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ここまでのCover Photo:官ノ倉山から陣見山の彼方に榛名山
1 Feb 2026
いわゆる室内楽を聴く機会あり。
おそらく初めて弦楽四重奏の生演奏に接する。バイオリン2,ヴィオラ1,チェロ1なのだが、高音のバイオリンと低音のチェロは目立つものの、中間のヴィオラはなかなか聞き分けられない。楽器の音が小さいわけもなく、自分の耳があまり良くないのかも。
演じられたものの一つがバッハの曲で、複数の旋律が同時進行する対位法で作曲されており、抒情性を湛えながら頭も使うようなもの。そこでヴィオラが聞こえないのは勿体ない。モーツァルトやマスネの曲は疲れず聴ける(真剣に聞けばそうでもないのだろうけど)。ヴィオラの音も聞こえた気がする。
3 Feb 2026
映画『カリギュラ 究極版』を観る。20世紀の大駄作が21世紀の良作に転生していた。無駄極まりないポルノシーンがカットされてもオリジナル版より上映時間が長い。それだけ役者の演技が見られるようになったということだろう。
カリギュラの先帝であるティベリウスを演じているピーター・オトゥールが迫力十倍増し。画面に満ちる狂気度はマルコム・マクダウェル演じる主人公以上。一から編集をやり直したおかげでオリジナル作に比して登場時間が伸びたように思えるが、彼の芝居を見られるだけでも『究極版』は大いに価値あり。
迫力増しとまではいかないが、同じく出番が増えて存在感を高めたのが財政担当のロンギヌス。役者はジョン・スタイナーという人でロイヤル・シェイクスピア・カンパニーにも在籍した俳優。カリギュラに振り回されていく中で徐々に醒めていき、度重なる専横さに親衛隊長と無表情に視線のやり取りをする場面まで。こうして親衛隊長と謀って暗殺するに至る筋道がオリジナルより明確にわかるように。
とはいえ少々不満も。オリジナル版では映画の出だしがカリギュラと妹が森の中で戯れる(かなりセクシュアルにだが)牧歌的な情景で、その若き主人公が権威の座について堕落の一途を辿り、最後に暗殺された後は妻と子とともども死体を階段に投げ出されて逆さまになった死に顔を晒しながらエンドロール、という構成だったのだが、最初の情景は究極版では映画中ごろに移動され、最後の暗殺場面も刺殺されていくところで終わっている。この結果、「絶対的権力は絶対的に腐敗する」という映画の主張が、”腐敗したものはロクな最期を遂げない”という教訓とともに、やや減じたかも。
6 Feb 2026
国立近代美術館に、『アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦』、と題された展覧会を観に。
事前に本展覧会の元となった書籍を読んで会場に出向いたので、単なる見たままの鑑賞に留まらず、作品作成当時の時代背景まで思いを馳せることができて面白いものになった。いわば美術批評に振り回されて取りこぼされることとなった絵画や彫刻が多々あるらしい。後から振り返ると狭量としか思われない”主流”設定によって”傍流”もしくは”独自路線”とされ見落とされていくものが。
絵画や彫刻は基本的には一点ものなので(多数作成できる版画のようなものはここでは措いておいて)、その作者の作品が理解ある批評で継続的に世の目に止まるような機会がないと、いわば一発屋的に埋もれていってしまう。音楽の世界などでは一発屋であっても”思い出の歌”のように回顧もされるだろうけど、美術品はたとえ世界で高評価を受けたものでも、権威的な「美術史」に収まらないものであれば舞台に呼びだされることがなくなるようだ。狭い枠にはめたがる批評潮流が生まれ、その潮流に乗らない(乗れないのではなく、その枠に収まらない)ものは、手のひらを返されたかのように等閑視されていく。
