雑記帳


正眼寺の参道と隣接する法光寺の本堂
上諏訪寺社巡り
昨年、霧ヶ峰散策の前日は玄関口の下諏訪をまわって過ごした。霧ヶ峰は歩くに楽そうにみえて、首都圏からの日帰りをしようとするとかなり慌ただしい。ついでのつもりの下諏訪だったが、歴史ある町歩きは充分に愉しめた。こういう山行スタイルもよいものだ。多少ながら地元に経済的な寄与もできるというものである。
続く今年もまた霧ヶ峰を訪れることとし、山行前日に未訪の上諏訪を歩くことにした。とはいえ例によってゆっくり出たものだから現地到着が午後の3時前になってしまい、観るもののテーマを絞らざるをえなくなった。静けさに浸りたいので観光地然とした場所は避けよう。少々負荷もほしいので、平地よりは坂のある場所が望ましい。さて駅前の観光案内所ほかで収集した観光地図を検討すると、今回は中央本線から見て諏訪湖と反対側に点在する寺社巡りとするのが目的にかなうようだ。渋くてよろしい。(参考地図はこちら。折り目がついてますが・・・)


上諏訪駅からまず向かったのは手長神社。「手長さん」と呼ばれて人々から親しまれているという。いわば土着の古くからの神様らしい。ガイドには「高島城の鬼門に位置することから諏訪藩家中の総鎮守ともされた」ともある。メインストリートにいきなり現れる巨大鳥居をくぐり、長い長い石段を登ると中学校脇で、その隣に境内が幅広い神社がある。中段には神楽殿があって、小学生の女の子三人が雑談に花を咲かせていた。最後の石段を登ってみると木々を背に拝殿が沈鬱に沈んでおり、学校側を見なければ神域の雰囲気は充分だ。本殿の手前に張り出した梁全体は精巧な龍の彫刻で、よくもまたこんなものを彫ったものだと感心する。散策の最初からよいものを見られて嬉しい。
手長神社 奥に拝殿
手長神社 奥に拝殿
拝殿の彫刻群
拝殿の彫刻群
拝殿の左に広がる境内
拝殿の左に広がる境内
石段を下り、社手前に延びる旧鎌倉街道の車道を東へ、地蔵寺めざして歩いて行く。右手に上諏訪市街地が望める丘陵中腹の道は、徐々に下り始め、生活道路に交わる。板張りの民家や商店が並び、懐かしさと安心感を与えてくれる。その町中に忽然と現れるのは蛇口を三つばかり並べた大振りのタンク。温泉の給湯設備らしい。隣には共同浴場もあった。入り口に注意書きが下がり、組合員のみ入浴可、のように書かれている。
温泉汲み場
温泉水道あれこれ
温泉汲み場
温泉汲み場
共同浴場はそう頻繁に目に入らないが、給湯設備はあちこちで目にした。温泉の水道というものがあって、上下水道のように行政で管理しているらしい。下諏訪でも町中で湯が溢れていたが、上諏訪も湯量の豊富さでは負けていないようだ。諏訪地方は諏訪湖の存在感が強烈で、かつ精密機械工業の盛んな地域、という印象が強いが、じつは日本有数の温泉郷なのだった。


