ベトナム農業の歴史(3)
〜脱集団化とドイモイ政策〜

 

3-1. 100号請負下の農業 (1981-88)

3-2. 10号請負下の農業(1988-92)

3-3. 現代の農業(1993-)


3-1. 100号請負下の農業 (1981-88)

 1981年1月13日、ベトナム共産党(注1)中央書記局は100号指示(注2)を出し、これまでの生産隊単位による共同作業から、各世帯を単位とする農業生産へ移行した。100号指示によって農民世帯は、@田植えA栽培管理B収穫の三つの段階を請け負いする権利を得た。その他の作業(水利、品種選択、肥料・殺虫剤分配など)は合作社の管理に残ったが、この改革は農民の意欲を刺激し、多くの農民(当時の調査で8割方)が請け負いを完遂したうえにさらに5-20%の余剰生産をなした。

 その結果、1981-85年の食料生産は急上昇したが、85年を頂点に生産が下がり、特に87年は北部では81年以来最低の水準に達した(図1)。その結果1988年初頭には北部で930万人(農民世帯の39.7%)が食糧難になり、うち360万人が飢餓状態に陥った。同じ頃、南部では形式主義的に合作社や生産集団に編成したことによる土地分配紛争が多発し、全国的な農業食料危機に陥った。100号による請負の下での生産拡大が持続しなかった理由として、@まだ多くの作業が合作社の管理に残っていたこと、A生産物のうち、実質的に農民の手元に残るのがわずか20%であり、生産意欲を刺激しなかったこと、があげられる。


(注1)南北統一後の1976年にベトナム労働党はベトナム共産党と改称した。

(注2)正式名称は「農業生産合作社における請負活動の改善及び労働グループと労働者に対する生産物請負拡大に関する党中央書記局100号指示」(Chỉ thị 100 CT/TW của Ban Bí thư Trung ương Đảng về cải tiến công tác khoán, mở rộng khoán sản phẩm đến nhóm và người lao động trong Hợp Tác Xã Sản Xuất Nông Nghiệp)である。


(図1)100号請負下の一人あたり食料生産(単位;kg/人/年)

 出典; Nguyễn Sinh Cúc1995), Nông Nghiệp Việt Nam (1945-1995), Nhà Xuất Bản Thống Kê


3-2. 10号請負下の農業(1988-92)

 こういった事態を受けて、86年に経済改革(特に農業)のために党の全国代表者会議が開かれた。1987-88年の冬春作からの農業発展へ向けての問題点を解決するため、「100号請負」以上の完全な世帯への請け負いを模索した。そしていくつかの地域で試験的に実施したのち1988年4月5日に共産党政治局10号決議(注3)が発布された。

 所有面に関しては、政治局10号決議は、農民の器械・水牛や牛・農具の所有を認めた。またこれらの農業資材の市場での売買(従来は禁止されていた)も認められた。政治局10号決議導入後わずか一年で、農家世帯の農耕用の牛や水牛の所有が1.5倍になった。多くの農家がさらに小規模な器械(ポンプ・碾き臼・耕耘機・コーヒー用スプリンクラーなど)を購入した。それまで共有だった器械・水牛や牛・農具は各農民に売却された。土地もまた、請負または入札の方法で農家世帯に10〜15年の期間で使用が認められた。

 合作社の管理機構は人員を50%削減し、経費を削った。この時代の合作社は生産段階のうち二つのこと(水利および植物防疫)だけに責任を負い、他は農民世帯に任せることになった。合作社は農家世帯に対するサーヴィスの対価から利益を得るようになった。

 また分配面に関しては、農民は税金と合作社基金を支払ったのちには、請負地からの生産物に関しては自由に処分する権利を与えられた。食料や食品を安く買い上げられる義務は無くなり、余剰の食料および食品は自由に市場で売買してよいことになった。この結果、生産物のうち実質的に農民の手元に残るのが40%と倍増し、これまで以上に農民の生産意欲を刺激した。

 政治局10号決議は、労働点数による分配制度を廃止し、分配と生産物の使用における合作社社員世帯の自主権を肯定したという点で書記局100号指示より重要な進展があった。10号決議の発布された88年を期にコメ生産量が爆発的に増大し、また商品作物の生産も拡大した(図2)

 だが反面、農村地帯における土地関係の問題が新たに起こった。土地分配によって、一経営体あたりの農地面積が矮小になり、大規模な商業作物に適さなくなった。北部デルタにおいては、請け負い農地は一世帯あたり5つの区画に分けられており、それそれが小さいため機械化・潅漑化・専門化が難しかった。また南部では、完全請負(
khoán gọn)形態と呼ばれるものが多く見られた。これは、土地を以前の所有者に請け負わすものである。南部では土地の使用権と所有権が同一のものと思われていた。

