薬の倫理
―ドラッグの倫理的問題、及び、薬学倫理―


1)ドラッグ(麻薬)の倫理的問題

A)ドラッグの種類と効果

「多くの西洋諸国は、一九六〇年代と一九七〇年代に国際連合の一連の会議に基づいて作られた枠組みに従って、各種の条約を批准している。各国はその枠組みの中で、その国独自に非合法薬物を選定してきた。イギリスには「薬物乱用法(The misuse of drugs act)」(一九七一)があり、薬はA、B、Cの三つのカテゴリーに分けられ、カテゴリーが下がるほど規制が軽くなる。そのスケジュールは以下のようなものである。
A コカイン、エクスタシー、LSD、モルヒネ、ヘロイン、アヘン
(注1)
B アンフェタミン、バルビツレート、大麻、メタンフェタミン、コデイン
(注2)
C アナボリックステロイド類、ベンゾジアゼピン類、ペモリン、フェンテルミン、マジンドール、ジエチルプロピオン
 問題は、大西洋の両側でいわゆる「薬物戦争」に大きな努力が支払われているにもかかわらず、勝利したためしがないということである。薬の乱用は増え続けており、薬への飽和することのない需要に応えている地下社会がうるおっている。この課題には安直な解決はない。問題の一つとして、薬の分類が必ずしも合理的とは言えないことが考えられる。たとえば、エクスタシーと大麻は危険な麻薬とされているが、現在手に入る科学的な証拠からすると、そのように断定できるかどうかには疑問もある。アメリカでは大麻に関連した逮捕事件が年間五〇万件以上ある。イギリスでは七万件ぐらいである。いずれも薬物関連事犯のうち四分の三ほどにあたる。警察は時間と資源をもっと本当に危険な薬、たとえばコカインやヘロインに費やすべきではないだろうか? 若い人々が法を公平でないと思うなら、法は尊敬されなくなる。「オランダの実験」とよばれる試みでは、少量の大麻を喫茶店のようなところで自由に手に入るシステムにした。この実験でオランダの社会が崩壊したわけではなく、オランダの大麻使用量はほかの西洋諸国と変わっていない。かえってオランダは大麻の供給源とほかのもっと危険な薬の供給源とを分けることに成功し、ヘロインなどの「ハードな」薬物の問題が小さくなったともいう。イギリスでは警察財団のレポートが大麻をカテゴリーBからカテゴリーCへ、エクスタシーとLSDをカテゴリーAからカテゴリーBに移すように推奨している。
(注3)
レスリー・アイヴァーセン『薬』(廣田中直行訳)

 (注1) コカインはコカの木の葉から、モルヒネ、ヘロイン、アヘン、(及びコデイン)は、ケシの花から取れる麻薬。
 (注2) アンフェタミンとより強力なメタンフェタミンが、いわゆる「覚醒剤」であり、特に後者は日本で「スピード」「シャブ」などと呼ばれる。
      バルビツレートは以前は催眠剤として用いられた。
 (注3) イギリスでは大麻は、2004年1月にカテゴリーBからカテゴリーCへ移された。しかし、2009年1月に再びカテゴリーBに戻されている。

主に上記のドラッグを、作用から分類すると、
アッパー系(興奮剤)―アンフェタミン/メタンフェタミン、コカイン、エクスタシー(MDMA)、ニコチン、カフェインなど
ダウナー系(鎮静・瞑想化)―ヘロイン/アヘン/モルヒネ、バルビツレート、大麻、アルコールなど
幻覚系(サイケデリック)―LSD、マジックマッシュルーム、大麻など
(複数の作用を併せ持つものも多い。酒は少量なら気を落ち着かせるが、それを超えると興奮剤になる。)

ドラッグの問題
1)依存性
 身体的依存―耐性の形成―禁断症状
 (最初は快楽を生んだとしても、麻薬効果によって、次第に無いと苦痛を生むようになる。)
 精神的依存
2)有害性
 本人の健康被害(なかでも脳への傷害)
 他人への危害(→自分が犯罪を犯すだけでなく、犯罪組織の資金源にもなる)
3)快楽のために薬を使うことは善いことか?
 ドラッグの多くは、医療現場で薬として用いられている。状況と使い方。

