スポーツ倫理


1) スポーツの目的

「スポーツ」とは、
「広義の運動競技のこと。もとは気晴らしにする遊戯をさしたが、今日では陸上・水泳の競技、野球・テニス・サッカーなどの球技やボート・登山・狩猟・武術などの総称として用いる。」(小学館『国語大辞典』1988)
囲碁・将棋はスポーツか?(―「ゲーム」との違い)
ジョギングはスポーツか?(―「運動」「訓練(training)」との違い)

スポーツの特徴
一定の空間で、一定の時間内に、一定のルールに従って、勝利を目指して行われる競技(→非日常)
相手が誰であろうと、その競技の実力だけで勝敗を決する(→平等/自由、実力主義)

スポーツ=人格形成の手段(?)
「スポーツの最重要な点は協同精神の育成にあると思う。各人がそれぞれの分を守り、その持場において誠を尽くすことが個性的であって全体的である。各人は個性的であればあるほど全体的であり、全体に死することが却って生くることであるという事理(ことわり)を会得(えとく)せしむるものとしてスポーツの如きは少ないであろう。フェア・プレーというのは道理のうちに自己を否定することである。それ故に運動競技は単なる遊戯ではなくしてそれ以上の意味を有つ、もしくは有つべきである。各学園には学友会というような組織のあるのが普通であるが、かかる組織も、その目ざす所は協同精神の涵養に存せねばならぬ。協同精神は利己主義の否定であり、道徳の根本である。」
(天野貞雄―中村敏雄『スポーツルールの社会学』より引用)


2) 二つのモラル(ルールとフェア・プレイ)

a) ルールに反しなければ、何をしても良いのか?
1)怪我した相手の怪我した個所を攻める。
(例えば、1984年オリンピックの柔道決勝戦における、山下泰弘vsラシュワン戦)
2)(場合によっては交替で)ファウル(ラフ・プレイ)を犯して、相手選手を潰す。
3)サッカーで、ゴール前でわざと転んでペナルティ・キックを得る。
  あるいは、得点を防ぐために意図的にファウルを犯すこと。
  (あるいは、2004年のワールドカップ決勝(フランスvsイタリア戦)における、ジダンの頭突き→退場事件)
4)スレッジング(sledging)」とも言われる、相手への「口撃」

b) スポーツマンとしてのモラルと人としてのモラル
勝つために全力を尽くすのがスポーツマンのモラルであろうが、それは時として、人としてのモラルに反する場合がある。
スポーツでは相手の弱点を攻め、相手の嫌がることをせよ、と命じるが、
日常生活における人間関係の根本は、「人の嫌がることはしない」「自分がされたくないことは人にしない」(相互性)であるから、
これは日常生活におけるモラルに明らかに反している。
(同様に、事故の現場に遭遇したカメラマンが、怪我人を助けるか、写真を撮るか、どちらかを選ばざるをえないとき、
プロのカメラマンとしては「写真を撮れ!」と思っても、人としてのモラルは、「助けよ!」と命じるだろう。)

c) 勝利至上主義
現在のスポーツは、単なる「楽しみ」を超えて、しばしば「ショー」であり、「職業」である。
オリンピックやワールドカップの試合には、本人の競技者としての名誉(=本人の存在価値)だけでなく、
金や地位という本人のその後の人生への大きな影響や、国の代表であるという責任なども懸かっている。
「単なるスポーツではない」という現代のスポーツのあり方は、
勝つこと(場合によってはどんな手段を使っても勝つこと)が至上命令になることにより、
スポーツの「楽しみ」を損なうことがある。
(続く)

目的合理性の追求は、勝利至上主義(脱倫理)に至る。
これは、スポーツを超えて、モラル一般の問題である。
ただし、スポーツは、限られた時間と空間の中で、明確なルールに基づいて、はっきり決着のつく勝ち負けを争うものであるから、通常の生活の延長上で営まれる(連続した時間と空間の中で、不明確なルールに従って行なわれ、誰がどれほど勝ったのか、また勝つとは結局どういうことか、分からない)職業倫理とは明らかに違う面がある。
一方で、ビジネス倫理においては、利益至上主義(脱倫理)から、企業の社会的な責任を考慮する方向に転じつつある。

スポーツ(野球)有害論
「野球という遊戯は悪く言えば巾着切りの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れよう、ベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが、英人や独人には決してできない。野球は賤技なり、剛勇の気なし。」
(新渡戸稲造 第一高等学校校長)
→ウィキペディア「野球害毒論」


