Preface/Monologue1999年6月


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百蔵山の麓にて
ここまでのCover Photo:百蔵山(中央本線沿線)の麓にて
1 Jun 1999
梅雨が来る前にちょっと遠出の山歩きをと考えて、一昨日の日曜から月曜にかけて那須連山を縦走した。南から順に黒尾谷岳、南月山、茶臼岳、朝日岳、三本槍岳の主要五岳を那須五岳と呼ぶというのを今回初めて知ったが、そのうち茶臼岳を除く四山の頂を踏んで甲子山まで歩いた。茶臼岳は前に登っているし、観光客とハイカーでうるさいだろうし、時間もないことなので割愛した。
一日に全部は無理なので二日に分け、三斗小屋温泉に泊まった。

縦走自体も何年か前からの希望だったが、もっと前からの望みが三斗小屋温泉に泊まることだった。日曜出発にしたのは人気温泉の喧噪を避けようとしたためだった。それでも二軒しかない旅館の一軒は満室、自分が泊まった一軒もかなり客が入っていた。2,3時間歩かないと着けないランプの宿が那須の山中にあると知ったのは今からだいたい20年前。さすがにこれだけ時間が経つとランプは使われず、自家発電か何かで点く電灯になっていた。
客には登山者ばかりでなく普通の観光客も何人かいた。木造旅館で破れかけた障子で廊下と仕切られ、夕食も朝食もとても美味しいとは言えない山の宿(山小屋としては普通)に驚いたか新たな視野を広げられたか....山の風呂では石鹸は禁止、シャンプーなんて問題外、というのも。

天気は終日良く、朝日岳からは日光連山はもとより、いまだに雪をまとっている尾瀬の燧や会津駒が望めた。三本槍からはやたら高いところにある飯豊山塊に加えて、磐梯・吾妻・安達太良を見ることができた。しかし三本槍からの縦走路の予想以上に長かったこと。少なくともこの月曜は誰も縦走者がいないようだった。
5 Jun 1999
先日の那須で力を使い果たしたのか、あまり山に行きたいと思えない。余韻に浸っていて抜け出せないのかもしれない。

本日は上野の国立西洋美術館に行ってルネサンス期のイタリア絵画なるものを見てきた。13世紀末から16世紀のフィレンツェ、ヴェネツィア絵画が時系列に展覧されていて、順に見ていくうちに、「いかにも宗教画」というものから、たとえ題材が宗教がらみのものであっても表現に書き手の「人間くささ」が入り込んでくるようになるのがわかって面白かった。ルーベンスに影響を与えたというティツィアーノの絵に描かれた人間像は、重層的な奥行きのある感情がたたえられていて、これが1500年代製作というのに驚かされるのだった。(そのとき日本は....)

でも本日の成果は最近リニューアルしたという西洋美術館そのものの常設展の方にあった。海外の有名どころの美術館には規模の点で比較にならないものの、印象派、後期印象派、象徴主義絵画などのコレクションは実は素晴らしいものだと思った。モネの絵ばかりの部屋、壁に並んだクールベの絵。なぜみなコローの絵の前で立ち止まらないのだろう。落ち着いたいい絵だと思うのに....。フュースリの初期の傑作も素通りされるばかり。「××展」というタイトル(権威)が付かないと、人はじっくり見ないということだろうか。趣味の問題かもしれないが。
10 Jun 1999
3ヶ月と一週間ぶりにクライミングを再開。仕事を早引けしてジムに行く。先日、「今週末なにがあっても行くぞ」とか決意表明をしたことがあったが、そのときは結局行かずじまい。本日ようやく現役復帰(?)を果たしたのだった。でも怪我した左足の裏は相変わらず痛く、かばいつつ登った。

これだけあいだが空くと筋力も腱の力もセンスも何から何まで落ちている。もともと大したレベルでないところからダウンしたものだから要するにほぼ初心者レベルに逆戻り。つまり力ずくで登ることしきり。少しやっているうちにだんだん思い出してきたが、いかんせん基礎的な力がなくなっているので(懸垂さえろくにできなくなっている)、以前はできた課題でもここぞというところで次のホールドが取れない。以前はこまめに通ったせいで進歩していたんだな、とよくわかった。

