Preface/Monologue2025年 4月


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大小山から晃石山(左奥の三角錐)、三毳山(右奥)を望む

ここまでのCover Photo:大小山から晃石山(左奥の三角錐)、三毳山(右奥)を望む

1 Apr 2025

『眠れる進化』という本を読んだ。原タイトルはsleeping beauty、”眠り姫”。(正確にはこのあとにサブタイトル The Mystery of Dormant Innovations in Nature and Culture が付く。)

自然は、環境の変化に合わせて適応方法を編み出しているわけではない。むしろ、環境の変化が、眠っていた適応方法を有効化しているのであると。ものによっては何千万年も待たされた適応方法もある。

人間社会でも、早すぎた発明、生前無視された作品など、似たような事例は多い。備えあれば憂いなしとしたいところだが、すべてに準備することはできない。人生は短い。(時流に乗って商業的に成功するものも多々あるが、乗っているくらいだから革新ではない)

これこそ世を一新するような作品だと意気込んでも、成功するかどうかは保証できない。少なくともクリエーターにとっては、したいことをすることに楽しみが見いだせればよしとすべきなのだった。面白くもない創造など、本人にとっては苦痛でしかないだろう。さりとて、生活の糧を得るのはまた別問題だし、革新的な薬がマーケティング環境の不備のため日の目を見ないとかは、病に苦しむ人にとってはもちろん、発明した人にとってもやはり苦痛でしかないだろう…。

4 Apr 2025

東京丸の内の三菱一号館美術館に『ビアズリー展』を観に行く。『サロメ』の挿絵は何度も目にしているが、その出世作の前の作品、以後の作品はまとまって見る機会が無かったため本展で通観できてよかった。

ビアズリーがデザインした叢書の広告ポスターにマッケンの”パンの大神”とかM.P.シールの”プリンス・ザレスキ”とかあって驚いた。このあたりの挿絵も描いていたらなと思うのだが、そんなチャンスが巡ってきたかもしれないと想像するには25歳で夭逝したイラストレーターの活動期間は短すぎた。


それから鎌倉に移動。昨秋で中断していた三十三観音札所巡りの続き。本日は17番補陀洛寺、18番光明寺、19番連乗院に20番の千住院。

補陀洛寺はかつては伽藍を誇った大寺だったそうだが今ではこぢんまりとしたものに。境内中央に大きく枝を広げるサルスベリがかつての威容の片鱗を伝えるかのよう。樹齢200年だとか。

材木座海岸近くに広い境内を構える光明寺は山門が壮大。この時期は残念ながら本堂が大修理でシートに覆われ目にできず。それでも左手にある庭園はいつも通りに眺められる。池の向こうに立つお堂の階上に金色の阿弥陀様が仰げるのがありがたい。

元は光明寺の僧坊だったという連乗院と千住院は、補陀洛寺同様に札所巡りで存在を知ったお寺。連乗院では門前の桜が満開で、千住院では見事な気根をいくつも垂らした銀杏が枝先の葉芽を準備していた。


せっかく海辺に来たので、砂浜に出て静かに寄せる波の音を聴き逆光に輝く海面を眺めつつ若宮大路に向かって歩いた。相模湾越しの箱根や伊豆は雲がかかっていたが、伊豆大島ははっきり見えていた。小中学生らしい元気な子どもたちが三々五々、靴を脱いで遠浅の浜辺で波と戯れていた。

17 Apr 2025

天子山塊の毛無山に静岡県側から登る。


麓にある大規模キャンプ場の奥の有料駐車場(このときは500円、係員不在なので小銭用意必須)に車を駐め、金山沢コースを辿る。この沢コース、古い情報では途中の山道が崩落していて危険とあるし、現地でもその旨の標識が立っていたが、現在では迂回路が付けられているようで崩落箇所を見ることなく過ぎてしまう。