3) ドーピング

ドーピングとは、薬物を用いて――初期にはカフェインやエフェタミンなどの興奮剤を、また近年では主に筋肉増強剤(蛋白同化ステロイド)などを用いて――競技能力を高めることを指している。
オリンピックでは1960年ローマ大会で、自転車レースの競技中に突然転倒して死亡した選手の体内から興奮剤(アンフェタミン)が発見されたことなどをきっかけに、1968年の大会から公式に禁止されるようになり、80年代後半からは(試合後の尿検査など)入念なチェックが行なわれるようになっているが、一方では、その検査を潜り抜ける技術も発達している。
現在は、1999年に設立されたWADA(World Anti-Doping Agency)、及び各国の反ドーピング機関が、ドーピングを監視している。

使われる薬物には、次のようなものがある。
(その副作用は略)
興奮剤――覚醒剤(アンフェタミン、メタアンフェタミン)など
筋肉増強剤――アナボリック・ステロイド
(より強力なスタノゾロール、検査で探知され難い合成ステロイドとして開発されたテトラハイドロゲストリノンなどがある)
ホルモン剤――テストステロンなどの男性ホルモン(筋肉の量や闘争性が増す)
血液ドーピング――EPO(エリスロポエチン)は血液中の赤血球の濃度を高め持久力をアップさせる
  (自己輸血もドーピングと見なされている。)
  (赤血球を上げる手段として、ドーピングにならないものとして、高地トレーニングや低酸素テントなどがある。)
遺伝子ドーピング――これから主流になるかもしれない技術
  (筋肉の増加を防ぐ遺伝子を壊せば、1.5倍程の筋肉がつくのは、動物では確認されている。)

ドーピングが禁止される理由として、
1)健康上の理由
2)競技の公平さ(フェア・プレイ)
3)薬物乱用の入口
などが挙げられる。
1)健康上の理由には、
身体的な害悪(男性化、動脈硬化作用、心臓・骨髄・肝臓等への負担)
精神的な害悪(攻撃性の増加やそれによる人格変容)
の二つが指摘される。
2)「フェア=公平さ」という論点にも、二点がある。
a) ドーピングしている選手としていない選手が争うのは不公平だ
b) 薬の力を借りていい記録を出しても意味がない(スポーツの理念に反する)
3)は、いわゆる「ゲートウェイgateway理論」である。
競技能力を上げるという目的であっても、違法薬物を使用することは、
他の目的で他の違法薬物を使用する場合のハードルを下げる、ということだろう。
→オリンピック委員会(JOC)の主張するドーピング禁止理由

ドーピングの是非
ドーピングが禁止されている一番の理由は
1)競技者の健康上の問題である。
しかし、異論もある。どんな薬でも副作用があるのは当然のことだし、
管理して適切な使い方をすれば悪い副作用は防げるかもしれない。
(事実、多くの選手は何種類もの薬を多量に限界まで使う傾向がある。)
そして、もし副作用の無いドーピング薬が発明されたら、どうだろうか?
健康に害があるという理由では、ドーピングを禁止する理由はなくなってしまう。
したがって、
2)「公平(フェア)ではない」というのが、ドーピングを禁止する主な理由となる。
「公平」というのは、普通は、
2-a)使う選手と使わない選手がいるのは不公平
(「自分だけ、こっそり使って勝とうとするのは、ずるい」)
という意味だろう。
しかしこれはドーピングを禁止する理由としては不十分だ。
なぜなら、現実には、ドーピングが禁止されているから、使える一部の選手と使えない選手が出て来ているのであり、
むしろ禁止しない場合の方が、使いたいなら誰でも使えるという意味で、公平だからだ。
その上で、ドーピング組と非ドーピング組で分けて競技を行えば、それが最も公平だ。
従って、「公平」ということの意味は、
2-b)薬を使って勝ってもそれは薬の力で勝ったのであって、「自分の力で勝っていない」という意味だろう。
しかし「自分の力で勝つ」というのはどういうことだろう?
(以下略)
という訳で、話は戻って、ドーピング禁止の理由は、現実的には、
1)健康の問題、ということになる。
他の選手がドーピングを行っている場合には、ドーピングは、個人の自由意思に基づくものではなく、しないと勝てない「強制」になる。
その結果、みんながドーピングをして、みんなが健康を害したり死んだりするという結果になる。
また、「みんながやってるから」「他の選手と同じ土俵に立つだけ」と自分に言い聞かせてドーピングをすると、
自分で決めるという倫理の原則は失われることになる。

