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ここまでのCover Photo:秩父高原牧場近辺から望む笠山と堂平山
1 Mar 2025
南関東、三寒四温が春のしるしとはいえ、今日の日中の暑さは。
予報では数日後には雪が降るとか。
お彼岸はもうすぐ。菜種梅雨がやってくる。
J1、川崎-京都、0-1。
スタメンを前節から10人入れ替え、どうなるかと思ったけれど、悪くはなし。
久しぶりに車屋先生の気の利いたプレーを見られて嬉しい。
あいかわらず河原は見ていて楽しいし。
ソンリョンの安定感はいつも通りだし。
失点の仕方がミスから、というのだけが残念。
集中力が切れたように見えた。
10 Mar 2025
連れの実家の岡山に帰省中。昼過ぎ、連れが少し地元の山を歩きたいとのことで、児島半島に足を延ばす。
貝殻山を下から登る時刻ではないな、では八丈岩山かと考えたが、地図がないので、車で稜線に上がって天目山脇の駐車場に駐め、車道で天目山、飛天目、貝殻山を繋げて歩く。貝殻山山頂の三本の桜の木は、昨年秋に訪ねたときに枯れてしまったのではと思ったものだったが、枯れているのは一部の枝だけで、まだ堅いものの蕾がそこここに見られた。飛天目、天目山を越えながら戻ってきたものの歩き足らないので、駐車場を過ぎて虎口池キャンプ場にも寄ってみた。キャンプ場に向かう車道分岐で剣山を見上げ、二人して、あれに登るのはいいやと。少し疲れ気味。
13 Mar 2025
単独で岡山近辺を周遊開始。まずは尾道で寺巡り。
だいぶ昔に千光寺には訪れたことはあったが、尾道は寺社が多く、地元観光ガイドでも案内されている七仏巡りをしてみようと。車の通れない細道を上がったり下がったり横に歩いたりし、尾道市街や尾道水道、対岸の向島を眺め渡す。千光寺のくさり山で久しぶりに岩登り。岩に手がかり足がかりが乏しいので鎖をハシゴ代わりに登るから、正確には鎖登りというところ。千光寺同様に中国三十三観音霊場でもある西国寺や浄土寺では見事な仏教建築も。千光寺ロープウェイ乗り場の奥にある艮(うしとら)神社ではそれはそれは見事なクスノキの大木が仰ぎ見られる。
寺巡りはわりと時間がかかるので、ロープウェイには乗らなかった。千光寺山の山頂にも行かなかった(西国寺の裏手にある西国寺山には登った。100メートルちょっとだけど山の雰囲気は味わえた)。観光客で賑やかなのは索道近辺と千光寺近辺だけで、そのほかはわりと静かなものだった。
14 Mar 2025
播磨アルプスを歩く。高御位山と百間岩が本日の二大メインディッシュ。
TV番組「そこに山があるから」で本上まなみさんが登った百間岩をぜひ登ってみたいと思って2年以上。分県ガイドに従い、山陽本線曽根駅近くの豆崎登山口から取り付き、そこここに花崗岩の好展望な岩稜を辿って百間岩。高低差は100メートル弱だろうか、木々がまるでない幅広の花崗岩の一枚岩。石灰岩ではないので滑りやすいわけではないが、部分部分の傾斜は急なところもあるのでどこを登ってもよいものの場所を間違えると急登になってしまう。この岩場を歩き慣れた人はすたすたと登っていくが、一見さんはそうもいかないのだった。
山域最高峰(とはいえ300メートル強)の高御位山へは小さなコブが続き、獲得標高差はそれなりのものになる。パワースポットと呼ばれる神社を置く山頂には普段着の人もいて、直登する登山口から上がってくる参拝者も少なくないらしい。分県ガイドでは山頂から引き返して別の山を登るようガイドしているが、疲れたので馬蹄形の山稜を縦走して早々に下山することに。次のピークには百間岩ほどではないにせよ同様の花崗岩の岩盤を行く。登り直して振り返れば、この山塊はエアーズロックとは言わないものの巨大な一つの花崗岩山塊なのではと思えるのだった。
下山は鉄塔の立つピークから阿弥陀新池へ。下山地点には害獣除けの柵があり、この柵の開け方がすぐにはわからなかった。園芸用に使用される緑色の支柱が閂のように使われており、これを抜けば扉が開く。この柵までの山道はよく踏まれていて草もまったく被ることがなく、使われていることはわかるものなので出られないことはないだろうとしばらく考えた結果。
