Preface/Monologue2016年 12月


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丹沢・ステタロー沢上流にて
ここまでのCover Photo:丹沢・ステタロー沢上流にて
1 Dec 2016

気づけば師走の初日。
多忙な年末の始まり。

山が遠くなる今日この頃。
3 Dec 2016

東京都庭園美術館に、クリスチャン・ボルタンスキー展を。



旧朝香宮邸として知られる庭園美術館の建物は、内装がアールデコの塊り。
それ自体が美術品。

庭園も広く、庭園だけ入園、というのも可能。
だからか、土曜日の日の傾く時刻だというのにわりと人影は多く。


初めて訪れたので律儀に邸宅内の装飾など順路通りに見て回るが、
だんだん、なにしに来たのだったっけ、という感じに。

ようやく目に見えるボルタンスキーの展示に出会う。
旧浅香邸(旧館)の一角が、展示スペース。じつに窮屈。

あの豊島にある『心臓音のアーカイブ』の”ハートルーム”が再現され、
重低音を響かせているのだが、なにせ部屋が狭いから迫力不十分。
ついでに言うと、防音設備もないので、耳を聾するような音量でもなし。
(それでも、しばらく目を閉じて佇んでいましたが)

そもそも、死者の記憶を主題とするボルタンスキーの作品と、
アールデコとでは、組み合わせが悪いのでは。
相乗作用も化学反応も生まれてなかったような。

じつは、ここに来るまでも、
しゃれた客室や殿下・妃殿下の部屋に設置されたスピーカから、
”亡霊”たちの声が(聴き取れる日本語で)、降ってきていた。

これも作品なわけなのだが、
明るいタイルや軽やかな家具を眺めていると、まるで耳に入って来ない。
意識に上っても、聞こえた声は、すぐ忘れてしまう。まさに幻のように。
だから覚えていない。


不満の残る旧館での展示に対して、
アールデコなんぞとは無縁の、幾何学的な新館での展示は、
作品との間に夾雑物がなく、素直に対峙できた。

『眼差し』

「眼差し」がプリントされた幕が幾重にも下がる。
そのなかを迷うように歩くうち、自分が視線のなか自体に、
ひとびとの意識のなか自体に、存在している気がしてくる・・・


『ささやきの森』

定点カメラでのビデオ作品。
夏の森の中、無数の風鈴が下がって涼やかな金属音を立てる。
ツクツクボウシの声、秋の気配を感じさせる虫の声、さざめく森の音。
スクリーン手前に敷き詰められているのは、藁だったか、
乾いた草の香り。

目を閉じて、心臓音のとき以上に、長いこと佇む。
これは豊島の森だそうだけど、しばらく、こんな雑木林に行っていない・・・
さかんに聞こえる風鈴が、森の姿を、幼年時代の記憶に重ねさせもする。

なお、このスクリーンの裏には、チリの砂漠の映像が。
その映像にも、風鈴が揺れていた。


庭園美術館の旧館内部は、平日であれば撮影可能だという。
企画展を行っていない期間を選んで、邸宅だけ見に行くのが、
よいと思えた。
4 Dec 2016

先月から数えて三度目、小田急沿線の丘陵歩きに。
歩程3時間強を午後いっぱいかけて。

ときおり展望が開ける場所があるものの、
奥多摩と丹沢は稜線がようやく見分けられる程度。

紅葉は終わりを告げつつあり。
しかし空気はまだまだだいぶ暖かでした。

日が差していたからでしょう。
10 Dec 2016

上野の国立西洋美術館へ、クラーナハ展に。



500年前のドイツに存命の画家、クラーナハ。
描く女性はみな冷ややか。誘惑的な視線をこちらに向けていても。

券面のユディトはまだしも、ドイツルネサンス期にありながら、
人体のプロポーションは、とくに女性に、妙なものが多い。
頭と胸部の比率がほぼ同じだとか・・・

裸体画にも妙なプロポーションのがあるものの、
痩身で独特のS字型体型で立つ八頭身くらいのものは、
風のなかに漂うような姿態が、じつに蠱惑的。

しかし参考としてピカソやらデューラーやらデュシャンまで並ぶ展覧会は、
本家より後世の画家が目立つところもあって、やや散漫な気が。
記念品売り場もあまり盛り上がってなかったように感じました。
11 Dec 2016

日曜日、この冬4度目の小田急多摩線沿線へ。
(クラーナハを見に行ったのは、土曜日。
 日付を書き間違い・・・)