生体パスポート
生物学的マーカーを用いて、遺伝子に残された痕跡から、ドーピングを検査する方法
(続く)

ドーピングの応用
ドーピングはプロのスポーツ選手以外にも、
高校生や大学生などが、「かっこいい体になる」という目的でステロイド剤を飲んだり、
リタリンなどの薬を用いて集中力を高め試験の成績を向上させる、といったような使用法もある。
(→スマート・ドラッグ)


補足1
ドーピングの有害性
「ドーピングでの問題点の第一は、一般に、病気の治療の際に用いられるよりはるかに多い用量を投与することである。そのためドーピングでは、劇的な副作用を引き起こすことが多く、一般の臨床医が診たことのないようなひどい症状を呈する場合もある。副作用が教科書的なものより激しいことや、作用が強すぎることにより、作用自体が”副作用”になってしまうことがある。たとえば、激しい脱毛や、男性化が顕著になり過ぎるなどである。
 ドーピングの副作用の二つ目の問題点は、しばしば複数の種類の薬物を併用することである。
 複数の薬物の相互作用によってはたいへん重い症状を起こすことがある。薬物相互作用は一般に解明されていないものが多く、現実に副作用が発生してから大問題になる。前述したが、タンパク同化ステロイド(筋肉増強剤)とアンフェタミン(覚醒剤)の相互作用が疑われる殺人事件が、今後も起こらないとはいえない。
 三つ目の問題点は、習慣性を生じる点である。
 薬物を一度使用すると、効果のあるなしにかかわらず、使わないと不安になり、さらに使用量が増えるという傾向がある。
 よい例に、アメリカのマリファナがある。マリファナは他の薬物乱用への入り口となる薬(gateway drug)と考えられ、乱用規制薬物に指定されている。しかし取り締まっているにもかかわらず汚染が広がって、その結果、コカインをはじめとした薬物汚染の深刻さは報道などでよく知られているところであろう。
 いまや全世界で、すべての薬物乱用を社会悪として規制しようとしている。ドーピングで使用する薬物も決して例外ではなく、国策としてコントロールすべきだという方向にある。「プロの選手はそれでご飯を食べているのだから、勝つことが大事で、どのような手段をとっても許されるべきだ」という、プロのドーピング肯定論を公の場で聞くこともあるが、それはまったく間違った論理である。
 四つ目の問題点は、積極的にドーピングをおこなう人々は、医学的知識が極めて豊富だが中途半端であり、一方、一般臨床医は、薬物投与の複雑さ、使う量の多さなどドーピングの実態については何も知らない場合がほとんどである点だ。実際、ドーピングで起こす激しい副作用は、一般臨床医学が首をひねるような症例が多いのである。」
高橋正人・立木幸敏・河野敏彦『ドーピング』(講談社ブルーバックス)より


補足2
東ドイツにおける国家的ドーピング
 「蛋白同化ステロイドが人工的に合成されるようになったのは1930年代、骨の成長を促し、癌のような慢性の消耗性疾患を治療するために医療現場で使用されるようになった。だが、蛋白同化ステロイドには筋肉量を増加させ、身体を強化する効果もあることから、スポーツの世界でも使われ出したのである。副作用としては、コレステロール値が高くなる、にきび、高血圧、肝臓障害を引き起こすなどが知られている。これらの副作用を抑えるために、使用者の多くはほかの薬も併せて摂取している。」
 「最初の裁判の起訴状には、蛋白同化ステロイド――若い教え子たちにこれを渡していたコーチたちは「ビタミン剤」と呼んでいた――によって健康に壊滅的なダメージを受けたと主張する17人のスポーツ選手の証言が含まれていた。ある10代の少女はひげが生えてきた。別の少女は声が低くなった。ほかにも、ホルモンバランスの乱れ、性的衝動の消失、肝臓障害、生殖器障害、情緒不安定、抑うつなどの副作用が明らかになった。…
 その後の裁判でも多種多様な障害が明らかになった。…
 アンドレイアス・クレーガーも証人のひとりだった。ハイディ・クリーガーという名で、1986年、弱冠21歳で女子砲丸投げ欧州チャンピオンになった選手である。13歳でトレーニングを始めたクリーガー―ー男っぽい外見のせいで、周囲からは「ホルモン・ハンディ」というあだ名で呼ばれていた―ーは、16歳になると、コーチから銀紙に包まれた小さな青い錠剤を、ビタミン剤だと言って渡されるようになったという。
 クリーガーは、持ち上げられるバーベルの重さがどんどん重くなっていく自分に驚いた。それに伴って渡されるビタミン剤の数もどんどん増えていった。しかし欧州選手権を制した後、背中の絶え間ない痛みに悩まされるようになり、腰と両膝の手術を余儀なくされる。翌1987年には、青い錠剤を1日5錠ずつ服用するようになっていたが、4位に入るのがやっとだった。
 やがて女物の服の着心地が悪くなり、自分がだんだん男のような感じがしてきたという。…クリーガーは自分が筋肉と持久力、闘争心を高めるために、主要な男性ホルモンであるテストステロンを大量に摂取させられていたことを知らなかった。
 彼女が処方されていた量は、東ドイツのスポーツ科学者たちが持っていた秘密のマニュアルで望ましいとされていた使用量の2・5倍だったと言われている。結局、クリーガーは性転換手術を受けた。ほかにも、長期に及ぶ薬物摂取が原因でうつ病に苦しむ選手や自殺した選手までいた。」
マイク・ローボトム『なぜ、スポーツ選手は不正に手を染めるのか』岩井木綿子訳