さて寺社巡りだが、とくに案内板が立っているわけでもないので持参の地図にあたりながら向かう。だがどうも地図と現地とがうまく照合しない。地図に載っていない細道が発達しているせいかもしれない。そういう路地に入り込むのも迷路を行くようで面白くもあるが、本日のところは余裕がないのであまり迷って愉しんでいるわけにもいかない。庭先に出ている民家のかたに道を教えてもらってまっすぐ目的地に向かったほうが賢明というものだ。
地蔵寺本堂
地蔵寺本堂
地蔵寺庭園
地蔵寺庭園
地蔵寺は住宅地が途切れた山の斜面に建っていた。近くの信号機しだいで、霧ヶ峰から下ってきた車が門前を横切るように列をなす。山門をくぐると真新しい本堂が出迎える。明るい木肌が眩しい。ここでは「江戸初期の希少な曹洞宗の庭園が見られる」という。新しすぎてまだ重みに欠ける本堂の右手、目立たない小さな潜り戸を抜けると、予想外に広く落ち着きある庭があった。"日本百名庭"の一つに選ばれているそうだが、そのような肩書きが無くても十分すばらしい。とくに広がりばかりでなく木立による高さを感じさせるところがよくある庭園と異なるところか(単に木々が育ったことによる結果なのかもしれないが)。庭園好きなら見に来て損はないだろう。
地蔵寺を出て民家が建て込む一帯に戻る。このあたりにも温泉タンクが散見される。どこかの共同浴場帰りなのか、家族連れが洗い上がりの髪をなびかせながら路地から出てくる。左手には南アルプスの末端がだいぶ低くなりながら下ってきていた。彼方に見えるは守屋山だろう。ガイドでは隣の茅野駅からタクシーで登山口に向かえとあるので、茅野でなければ上諏訪を拠点とすることもできそうだ。
いくつか目にした共同湯の一つ
いくつか目にした共同湯の一つ
地蔵寺近くより(おそらく)守屋山を望む
地蔵寺近くより(おそらく)守屋山を望む
適当なところで小路に入ると二つの寺が近接している光景に出会う。左手の大屋根が法光寺、その右に境内を広げるのが正眼寺だ。
正眼寺は手水場に温泉が出ていて、この地域が温泉郷だとあらためて思わせられる。この寺には諏訪を故郷とする俳人曽良の墓があり、案内に従って詣でてみるとどことなくアスパラガスに似た石塔に出会う。曽良が亡くなったのは九州でのことで、墓も当地に建てられているようだが、没後30年後に甥の手によって正眼寺に墓が建立されたとのことだ。ガイドによると新田次郎の墓もあるとのことだったが、これは場所が分からなかった。本堂前の敷地はさほど広くないが、長い参道の奥に建つ寺は気持ちよく静かで、猫が二匹、入れ替わるように昼寝に来ていたのもそのせいかと思えた。
正眼寺境内。手水場で目立つのはゾウのじょうろ。
正眼寺境内。
手水場で目立つのはゾウのじょうろ。
境内の夏
境内の夏。
車も走れる広さの参道を歩いて山門を抜け、左に行けば、法光寺の入り口だ。法要があったらしく業者らしきがたくさんの椅子を運び出している。開放的だった正眼寺に比べて法光寺はやや鬱蒼とした印象を受けた。築山に立つ観音像が穏やかな相貌を見せて人の心を和ませる。この寺もよい庭園を持っているらしいがこのときは気づかず、仏像に手を合わせただけで出てきてしまった。機会があればぜひ拝観させていただきたいものだと思う。
法光寺十一面観音像
法光寺十一面観音像
法光寺を出てすぐ先の通りに出る。このあたりは醸造元が何軒かあるらしく、古びた看板を掲げる商家も目に付く。右手に向かえば貞松院で、地面を這うような枝垂れ桜が本堂前に立つ。樹齢350年の古木だそうで、花の季節はすばらしいものだろう。残念ながら夏の今は地を舐める茂った葉が少々暑苦しい。貞松院の隣には高国寺が朱塗りの山門を見せている。中に立つ阿吽の仁王像は頭がやたら大きく少々稚拙な印象だ。
甘酒に惹かれます
甘酒に惹かれます
貞松院の枝垂れ桜と本
松院の枝垂れ桜と本堂
二つの寺からさらに南下する。国道20号を渡って裏通りに入っていくと八剱神社の裏手に出る。元々は高島城のあるあたりに建っていたのが築城に際し移設させられたとのことだ。諏訪湖の御渡りが示すものを見極める「御渡り神事」を執り行うところであり、300年以上もの記録が残っているという。神社境内は町中にあるわりには広く開放的で、サイクリストが一人、鳥居の下で休憩していた。
八剱神社の本堂軒先
八剱神社の本堂軒先
この神社裏の東側に隣接して甲立寺、西側に少々離れて教念寺が建つ。神社が諏訪湖側を向いているのに対し、二つの寺は諏訪湖に背を向けて建っている。なので神社の裏から入って表に出ると、寺はどこにあるのか、迷う。神社境内の奥行きを戻り、高島藩主祈願所であったという甲立寺に詣でる。山門がなければうっかり通り過ぎてしまいかねない質素さだが、八剱神社の別当寺院、つまり神社を管理する寺であったという。なので高島城築城時、もとの地から八剱神社とともに移ってきたそうだ。
甲立寺
甲立寺
少し離れて立つ教念寺は阿弥陀如来を拝みに来る民衆で賑わった寺らしい。訪れたのが夕刻近くだったせいか、山門は開いていたものの境内は寂しいくらいの静けさになっていた。門前の家からフルートの音色が始終聞こえていて、寺に洋楽は合わないなと思えたものだ。
教念寺
教念寺
そうこうしているうちにすでに夕暮れ近くだ。最後に、高島藩諏訪氏の菩提寺である温泉寺に行ってみることにした。
貞松院・高国寺から下る
八剱神社裏
教念寺から上諏訪駅前に戻り、国道を渡って観光案内所前の細道に入り、その先の階段を上がる。登り着いた先で左へゆるやかに下っていくと、暮れ始めた諏訪湖が俯瞰できる。逆光に沈みゆく山々のなか、対岸の奥にかかる岡谷市の長野道陸橋がうっすら白く浮かんでいる。足下の右手先に目をやれば、丘陵部中腹で予想外に大きな寺が自分同様に諏訪湖を眺めている。あれが温泉寺だ。