対象の時代である1950年代から1960年代前半あたりでは画廊での展覧会や美術雑誌での紹介が決定的に重要だった。美術家自身が主義主張を投稿し掲載されることもあったらしいが、好意的に受け止められなければ発表の場は減じていったように見える。SNSでセルフプロデュースできる現代ではそんなことはなくなっているのだろうか。いずれにせよ、埋もれさせておくには惜しい過去の作品を正当に扱うには美術史の語り直しが必要と思える。それは単線的発展史のようなものではなく、多様な視点からの描写となるにちがいない。
8 Feb 2026
本年のみの”J1百年構想リーグ”が始まり、川崎は初戦の柏戦に5-3で競り勝つ。
昨年のJ1第一節では対名古屋に4-0で勝利し、これは幸先が良いと思っていたら徐々に失速、失点がどうしても減らせず中位でリーグを終えた。今年は初戦から3失点。即戦力を充当したとはいえまだ課題解消は道半ばかと。
ともあれいまや強力なチームと化した柏に勝てたことは喜ばしい。エリソンの2点目、同僚の伊藤達哉のドリブルをかっさらった形での得点で、伊藤は得点を喜べず呆然としていたのがちょっと心配。その後のエリソンの3点目は素直に喜んでいたので大丈夫だろうとは思うものの。柏といえば元川崎の瀬川と山内が点を取った。彼らにとっても結果を出せて喜ばしい。我らにとっては失点は失点なので嬉しくないが。
11 Feb 2026
今月下旬に販売される2026年版の山と高原地図は、価格については2025年版より税抜きで300円値上がり。上がるだろうと思ってはいたがこれほどとは。
2014年から2021年まで1,000円だったのが、22年、23年は1,100円、24年1,200円、25年1,300円と3年連続で100円値上げの果てに、いきなり1,600円。以上すべて税抜き価格。販売価格はついに1,760円。
こんなに高額だと売り上げが下がるのではと。山行予定が無くても眺めてみたいという購入意欲は失せ、更新すら躊躇してしまう。紙地図は広域の把握性に優れるのに…。地図の世界でも視野狭窄が進む気がする。
14 Feb 2026
快晴の空の下、奥武蔵へ。東武東上線越生駅から歩き出して梅林をかすめ、”上谷(かみやつ)の大楠”に寄り道して小築山・大築山に登る。丸山から関八州見晴台に続く稜線上の飯盛峠に出て西武秩父線側に下り、西吾野駅に出る。
越生はハイキングイベントと梅林とでやや賑やかだった。設定されたハイキングコースから逸れ、梅林を後にすると静けさが戻ってくる。関東一の巨木という大楠は剛健な複数の幹と壮大な枝ぶりが健在で、見上げたり見下ろしたり頭を左右に振ったりさせられる規模の大きさに繰り返し感嘆させられるのだった。
大楠からいったん下って馬頭尊の佇む林道を辿り、小築山・大築山が頭をもたげる尾根に乗る。小築山は展望はないものの山頂部は平坦部が広くて休むによい場所だった。大築山は都機山方面の眺めが開ける展望地だった。
大築山から南西に尾根を辿っていくと左右が緩斜面の植林地が続くようになる。手入れされているのか季節がらか、下草がまったくないので凹凸のない地形がよくわかる。途中に”馬場”と名づけられた平坦地まであり、奥武蔵の山中にこんなところがと驚く。それまで登っている気がしなかった山道は徐々に傾斜を増し、足元には数日前に降ったのだろう雪が現れだす。数センチ程度とはいえ久しぶりの雪道でなかなか楽しい。
大平尾根に乗ると傾斜も緩み、すっかり曇り空となってしまった中を飯盛峠に出る。西吾野駅へのルートは車道から別れているので”関東ふれあいの道”コースは辿らず舗装道を行くと、ガードレールが切れている部分があり、そこから下山路が始まる。
この飯盛山直下から始まるルート、最初から最後まで道標が一切なく、道形だけ追うと何度も難しい場所に引き込まれる。それはフィールドサインの見逃し、地図なりGPSなりの確認不十分なのだが、目の前の傾斜が急すぎるとか、足元が妙だとか思ってようやく気付くのだった。
とくにそろそろ集落に出るというコース末端がもっとも分かりづらい。たとえば標高430mあたりで浅い谷を右手に見て回り込んでいくところ、進行方向にはピンクのテープも見えて真っすぐ行くのが正しそうに思えるが、足元は急速に劣化していく。じっさいには回り込みだすところで右手に戻るように行くのが正しいのだが、そこに何の印もない。GPSを睨みながら辿る必要がある。