B)禁止されていない薬物―煙草と酒

タバコの有害性
ブリンクマン指数=一日に吸う煙草の本数×喫煙年数
(この値が400を超えるとかなり危険、800を超えると極めて危険)
1)煙草の煙には非常に多くの発ガン性物質が含まれており、特に肺ガンなど呼吸器系のガンの原因になる。

喫煙によるがんのリスク(罹患率)

喉頭がん 32.5倍
口腔・咽頭がん 3.0倍
肺がん 4.5倍
食道がん 2.2倍
膀胱がん 1.6倍
膵がん 1.6倍
肝がん 1.5倍
胃がん 1.4倍

※表中の数字は、非喫煙者(男性)を1とした場合の、各種がんのオッズを示す。
(太田光・奥仲哲弥『禁煙バトルロワイヤル』より)

2)ニコチンは欠陥を収縮させる作用があり、一酸化炭素は血液の流れを悪くする効果があるので、
 細くなった欠陥に血の塊(血栓)が詰まることによって、脳卒中(脳梗塞)や心臓発作(心筋梗塞)の原因になる。
3)煙草の煙(=副流煙)は、周りにいる人にも大きな健康被害をもたらし、ガンや呼吸器系の病気の原因になる。
4)美容への害―リンク先の写真を参照
 (→双子の姉妹の写真;BBC News;喫煙者と非喫煙者では20年後にこれだけ違うだろうという写真

太田 タバコに害があるというのは、確かなんでしょう。でも、タバコを吸っていると、いい部分もあるわけじゃないですか。リラックスできるとか、精神的に落ち着くとか。そういうことができなくなるほうが僕にはつらい。…
奥仲 …タバコでリラックスするというのは、まやかしなんです。タバコを吸う前は脳内にアセチルコリンという物質がいっぱいある。それがアセチルコリン受容体にくっつくことでドーパミンという物質を分泌させて、やる気を出させたり、リラックスさせたりする効果になる。タバコを吸っていると、このアセチルコリンが作れなくなってしまうんです。
 さらに、タバコのニコチンとこのアセチルコリンは性質がそっくりなので、ニコチンがアセチルコリン受容体にくっついて、ドーパミンを出させるようになる。ニコチンを供給しているとアセチルコリンは作れませんから、ニコチンが入ってこないとイライラするようになるんです。
太田 ニコチンとアセチルコリンは同じ役割をしているんですか。
奥仲 ええ。記憶や学習の機能を司る脳の海馬という部分に、ニコチンがアセチルコリンのダミーとして入り込んでしまうんです。すると、脳はアセチルコリンは作らなくてもいいと思って作らなくなる。スモーカーの方は、ニコチンを補給してあげないと、ドーパミンを生産できないので、ニコチンが習慣になる。つまり、タバコにだまされている状態なんです。」
(太田光・奥仲哲弥『禁煙バトルロワイヤル』集英社新書)

酒の有害性
「酒は百薬の長」という諺もあるように、酒は体に良いとも言われる。
確かに、適量であれば、血行をよくし、心身をリラックスさせ、ストレスを取り、それによってガンを防ぐ効果もある。
しかし、適量というのは、人にもよるが、せいぜい缶ビール一本程度である。
(アルコール20mg程度、アルコールの比重は0.8、ビールのアルコール度数は5%程度だから、単純計算すると500ml)
それを超えると、そして超えれば超えるだけ、有害になる。(Jのカーブ)
アルコールは胃で分解され、アセトアルデヒドに変わる。この発ガン性物質は、
さらに分解されて無害な酢酸に変わるまで、体内(消化器の細胞や肝臓など)にダメージを与え続ける。

