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ここまでのCover Photo:筑波山御幸ヶ原から加波山(手前の黒い山)、燕山(その隣の黒い山)、稜線彼方に高峯(左)と仏頂山
4 Feb 2025
今年もまた登山地図が値上がりしている。
アプリの地図を使う人がいっそう増えるのではと。
9 Feb 2025
今年もまた奄美へ。
初日のメインは田中一村記念美術館。昨年奄美を訪ねた際には田中一村って誰?という認識だったが、折良くその後東京都美術館で大規模回顧展が開かれ足を運んだところ遅ればせながら佳さに気づく。これはぜひ奄美にある美術館に行かねばというわけでやってきたのだった。
本美術館は4部屋構成で、作品数は少ないものの昨年の都美でのように幼少期から奄美時代までの画業を通観できる。各時代の傑作も多く、個人に特化した美術館としてはかなりよいものの一つなのではと思う。次回奄美に来てまた寄ってもきっと飽きないことだろう。
10 Feb 2025
昨日の美術館と同じく、昨年からの宿題である住用のマングローブ林を間近に見るべく周囲を歩く。
カヌーで水の上から眺めるというのがよくある鑑賞方法のように窺われるが、マングローブ林は中に入れるわけではないので周囲を取り囲む車道から見ても大して変わらなかろう、なにより連れと二人、腕だけで移動するより歩きたいのだった。奄美空港で入手した奄美トレッキングマップ(有料)を手にほぼ平坦なルートを行く。高台から見下ろす場所もあれば林の縁の湿地帯脇に付けられた探勝路に下り、寄れるところはみな寄って行く。
国道から離れて住用湾沿いに伸びる交通量少ない県道に入れば誰も歩いていない。オヒルギ、メヒルギの木々が近くなる場所もあり、潮の引いた砂浜の真ん中では熊と見まごう人影が何かを採取している(海藻のアオサらしい)。たんかんの収穫を眺め、石を抱くガジュマルを見上げ、湾越しに急峻な斜面を見せる人跡まれな山を望みもした。車道歩きでも、眺めよければ悪くなし。
11 Feb 2025
奄美三日目、奄美大島最高峰の湯湾岳に。山頂直下の駐車場に車を駐めれば”ボードウォーク”なる木の板階段を10分少々で登れる限りの最高点に。そこには奄美を造ったという神二柱を祀る神社があり、展望台もあって上がれば緑濃い山地の向こうに海を見渡す。厚い常緑樹の森に覆われた島の山々は低山とは思えない山深さを感じさせた。
世界遺産として「自然体験ゾーン」に区分けされたボードウォーク部分と異なり、山頂への道のりは「保全ゾーン」となっていて立ち入り禁止である。現地でも山道入口には鎖が渡され進入禁止の標識があった。湯湾岳は信仰の山でもあるので軽々しく立ち入るところではなく、神社前の広場を山頂相当として悔いはない。山登りとは言えなかったが、海辺からはるばる運転してくる途中にあるマテリアの滝の神秘的な雰囲気や、車道脇に並んで聳えるヒカゲヘゴの異界感溢れる姿など、遠出してきた甲斐があった。
だがやはり歩く距離が短くて連れともども物足りない。徳浜(どくばま)の断崖を見上げてその迫力に時を忘れてもすぐ歩き欲が戻ってくる。なので昨日同様に住用地域に向かい、海辺にある”三太郎の里”という観光施設に車を駐め、山間の高みから落ちるフナンギョの滝を目指すことにする。車で滝近くまで行けるようだが、トレッキングマップに従い長い距離を行く。
畑地のなかを通るまっすぐな農道を歩いていく。左右、とくに左手に見上げる山が里近いというのに人の手がまるで入っていないようで関東地方の低山とは迫力が違う。集落を過ぎ、しばらくで舗装道が尽きる。その先は林道となり、左手下に川の流れが低くなると、行き先方向の梢越しに目指す滝の姿が窺えてくる。フナンギョの滝は聞いていた通り、いきなり全容が現れた。右手はるか上に印象的な高みから落ちてくる。昨日見たマテリアの滝が小さく思い出せるほどだった。一時間ほどだが歩いてやってきた身には崇高とも思える眺めであり、響き渡る滝の水音を聞きながらしばし休んだ。
12 Feb 2025
帰京する日、朝から小雨模様だった。それでも歩けないものかと二日目に歩いたマングローブ林の車道を車で走り、車道が尽きるあたりまで行く。そこにある集落の海辺には丸石が積み上がった”ターバマ”なる浜辺があり、どんなところか見てみようと来たのだったが、海に突き出した小さな岩場を超えなくてはならず、干潮なので取り付き地点までは行けるのだが不順な天気のおかげで岩が濡れてどう見ても滑りやすそうだ。自分がそう思えるくらいなので連れには厳しい。これはよく晴れた日でないとと考え、残念ながら撤退。ここでまた再訪する理由が増えてしまったのだった。
26 Feb 2025
群馬県立舘林美術館に宇野亞紀良展を観に。
影のある線で描かれた女性や子どもたちの絵が、華やかなようでいて冥いものがある世相を思い出させる。
裏に隠された見てはいけないものを予感させる感触、その感触をそのまま受け取ることができた時代。
宇野亞紀良は時代劇の絵も描いていたことには驚いた。木枯らし紋次郎のノベルスの表紙画とか、あれもそうだったのか。
退館後、すぐ近くの”彫刻の小道”を歩く。野外彫刻が20近くあり、注意していないと見落とす場所にあるものも。
夕方近くの斜陽を受けて彫りの深いものになったものもあれば、背後から刺す日に正面がかなり暗くなったものも。
もう少し早い時刻に歩くよう再訪したいところ。
多々良沼の岸辺に群がる水鳥を眺め、湖面のかなたに浮かぶ富士山のシルエットを望みつつ、昼前に下車した東武伊勢崎線多々良駅へ。
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