高御位山は百間岩のある南西から見ると頂稜は優美だが、反対側からは山頂部に特徴的な岩塔が二つ目立つ(認識しさえすれば、新幹線の車窓からも判別できる)。欧州の城の小塔(タレット)のようで、タカミクラという山名はこの姿から来ているのではと(根拠はまるでないが)思えるのだった。
15 Mar 2025
雨天をおして、岡山市内の旧小学校校舎で開催の文学フェア”おかやま文学フェスティバル”を覗きに行く。
朗読や対談などイベントも多々あれど、日本各地から出張してきた本屋や小規模出版のブース(とはいうものの教室内や廊下、体育館に並んだ机一つ二つ)を眺めるだけで時間いっぱい。なにせ本ばかりなので手にとって読み出すと次に行けない。ほしいものたくさん。厳選して2冊。
それから2年ぶりの”スローな本屋”へ。ここもまたほしいものたくさん。同じく厳選して2冊。店を出るころには雨は止んでいた。面白そうなのを4冊も入手して、気分は上々。
16 Mar 2025
昨日同様雨天。丸亀の猪熊源一郎現代美術館へ。
駅のホームから美術館前に広がる”ゲートプラザ”が一望できるほどすぐそこに建つ。建築物も楽しい美術館で、館内のレストランに入らないで2時間もいた。猪熊源一郎の作品が常設展示されているが、特集としては試行錯誤が目立つ前半生の作品が展示されており、できれば後半生の作品をまとめて見てみたかった。機会をみつけて再訪したい。
天候がよければ石垣が美しい丸亀城にも行きたかったのだが後日の愉しみ。雨上がりの駅に戻り、宿のある高松へ。今日から二泊。
17 Mar 2025
午前中は五剣山へ。琴電の八栗駅で下り、石材屋が目立つ町中を抜け、山中のお遍路道を上がって四国八十八ヶ所八十五番札所の八栗寺の境内に出る。車で来ているらしいお遍路さんの姿が目立ち、見上げれば山頂部に居並ぶ巨大岩塔がのしかかるようで、あれに登ってみたいなと思うのだが落石のため境内より上には上がれない。山道はフェンスで塞がれている。しかし寺の雰囲気はよく、見渡す高松市街の眺めもよく、最高点に行けない残念さは強くはない。
分県ガイドで紹介されている下山ルートは山道に入ってみると不明瞭で、安全を考えて車道を下ることにする。途中、源氏山登山口とある場所から源氏山を片道10分ほどで登り、山頂の一つには立ったこととした。地図を見ながら車道を追って六萬寺に立ち寄り、六万寺駅から上り列車に乗る。
琴電屋島駅で下車。四国村ミウゼアムへ。ここは四国各所の古い民家や建築物を集めた場所で、川崎市にある民家園より更に広い。屋島の山麓に広がる敷地に30件以上の建物が点在し、安藤忠雄設計の小美術館まである(ボナールやルオーとかの絵が展示されている)。かずら橋やサトウキビ絞りの小屋や灯台やアーチ橋とか、ひとつひとつが楽しくて丁寧に見ていくと4時間くらいかかる。閉館小一時間前に入ってきた若者達がいたが、足早に廻ってもきっと半分も見られなかっただろうと思う。園内はスイセンが満開だった。
18 Mar 2025
午後から雨とのことで、山は諦め四国八十八ヶ所八十六番札所の志度寺に詣でた。琴電志度線終着駅に着いてみると、そこは現在NHK大河ドラマで取り上げられている平賀源内ゆかりの場所。見るべきは志度寺ばかりではなかった。
海岸近くに出れば、溶岩台地の平坦な屋島と、岩塔を突きだした五剣山の異様な姿が穏やかな波の向こうに並んで見える。平賀源内旧宅の近くには”志度寺奥の院”とされる地蔵寺があり、住職に誘われて内部を拝観させてもらうと「日本廻国六十六体尊」という精巧な木造仏像を目にすることができる。これは見るべきと思うのだが、志度寺に向かうお遍路さんは次があるからと言って上がることなく行ってしまうらしい。慌ただしさはお遍路に似合わない気がする。
志度寺に向かう道すがら、横に長い白壁の蔵が目にとまる。手前は駐車場になっているようだが出入り口が開いていてなにかが並んでいる。近寄って覗いてみると醤油蔵で、サラダドレッシングのサイズの醤油が売り物として並んでいた。その場にいらした親子らしいかたたちに窺うと、この蔵は最後のもので、さらに古いのがあったのだったが壊してしまったらしい。一番新しいのを残したんですと言われるので何年経っているのですかと聞くと100年だという。100年。梁は醤油の麹で茶色く、その茶色の梁が何本も天井に並んでいる。昔はみな山を持っていて、その山から木を伐りだして梁にしたという。もう二度とそんなことはできなかろう、これは凄いものだ。この蔵を四国村に持って行っても遜色ないに違いない。濃い口醤油を何本か、お土産に買った。