カフェイン依存症
エナジードリンクなどの多量摂取によって、近年、若者に増えている。
「一般的な成人では、1時間以内に 6.5 mg/kg 以上のカフェインを摂取した場合は約半数が、3時間以内に 17 mg/kg 以上のカフェインを摂取した場合はすべての場合に急性症状を発症する。後者の場合、重症になる確率が高い。神経圧迫による視覚異常や聴覚異常は確認されている。
また、200 mg/kg 以上摂取した場合は最悪、死に至る可能性がある。
常用中毒による日本最初の死亡報告例として、2015年12月21日には九州地方の20代男性がカフェイン中毒とみられる症状で死亡していたと報道された。アメリカ合衆国では、10数件の死亡例が報告されているという。」(ウィキペディア「カフェイン中毒」

危険ドラッグ
危険ドラッグは、以前は、「合法ドラッグ」「脱法ドラッグ」などとも呼ばれ、取り締まりの対象外だった。
分子構造の一部を改変したりして、法的な取り締まりの対象から逃れるイタチごっこを繰り返していたからである。
しかしそのせいで、それが何なのか、誰にも分からないということにもなり、本当に危険な物質が含まれている可能性がある。

C)禁止されている薬物―大麻は有害か?

大麻(マリファナ)は大麻草の葉や花に含まれる、テトラヒドロカンナビノール(THC)という複雑な化合物によって、
精神変容作用をもたらす効果がある。
大麻の吸引は、不安からの開放とリラックスした気分をもたらし、時間感覚を変容させ、時には幻覚や幻想を生む。
THCを多く含むのはインド大麻であり、
茎(繊維)や実(食物)を利用するために日本で栽培されてきた大麻には、THCは僅かしか含まれず、精神作用はほとんどない。
(しかし日本では「大麻取締法」によって、許可を取らない大麻の栽培や大麻の医学的な使用は禁止されている。)
近年、欧米(オランダ、ベルギー、スペイン、ポルトガル、ウルグアイ、カナダ、アメリカの幾つかの州など)では、
大麻の嗜好品としての使用を認める国(あるいは犯罪として処罰しない国)が増えている。

大麻を禁止する理由
(大麻の害)
(1) 大麻による酩酊状態にある人は、知的な作業を要求される仕事はどんなものでも、遂行できないことは明らかである。自動車の運転、飛行機の操縦、複雑な機械の操作などをすべきでない。しかしながらアルコールとは違って、大麻の過量で人が死亡したという例はない。あるいはこの薬が人の攻撃行動や犯罪を誘発したという証拠もない[動物ではラットの攻撃行動を誘発する]
(2) 一九七〇年代に得られた、新たな警告となる知見は、大麻が男性にも女性にも性ホルモンの分泌に干渉し、不妊を招くということである。あるいは、大麻は免疫系を障害し、感染に対する抵抗力を弱める。また、発達中の胎児にも影響があるらしい。しかし、これらの知見がその後の詳細な研究で確認されたという話は聞かない。
(3) 大麻の長期的常習者は脳の高次機能に微妙な欠損をおこしていることは確かである。科学的な述語ではこうした障害を「脳の実行機能の障害」という。その意味は、最近の出来事を思い出し、いろいろな記憶と照らし合わせ、その情報をもとにして将来の動作を計画する能力の減退である。このような能力には、脳の前頭葉がかかわっていると考えられる。前頭葉にはとくに大麻の受容体が多い。こうした認知機能の障害は大麻の使用をやめた後も残るという懸念がある。つまり大麻は、脳に永続的なダメージを与える可能性がある。しかし、本当に永続的なダメージが残るかどうかについて、十分な証拠があるとは思われない。多くの研究では認知機能の欠損は完全に、もしくは大体において回復することが示されている。
(4) …多くの研究によれば、常習的な大麻使用者の三分の一が「依存者」である。この薬は多くの人々の生活を支配してしまう。そのために仕事や社会生活を営む能力が損なわれる。
(5) 大麻の長期喫煙に伴う健康の害としてもっとも問題なのは、たぶん喫煙という行為それ自体のリスクであろう。大麻の煙と煙草の煙を比較すると、どちらにも同じような有害成分が含まれていることがわかる。大麻喫煙者はシガレット喫煙者よりも煙を深く吸い込み、息を長く止めておく。…その結果として、大麻喫煙者はシガレット喫煙者よりも四倍から五倍も高濃度のタールを肺の中に捨てることになる。…
レスリー・アイヴァーセン『薬』(廣田中直行訳)
この記述は、大麻を禁止する決定的な理由はない、と言っているようにしか読めない。
1)は、酒と同じく、飲んだら乗るなというだけの話だし、
5)も、吸う量が違うから、煙草に比べたら害は小さいだろう。

