越路までのルートを経由して西丹沢に下りた。

しかしあちこちにガレが多いな丹沢は。ブナの立ち枯れも多いようだし、場所によっては工事現場を歩いているような感じさえする。しかも稜線まで沢筋が突き上げていて、加えて崩壊が常時進んでいるので巻道が造れない関係上ルートは稜線伝いにコブを丹念に上り下りしなくてはならず、落ち着いて歩けるところが少ない。地元神奈川の山ではあるが、やはりあまり好きになれないなー。

蛭ヶ岳山頂にある蛭ヶ岳山荘は定員40名とのことだが、金曜の夜ということで宿泊客は6人。好きなところで寝放題。これが連休中の5月2日だったかは予約飛び込み含めて160人が押し寄せたらしく、食堂でも足らなくて自炊部屋の土間でも寝てもらったそうだ。ところが雨の降った5月3日はキャンセルが相次いで、宿泊者はたったの2名。その人たちは大喜びで翌日下山したとか。

しかし榛名山から始めて愛鷹、西上州に丹沢と短期にこれだけ山に行っているとさすがにくたびれてくる。ちょっと休憩しないと、と言うより、仕事をしないと。逆か。
14 May 1999
先日、12歳くらいの日本人の少年がヒマラヤの6,000メートル級の山に登頂したというニュースを見聞きした。その記憶もまだ薄れない本日の朝、新聞を開くと、若干25歳の青年がエベレスト(サガルマータ)の頂に立ち7大陸すべての最高峰の登頂を達成したという記事があった。全大陸最高峰登頂者としては最年少だそうだ。不況日本の気分に染まっているせいか、もとから貧乏性のせいか、遠征費用はどうやって捻出していたのだろうなどと思いもしたが、快挙であることは確かだ。

さて7大陸と言ったら南極大陸も入るわけで、ここの最高峰はビンソンマッシフ山といって標高5,140mだという。内陸にやや入ったところにあるらしいが、おそらく氷原のど真ん中にそびえているはずで、いつ、どうやって登るのだろう。麓に行き着くだけでも大冒険のような気がする。疑問を解くため、この山を登った登山家の山行記録にあたってみようかと思う。
20 May 1999
週末にクライミング再開を決意する。天気がどうあろうとジムに行くぞ、と。

私が勤めている会社では、社員の配偶者の誕生日に自宅まで花を届ける(もちろん届けるのは花屋だが)というしゃれたプログラムを実施していた。切り花と鉢花と選べて、かなりいい花がもらえる。毎年というもの、もらう本人以上に楽しみにしていた。ところが昨今の経済状況を反映した経費削減の故か、唐突にも結婚一年目のカップルにだけ送るということになってしまった。適用は来月から。6月に誕生日のある配偶者の方は落胆する人も多いだろう。

この通知に対しては他の社内通達とかに比べて社内ネットの掲示板で反応が速かった。コメントを読んでみると、このプログラムは意外と評価が高かったことがわかった。なくなることに対して皆して残念がっていた。私も同感。
23 May 1999
今日は一日暑かった。そんな暑い中、午後から同居人といっしょに鎌倉に行って源氏山ハイキングコースと明月院の裏山を歩いてきた。短時間のウォーキングだったがけっこう汗をかかされた。

言うなれば安近短の観光地で不況時には好評なのだろうか、花の季節ももう終わっただろうにと思える鎌倉だが人は多かった。源氏山への木の根っこの出た山道にも、北鎌倉のアジサイで有名な明月院を越えた奧にも、観光客やらハイカーやらの姿が途絶えない。喧噪を避けて鎌倉湖方面に出ると、さすがに人影は少なく、帰宅途上の大船行きバスも空いていた。

「全然歩き足りない」と思ったものの帰りの電車の中では眠り込んでしまい、降りる駅近くになって起こされるまで目を覚まさなかった。
29 May 1999
もう東日本でも梅雨入り間近だという。山歩きを中断する時期が近づいてきたということか。雨天時に雨具を着て登ると蒸し風呂のようになるので最近では傘をさして登るようになったが、片手が塞がるので、とっさのときを考えるとやはり危ない。いずれにせよ、好天時のような快適さは望むべくもない。

それでも、滝あり釜ありの変化ある沢沿いの道だと、悪天で遠目が効かなくても飽きることなく歩くことができる。大菩薩連嶺南端の滝子山に登る大鹿沢コースなどお奨めだと思う。一枚岩のナメ滝とかあって一見の価値はある。

でももちろん天気がいいときが一番だ。ただしそれほど暑くなくてほどほどに風が吹いていること。わがままな望みかな。

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