Preface/Monologue2017年 8月


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岩手山七滝登山口からの焼切沢
ここまでのCover Photo:岩手山七滝登山口からの焼切沢
1 Aug 2017

高い山はとんとご無沙汰。
いつになることやら。
6 Aug 2017

台風接近で読みにくい空模様。
日曜の都心は意外に晴れましたが・・・


暑い中を、再び吉田博展へ、後期展示を観に。
”剱山の朝 日本アルプス十二題” 木版、紙

南アルプスの山上から周囲を眺めたものとか、五色ヶ原とか、
前期になかった版画があって、来た甲斐があったかと。

しかし何より通期展示の穂高岳(画のタイトルは”穂高山”)や、
剱岳(同、”剱山”)の油絵に、山の迫力をひときわ感じて。
なにせ大きい画なので。

新宿に剱と穂高を眺めに行った一日。
9 Aug 2017

山の日、天気はどうだろうか。


北村薫『八月の六日間』を読み始める。
山行く人たちを描く短編集。嬉しくなる描写がいくつか。

これから山に登る、と送信したら、返信あり。
「いってらっしゃい わたしが晴天を送ります」。

北アルプスの尾根を行くイメージを描写して、
「音のない中、世界の塀の上を歩くようだ」。


連休、誰か晴天を送ってくれないかな。
北アルプスには行かないけど。
11 Aug 2017

山の日、曲岳に登る。

甲府で迎えた朝、
午後から雨というので短時間で登って降りられるのを選択。
観音峠から登る。

ガスのなか、辿る山道は滑りやすく、傾斜は急。
体力筋力双方弱っている身にはなかなか怖い。
遠望の効かないなか、登ることだけに集中。

久しぶりに、草の匂いがする。
ガスの中でも、鳥の声が聞こえる。
風はなく、人も少なく、山は静か。

山頂は眺めなし。岩に腰掛けてお茶を飲む。
木々の枝振りを堪能して満足。
せっかくだからと穏やかな山道を歩いて、八丁峠から下山。

青空は見えてきたものの、山はやはり雲の中。
下界に戻っても、茅ヶ岳も八ヶ岳もあいかわらず見えずじまい。
ただ、富士山はいっとき、頭だけ出していた。
12 Aug 2017

渋谷に奇想を観に。



ボス、ブリューゲル、クノップフ、アンソール、デルヴォー、マグリット等々、
幻想好きにはおそらく堪えられない面々が揃う展覧会。

しかし今回の発見は聞いたことがない一群の画家。
なかでも、サードレール”フランドルの雪”、ヌンク(ムンクではない)”運河”が秀逸。
いずれも人っ子一人いない、尋常ならざる緊迫感が漂う風景画。

農村ないし都市郊外を題材にしながら、
そこにはひとり山野を行くときに感じる「見えざるものの存在/雰囲気」と同じものが。
神仏妖怪ではない、存在そのもの、もしくは、存在していたはずのもの、のような。

とくにこれらは下手な怪奇ものよりよほど暑気払いにうってつけ。
そもそも会場がだいぶ涼しかったというものあるが・・・。
また、山の画ばかりが山の雰囲気を表すわけではない、ということを改めて。


今回、初めて音声ガイドなるものを借りて会場を回った。なかなかこれはよい。
予習が足らなくても(というかなにもしてなくても)その場で知識を教えてくれる。

ガイド対象の絵について微にいり細に入り画の説明をしてくれるわけではないが、
背景はわかった気になった。いままでの展覧会でも使えばよかった
(たまに不評なガイドもあるらしいので、つねによいとは限らない模様)。
13 Aug 2017

東京駅へ、郷愁と異界を体験しに。



懐かしき日本の農村漁村風景から出発して、
遠近感と単一視点を度外視した心象風景を描いた、
写実でありながら幻想風味豊かな画家の展覧会。

安野光雅のような精細なイラストめいた絵には、
そのときどきの画家の思いが丁寧な文章で描き込まれていて。
まるで絵本のよう。

かと思うと、この世の彼方に浮かぶかのような寺社や樹木が、
画面いっぱいに広がっていたりと。


今回とくに実物を見てみたかったのが、「廃船」と題された画。



1969年ごろの作とのこと。
高度経済成長期のまっただなかにこの昏さ。
家屋に比して尋常でない大きさの船、
手前の家屋は火事になっているが、誰も消すものがいない。
崩壊と滅亡の予感が画面すべてを支配している。