大麻の害について
→薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ(http://www.dapc.or.jp/)

大麻を解禁するべき理由

アメリカ国立薬物乱用研究所による麻薬と嗜好品の比較表(1994年)

薬物の種類 依存性 禁断性 耐性 強化 陶酔性
ニコチン(煙草) 6 4 5 3 2
ヘロイン 5 5 6 5 5
コカイン 4 3 3 6 4
アルコール(酒) 3 6 4 4 6
カフェイン 2 2 2 1 1
THC(大麻) 1 1 1 2 3

カナビス スタディハウス
http://cannabisstudyhouse.com/)より

上の表に見られるように、ニコチンやアルコールは、依存性や耐性も高く、健康にもかなり有害である。
大麻などのドラッグが禁止されていて、酒や煙草が禁止されていないのはなぜなのだろうか?
健康への害という面から見れば、煙草を危険なドラッグとして禁止するべきだろう。

ドラッグを禁止するべきではないという議論は、リバタリアン(超自由主義者)によってなされているものがその代表である。
「覚醒剤中毒はそれ自体が悪なのではない。もしも覚醒剤が合法化されれば、酒やタバコと同様に使用者自身の健康を害することはあっても、他者に危害を加えることはなくなる。
…覚醒剤を法で禁止することは、シャブを打ちたいと願う個人の権利を明らかに侵害しているのである。」
ウォルター・ブロック『不道徳教育』(橘玲訳)

これは個人の「自由を害する」という論点であるが、ドラッグを禁止することから生じる害は他にもある。
1) 犯罪の増加―薬物が高価で入手し難いものとなる。
2) 犯罪組織の資金源になる―犯罪組織が介入し、抗争事件なども増える(→アメリカの禁酒法時代)
3) 市民が犯罪組織と接触する機会を増やし、より強いドラッグへの入口になる
4) より強力で危険なドラッグを生み出す(→現在の「危険ドラッグ」がそのよい例)
5) ドラッグ取締りの無力感、法の軽視が生まれる
その他、アメリカでは、注射針を使い回すことで、エイズの蔓延の原因ともなった。
(オランダでは、新しい注射針を提供することで、これを防いでいる。)

D)アメリカとオランダのドラッグ政策

アメリカの禁酒法(1920-33)

「結局のところ、禁酒法が作り出したのはアルコールの密造と密輸の助長であった。違法アルコールの多くは「ブートレガー(bootlegger)」と呼ばれる密売人を通して容易に入手でき、また、「スピークイージー(speakeasy)と呼ばれるもぐり酒場でも飲むことができた。そしてこれらの業者が組織され、やがてはアル・カポネのような暗黒街のボスが力をつけはじめる。そのせいもあってギャング活動が盛んになり、とくに大都市には殺人が多発する地域さえ生まれたのである。あるいは、医療用アルコールや産業用アルコールからの違法転用や、アルコール度〇・五パーセント未満の飲料の悪用など(…)、合衆国全体に法律無視の風潮が蔓延した。そもそもはアルコールを追放することで社会を改革し浄化するという目的を掲げた運動は、それが実現されることで、むしろ現状をいっそう悪化させたのである。」
(佐藤哲彦他『麻薬とは何か』 新潮選書

→ウィキペディア(アメリカ合衆国における禁酒法)