平賀源内記念館はあまり広くないが、エレキテルの模型など陳列されていて見て損はない。大河ドラマ”べらぼう”で安田顕が演じたことから訪れる人も増えたらしい。一通り見てまわると、源内先生はキワモノではなく正真正銘の才人だったとわかる。西欧渡来の体温計を見せられて原理を見抜き自ら作成してみたり、日本で始めて博覧会形式の催しを行ったり。
志度を後にして荷物を預けていた高松市内の宿に戻ると朝からの晴天が雨天に急変。往路同様に暗めの海面を見下ろす瀬戸大橋を渡って岡山に戻る。
20 Mar 2025
中国三十三観音霊場の三番札所、正楽寺へ。
国道二号線を東に向かい、山陽道備前IC手前で南に向かう。山に囲まれた静かな山里の奥には予想以上に大きな寺があった。山門は重厚で、潜った先にまず目を惹くどっしりとした鐘楼が広い空間をさらに広く見せる。頻繁に裏手を山陽新幹線が疾走していくものの、曇天の寒気を漂わす境内はお彼岸とはいえ静かで、法事に集まってきた黒装束の人々が佇むのは屋根の上に物見台やレンガの煙突を乗せていることで印象的な客殿の前。中国三十三観音霊場、見ごたえのあるお寺が多い。
25 Mar 2025
23日午後に発生した岡山市南区の火事、燃えているのは児島半島の山間。 彼の地を去って数日、白煙を直接見ることはないものの、まったく他人ごとには思えず。
かつて剣山に登るために辿った山道も火に覆われたかもしれない。貝殻山の山腹も燃えているという。一刻も早く鎮火することを。今治や宮崎での火事も。
27 Mar 2025
今まで4年間履いていた山靴が先日の岡山近辺の山行を最後にもはや危ないレベルになってしまったので、週末を前に新調。
山道具屋に行って商品の靴が架けられた壁棚を見ると、前回購入時にはあったはずのメーカー名がなくなるか減り、見た覚えのないメーカー名が並んでいる。当然ながら山靴にも流行り廃りみたいなものがあるのだろうけど、軽登山主体とはいえ最も安心感がほしいものの筆頭は靴。履いていたのと同じメーカーの同じ型番が並んでいるのを見て、この4年間の安定度を考え、迷わずそれに。選ぶのは色だけ、足に合う合わないはあまり心配しないで済む。今まではその都度違うものに変えていたが、ようやく楽なやり方に気づいたというところ。
30 Mar 2025
新調した靴を履いてさっそく山へ。昨年10月に登ろうとして果たせなかった足利行道山へ。
今回はJR宇都宮線を小山で寝過ごすことなく下りて両毛線に乗り換え、足利駅で行道山行きバスに乗る。終点バス停からいまだ荒れたままの浄因寺に出て山道に入り、小さなコブの上に立つ石仏群のなかに小振りな寝釈迦様を参拝する。そこからすぐで好展望の石尊山山頂(山域最高点)。お寺から半時ほどで着く頂は四囲が開け、冬場であればかなりの遠望がきくものと思われる。暖かな本日は雲が湧き靄が漂い、まだ雪を残す赤城山は大きく眺められたものの、その右隣の日光連山は男体山が少々望めるくらいだった。それでも赤城山の手前に石尊山と深高山が長々と稜線を繋げるのを目にできて満足。あれもいつか歩いてみたいものだと。
木の枝から小さな山名標識が下がる大岩山を越え、今回は大岩毘沙門天には寄らずに稜線を辿り、小さなコブを上下して両崖山に向かう。城跡でもある両崖山の手前では煤けた匂いが漂う区間があり、よく見れば木々の幹が真っ黒に焦げている。これは大岩毘沙門天にまで火が迫った2021年2月の山火事の名残で、4年も経った現在でも匂いが消えていない。たまたま山中で遭った地元のかたの話では、当時は強風で、あちこちに飛び火しいろいろなところが燃えたという。いまだ鎮火していないという岡山市や今治市の山火事が脳裏に浮かぶ。
織姫神社経由で市街地に下り、前回は鑁阿寺に寄ったものの足利学校は寄らずじまいだったので、今回はこの日本最古の学校に寄ってみた。建物は江戸時代に落雷によって消失してしまったものの復元だそうだが、華美な装飾を廃した建物は学ぶにはよい雰囲気と思えた。前回の鑁阿寺ではコスプレ剣士が目立ったが、今回の足利学校ではコスプレ忍者が目立った。それぞれテーマを設けたイベントがあったのかも。
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