東ドイツが東京オリンピック(1964)で獲得した金メダルの数は、5つ、メキシコ(1968)では、9個、ミュンヘン(1972)では、10個、
しかし、モントリオール(1976)では、41個、モスクワ(1980)は、47個、となり、
陸上、水泳、ボートなどで華々しい成果を上げ、アメリカ、ソ連に次ぐ、世界第三位のスポーツ大国になった。


補足3
ツール・ド・フランスにおけるドーピング
一九八〇年から一九九〇年にかけて、ツール・ド・フランスの平均速度は時速三七・五キロだった。一九九五年から二〇〇五年の平均速度は、時速四一・六キロ。空気抵抗を考慮すれば、これはパワーが全体的に二二%増加したことを意味する。」
「自転車競技におけるドーピングの歴史的な背景をまとめておこう。自転車競技では、その黎明(れいめい)期からドーピングが用いられてきた。二〇世紀前半、サイクリストは主として興奮剤(コカイン、エーテル、アンフェタミンなど)を使った。脳内に化学反応を起こし、疲労の感覚を低減させるためだ。一九七〇年代、ステロイドやコルチコイドなどの新たな薬が登場した。筋肉や結合組織を強化し、回復時間を減らすことが主眼だ。しかし、真のブレークスルーは、血液を変化させることへの注目によって生じた。特に、酸素の運搬能力を高めることで、その効果は劇的に高まった。
 EPO(エリスロポエチン)は本来、体内で自然に生成されるホルモンで、腎臓を刺激し、酸素を運搬する赤血球の生産を促す。八〇年代半ば、人工透析患者や癌患者向けの貧血治療薬として製剤化されたEPOは、たちまちアスリートによって利用されるようになった。そして、それには十分な理由があった。…EPOはピークのパワー出力を一二〜一五%向上させ、持久力(限界値の八〇%での走行)も八〇%も高める。…おおまかに換算すれば、これはツール・ド・フランスの優勝者のタイムと、選手全体の平均タイムとの差ほどになる。
 EPOを利用しはじめたアスリートには、死のリスクが高まった。八〇年代後期から九〇年代初期にかけて、EPOはオランダとベルギーのサイクリスト一〇人以上の死に関連したと考えられている。EPOを豊富に含む血液によって血圧が上がり、心臓が停止したことが原因だ。このリスクを避けるため、当時、EPOを利用していた選手は、夜中に目覚まし時計で起きて、脈拍を高めるための運動をしたといわれている。」
タイラー・ハミルトン他『シークレット・レース』(児島修訳)小学館文庫

ハミルトンは、ツール・ド・フランスで1999年から2005年まで7連覇を達成した、ランス・アームストロングのアシストをしていた選手。
ランス・アームストロングは、2013年にドーピングの事実を認め、ツール・ド・フランスを含む過去の実績は全て抹消されている。
→ランス・アームストロングのドーピング問題(ウィキペディア)


参考文献
中村敏雄『メンバーチェンジの思想』(平凡社ライブラリー)
中村敏雄『スポーツルールの社会学』(朝日新聞社)
川谷茂樹『スポーツ倫理学』(ナカニシヤ出版)
加藤尚武『合意形成とルールの倫理学』(丸善ライブラリー)


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