アメリカのドラッグ政策

「…アメリカでは一九六〇年代後半からベトナム反戦・反体制運動の波に乗って、大麻の吸引が反体制のシンボルになってくる。そして、ヒッピー族をはじめとする若者たちのマリファナ乱用が急激に増加するに至った。…
…ニクソン大統領は、一九七二年の「マリファナと薬物乱用に関する全国委員会」による「大麻を依存薬物から除外し、自己使用のために所持していたものには賞罰を適用しない」という勧告を入れて、一九七三年の大麻解禁令に踏み切った。
 その結果、米国は麻薬天国化していった。米国の大麻解禁策は、マリファナ煙草を手にしたヒッピーを世界中に送り込んで、各国の大麻汚染を促進させてしまった。大麻密売人たちは米国のハイスクールの生徒たちなどに大麻を売り、米国マフィアはたっぷり資金をためこんだ。そして、米国マフィアは、今度は長らく中南米に極限していたコカインを、ヘロインのような禁断症状をおこさない「麻薬のキャデラック」としてシリコンバレーの富裕な白人層に売りつけていったのである。
 その後、米国は一九八八年、政策を転換し、厳しい麻薬取締法を施行した。」
(船山信次『<麻薬>のすべて』 講談社現代新書)

オランダのドラッグ政策

アメリカのドラッグ政策が、「禁止」と「放任」であったとすれば、
「オランダの実験」と呼ばれるオランダの政策は「管理」である。
大麻などソフトドラッグの個人的使用を認め、より危険なヘロインなどのハードドラッグを厳しく取り締まる。
またドラッグ中毒者を犯罪者として処罰するではなく(刑務所から出てくると元に戻る)
病人として治療する。
(ドラッグは犯罪ではなく、公衆衛生(public health=国民の健康)の問題である。)
(この病気は、当人の資質と環境から生まれるもので、ドラッグは誘因である。)
→ウィキペディア(ラットパーク実験
オランダは、1996年、大麻を含むソフト・ドラッグを解禁したが、
その後、現在に至るまで、少なくともドラッグ使用者の数は増えていないし、ドラッグ関連の犯罪も減っている。
→ウィキペディア(オランダの薬物政策)
→Wikipedia(ポルトガルの薬物政策)

E) 第三のドラッグ――糖

「砂糖は、現代におけるの最も危険なドラッグであり、…依存性があるので、…酒やタバコと同じように課税し規制されるべきである」(アムステルダム公衆衛生省長官)
1980年代以降、世界的に、肥満とこれに関係する病気(糖尿病、心疾患、脳梗塞、認知症、鬱病など)が急激に増えている。その原因だと考えられるのが、糖(特に果糖)である。
糖分は、美味しい。脳内でドーパミンがを分泌され、快感をもたらす。しかし人体は多量の糖分を処理するようには出来ていない。少量なら健康にいいが、大量に摂ると健康に大きな害があるのは、アルコールと同じだ。
広く見れば、白米、小麦粉などの炭水化物も、主成分はブドウ糖だから、糖質である。
(しかも品種改良され、精白されたおのが売られている。)
ヘロインなどのハードドラッグ、大麻などのソフトドラッグに次いで、マイルドドラッグとも呼ばれる第三のドラッグが糖分である。

「糖質はただのエネルギー源ではない。脳に強く作用する。合法的に摂取できる麻薬と言ってもいいかもしれないほど、依存性があると考えられている。 …脳イメージングを見ると、糖質を摂取したときに表れる脳の変化は、コカインやアルコールなどの薬物を摂取したときの変化とそっくりなのである。 糖質を摂ると、脳のドパミンが大量に分泌されて、報酬系という部分が強く活性化される。報酬系が活性化されると、また繰り返したくなる。そしてまた糖質を摂ると、再びドパミンが出て、脳がまた喜ぶ。 これを繰り返していると、通常の状態ではドパミンは減少し、糖質を摂るとやっと通常の状態まで上がるようになる。その先まで行くと、普通に糖質を摂っただけではドパミン量は通常の状態にまでも上がらず、さらに多くの糖質を摂らないと脳が喜ばなくなる。…麻薬と全く同じである。
 
