現代の宗教


1)現代の宗教の特徴

幕末から明治期にかけて、天理教、大本教、PL教団、立正佼成会、創価学会など、多くの新興宗教が誕生した。これらを「新宗教」という。
これに対して、1970年代以降に活動を活発化した新宗教、具体的には、
阿含教、世界基督教統一心霊協会、世界真光文明教団、崇教真光、幸福の科学、オウム真理教
などの宗教を、「新新宗教」と呼ぶ。

カルト宗教の一般的特徴
1.カリスマ的教祖
2.共同生活
3.終末論
4.心身変容の技法、現世離脱

1から3までは、(カルト)宗教一般に当てはまる。しかし、現代の新新宗教では、総じて(とくに組織面で)、「学校化」の傾向が見られる。カリスマ的教祖といっても「父」というよりも、むしろ「教師」であり、共同生活といっても、家族的でなく個人主義的で、下の4)に見られるように、段階的な過程(カリキュラム)が組まれている。一方、心的には、霊的(アニミズム)な関心が強いのが特徴的である。

新新宗教の特徴
1)入信動機が貧病争のようなわかりやすい生活苦から、特定しがたい「生のむなしさ」に変化したこと。
2)現世外の霊的な生活を重視し、現世離脱の志向が強いこと。
3)心理統御技法や神秘現象をもたらす心身変容の技法に強い関心を示すこと。
4)組織内の共同体的な繋がりよりも個人に価値を置き、救済についての自己責任の理論を徹底させていること。
5)破局的な終末の意識やそれと相関したメシアニズムを有すること。
6)信者の多くが若者であること。
(大澤真幸『虚構の時代の果て』より)

2)マインドコントロールと洗脳

「洗脳(brainwashing)」とは、元々朝鮮戦争中にアメリカ軍の捕虜が共産主義の思想を植え付けられた、その方法の研究に由来する。
近頃、話題の自己啓発セミナーも、これと同じ技法を使っている。(オウム真理教が、自己啓発セミナーの講師を採用していたのは有名だ。)

マインドコントロールの過程
1)解凍(unfreezing);分離―外部から完全に隔離して古い価値観を破壊する(人格の崩壊)
2)変革(changing);移行―新しい価値観や教義や思想を刷り込む(教え込みの過程)
3)再凍結(refreezing);統合―勧誘などの体験を通じて、新しい価値観を強固なものにする(新しい人格を作り上げ強化する過程)
(スティーヴン・ハッサン『マインド・コントロールの恐怖』より)

現代の社会は、個人を支える(=縛る)存在が非常に希薄である。
地域社会、家族、宗教、倫理、組織(学校、会社)など、ほんの一昔前に較べても、強制力は弱い。
何かに支えられたい、また場合によっては、何かに支配されたい、という欲求は人の心のどこかにあるものだ。他者への依存、及び相互依存は、社会生活の基礎であり、サルトルが言うように、その病理形態が、サディズムとマゾヒズムである。
宗教のマインドコントロールは、基本的には、強い他者の存在の中に自己を失いたいという欲求に基礎を持つ。

3)新宗教の意味

新しい宗教の活動が活発化するのは、社会の変動期である。
1970年代以降に、新新宗教という形の活動が起こったのは、
一つには、70年代以降の日本の社会が大きな変動期を迎えていたからだとも言えるだろうし、
また一つには、税制等々で優遇された立場を取っている「宗教」団体が、金儲けの手段として利用されたからだ、とも言えるだろう。
「悪い霊が憑いているからお祓いしなくてはならない」と言って高額な商品を売りつける、いわゆる「霊感商法」はその典型である。

「部屋は、ほとんどすべてが融通のきかない壁で仕切られた西欧スタイルである。…子供たちは、個人部屋を持っているが昼夜勉強を強いられている。リビングルームにはテレビが大きく座を占めている。神棚、仏壇を置くのにふさわしいスタイルでないために、子供らは祖先を敬う心情をもつこともなく育ってしまう。さらに、マンションの住人は、西洋の人々と同じようにおそらく隣近所の人々とはお互いに他人の関係となっている。幼い子供がうるさい音を立てると、隣近所の人々の敵意を恐れる。以前の日本の市や町の隣近所の雰囲気は、薄れてしまっていたり、もしくはまったくといってよいほどに壊れてしまっている。最後に、夫や父の生活は、伝統的にこれまで行っていたものとはかなり違っている。というのは、いまは彼らは遅くまで働かねばならないし、通勤距離が長くならざるを得なくなっているからである。これらの状態にあっては、ハードに働き、協力しあう市民として生活観してきた親たちの伝統が壊されることなく伝承されるのは、難しい。子供らは、アメリカの子供らがしているように、生活の意義を、物を増やしたり、自分の感情を表現したりすることに見つけようとしている。」
ベラー『徳川時代の宗教』(1985年版の序文) 池田昭訳(岩波文庫)


付録
「新宗教」について、『平凡社世界大百科』では、次のように説明している。

[日本の新宗教] 日本の早い時期の新宗教には,19世紀初期に成立した,やや早咲きの如来教や黒住教,19世紀中期に成立した天理教や金光教や禊教などがあり,明治期に成立したものには丸山教,蓮門教,大本教などがある。この段階までのものは,しばしば〈民衆宗教〉の名でよばれている。もっとも大きな勢力を築いた教団は,大正末から戦後にかけて成立したもので,ひとのみち(後の PL 教団),霊友会,生長の家,世界救世教,立正佼成会,創価学会,真如苑などである。新宗教のおもな宗教史的な源泉としては,江戸時代に活発化していた,(1)神仏習合的な社寺を参詣のセンターとし,山伏,行者などの民間宗教家を媒介としつつ,講社に寄り集まった人々が支えた民俗宗教の諸集団(〈習合宗教〉の伝統とよぶこともできよう)と,(2)在家信徒が積極的に参加する日蓮系の講(題目講),(3)石田梅岩が創始した石門心学に代表されるような修養道徳的な大衆運動などが考えられる。
 新宗教の宗教思想の特徴は〈現世救済思想〉の語で要約できる。それまで有力だった仏教の救済観が現世離脱的,来世志向的であったのに対し,新宗教は現世の身近な生活の改善がそのまま究極の幸福に通じるものととらえる。どちらかというと死や死後の世界に関心が薄く,死後の世界に関心を払う場合でも,この世の幸福に影響してくる限りで来世を問題にするという傾向が強い。中心的な礼拝対象は〈親神〉であったり〈仏〉であったりするが,しばしば〈宇宙大生命〉とよばれる。典型的な教えでは,宇宙万物も人間も同じ宇宙大生命から派生した存在としてとらえ,他者や環境と調和した関係を結ぶことによって宇宙の生命力と合体していけると説かれる。調和した関係を取り結ぶ鍵は個々人の〈心〉にある。清らかで曇りのない心,愛情豊かで落ち着いた平静な心を保つことによって宇宙的生命の流露する幸福な生活を実現できるとする〈心なおし〉の教えも広く共有されている。これらが〈生命主義的救済観〉とよべるような教えを構成している。
 本来的な充実した生活はまず家族において実現するとされ,家族の和が尊ばれる。家族を守る存在として先祖が尊ばれる教団も多い。日本の国が特別な価値や使命をもつとするナショナリズムは広く認められる。ただし,天皇をある程度尊ぶとしても,崇拝する教団はむしろ少数派である。教祖やそれをつぐ教主らは生き神的な存在として崇拝されることが多い。教主を中心にカリスマ的な指導者が地域に根を張り,仲間的な小集団を抱え込むというような多重的な組織を作るものが多かった。
(島薗 進)

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