先週に歩きやめた場所から、
ところどころ土の道が残る散策コースを。
歩き出したのは日も傾く頃。
午をだいぶ過ぎてから家を出たので・・・

市街地の彼方に奥多摩の山々。
大岳山がよく見える。
奥多摩ですら遠くなったこの頃。
ここ二ヶ月、朝早く起きる気がしなくて・・・

職場を移ったため。
正確に言えば、
移った先の職場文化が前とだいぶ異なるため。
12 Dec 2016

今年の3月にキース・エマーソンが世を去ったばかりだというのに、
グレッグ・レイクまで・・・
ELPはカール・パーマーを残すだけになってしまった。

ELPでの活躍もさりながら、King Crimsonの名曲、
”クリムゾン・キングの宮殿”のボーカルが、今でも耳に。
静と動、囁きと咆吼。何度この曲を聴いたことか。

癌との闘病の果て、12月7日に逝去。69歳。まだ若い。

RIP.
14 Dec 2016

わりと長いこと、過去の資産で食べていけるような現場にいたので、
そうではない場所に移ってから、緊張の連続。
やはり現場知識というのは(もっている本人にとっても)貴重。

とか考えているうちに師走後半も間近。
気づけば土日はあと2回。
しかも年末大掃除も年賀状も未着手。
大晦日は連れの実家に電車移動。

9月以降、標高200mを越える山に行かないまま、
今年は終わりそうな予感。
17 Dec 2016

上野駅公園口、信号を渡ると東京文化開館、その先に美術館や動物園。

その東京文化開館前に立つ8本の大木が、すべて伐られようとしている。
(”上野の森の大木を切らないで”)
1973年に植樹された公園制定百年記念のイチョウも。

駅前道路を付け替えるとか。オリンピックに向けた整備らしい。
まさか上野でこういうことをするとは・・・
24 Dec 2016

世間の思惑とは別に、単なる三連休の中日。
横浜市の栄区に、散歩に。

区の中央を東西に流れる鼬川。これの流域を一部追う。
根岸線本郷台駅近くでは中下流の趣が、半時も上流に向かえば、
護岸されているとはいえ河川敷も出てきて、里の川の趣。

源流は横浜市民の森にあたるらしく、意外と水も澄んでいる。
ここも三島市でと同様に、環境の復元が行われたらしい。
季節柄なのか、白鷺が何羽も見られた。


少し離れて、本郷ふじやま公園なる緑地があり、
簡略地図ではわからなかったが小高い丘。
最高点は80メートル。階段道ながら土の道。これが今年の登り納め。

山頂部(というのも・・・)を越えて下ると、かつての名主のものという古民家あり。
これがまた大規模なもの。土間と板間に加えて、畳の部屋が六つある。
もちろん蔵もあれば、眺めのよい庭まである。

先日、多摩丘陵で見た、土間以外は二部屋しかない保存農家と、大差あり。
幕末に商売までしていたというから、才覚のある人がいたのだろう。

旧小岩井家
茶の間から広間の向こうに長屋門を見る

たまたま誰もいない民家を独り占め。
冬日の差す座敷で、のびのびさせてもらった。


帰り、横浜は関内に立ち寄って、
1/7まで会期延長された『柳幸典展』を再訪。
”ゴジラ”をもう一度見てみたくて。


"Godzilla Project"


その目には過去現在にこの国が経験したことが映る。
焦土から復興したものの、金儲けに走りすぎた国のあり方が問われていると見える。

さてその目は廃材の山のなかにある。
初訪時、この廃材は東北地方のみのものと思っていた。
どうやら、そうではなく、沖縄からも、おそらく上野からも、
いやきっと日本各地から、集まってきているように思えてきた。
ここしばらく、毎日のように。

だとすると、廃材の中の目は、
世間に踏みつけられて顧みられない者たちのものかもしれない。
この目が、いつまでも廃材のなかに埋もれたままでいるかどうかは、
神のみぞ知る。
25 Dec 2016

ようやく部屋の掃除にとりかかる年末の三連休最終日。
溜まっている本やら雑誌やらの整理で一日が終わる。

今回は、過去に集めた各地のパンフレットやらリーフレットも、処分対象に。
遠地であれば再訪の可能性は小さく、近場でも、
同じようなものが多かったり、等高線のある地図がなかったりで、
歩く役に立たないものは、優先的に廃棄。

”奥多摩むかし道”の案内など、数種類あったので、一つだけにした。
まだ歩いていないのだけれども・・・
30 Dec 2016

大晦日の前日まで仕事。正月は三日から仕事。
まぁ仕事があるうちが花ではあるけれど。

部下を罵倒して死に追い込むような職場は願い下げ。

新年がもう少しまともな年になることを。
みなさんよいお年を。

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