Preface/Monologue2021年 12月


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秩父・琴平丘陵にて

ここまでのCover Photo:秩父・琴平丘陵にて

1 Dec 2021

連れの実家の岡山に帰省中。

いろいろの合間を縫ってあちこちに足を伸ばす。この日は備前の片上地域へ。

市民センター前の安くて美味い食事処で日替わり定食を食べ、2メートルはあろうかという大きさの狛犬が番をする宇佐八幡宮に詣で、古い街道筋を行く。
キムラヤのパン(岡山ではおそらく誰もが知る)も売っている茶葉販売店があったり、かつて内陸に伸びていた廃線跡を跨いだりとなかなか楽しい。

行き着いた先は五重塔が美しい真光寺というお寺。塔の前でカエデが紅い。寺の背後には三十三観音石仏巡りの山道がつけられた谷間が延びており、どんなものかと足を踏み入れる。事前にコースタイムが分からず午後も遅いため適当なところで引き返そうかと思っていたが、ほどよい間隔で石仏が現れ達成感が持続すると言って連れは進むほどにやる気を増し、けっきょく歩ききってしまった。所要一時間半。高みでは深く入り込んだ港が見下ろされるなど眺望もよく、片上に来たらまた辿りたいと思えるところだった。

2 Dec 2021

親戚のお宅に泊まった帰り、法然上人ゆかりの寺二つに立ち寄る。

最初は三咲町の本山寺。上人の両親が安産祈願を行ったところだという。ここには国や県が重要文化財に指定したという建築物が多数ある。ことに本堂や三重塔は(失礼ながら)こんな山上にこの大きさのが、と驚くほど。観光色のまるでない深閑とした山上に威風をまとう諸堂が立ち並ぶ様はちょっとした異世界。かつては山岳宗教の聖地として栄えたところらしいが、いまはまさに時が止まったかのよう。

次に久米南町の誕生寺。名の通り、上人が生まれた場所に建てられたお寺。JR津山線の駅名にもなっており訪れる人が多いため、境内には生き生きとした雰囲気が漂う(ものさびた空気の流れる本山寺の後に訪ねたからかもしれないが)。寺務所に立ち寄ったところ、当寺は中国三十三カ所札所巡りの特別霊場とのことで、ではとばかりに専用の御朱印帳と合わせて御朱印を頂く。これで、中国地方5県にまたがる霊場巡りまで始めてしまったのだった(いつ結願するかの見込み不明)。

6 Dec 2021

せっかく中国地方の観音霊場巡り専用御朱印帳を入手したので、霊場1番のお寺には行かなくてはと岡山市内の西大寺に。

2月に行われる宝木争奪の裸祭(”会陽”)で有名なお寺は、こちらも諸堂が見応えある。本堂や三重塔、仁王門全てが重厚なものの、これらを差し置いて異様な存在感を放つのは、どことなく大陸風に見える石門で、その外側に裸祭時にまわし姿の男たちが冷水に浸かる垢離取場がある。このときは水は張られていなかったが、かなり狭い感じで、広い境内に参集した男衆が全員入るとしたら随分時間がかかるのでは、と思えたものだった。もうひとつ驚いたのは、境内の一角にスポーツの試合でも見るかのような観覧席があることで、やはり裸祭用の施設なのだろうかと思えたものだった。

札所2番のお寺は車ですぐのところにあるので足を伸ばす。吉井川を挟んで西大寺と向かい合う丘の上に建つ餘慶寺に。

こちらも本堂、三重塔が国や県の重要文化財に指定されているくらいで歴史を感じさせるものなのだが、餘慶寺のなにが感心するかというに、周囲に6院の塔頭を数え、まるで京の都のような雰囲気なのだった。恐るべし岡山県。札所巡りを始めるまでは餘慶寺のことは知らなかったのだが、来てみてびっくり。そしてあまり観光色がない。寺務所ではお守りとかは頒布しているが、あとは飲料の自販機があるくらい(先日の本山寺にはこういうものはなにもなかったが。)


こういう大きく歴史あるお寺が最近のガイドブックには載っていない。かつてJTBが出していた新日本ガイドという日本全国を網羅した字だらけの案内では全地方自治体の見所を段階評価とともに記載しており、たとえ「わざわざ遠方から来るほどでもない」的な観光物件でも当地に赴いて主要な見所を見て時間があれば行ってみようと思ったものだった。学生の頃の北海道旅行では一人旅の旅行者はたいがいこのガイドを持参してきており、記載されている観光物件はすべて見て回ることを旨としていた。

いまではそんなガイドはなく、当地が出している案内パンフレットを事前ないし現地で入手するなり、道路地図を丹念に読み込んであたりを付けるとかしなくてはならない(後者はナビに頼ってだけいると不可)。情報が溢れているといわれている割りにこの状況。