集落に出た先は民家の軒先で、なにも案内はない。さらに下ると舗装道が別な車道に合流するが、ここにも案内はない。下っている最中、登りは少しは楽だろうと思っていたが、そもそもこれは取りつきを探すのが大変そうだ。ガイドマップには朱色実線で表記されているコースだが、破線扱いでよいのではと思えた。
小築山で小一時間も休憩し、下りも上記の通り難儀したので、西吾野駅に着くまでに日が沈んでしまっていた。上り列車に間に合うよう駅直下の坂道を大急ぎで登ったので気管を痛めてしい、しばらく喉が痛くてしかたなかった。
20 Feb 2026
府中市美術館に小出楢重の回顧展を観に行く。近代美術シリーズ切手として発行されたうちの一枚、「Nの家族」という絵で記憶に残っていた画家。活躍期間は大正から昭和初期。
「Nの家族」はここで初めて実物を見た。群青、赤茶、焦げ茶や弁柄色と思える濃い色がほぼ全面を覆い、その中に親子三人の顔と卓上の画集や果物が浮かび上がる。果物を見つめる幼子、その子を見つめる母親、その二人を見ているようで見ていない画家である父親。この絵を見始めると視線が絵の中を際限なく回転する。背景の小物へ注視をすれば意識は前後にも移動する。ひょっとしたら催眠効果があるかもしれない。
この展覧会までは知らなかったが、小出楢重は裸婦画で名高いとのこと。会場の順路の最終盤にはその裸婦画がコの字の壁面に7枚架けられている。いわゆる昨今流行りの精密な写実などではなく印象派的なもので、諧調を微妙に変えた黄色や赤、陰影部分に緑色が使われ、暗めの室内を背景に描き出された身体は熱をもっているかのよう。追求したのは生命あるものとしての裸体というところだろうか。この展示空間の迫力は「ここはどこかの有名美術館みたいだ」と思わせるほどだった。
21 Feb 2026
川崎、百年構想リーグの第三戦を終えてすでに正念場。
多摩川クラシコ、1-2でFC東京に敗戦。点差以上の残念な内容だったとか。
さて、内からも発せられた「緩い」という評価を覆せていけるか・・・
22 Feb 2026
今年も2月に奄美へ。すでに下旬、現地気温は23度。関東の4月並み。
初日はこの季節だからこその柑橘類”たんかん”を買い込んで自宅に箱詰めして送り、たんかんパフェを食すなど”たんかん”三昧。
宿は今回も名瀬。ここから遠出するのは翌日以降。
22 Feb 2026
連れと二人、昨年に北の大和村側から登った奄美最高峰の湯湾岳へ、今回は南の宇検村側から往復。
北側からは山頂直下まで車道が通じていて10分ほどで登れてしまうが、南からは車道行き止まりの7合目から一時間は歩かないといけない。よく歩かれているのか山道が明瞭なのはよいのだけれど、2月下旬の奄美はすでに暖かで、ハブが目覚めてなければよいのだが・・・と地面に絶えず気を配り、足元が隠れそうな草が茂る辺りはゆっくり目に歩き、ときおり頭上の枝にも目を向けながら行くので歩みははかどらない。幸いに毒ヘビに出会うことなく社や石柱の建つ山頂付近へ。ようやく登った気になった。
登っている最中に山道脇で深紅のキノコめいたものを見つけたが、山頂手前の展望台脇にある解説板で寄生植物のヤクシマツチトリモチとわかる。しかし変わらず地面を注視しながら歩いたものの、連れともども帰路では見つけられなかった。代わりというわけではないが、若い女性の二人連れが登ってくるのに出会った。7合目の駐車場に戻ってみるとレンタカーが2台になっている。この山に登る人は地元のひとが多いのではと思っていたが、奄美が好きなひとは山にも来るということなのだろう。
午後は空いたので隣の瀬戸内町へ、こぶし大の白い丸石が積み上がるホノホシ海岸に。石だけがあると思っていたら断崖と岩塔の浜で、波が引くたびに丸石が転がって立てるガラガラという音があたりに響く。陽の光がまわるなか、海の迫力を感じながらのんびりできる場所だった。
23 Feb 2026
