雑記帳


夏日差す諏訪大社上社前宮社務所前諏訪大社上社とその周辺
一昨年、昨年と続けて夏に霧ヶ峰を訪れ、本年もまた霧ヶ峰を歩くことにした。年を追うごとに移動も登りも楽な山に目的地が移っていっているようでもあるが、楽な山だからといってなおざりにしてきた反動でもある。それに全てが全て楽なわけでもない(昨年の観音沢のように)。
さてこれまた例年のように、日帰りで行くわけでもないので初日は諏訪湖近辺の町ないし里を歩くことにする(けっきょくは楽な行程にしている)。下諏訪は主要部分を歩き、上諏訪は寺社巡りをし、岡谷は近代産業遺跡を経巡ったので、今回は茅野で降りて、一度は訪れたことがあるものの印象が薄いままの諏訪大社上社付近を再訪してみることにした。上社は駅から遠く、茅野からのバス便もないが、駅から距離にして3キロくらい、夏の盛りとはいえ半時強で到達できるだろう。


駅前の商業施設を出ると巨大な石造の鳥居があって歩いていく身にとってはよい演出だ。じっさいこの鳥居は上社への参道を意識したものらしい。道なりに下り、暗渠化した流れに沿う道を辿ると、右手に良い雰囲気の社叢林を見せる神社がある。達屋酢蔵(たつやすくら)神社というもので、境内に立つ案内によれば達屋および酢蔵という二社が合祀されたもので中世以来の由緒があり、諏訪地方の神社に共通することだがここにも御柱がある。傍らの案内板によれば、特記事項として八ヶ岳の御小屋神林から曳き出す特権を持つとある。本殿前の流れは池とされ、見事な鯉が清澄な水の中をたゆたっている。社がたいせつにされている証左だろう。
茅野駅の観光案内所でもらった市街地図に従い、横内という交差点で国道20号を渡り、子供らが水遊びをする中央公園を経て、神橋で宮川を渡る。下横内という交差点で左に曲がり、ドラッグストアを左手に見るようになると突き当たりで、運転者向けに巨大看板が掛かり、左行けば前宮、右行けば本宮と教えている。寄り道しながらでも駅からここまでわずか半時強、まずまずの所要時間だ。すぐそこにあるコンビニエンスストアで熱中症対策の飲料水を買い足し、前宮へと向かう。
これでもかこれでもかとヒマワリの群れ
しかしやはり歩くと暑い
前宮と本宮とを最短で結ぶ通りは車の往来でうるさいので、山側に入るとほどなく小さな社が現れ、境内を見れば銀色の柄杓がずらりと架台に下げられている。その柄杓は全て底が抜けている。子安社というもので諏訪大神のご母堂をお祀りしており、縁結び・安産・子育てに霊験があるそうで、底の抜けた柄杓は安産祈願の奉納品らしい。水が抜けるように楽なお産を祈ってのものだそうだ。おそらく昔は竹か木でできていただろう柄杓がいまでは金属製になっているので、昔ながらの景色とは言い難いだろうが、お産という一大事に望む女性の不安は昔も今も変わらないに違いない。


そのまま道なりに行くと前宮社務所の脇で、すでに境内に入っている。あたりは土産物屋などなく、ちょっと大きめな里の神社という風情で、初訪時は四つある諏訪大社の一つということでだいぶ派手なのを期待していたのが見事に肩すかしをくらったものだが、再訪の今回はわかっているだけ質素な佇まいが逆に好ましい。訪れる人もあまり多くなく、おかげで観光地にありがちな軽薄さからはだいぶ免れている。かつて鹿の頭をいくつも捧げた神事を行ったという十間廊なる吹き抜けの建物を脇に見送ると、境内のはずなのに里の風景が広がっている。見上げる先に森を背負って立つのが前宮本殿だ。足下には盛んに水音を立てる流れがある。農村の集落の中を行くかの気分で本殿へと登っていく。
前宮の十間廊、御頭祭の舞台
前宮の十間廊、御頭祭の舞台
よく諏訪大社は本殿がないと言われるが、この前宮にだけは本殿がある。かつて上社の祭祀の中心地だったのが、室町時代にいまの本宮へ神殿が移され、前宮は摂社の地位になったという。現在の四社のひとつとなったのは意外と新しく、明治29年だそうだ。古来から神域であったことは間違いないが、遙か昔から今の前宮だったわけではないらしい。本殿にしても昭和7年に伊勢神宮から下賜された材で建てられたという。それまで本殿はなかったらしい。
しかしこういう歴史があるからといって前宮周辺の雰囲気が変わるわけでもない。あいかわらず水音高い流れは本殿の左脇に回り込んで、神官の沐浴潔斎の場となっている。毎月15日には朝にかならず身を清められるとのことで、冬などたいへんなのではないかと思うが、じっさいには夏もたいへんらしいと門前の喫茶店で聞いた。ブヨの襲来である。
前宮本殿
前宮本殿
その喫茶店『山里』ではケーキセットを頂いた。店内には自治体の観光案内でも出していない充実した内容のエリアガイドが置いてある。感心して読んでいると、店のご主人の婦人いわく、それはこのあたりを舞台に作成されたらしいゲームに思い入れのある”巡礼者”たちが作成したいわば同人作品なのだという。たしかに、文章がところどころくだけているのはそのせいか。しかし凄い熱意である。店内にはぬいぐるみも飾られていて、そのゲームの登場人物たちだという。東北地方を初めだいぶ遠いところからこの店にわざわざもってきてくれたものだという。そうかそういう愉しみ方もあるか、日本が世界に誇るサブカルの国内市場振興版だなどと納得する。山の水のコーヒーもおいしく、ご主人の話も面白く、前宮に来たかいがあったと思える店だった。