そんなことを考えつつ、さらに車を回して岡山市民の山、操山の北にある里山センターへ。ここに車を駐めて、岡山に通い出して何十年、いつでも行けると思っていて今まで来られないでいた操山にようやく足を踏み入れる。落ち葉に被われたよく踏まれた道を辿って山頂へ、及び”旗振り台”と呼ばれる展望地点を周遊。操山は最高点169メートルと低く、登山口も多数あれば歩くルートも多数ある。もう日が傾く頃なので、本日はこれだけ。東西に長い山稜歩きはまた後日。

7 Dec 2021

昨日に続き連れと出かける。児島半島に美しい三角錐を立てかける怒塚山へ。

甲浦から登って金甲山への縦走路を辿り、途中から中の池に下って登山口に戻る。あいかわらず山らしい山頂。山の形状から車道が上がってこれないため、標高が低いながら静けさを保っている、このあたりの山では珍しい山。湯沸かし道具を置いてきたのが残念。コーヒーを飲みたかったな。

登りはそこそこ順調だったけど、なにせ急峻な山なので二人とも下りがはかどらない。登山口にあったガイドマップで20分とあるところを40分かける。このルートを歩くのは2回目、でもきっとまた次も同じコースで歩きそうな気が。そのほうが面白いので。

9 Dec 2021

連れが帰京し、一人残って岡山市近郊の山歩き+観光。本日は操山を再訪。

町中に緩やかに高まる山なので登山口は数あるなか、ほぼ西端の御成町登山口から上がっていく。天気は上々、文句なしの青空で、あちこちに開ける展望地点から岡山市街地が明るく広がる。15分も登ればあとはきつい斜度もなく山上漫歩のような気分に。平日でも歩く人は多い。ここを通勤路にしているという人もいるらしい。

操山には山上にも古墳が多い。表土が剥がれて玄室の岩がすべて剥き出しになったものや、入り口は一つなのに途中で枝分かれして玄室が二股になったもの、山上なのに前方後円墳など、まるで古墳のデパート状態。いまでこそこの山は市街地のまんなかに高まっているものの、往古の山の南麓は海だったそうなので、墓も山の上に造らざるを得なかったのだろう。

下山はその南麓にある曹源寺という寺の脇を目指す。広い境内は禅寺らしく掃き清められ、本堂に近寄ってみれば老師が白隠禅師の逸話を雲水たちに講釈中だった。ここは臨済宗の修行道場で、観光要素はほとんどない。それでも庭園は入場料100円で公開されており、小舟まで繋がれている池を中心に散策することができる。庭の奥、本堂裏には旧岡山藩当主の池田家代々の墓所があり、斜面の上に整然と区画割りされた個々の墓の並びは文字通り霊域というに相応しい。庭を見て回る他の人たちは、行き方に気づかないのか、もう何度も来ているのか、ここまで来る人はいないようだった。静けさがなにより似合う場所。

昼近くから歩き出し、途中の見所には全て寄り、曹源寺でもかなり時間を費やしたのでだいぶ日が傾いてしまった。なので山腹にある三重塔には行かずじまい。曹源寺を優先したため操山山塊東端の笠井山も踏まずじまい。操山にはまた行かなくては。なお、『操山・半田山・楢津山・矢板山詳細図』は重宝しました。

10 Dec 2021

岡山市最高峰の本宮高倉山へ。

詳細はこちら→ 本宮高倉山

11 Dec 2021

JR吉備線に乗っていわゆる吉備路へ。吉備津彦神社、吉備津神社、最上稲荷の二社一寺を巡る。
やはり人気のある寺社は年始とかを避けてまわるべきとあらためて。
比較的空いていて、落ち着いて参拝できる。

12 Dec 2021

昨日に続けて吉備路探訪。
桃太郎伝説の鬼ヶ島のモデルになったという鬼ノ城山へ。その後、古墳時代以前の墳墓、楯築遺跡へ。
岩の放射する力に魅了された一日。

17 Dec 2021

少し前まで、連れの実家の岡山に帰省していました。

18 Dec 2021

川崎市の”長尾の里巡り”コースを歩く。

長い尾根に沿った村なので長尾という地名がついたという多摩丘陵の突端部分。いまでは新しい住宅が建ち並び、”里”というには違和感が。

隣接する東高根森林公園のほうが自然度が高くて満足。長尾の里でも、”つつじの寺”等覚院、保存樹木の立ち並ぶ長尾神社、”あじさいの寺”妙楽寺などは境内に趣があり、散策のよいアクセントに。

ときおり寒風が吹きすさぶ日で、そのおかげでか、富士山を背にした丹沢山塊がはっきりと見えた。稜線はかなり寒かったことかと。

22 Dec 2021

本日は冬至。
夕飯に小豆南瓜。

明日から日は延びる。
寒さはこれからが本番。

24 Dec 2021

年の暮れ、行く先を山でなく町中に。 対照的な佇まいの二社を巡る。

東京都府中市の大國霊神社。くらやみ祭やすもも祭りで有名な古社は武蔵国の総社であると最近になって認識。市街地中央近くにあるせいか年末にあっても参拝者が引きも切らない。境内のあちこちには町中では滅多に見られない幹周りの大木があって見上げても楽しい。