二度ばかり沢を飛び石伝いに渡ったり、落石跡も顕著なガリーを賑やかに張られたロープや鎖を手がかりに下って越えたり、上記迂回路の開始地点では道を間違えて対岸に渡ってしまったりと緊張を強いられるところはあったものの、小さいながら滝をいくつも見られたり、そもそも沢沿いなので斜度がそれほどでもない部分が多く楽だったりと、尾根を直登するコースよりは楽しいものだった。山頂までの時間はかかるし登っている最中に富士山は見られないけれど。

山頂稜線では残雪残る富士山を眺め、天子山塊南部を見渡し、眼下に広がる富士の裾野を見下ろす。大規模キャンプ場も眺められるので、先年泊まったときに見上げていたのは毛無山の山腹ではなく山頂部だったと納得する。この山はそれだけ急激に立ち上がっているのだった。本日の登り出しでは次々とやってくる登山者が目に入ったが、午を過ぎて到着してみると既にみな下ったらしく、最高点あたりまで歩いてみたが山頂で昼寝している2人を含めて3人しか目に入らなかった。


下りは岩と木の根の尾根コースを下ったが、延々と不規則な段差の階段下りをさせられている気分になる。これが2時間続くのだが、二合目あたりまで下ってきて目に入る不動滝、相当の落差をまっすぐ落ちるのが、それも二段になっているという美瀑は、一見の価値があった。

とはいえ再び静岡県側から毛無山に登るのなら、増水してなければ今回と同じく沢コースを辿るだろう。静かなのも特筆もので、平日だからか、出発時刻が朝7時でも遅かったからか、稜線に出るまで誰にも出会わず、耳に入ってくるのは水音ばかりだった。

19 Apr 2025

川崎ミューザにフルオーケストラでの映画音楽を聴きに。

「ファンタジア」”禿げ山の一夜”、「シャイニング」”幻想交響曲第5楽章”とかはもちろん魅力的だが、なにに一番惹かれたかというに伊福部昭の”ゴジラ”のタイトルテーマ。”禿げ山””幻想”と同じく打楽器大活躍、とくに変拍子の強烈打撃音を繰り出すティンパニがじつにカッコいい。”禿げ山”では銅鑼が格別に迫力十分。ラヴェルはムソルグスキーに銅鑼の使用を学んだのだろうかと思えるほど。

後半はゲストボーカルとしてMayJが出演、グレイテスト・ショーマンの"This Is Me"や"Never Enough"その他を熱唱(アナ雪はプログラムになし)。アカペラでも音程が揺るぎなく、あんな華奢な身体からよくあれだけの声が。


座席はオーケストラすぐ脇右手3階のバルコニー席で、身を乗り出さないとコントラバスがまるで見えない。打楽器隊も右端が見えづらい。クラシックのライブと言えど見るのも楽しみなので、次回は3階だろうと4階だろうと正面席にしよう。MayJは上方からだったけれどステージ中央の姿がわりと近くから見られて、その点ではよかったけれど。

オケのみでのアンコール曲は"ジュラシックパークのテーマ"。今年の夏に新作が出ますとヒントはあったものの曲目紹介がなく、聞いたことがあるけれど何だっけと考えているうちに演奏が終わってしまった。会場出口のホワイトボードに曲名が書かれていてようやくわかった次第。そうかシリーズ第七作が上映されるのか、観に行かなくては。

26 Apr 2025

鎌倉三十三観音札所巡り。本日は21番成就院、22番極楽寺、23番高徳院。

成就院への坂道参道は長谷駅側から登って振り返ると由比ヶ浜が一望にできるわけだが、いつから綺麗に舗装されたのだったか。久しぶりに来たので前もこうだったっけと。極楽寺ではまだ八重桜が咲き残っていた。

本日は鎌倉駅から徒歩で長谷寺前を経由してこれら二寺に参詣した。高徳院へは車道経由だと観光客で大賑わいの長谷寺前に戻ることになるので、極楽寺から藤沢方面に向かい、小学校脇から始まる谷戸を抜けて山越えし、大仏ハイキングコース入口経由で門前に出た。