温泉寺近くから諏訪湖を望む
寺の石垣は高さはないものの城並に堅固で、昔からこうであれば、よくある戦時の拠点ともされたものかと思いたくなる。境内は清々しく広い。振り返れば諏訪市街が眼下に広がる。まさに領主が眠る寺としてはうってつけだ。死してなお領地を睥睨できるというわけである。その歴代墓所は寺の裏手の山中にあり、常夜灯が林立する奥にあって人を寄せ付けない(入り口の門が閉まっている)。すぐ手前に立ち並ぶ新旧墓石は家臣の家柄なのだろう。敷地がやや広めだ。
温泉寺
温泉寺
夕照を浴びる本堂。元は能舞台の建物。
夕照を浴びる本堂。元は高島城の能舞台。
歴代藩主の墓所
坂を上がった奥にある歴代藩主の墓所
墓地のなかほどには、和泉式部の墓というのもある。夏草を分けて入ってみると小さな石塔だ。正眼寺の曽良の墓といい、上諏訪には名の知られた人が予想外に眠っている。しかしなぜここに和泉式部?帰宅後に調べてみると、この女流歌人の墓所とされるものは全国各地にあるそうだ。北限は岩手県だそうである。
温泉寺手前の車道を下っていくと、途中に西国三十三ケ所観音仏を納める建物がある。石仏を十一体奉納する横長の社が三棟、奥に行くほど高くしつらえられてる。道ばたに建つ細長い社の連なりは奇妙で目を惹く。日の落ちたあとにこれらの合間を縫い歩くのはちょっとした肝試しになることだろう。
さて、もう6時過ぎ、そろそろ宿に戻ろう。


諏訪大社本宮および前宮は駅からだいぶ離れているため、上諏訪市街としては諏訪湖と温泉ばかりが目立つ印象だったが、なかなかどうして上諏訪は歩いて興味の惹かれるものの多い場所だとわかった。次の機会には浮城の別名を持つ高島城や国の重文である片倉館を訪れよう。加えて美術館のひとつくらいには入りたいものだ。とは言いつつ気になるのは、本日歩いたコース近辺にあったという酒蔵の群れだ。試飲もできるという。やはり次も寺社巡りかな(呑む前に)。
2012/7/15

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