住用の三太郎峠へ北の東仲間集落から山道を辿る。峠から南の西仲間集落への山道は下りだし早々に踏み跡不明瞭だったので諦め、舗装林道を歩いて下る。最高点の峠は標高350m程度、獲得標高差は500m程度。鹿児島県発行のトレイルマップでは東仲間から峠を越えて西仲間の先の道の駅まで2時間40分とあったが、登りだけで2時間近く、下りの車道はのんびり歩いたからかもだが1時間半以上かかった。
西仲間集落のさらに南にある道の駅”マングローブパーク”に車を置き、バスで北上して東仲間近くへ。ここから峠越えして道の駅に戻ろうという計画。登路は始まりが送電線巡視路でもあったため幅広で歩きやすい。巡視路でなくなると山道めいたものとなり、かつての生活路は時の流れに山腹路部分など崩壊しかけてロープが張られてもいるところもある。しかし目の前に大木に着床したオオタニワタリが見られたり、小さいとはいえ沢を何度か渡ったりと変化があって楽しい。車道も通る峠にはかつて実在の三太郎さんが建て、柳田国男も訪れたという茶屋の跡がある。
峠には南北に走る舗装林道と、西に分岐する未舗装林道とがある。”奄美トレイル”の標柱表示を読み違えてこの未舗装林道に入ってしまい、15分ほど歩いて間違いに気づき引き返す。正しくは山の斜面を下っていくのだが、ものの数メートルで踏み跡がわからなくなる。少々下ってまた引き返し、連れを安全な場所に残して上がったり下がったりを繰り返しているうちに下方にトラロープが張られたルートを見つけ、深いガリーを避けるようにしてそこまで下り、登り返してみると峠から2,30メートル離れた場所に出た。立ち木に白い荷造り紐のようなものが巻きつけられているだけで案内もない。
トレイルマップ(縮尺25,000分の1)は持参しており、GPSも準備していているのでソロであれば探索に下りていくことも考えたが、連れと一緒では無理はできない。なので車道を西仲間に下ったのだが、あちこちに背丈を遥かに超えるヘゴや人の上半身より大きな葉を振りかざすクワズイモが顔を出し、これはこれで楽しい道のりなのだった。それにしても、なぜクワズイモは側溝から生えだしているのが多いのだろう。子イモみたいなのが側溝に転がり込んで発芽する機会が多いとかだろうか。
西仲間集落に出て川向こうの道の駅に行く途中の橋の上で、1m以上はあるハブの死体が歩道に転がっていた。何かに轢かれたらしい。頭の形が特徴的な三角形なのでそれとわかったが、腹を上にして横たわっていなければ生きているかと思ったかもしれない。死んでいたにせよ、初めて野生のハブを見た。そうかいるのか、しかもこんなところに出てくるのか。
峠越えのコースについて、後刻、奄美トレイルの案内サイトを見てみたところ、茶屋から西仲間間は「土砂崩れのため一部区間通行止め」とあった。これで何かあったら「事前調査不足」と言われるところではあった。2024年10月からこの状況で、一年以上復旧できていないことから、おそらく今後とも連れと山道の峠越えはできないと思える。しかし登りだけの山道でも十分楽しかった。連れも「凄いところを歩いた」と感激していた。
24 Feb 2026
今年の奄美最終日。名瀬市街にある”サンドイッチカフェ奄美”で朝食を食べ、雨模様のなか住用へ。昨日無人販売で一袋100円で買ったタンカンがことのほか美味しく、さらに買いたいという連れの希望で向かったのだった。せっかく来たので買い物だけではと、高みに登ってマングローブ林を眺め渡したのち、三太郎峠登り口付近にある森のなかへ世界最大のマメと言われる”モダマ”を見に行く。
モダマはつる植物で、自生地のモダマの幹はスクリューのように渦を巻きながら縦横無尽に木々の間を張り渡る。根元の太さは数十センチにもなり、うねりまわる姿はじつに異様。肝心のマメは、見上げる高さや枝葉の奥に望むことができた。クワズイモといい、シダ植物のヘゴといい、このモダマといい、亜熱帯の植物には本土では見られない規模感のものが多く、異郷感を感じられて楽しいことこのうえない。これも繰り返し奄美を訪れる理由の一つ。
