Preface/Monologue2017年 4月


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丹沢・遠見山のミツマタ越しに富士山
ここまでのCover Photo:丹沢・遠見山のミツマタ越しに富士山
1 Apr 2017

不安定な空の下、上野に、ルネサンス絵画を観に。



ティツィアーノは昨年10月にも何枚か観ていて、
今回はその続編のような。

券面になっている”フローラ”は、想像よりは小さい絵ながら、
いつまで眺めていても飽きない。
きっと、明と暗とか、清純と官能とか、平明と深遠とか、
そういったものが上手くバランスが取れているのだろう。

ティツィアーノやティントレットやヴェロネーゼはすばらしいのだが、
それぞれ数枚。後は当時の画家たち。
花形の絵が多数あるわけではないので、会場は落ち着き気味。
最終日前日の午前中とはいえ、ゆっくり見て回れたのは何より。


雨粒が時折落ちてくる昼下がりの上野公園、
五分咲きくらいの桜の下は、花見客と、花見客を観る客とで大賑わい。
こんな天気なのに、シートを引いて宴会をするグループも多く。
律儀な。
2 Apr 2017

昨日の上野公園で桜がまずまず咲いていたので、
では同じく名所の神奈川県立三ツ池公園へと足を向けてみたら、
意外なことにこれがまだまだ。

雨模様の上野公園と同じように、
シートを引いている人たちはだいぶいたものの、肝心の花が。
枯れてしまったシダレザクラのまわりなど、寂しい限り。

コリア庭園ではサムルノリのLiveがあり、日に二回の二度目に運良く遭遇。
目にするのは何年ぶりか、とにかく観ていて聞いていて楽しい。
観客も拍手でよく乗っていた。
3 Apr 2017

東京以外は桜の開花が遅れている各地。
寒の戻りがあったからだとか。

とはいえ、ようやく暖かくなってくる頃合い。
ならば泊まりがけで山に、と思うものの、
年度の変わり目、休日にもいろいろ予定があり、
なかなか思うように行かず。

例年通り、連休に好天を祈るのみ。
4 Apr 2017

”傲慢”が最近の流行のようで。

「〜させていただきます」とかいった、
卑下しすぎの誤った敬語表現が満ちあふれているせいで、
勘違い人間が増えたのだろうか。

本日の閣議後会見というもので、自主避難者は本人の責任、
裁判でも何でもやればよいと言い放ったのは、
なんと復興担当相。

無礼だ、うるさいとまで言って記者会見打ち切り。

この、無礼だ、失礼だ、というのも、最近の流行のようで。
批判、質問に対して口にして恥じない。何様のつもり。
9 Apr 2017

数年前に出た、山を舞台にした短編小説を読んだ。
東京に勤めるOLが、山靴に魅せられて初めて山歩きをするという話。
職場の先輩の勧めで向かった先が、夏の妙高・火打縦走。

百名山がいいでしょうと言われたという設定とはいえ、
いきなり初心者が山小屋泊。
しかもわざわざ新潟まで脚を伸ばす。
それまで聞いたこともない山をめざして。
この二山の縦走って、そんなに簡単なのだったっけ・・・


百名山なら、東京近辺で最初に登るのなら、大菩薩かな。
なんとか日帰りできる範囲ではあるし。
丹沢なら、塔ノ岳まで登って元気があれば、
頑張って丹沢山にも行けるかも。
(自分は二度目の塔ノ岳で頑張ってみた)

しかし、若い頃に山をやっていたという復活組ならともかく、
まずは無理せず高尾山とか奥多摩の御岳山とか高水三山とか、
それから眺めのよい扇山とか高川山とか、
じゃないのかなぁ。
(もしくはいきなり富士山を目指す?)


小説ではうら若い女性が、初めての山行で、
荷物が詰まった30リットルザックを背負っている。
山を始める最近の人は、
最初からそんな容量のザックを使うのだろうか。
15 Apr 2017

好天となった土曜日、
東京駅近くの三菱一号館美術館へ、
オルセー美術館から到来の”ナビ派”なる絵画を見に。



印象派の潮流のあとに現れたという”ナビ派”。
絵画は見たものを画面に再現する以前に、色彩の組み合わせである、
とかいった主張で始まった運動のようだが、
遠近法を無視した画面はときにロートレックの描くポスターのよう。

まとまって見てみたものの、
色彩を重視しているように見えて、
色数を制限する画家がいたり、
印象派の描く人物よりも顔色が異常に悪かったり
(それはくすんだ色を好む画家個人の特性?)、
あいかわらずとらえがたい。

ナビ派、最近の美術史では以前より重視される傾向にあるらしい。
写実性よりも装飾性を重視した姿勢は、
つまるところ後世の抽象絵画に繋がっていく。
その名の通り、”ナビ(予言者)”であったということかも。
16 Apr 2017