さて前宮を後に本宮に向かうのだが、途中にかならず寄るべきところがある。二つの宮の間にある小さな博物館、神長官守屋史料館で、このあたりを初めて訪ねた時に予備知識無しで立ち寄ったものの、印象は強烈だった。建物は古代を思わせる佇まいであるし、館内には前宮で行われていたという鹿や兎を供物として捧げる古来の儀式が再現され、諏訪の歴史の古さに触れられたと思わせる場所なのだった。
神長官守屋資料館
神長官守屋史料館 
再訪してもその感触はまるで変わらなかった。串刺しされた白兎は相変わらず健在で、壁面から無表情にこちらを眺める何頭もの鹿の頭も以前と変わらなかった。かつては鹿の頭を75も前宮の十間廊に並べて儀式、御頭祭(おんとうさい)を行ったそうである。
御頭祭(おんとうさい)の再現ディスプレイ 串刺しの兎
御頭祭(おんとうさい)の再現ディスプレイ
史料館のパンフレットによれば、武家政権になってから肉食が禁じられたそうだが、それでは諏訪大社としては儀式ができないと、鹿食免(かじきめん)・鹿食箸(かじきばし)というものが出されたらしい。これを所持していれば食べてよいということだそうだ。なお、江戸時代にはこれが幕府や諸大名への贈答品になったともあって、少なくとも当時はかなりの贅沢なものなどと思うのだった。というのは庶民は蜂の子・イナゴ・ざざむしを栄養源としていただろうからである。現代の御頭祭では剥製の頭3頭で行っているという。別に無理することなく、食害対策の一環として旧来どおり75頭を毎年更新でもよいのではと思う。ジビエがブームらしいことでもあるし。
御頭祭(おんとうさい)の再現ディスプレイ 鹿の頭
鹿の頭を75も並べた往時は…
史料館はその名を冠する守屋家の敷地内に建つ。この守屋家は元は諏訪の族長だったらしいが、外来勢力との戦いに敗れ、この外来勢力につかえる神職となったという。外来勢力は大祝(おおほうり)と呼ばれ現人神の扱いだったそうで、しかも戦国期には戦国大名諏訪氏となった。神官が大名となるのは全国的に見て珍しい例らしい。その諏訪氏、武田信玄の時代に一時滅ぼされかけたが、しぶとく生き残って徳川の時代には老中まで輩出したとか。
ちなみに武田信玄に父親をむりやり自害させられたあげく、母親の兄である(つまり伯父である)信玄の側室にさせられたのが、のちの武田四郎勝頼の母、すなわち諏訪御料人、つまり近ごろ一部に有名な「諏訪姫」なのだった。


さてこの史料館の建物、ご当地出身の建築家である藤森照信氏の初作品だそうで、背後の森にはさらにツリーハウス「高過庵」と空中に吊られた「空飛ぶ泥船」なる作品もあるという。こちらも愉しみにしてきたのだったが、残念ながら「泥船」のほうは雨で溶けて流れてしまったのか、吊り上げ用の櫓とワイヤーだけになってしまっていた。「高過」のほうは健在で、近寄ってみると土台は二本の木だけで、安定度を考えれば確かに高過ぎだなと思えるものなのだった。
資料館の建築家藤森照信氏の作品”高過庵”
史料館の建築家藤森照信氏の作品”高過庵”
杖突峠に続く道筋を下って本宮への道筋に戻る。道ばたには湧き水が湧いていたり、まず登りたいとは思わない石段が延々と伸びる社があったりと目を惹くものには事欠かない。さすがは神の宿る地である。


本宮境内に入る直前には忠臣蔵で討ち入られた吉良上野之助の息子の墓なるものまで案内されていて、いろいろ由緒があるのだなと感心しつつ本宮に着く。流れを渡って入るのは東参道とされるもので、御柱の二之柱を右手に見て軒先彫刻の優れた入口御門を潜り、布橋と呼ばれる回廊を歩く。
本宮東参道の入口御門
東参道の入口御門
初訪時の本宮は広いわりには建物が建て込んでいて、遙拝所前に出ても周囲が建物だらけなので閉塞感ばかりが先立ち、神域の感触が湧かないで終わった。残念ながら、再訪時も大して変わらなかった。しかも今回は拝殿が工事中とのことで建築用シートに丸ごと覆われており、布橋からも窺えず拝所前からも遠望できず、重要文化財登録された物件の一つも見ることができずに終わってしまった。まだ先年訪れた秋宮のほうが拝殿くらいは眺められたのでマシである。
参拝所、背後にある拝殿は建築用シートで覆われている
参拝所
このときは背後にある拝殿は建築用シートで覆われていた
本宮に初めて来た時も東参道から入ったものだが似たような感想を持った。こちらからでは相性が悪いらしい。次に訪れる時は北参道を選び、おおぜいの観光客に混ざって門前の土産物屋を冷やかしながら拝所前に出てみよう。そうすれば印象も少しは変わるかもしれない。(もっと印象が悪くなるかもしれないが)


こういう次第で、帰路に選んだ北参道の土産物屋の前を通ってもさっぱり浮かれ立つことなくなにも覗く気が起きず、暑い日差しの中、適当に歩いて茅野駅を目指した。しかし中央高速が邪魔していろいろ大回りしてしまった。本宮から駅へ歩くのなら、もと来たのを戻って神橋を渡った方がよかったようだ。上社近辺はまだまだ見るところがあるようなので、きっとまた訪れることと思う。そのときはもう少し計画的に歩いて駅に戻ることにしよう。
2012/08/11

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