Preface/Monologue1999年8月


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3 Aug 1999
10日ほど前に新潟と福島の県境に行き、浅草岳と守門岳に登ってきた。両山とも背は低いので山頂でもかなり暑かったが、登り甲斐のある大きなよい山だった。

さて今週末には友人一党と連れだって、日本でも有数の標高差を誇るという甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根を登る予定である。登山口から山頂まで2,200メートルもあり、しかもほとんど急登だ。無事登り切れるかどうか心配でもある。

たいていの人は反対側の北沢峠から登る。こちらは標高差が900メートルほどなのでかなり楽だ。ならばなぜ黒戸尾根コースか?甲斐駒の心髄はこのコースにある、と先人が繰り返しているので、ならば確かめてみようというのが一つ。加えて、ほとんど誰も登ってなくて静かだろうというのが一つ。こちらには甲斐駒が信仰の山であったことを物語る石造の遺物がそこここに残っているという。興味を惹かれるところだ。

当日、風があって眺めがよくて、自分の体調が良いことを祈るのみ。
12 Aug 1999
先週の半ばに「週末は甲斐駒だ、体調がよければいいな」と書いたら、出発日前夜に発熱し、しかも出発日には腹下し状態になって、山行を断念する羽目に。冷房病か、早めに来た夏バテか?

熱は一日ほどで下がったものの、胃腸の方は一週間たった本日になっても快癒せず、一日一食程度、しかもご飯一膳くらいというのが続いている。おかげで体重は3キロも減るし禁酒禁煙は実行できて健康的なことこのうえなし(?)。空腹感がほとんどないので、意図せざるダイエットが進行中な次第。

ドリンク剤とかで栄養を補給しているので立ちくらみとかはないが、さすがに力はあまり出ない。それでも本日クライミングに行って、ボルダリングやらトップロープ5本やらで3時間半を過ごす。同行者から「なんか身体にキレがあるね」と言われるくらいで、体が重いという感じはしなかった。

だがこのみかけの調子良さにいい気になり、ジムの暑さを理由に水分を2.2リットルも摂ったのが災いのもと。帰宅後の深夜、自分の体調が不十分であることを思い知らされたのだった。やれやれ。
16 Aug 1999
今まで、熱帯低気圧というのは台風より大したことがないものだと漠然と思っていたが、風が弱いだけであとは台風と一緒という解説が新聞に載っていて、自分の不明を恥じることになった。
同じことが西丹沢の玄倉川(くろくらがわ)の河原でキャンプしていて不幸に見舞われた人たちにも言えるのかもしれない。亡くなられた方のご冥福を祈りたい。

亡くなられた方ではないと思うが、河原のキャンパーの中にはこの川の上流にあるダムの放水を知らせるサイレンが鳴っているのに避難せず、見回りに来たダム管理所だったかの職員の退避勧告に「うるさい」と言い返して動かなかった人もいたという。何を根拠に自分は安全だと考えたのだろう。

もしその場に子供がいたなら、いちばんかわいそうなのはその子供だと思う。身近な大人が「大丈夫だ」と言っているのならそれを信じてしまうだろうから。大人は子供が一緒にいる場合は特に、たとえ取り越し苦労と言われても、早めに安全なところに退避するようにすべきだろう。
19 Aug 1999 
立秋もだいぶ過ぎた。この暑さは残暑となるのか....
戦後で五本の指に入るひどい夏だったような気がする。

朝夕の高山の稜線ではもう秋風が吹いているのだろうか。
やたらと高いところへは行ったことのないので、
そのあたりの感覚が今一つわからない。

これ以上悪くなることなんて考えたくないのだが....
25 Aug 1999
23(月)に新潟の荒沢岳を目指す。「越後の穂高岳」と呼ばれている山だが、遠望しても間近に見てもなかなかに荒々しい姿だった。

前日にやや雨模様の現地に入り、翌日は朝は雲が多かったものの結果的に好天に。それなのに、山頂手前で撤退することになってしまった。予想外に多くて長い鎖場の連続に時間がかかったせいだ。もっと朝早く宿を出るべきだった。月曜で山には誰もいないのにこれだから、人が多い休日だと岩場で渋滞が発生してもっと時間がかかるだろう。

とりあえず、「また行く楽しみが増えた」と思っておこう。

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