京王線府中駅から電車で近くの聖蹟桜ヶ丘駅に移動して、歩いて10分ほどの小野神社。こちらは大國霊神社の境内にて一之宮として祀られている神社で、住宅地のさなかにある広い境内には朱塗りの拝殿本殿が美しい。人影はほとんどなく、近くの公園で遊ぶ子供らの声だけが響いていた。

28 Dec 2021
板東三十三観音札所巡りで茨城へ。

東北本線小山駅から水戸線に乗り換えて笠間駅へ。
札所巡りと言いながらまず目指すは笠間稲荷。商売の神様に相応しい明るい境内。
新年を迎える準備ができつつあるなか、来年も仕事が順調であることをお祈りする。

近隣の笠間日動美術館はすでに年末年始休みで残念(事前に調べればわかっていたことだが…)。
どことなく恋愛相談のお寺のようにも思える札所の佐白観音に詣で、背後の山に登る。

その名も富士山というつつじ公園は頂上広場からの眺めが雄大。
広い笠間盆地の彼方に高まる高峯から仏頂山の姿はじつに見事。400~500メートルの山とは思えない。

富士山の隣は佐白山。こちらは笠間城跡でもある。
ところどころ石垣が残る山中は簡易舗装路が通るとはいえ深閑として山の雰囲気。明るい富士山とは好対照。

駐車場には多数の車が駐まっていて、なかには東京や神奈川のナンバーもある。しかし城跡には人影なし。
どうやら岩場があって、ボルダリングやクライミングで来ているひとが多いらしい。

山域最高点には佐志能神社という大きめな社が建っているものの、東日本大震災で土台の岩がだいぶ崩れ、
倒壊の危険が増大していて笠間市より立ち入り禁止とされていた。

静かな山中を巡り歩き、山麓公園から市街地に戻って笠間駅まで歩いた。

29 Dec 2021

茨城での板東札所巡り二日目。水戸線岩瀬駅から雨引山に登り、中腹にある雨引観音に詣でる。


朝8時過ぎ、駅から歩いて背後の山に上がっていく。地元の方たちの散歩コースになっているらしい簡易舗装道を上がって山道へ。まず登り着く御岳山には御岳神社が鎮座しているが、社に対してこれを取り巻く霊神碑がじつに立派。相当に尊崇されているものだとよくわかる。

登るにつれて日光連山を初めとした雪山が彼方に見えてくる。その左隣の山塊は皇海山に袈裟丸連峰か、その隣に広がるのは赤城山なのか、しかも富士山まで裾野を広げた姿を見せている。茨城からの予想外の雄大な眺めにしばし仰天。


登り着いた雨引山からは平野部から立ち上がる筑波山が眼前に大きい。いや筑波山カッコよい。たとえ山上が浅草みたいなところであっても登りに行きたくなる。山腹かなたにはスカイツリーらしき棒状のシルエットまで見えて、本日の山行は眺望について申し分なし。

雨引観音は思っていたよりも広く大きなお寺だった。クジャクが放し飼いにされている境内は子連れの参拝客が目立ち、安産子育て祈願で名のあることがよくわかる。檀徒会館前では新年に向けての門松作りが、業者のかたなのか6,7人がかりで行われていた。

雨引観音の境内をのんびり散策し、歩いて岩瀬駅に戻ったのはまだ夕暮れには早いころだった。これで本年の札所巡りは終了。続きは新年に。


ところでJR水戸線、名に反して路線上に水戸駅はない。東北本線小山駅から東進する列車は友部駅というところで常磐線になって水戸駅に達する。直通列車ももちろんあるが、昨日笠間駅から乗ったのは友部駅で終点になったので、初めて水戸線が水戸に行かないことに気づいたのだった。


早めに茨城を後にしたので、小山駅からの東北本線を大宮で途中下車し、武蔵一之宮の氷川神社に詣でた。年末の夕暮れ時でも長い長い参道を行き交う参拝客は多い。境内で見上げる大木の枝にまだ残照があるうちに参拝を済ませ、帰省客と買い物客とでおそろしく賑やかな大宮駅に戻って列車に乗った。

31 Dec 2021

登り納めに、丹沢の大山を。

大山ケーブル駅から女坂を辿り、阿夫利神社下社から山頂往復。下社から山腹をトラバースして日向薬師へ。


10時半頃に着いた山頂では粉雪がちらつきだし、下った先の下社でも止まず。薄手の手袋では役に立たないほどの冷気が漂い、かなりの寒気が流れ込んでいたのではと。

本当は山頂から直接日向薬師方面に下りたかったのだけれど、阿夫利神社頂上本社が開いておらず、御朱印ほしさに来た道を戻った次第。下るのは初めてで、岩は出ている階段は多い急傾斜も少なくないというなかなかの登山道と改めて認識。


しかし大晦日なのに、しかも寒いのに、お客さんが来る来る。下社で帰らず普通の格好で登る人多数。大山詣での現代版?


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