13歳から18歳の、いつもたくさん糖質の入った飲み物を飲んでいる人を対象にした研究では、たった3日間、その糖質入りの甘い飲み物を中止しただけで、頭痛の増加、意欲の低下、満足感と集中力の欠如、甘い飲み物への渇望、全体的な幸福感の低下が起きてしまった。まさに「禁断症状」である。」(清水泰行『「糖質過剰」症候群』光文社新書)

ほかのあらゆる動物と同じように、私たち人間は数億年にわたる進化の産物である。体のほかのあらゆるパーツと同じように脳は進化してきている。それはつまり、私たちがやること、やりたいこと、正しいとかまちがってるとか感じることもまた、進化するということだ。私たちは祖先から、甘いもの好きや腐敗臭への「オエッ」という反応を受け継いでいる。進化した性欲を受け継いでいる。こうしたことはどれも理解しやすい。ほどほどなら砂糖は私たちにとって良いが、多すぎると良くない。私たちはいま、あまりに多くの砂糖がすぐ手に入る世界に住んでいる。でも、アフリカの未開のサバンナで生きていた祖先は、そうではなかった。果物は彼らにとって良いものであり、多くの果物に含まれている糖分はほどほどである。糖分を取りすぎるのは不可能だったので、人間は糖分に対する無限の食欲を進化させた。…」
(ドーキンス『神のいない世界の歩き方』(大田直子訳)ハヤカワ文庫)


2)スマート・ドラッグの問題
(ドーピング)

「集中力・注意力・記憶力といった認知機能を増強させる効果を持つ薬物、つまり頭のよくなる薬をスマートドラッグ(以下ではSDと略記する)という。…
 その典型例がリタリン(物質名:メチルフェニデート)である。もともとリタリンは、ADHD(注意欠損・多動性障害)の症状緩和を目的とした薬物である。ADHDに効果があると考えられている理由は、シナプスから放出される神経伝達物質(ドーパミンとノルエピネフリン)の活性を高めるとされているからである。そして、おそらくこうした作用のために、ADHDではなくても飲めば注意力が増強すると信じられるようになった。これが、病気の治療という本来の目的ではなく、勉強の効率化や試験の成績向上を目的とする服用につながるわけである。しかし、リタリンが脳に作用するメカニズムの詳細については不明な点もあり、それだけに現段階では、服用すれば誰もが成績向上を望めるなどとはとてもいえない。また、副作用の問題もある。
 とはいえ、米国では、リタリン服用が拡大する流れは変わらないようだ。ある報告によると、米国のあるキャンパスでは、学業のためにリタリンなどを飲んでいる学生は一六%に上ったという(Farah et al. 2004)。M・ガザニガは次のように述べている。「リタリンを飲めばSAT(大学進学適正試験)の点数が一〇〇点以上アップするといわれている。現に大勢の健康な若者がその目的でリタリンを飲んでおり、率直にいって、それを止めることはできない」(Gazzaniga 2005: 72, 邦訳一一一頁)
 ほかにもSDとして使用可能な薬物が着々と開発中である。例えば、睡眠障害のための薬を米軍のヘリコプター・パイロットに投与して、集中力ないし実行機能の増強が認められたという報告がある。あるいは、アルツハイマー病の処方薬が、記憶力増強剤として利用可能かもしれないともいわれている。こうした研究に基づき、より効果的で、しかも副作用が軽微にとどまるSDが開発されていけば、それらはいずれ社会に浸透していくだろう。」
信幸弘・原塑編『脳神経倫理学の展望』 第七章「薬で頭をよくする社会」(植原亮)

上述の、リタリンの「効果」は、おそらくプラシーボ効果なのだろう。
「うつ病やADHDの薬であるリタリンは、集中力や記憶力を高める効果があると注目されたことがありました。でも実際には、健康な人がリタリンを使うと、むしろ逆効果だったりします。」(池谷裕二・中村うさぎ『脳はこんなに悩ましい』)
「頭が良くなる薬」について興味があれば、池谷裕二・糸井重里『海馬』辺りを読んでみるとよい。


3)薬剤師の倫理

(続く)

参考文献
ロバート・M・ヴィーチ エイミー・ハダッド『薬剤師のための倫理』 渡辺義嗣訳 (南山堂)
奥田潤・川村和美
薬剤師とくすりと倫理』(じほう)