飛行機の時刻まで間があったのでいつもの”あやまる岬”へ。本日もサンゴ礁に囲まれた海は広々として大きい。沖合に一か所、常に白浪を立てている場所がある。始めはクジラかと思えたがいつまで経っても場所が変わらないので岩礁か何かと。岬上のカフェで一休みしていると、どうやら本物のクジラが見えるらしい。帰り際、あの白波を立てている場所より遥かに手前、サンゴ礁近くではと思えるところで広く広がる潮吹き、そして身体を翻したかのように宙に踊る黒いヒレ。連れともども、初めてクジラを見た。連れは大興奮。とうとうクジラまで。今回の奄美では、滅多に見られないものをたくさん見ることができた。
28 Feb 2026
西武秩父線正丸駅から三田久保峠経由でツツジ山に登る。その後、苅場坂峠を経て横見山の標柱が立つ山の先から虚空蔵峠経由で旧正丸峠へ。ここから旧道を辿ろうと思ったが車道を下ってしまい、雨乞山から南東に伸びる尾根を辿ってショートカットし旧道に合流して正丸駅に戻った。
朝の正丸駅からはみな伊豆ヶ岳方面に向かうらしく、秩父方面に向かう国道299号線を歩いていくのは自分ひとり。途中、日本初の帝王切開発祥の地なる記念碑があり、立ち寄って碑文を読んでみると1852年にこの地で難産に苦しむ女性を救うため子宮切開術を行ったという。驚いたのはこれを麻酔なしで行ったということ。きっとそれどころではない激痛だったのだろう。施術を受けた女性は米寿まで生きたとか。
こんな記述を読んだものだから感慨に浸ったまま歩き続けてほんのわずか先で右に分岐する本来辿るべき車道を見落とし、苅場坂峠に直接上がる車道分岐まで行ってしまってしかもその先まで進んでしまった。なんだか最近道を間違える機会が多い。加齢の影響が大きいのだろうか。
三田久保峠を通る山道はガイドマップだと破線表示だが踏み跡は明瞭で、先日の飯盛峠から西吾野へのコースに比べれば格段に歩きやすい。無理な直登もなく、小気味よくジグザグを切りながら高度を稼がせてくれる。とはいえ本ルートの人気は今一つのようで、ツツジ山に至るまで出会ったのは二人だけだった。静かでよい。ただし風は強くてうるさかった。地図上で”苅場坂”とあるあたりの登路左側10mくらい先で、幹の直径が20センチ前後はあったかという見上げる高さの枯れ木が風にあおられて視線くらいの高さで折れ、かなりの音をたてて地面に落ちた。あれが頭上に落ちてきたらと考えると正直怖い。風の強い日はヘルメットを被って歩いたほうがよさそうだ。
先日直下を歩いた飯盛山を望むツツジ山を苅場坂峠に下り、堂平山や丸山を眺め渡してから雑木林の稜線に登り返す。ガイドマップでは現地標識でツツジ山としている山を横見山としているが、現地標識では峠から登り返した先のピークを横見山としていた。稜線を5分ほど下ると左へ虚空蔵峠に向かうコースが分岐する。車道に出て虚空蔵峠に至るまでは下り一方なので負荷は感じないが、峠から先の正丸尾根はアップダウンがある。737mピークを下った先のサッキョ峠から見上げる斜面は中間部の土留め階段が流されて消失したらしく、登りでも足元が心配なくらいの斜度と不安定さだった。その先もヤセ尾根の岩稜とかが出てきて、お気楽な下山とはいかないのだった。
旧正丸峠はなかなか風情がある峠だった。とくに秩父側はゆったりとした雑木林が広がり、そちら側に下りていく計画を立てたいと思えるものだった。正丸駅方面へと下ると舗装林道に出る。このすぐ先で右手に旧道の山道が分岐していたはずなのだが、花粉症と薄着のせいで体調がよくなかったため舗装道の安心感にはまってしまい、気付いたときは登り返す気力が湧いてこないほどだいぶ先まで車道を下ってしまっていた。
夕方で人影少ない正丸駅では上り下りが同時に来た。特急で楽して帰ろうと下り列車に乗って西武秩父駅に出る。時間があるのでせっかくだからと繁華街の番場通りに行ってみた。老舗喫茶店のパーラー小泉は改装工事中らしく、3月5日に新装開店する旨の告知があった。少し先のたい焼き店で小倉小豆のを買い、食べながら駅に戻った。
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