陽気がよくなったせいかジムの名前が売れてきたせいかわからないが、本日は盛況だった。会社帰りの人が来るようになる夜7時過ぎになるとあらゆる壁が常時塞がるようになり、まだ明るくて人もいない時点から登っていた身には順番待ちとかが面倒になってきたので、深追いせず早々に退散した。スラブばっかり登っていたせいか、腕が全然パンプしていない。近いうちに鬼門の垂壁も登るようにしよう。
17 Jun 1999
今日は昼過ぎに退社してクライミングジムへ。クライミングは、職場や家では「壁登り」とか「石登り」とか呼ばれたりもする(笑)。ジムでやるのを「岩登り」とは言わないから、「壁登り」は妥当かもしれない。

4時に着いてみると既に何人か登っている。履いてきた靴を見るに皆学生らしい。この人たちは6時前の混んでくるあたりになると店じまいしていった。そういえば何回か通っているうちに、言葉は交わさないものの見知った顔ができ始めた。今の季節は学生が多い。

それでクライミングの方はと言うと、ま、あいかわらず上達しない。なにせ三ヶ月も間を空けたものだから仕方がないが、以前は何度も登れたルートが全然登れないというのには参った。しかも一週間前に登れたやつのムーブまで忘れている。困ったものだ。受付をやっているクライマーの人にも、「三ヶ月はあき過ぎですよ」と言われた。「でも一週間に一回来れば何とかなりますよ。また来て下さい」。 
22 Jun 1999
中公文庫から出ている板倉勝宣『山と雪の日記』を読んだ。明治から大正にかけて活動した積雪期スキー登山の先駆者。享年25歳。殴り書きに近いものも多い文章だが、生き生きとして面白い。特に友人たちと行った妙高の関温泉や吾妻山の五色温泉でのスキー三昧の描写は、通勤電車の中で読んでいて笑いをこらえられなかったほどだ。ヤブの中へスキーで突撃をかけて様々な曲芸を演じたとか言っている。

だからというわけでは決してないが、××山に行った、何時何分にどこそこに着いて、それから○○峠に出て、....という山行記録を書くのにやや食傷したので、あえて丹沢に的を絞り(ひとほど多くは行っていないので向こう見ずの誹りを受けそうだが)、昔話みたいに繰り言を書いてみることにした。

そういや山に行って山の話をすれば、だいたいみなこんな話し方をするものだ。「××山ですか。あの山は行きましたよ、□□駅からバスに乗って登山口まで行って....」なんて話し出す人はいない。経験したことを時系列で書くのは楽だしガイド的に書こうとすればそうならざるを得ないのだが、ガイド記事を書いているつもりはないので好きに書くのが一番、と思って書き出したらかなり書けてしまった。今後も断続的に書いていくつもり。そうはいっても人文・植生・地理などの記事はないので役には立たないと思う。
24 Jun 1999
東京駅八重洲中央口から京橋方面に歩いていって、中央通りを渡って少し行ったところに山道具屋("山の店 ジャンダルム")がある。店内は10畳くらいのが2フロアのこじんまりとしたものだがそれなりに品は揃っているので、たまに職場の昼休みなど覗きに行っては衣料品や小間物を冷やかしてくる。昨日も夏用Tシャツとストックケース(三段伸縮のポールを収納する細長い丈夫な袋)を購入してきた。7月31日まで2割引セールだということだった。
26 Jun 1999
本日の土曜日は「雨の特異日」だそうで、まず晴れないらしい。明日の日曜も関東南部は少々ぐずついた天気になるようで、遠出は控えたほうがよさそうだ。

単独行が多いので、いざというときのために無線が必要だな、と前から思っているのだが、このごろでは「手っ取り早いところでまだ持っていない携帯電話にするか」とも。すると迷う迷う、iモードだのcdma-oneだの....。問題は山の中で通じるかどうかだ。谷間ではどれでも使えないだろうけど。
27 Jun 1999
日付が変わってしばらくしてから、静かな雨が降り始めた。風はない。連れはこういう雨は寂しくて嫌だと言うが、人通りも絶えて町中が静まり、車が水しぶきをたてていく音がするだけの落ち着いた雰囲気になるので、以前から気に入っている。ただしあくまでも夜、家にいるときのこと。

昨日はクライミングジムに朝から行ったのだが、梅雨のせいかけっこう人が来ていた。冬場は午前中などほとんどお客がいないのに、今日は大きなザックにロープを詰め込んだ人が多い。天気が悪いとジムは混むが、朝から混むとは思ってなかった。私は二時間ほどそこそこ登って退散した。寝不足で登ったものだから、寄り道して帰宅した夕方に強烈な睡魔に襲われ、日のあるうちからかなりの時間寝てしまった。

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