付録―ヘロインの禁断症状

 ヘロインの禁断症状は、「自律神経の嵐」と呼ばれる全身的で激烈なものである。
 はじめの軽度なうちは、患者は眠くなってしきりにあくび、くしゃみを連発して
鼻汁を流し、目からは涙が流れ、多量の冷や汗をかき、手がふるえてくる。全身にだるいような言うに言われぬ違和感が起こり、患者は次にどんな禁断症状が起こってくるかと次第に不安な気持ちになってくる。
 ついに、さしこむような胃痛や、下腹部の疝痛とともに、嘔吐や下痢などの消化器系症状が起こる。全身には鳥肌が立って、悪寒戦慄が走り、筋肉がぴくぴく痙攣して、患者は床の上でのたうちまわる。さらに進行すると意識がおかしくなって暴れ出し、やがて失神、全身痙攣発作を起こし、全身が衰弱して、ついには虚脱状態で死亡する例も出る。

中村希明『薬物依存』(講談社 ブルーバックス)より

「とにかく具合が悪かった。叫びたかったが、おやじが心配して飛んでくるかと思うと、叫びたくても叫べなかった。自分一人で、ぐっと我慢するしかなかった。…ただ暗闇に横になって、めちゃくちゃに汗をかいていた。首も足も、身体中の節々がゴチゴチになって、本当に気分が悪かった。関節炎かひどいインフルエンザがもっとひどくなったような感じだった。あの時の苦痛は、とても言葉じゃ言い表せない。…今にも死にそうで、もし誰かが二秒で死なせてくれると言えば、そっちを選んだだろう。生きる苦しみよりは、死のプレゼントのほうを選びたくなるような痛みだった。部屋は二階だったから、窓から飛び降りて、気を失って眠ろうとしたことさえあった。…
 こんな調子で、七日か八日が過ぎた。何も食えなかった。ガールフレンドのアリスが来てセックスをしたら、もっとひどくなった。もう二年も三年も絶頂感を味わったことがなかった。とにかくそこらじゅう、たまらない痛みだった。さらに二、三日、こうした状態が続いた。オレンジ・ジュースを飲んだが、全部吐き出してしまった。
 そして、ある日、すべてが終った。終った、本当に終ったんだ。いい気分だった。純粋な気分だった。おやじの家まで、清潔な甘い空気の中を歩いていって、おやじも大きな笑みを浮かべて迎えてくれた。ただ、抱き合って泣いた。そうしていた。」
マイルス・デイビス クインシー・トループ『マイルス・デイビス自叙伝』(中山康樹訳)
より

「あの朝シカゴで「初体験」した後、僕はヘロインのカプセルを袋一杯買い込んだ。行く先々で演奏したのでロサンゼルスに帰り着くまでには三ヶ月ほどかかった。それから次のツアーまでに、一ヶ月の休暇があった。僕はパティに、麻薬を吸うようになったことを話した。パティは良く思わなかったが、何でもないのだと言い聞かせた。それからしばらくして、買い込んでおいた麻薬がきれてしまった。僕はすっかり沈み込み、腹痛に襲われた。鼻から血が出てものすごく痛んだし、頭も割れるようだった。体がぞくぞくして吐いたりした。股間の性器も痛んだ。
 だが、その日、僕はセッションに行くことになっていたのでゴデインの錠剤と睡眠薬とベンゼドリンとせき止めの薬を飲んで出かけた。自分がどんな状態に陥っているか、まだよくわかっていなかったのである。
 すべてが透き通ったように鮮明だった。はじめて世の中を見ているような気がした。それまでは雲に閉ざされて見えなかったのである。長く都会にいた者が、砂漠で空を見上げているような感じだった。すべてがそんなふうに目に写った。あまりにも生々しかった。体も神経も直撃されて絶えがたいほどだった。「ああ、一体どうなってしまうのだろう」と思った。」
アート・ペッパー『ストレート・ライフ』(村越薫訳)より


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