あちこちで夏日になったらしい日曜日。
少し前までは予報に傘マークが付いていたものだけれども。
かほどに移ろいやすい春の天気。

せっかくの好天なので軽く歩こうかと、三浦半島へ。
三浦アルプスを2時間弱歩いて、帰宅したら、
尋常でないほど疲れていて。

かほどに忘れやすい運動不足。
連休前までに、もう一度、訓練がてらの遠出ができれば。


なお、山中はヤマブキが盛り。
麓ではすでにシャガが咲いていました。
22 Apr 2017

夕方から雨の土曜日、
川崎のミューザへ、オーケストラを聴きに。


20世紀の音楽家、グバイドゥーリナの『太陽の讃歌』。
チェロの独奏者を四人のパーカション奏者が取り囲み、
その背後に合唱団が立つ。

奏でられるのは調性に乏しい、まるで呪術のような音楽。
途中、チェロ奏者は楽器を離し、不思議な道具をもって舞台を一巡する。
見ているうちに、これはただの音楽ではない、
これは儀式なのだと思えてくる。

ところで、パーカッショニスト、
ときおり、テルミンのようなものを演奏しているのかな、と思ったら、
”ミュージカル・グラス”だった。よく響いていた。


ホルストの『惑星』。

「木星」がよいのは当然として・・・

「火星」。オーケストラの背後から、灼熱の赤い巨星が迫ってくるような迫力。
(火星は自分では燃えてませんが)
大編成の楽団の咆吼を久しぶりに聞きました。

しかしこの「火星」でヘッドバンギングしている初老の女性がいて。
気持ちはわかりますが、視界に入ると、気になりますな。
(ELPのファンかな)

・・・入場時に渡されたパンフレットには、「リズムをとらないで下さい」とあった。
「周囲の視界を遮る行為はやめましょう」と。そりゃそうだな。
23 Apr 2017

ひさしぶりに秋山山稜へ。

上野原駅、坪山行きバスは大人気で増発まで出ていたようでしたが、
無生野行きは人数控えめ。

かつてと異なり、マイクロバス(座席12人分)になってしまったのに乗って、
桜咲く里へ。山あいに分け入ると、山腹のそこここに新緑と桜。
静かにひとり花見山行。

遠望する奥多摩は晴れ渡っていましたが、
丹沢だと蛭ヶ岳あたりは雲の中。

日は時々差すものの、吹く風はとても冷たく。
低山とはいえ、4月はまだ寒い。
(蟻はたくさん出ていましたし、
蜘蛛の巣も張ってましたが)
25 Apr 2017

いいトシして言ってよいことと悪いことの区別もつかない大臣、
またまた被災地を軽んじた発言を。そしてようやく辞任。

しかしこういうかたを大臣の要職に長いこと留めていたのは、
その大臣を擁する内閣を支持し続ける人たち。

じつのところ、この国の大多数のひとは、
弱者への『絆』なんて実際にはなんとも思っていない、
強いものへの絆こそ大事、ということなのでしょう。
29 Apr 2017

地図と双眼鏡を持っていたら「犯行現場の下見」?
落ち着いて山に行けないじゃないか。

いろいろ理由をこじつけて成立させたがっている共謀罪、
本心は”異論の封殺”と見た。


さて、
都下は好天の連休初日、絵を見に上野へ。

まずは国立西洋美術館に、古典主義からロマン主義へ駆け抜けた、
フランスの画家シャセリオー展を。



あまり知られていないせいか、観光客でごったがえす上野にあって、
美術館内はだいぶ空いていて。
小品も落ち着いて見ることができて、それはそれで僥倖。

ただ37歳で夭逝したからか、目立つ作品が少ないような・・・
「エステルの化粧」とかあれば、言うことナシなのでしたが。
研究色の強い展覧会で、同時代ないし後世の画家の作品まで並べている。
えてしてこういう展覧会は散漫な印象を受けるもの。
(キャプションを見ないと、誰の絵を見ているのかわからなくなることがあって)

券面になっている「カバリュス嬢の肖像」とか、「泉のほとりで眠るニンフ」、
「アポロンとダフネ」、「アレクシ・ド・トクヴィル」とかは、よいと思いますが・・・
親しみは感じますが、頭をカラにして眺めるには至らない。
どちらかというと、世俗色が強い画家だということなのかも。


同じ国立西洋美術館内で展覧されている
(印象派流行時の)デンマーク絵画展も覗いてみた。



北欧の光溢れる景色が展開して、こちらはだいぶ楽しい。
嵐の海に向かう漁師たちの集団の絵とかにしても、どこか清々しく、
北の国の張り詰めた澄んだ空気が感じられるようで。

そう、そこには空気が描かれていて。
そのなかに入っていける絵画。
衣服や建物は古色がかっていても、
昨日今日の存在であるかのように。


会場には、通常であれば常設展の西洋近代絵画が
架けられている場所を使われていたので、
お気に入りのコローが外されていたのは残念。
モネも、階下の現代絵画室に飾られていた。
幸い、フュースリは、いつもの場所で、威容を放っていて。


さらについでに、国内現代絵画を。



シャセリオーよりも近代デンマーク絵画よりも、
さすがにいまの若手の描く絵画のほうが、親和性がある。
目も惹けば面白くもある。

壁面一杯にところせましと架けられていて、
これ欲しいなというものがたくさんあり(手に入りませんが)。
しかしファンタジー色というか、アニメっぽいのが多い。
面白いことは面白いけれども、違和感も感じるのは、
自分が、凝ったイラストとアートとの区別をつけたがっているのかも。

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