現代であれば震災を思い起こしそうになる。
画家がなにを考えてこれを描いたのかわからないが、
なにかの災いの記憶が底流にあったのではと思わせる。

没後40年、展覧されている戦前戦中戦後いずれの画を見ても、
穏やかでユーモアのあるかたなのだったのだろうと思うなか、
この画に出会う。

これが悲哀の表現ならば、
その表現もまた、尋常ではなかったかと。
20 Aug 2017

三回連続で美術話。
北浦和へ、火で浄化された存在を眺めに。



フライヤーの表紙になっているのは東京都現代美術館でも観た『泉』。
(写真も同美術館での展示風景)
表面を焼かれた木でできた横たわる中空の円柱。
直径1m近く、長さは20m近くあるという代物。
これの印象が強烈で、まとまって見られる機会があるならと、
遠路はるばる(でもないが)埼玉へ。

なにせ一つ一つが大きいので、出品されているのは12品。
なかでも、背丈を超す高さの巨大な焼灼された木の円筒が、
ストーンヘンジのように立ち並ぶものには異世界を感じた。
と同時に、懐かしさも覚えた。(焼灼した木の作品全てに)
焼いた板で壁としていた日本家屋がかつては珍しくなかったからだろう。

同時に、どうしてもつきまとう感覚。
これらの材料である木は、いったいどこで調達したのだろう。
合板のように継ぎ足して造っているのではなく、
実際に直径が尋常でない太さの木を使っている。
メタセコイアみたいな木がふんだんにあるのだろうか?
国内材ではないだろうと思うのだけれど・・・


土日に見上げる空は好ましからざる状態多し。
四回連続になるかもしれない。
24 Aug 2017

標準ズームレンスのオートフォーカスが利かなくなって、
マニュアルでピント合わせをしていたものの、
ピンボケ写真が増えてきたのでしかたなく買い換え。

同じ型番なのに新しいのは静かで音もなくピントが合う。
レンズも進化しているということかと納得。

とはいえ一眼レフ市場は縮小傾向だという。
スマホが優秀だからねぇ(夜景写真を撮るときとかとくにそう思う)。
カメラは重いしねぇ・・・
26 Aug 2017

最近目にした山歩き入門書に、行きつけの山を持ちましょう、
みたいな記事があった。

山は四季折々、天候も異なるので、
行くたびに何らかの発見があり、視野も広がる、
勝手もわかっているのでトレーニングにもなる、
みたいな内容だったかと。

奥多摩の山々、丹沢大山とか、高尾山とか、
中央線沿線の山々、徐々に高度を下げて、
鎌倉の低山とかになったりもしたものの、
人が多いだの何だのと理由をつけて遠ざかっているのは、
やはり飽きてしまったからだろうか。
(「もう行かない」というわけではないが頻度は減った)

同じ山に百回どころか千回も登っているという話を聞くと、
それはもはや飽きる飽きないを超えた世界のことと思えてくる。
毎日のように同じコースをジョギングするのと同じ事なのだろうと。

近ごろは近郊の山歩きは計画から意欲が今ひとつ。
暑くなくても。山を歩き出した頃は逆コースを歩こうとか、
同じ山なり一度歩いたコースを行くのにさほど抵抗がなかったのに、
どうしても新規の山なりコースなりを探そうとするのは、
余裕のなさの表れなのかもしれない。
27 Aug 2017

近年の行きつけの山、三浦半島の乳頭山へ。

200mをようやく抜く程度の標高で、
ほとんどは登っている気のしない平坦道なものの、
山頂直下にはロープの下がる岩場もあって、
ほんの少しとはいえ、山の雰囲気。

本日は風もあって、湿度も低く、低山とはいえあまり汗もかかず。

しかし本日の収穫はセミの声。
ミンミンゼミ、ツクツクボウシは当然ながら、
なによりヒグラシの澄んだ声。
随分と遠くに行かなくても聞けることがわかって。


春先以来、まとまった時間を歩いていないので、
往復2時間程度の山で丁度よいところ。
30 Aug 2017

都内で3時間ほど、相当な雷雨があったらしいけれど、
神奈川県の山北町でも日没後に1時間に100mの雨が降ったと。

大野山の牧草地とか表土が流れたりしないのだろうか。
ビリ堂の脇を通る高松山の山道も、侵食が進んだのでは。

高松分校跡が傷んでなければいいが。
なにより、山間斜面に建つ集落は大丈夫だろうか。
31 Aug 2017

ワールドカップ、アジア地区予選、
豪州に2-0で勝利し、6大会連続の出場へ。

しかし顔ぶれはだいぶ変わったなぁ。
名前は聞くけど・・・というメンバーが多くて。
そうかみな海外にいるからか。


薄氷の勝利とか、勝ちを拾ったとか、いろいろ言われて、
引き分けでも解任かと言われていたハリルホジッチ監督。
これで結果を出したわけで、まずは礼を述べたいと思う。

予選は5分け3敗の豪州に初めて勝ったのも、記憶に残る出来事。
なにか個人的な問題をかかえていらっしゃるようだが・・

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