露座の御仏はいつ仰いでも与謝野晶子が歌った通りの美男で、境内にあふれかえるインバウンドのお客さん達も余計に魅了されたことと思う。だからか、御朱印帳を手に納経書に並ぶ海外からのかたが目に付いた。

高徳院からは銭洗弁天に向かう車道を北上して市役所通りから鎌倉駅へ。ちょうど午になったところで途上の甘味処に入り、白玉あんみつを昼食代わりにした。

27 Apr 2025

秩父の熊倉山へ、秩父鉄道白久駅から城山コースを登り、日野コースを下って武州日野駅に出る。

白久駅から山道が始まる峠まで小一時間、駅近くには別荘かと思える家々が谷あいに並んでいる。朽ちかけつつあるのもあるが住まわれているのもあり、たまたまお話しさせて頂いた方から「ここは山の北側斜面なので日照時間は短く、山菜もあまり多くはない」と聞いた。しかし静かでよいという。傍らに流れる沢音が心地よい。


城山コースは、登り出してすぐに壁のような斜面を延々と上がり、山頂が近づくと地図からは予想が付かない岩尾根のコブを何度も越す。このコースを下るのはイヤだなと思っていると次々と下ってくる。みな元気だ。最後のコブらしきを越えるあたりで見上げれば、熊倉山本峰が左右に翼を広げた姿で壁のようにそそり立っている。これを登るのかと思わせる威圧感。

地図では山頂手前で日野コースとの分岐が記載されている。古びた道標に「日野コース分岐点」とあるのに見下ろす斜面に道型がなく、分岐の行き先を示していたはずの板がノコギリで切り落とされているのを見て「日野コースは廃道?城山コースを下らなくてはならない?」と驚いたが、現在の分岐点はその先で、白く新しい道標が立っていた。往路の岩尾根を歩かずに済みそうで一安心。

山頂到着は15時。もう誰もいない。酉谷山へと続く山道の下降点を眺めに行った後、頂稜の日の回る場所を探して腰を下ろし、汗まみれのザックを乾かしがてら湯を沸かしてコーヒーを淹れた。山頂の一角から西に眺められた大らかな山は和名倉山だろう。登ってくる最中にわずかな切開きから武甲山や大持山を眺めたものの、ほぼ遠望は叶わない。この時期、見るべきは新緑。往路の山頂近くになるとピンクの花を賑やかに付けたアカヤシオがそこここで目に入るようになった。頂稜からも見下ろせた。


日野コースは城山コースと反対に稜線近くに壁があり、長々とジグザグ下りを続ける。底は笹平という開けた谷間で、大きく鮮やかな葉を伸ばすコバイケイソウの群落が広がる。いつ見ても艶やかな葉だが鹿も食べない毒草だと思えば少々薄気味悪くもある。沢沿いに出ると流れを何度か渡り直す。この日はダブルストックで歩いていたのでバランスを取るのが楽だった。近づいた沢から離れるところでコースすぐ下に盛んに湧き出す水場があり、飲めば軽い味わいで三度も口にする。さらに先では錆びたトタン板が散乱する"官舎跡”なる場所があった。林道も通じていないこんな場所に誰が何のためにいたのか、おそらく林業関係者なのだろう。

未舗装の林道終点に出て、城山コース入口に続く舗装林道に合流する。日没時刻を迎えたころに集落に出て、夕闇迫る如意輪観音堂にお参りする。ここは秩父札所になりそこなったという伝承が残るそうだ。日は落ちたものの里の街灯のおかげで足下は不安になることなく、弟富士山に続く小さな稜線を越えて武州日野駅に着いたのは19時、半時ほど列車を待つ間、駅舎には自分一人だった。脇の車道を通り過ぎるエンジン音の合間を縫ってフクロウの声がホームの脇の暗い森から響いてきていた。


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