 人口増加に伴い農村内の労働力も年々増加していたが、もとより少ない農地が年々縮小しているために、雇用は縮小し(非農業の雇用機会はわずかずつしか増えないか、あるいは逆に減っているため)、それゆえ収入も低かった。農村内の雇用機会の希少性は、これ以外に都市への出稼ぎ者への帰村もあった。

 商業的農業は密接に国内外の市場に結びついている。しかし、そのためには加工業および生産物を準備し販売するサーヴィス業が必要であり、それには、電力・交通網・生産農場および集積地・サーヴィス業・市場・通信網のような農村を市場構造に適応させるためのものが必要である。しかし、土地分配後の農家は自らの請負地以外の公共物に関心をもたず、合作社も土地分配後は生産に関する調整能力を失い、もはや農村内のインフラに注意を払わなくなった。そのため10号決議導入後には、電力ステーション・農村地帯交通網・農事試験場・市場・学校・村落内保険所といったもののシステムに合作社が以前ほど関与できなくなった。特に、ポンプステーション・トラクターステーション・種子ステーション・植物防疫ステーションといった農業生産のためのインフラが弱くなったことが問題を孕んだ。


(注3)正式名称は「農業管理の刷新に関する共産党政治局10号決議」(Nghị quyết số 10 của Bộ Chính trị về đổi mới quản lý nông nghiệp)である。


 図2;100号請負及び10号請負下の商品作物の生産量
(1988年を100とする。コーヒーのみ左目盛り、その他は右目盛り)

出典;
Tổng Cục Thống Kê (1994), Niên Giám Thống Kê 1993, Nhà Xuất Bản Thống Kê
Tổng Cục Thống Kê (2001), Niên Giám Thống Kê 2000, Nhà Xuất Bản Thống Kê


3-3. 現代の農業(1993-)

 このような矛盾のなかで、最初の全国農業会議(Hội nghị nông nghiệp toàn quốc)が開かれ、続いて第7回共産党大会党中央執行委員5号会議(Hội nghị BCHTƯ Đảng lần thứ 5 (khóa Z))が1993年6月に開かれ、農業農村問題が主要議題として討議された。そこで土地の長期使用を認める決定がなされ、翌月土地法が全面改正された。93年土地法は、土地の所有権は国家に属するとの原則を維持しながら 、土地の使用権を交換・譲渡・賃貸・相続・抵当する権利を新たに与えた(土地法改正と現代の土地問題についてはコチラを参照)。

 ドイモイ政策10年の節目の年である1996年は農政の面でも大きな節目の都市であった。1月には貧困世帯向けの低利融資を行う貧民銀行が実際の業務を開始した。すでに農業銀行が農家世帯向けの融資行っていたが、担保が必要であり融資を必要とする多くの農家にとっては借入が困難な物であった。貧民銀行の誕生によって、多くの農民が無担保で融資を受けられることが出来るようになった意義は大きい(現代の農業金融についてはコチラを参照)。
 3月には合作社法が制定され、合作社は社員(組合員)が自主的に結成・運営する経済組織であると法的に規定された。つまり名前は同じ合作社(
Hợp Tác Xã)でも、かつての社会主義集団生産の主体であった合作社から96年合作社法では市場経済下の協同組合へと転換したのであった(新合作社法及び現代の合作社問題はコチラを参照)。
 6〜7月には第8回共産党大会が開かれ、ドイモイ10年の総括と2020年までにベトナムを工業国にすることを目標とするための政策について討論が行われた。第8回党大会で採択された「1996〜2000年5ヶ年の経済社会計画の方向と任務」の中で、農業においても数値目標が設定され、これは実際に2000年に目標値を上回る成果をあげた。

 1998年11月に共産党政治局6号決議が発布された。これは党の議決の中で初めて民間農場(
trang trại)の役割が認められたという点で画期的な意味を持つ。さらに2000年2月に政府第3号決議によって、民間農場は法的な地位を確立した。
 日本語で「農場」にあたる物はベトナムでは2種類存在している。一つは主に北部に存在する計画経済時代から存続している国営農場(
Nông trường quốc doanh)であり、農場が土地を管理し農民を労働者として雇う。合作社よりは集団的に管理している。現在でも国の指令で生産を行っており、農具などの生産資材も国の財産である。一部には、新しい技術を導入している国営農場もある。面積は一農場あたり1000ha ぐらいで、中央政府(農業省)が管理しているものは約400存在する。もう一つが上記法規によって認められた民間の農場(trang trại)で、南部を中心に約45000(うちメコンデルタが約20000)存在する。平均面積は6haと国営農場に比して圧倒的に小さいが、今後の市場経済化の流れの中で、さらなる発展の可能性がある。
 
 2000年6月には政府第9号決議が発布され、各作物ごとの具体的目標とともに農産物販売の促進を謳っている。特に後者の部分に置いては、農産物販売機能を持つ合作社の設立や加工・流通企業と農民を媒介する合作社の機能強化が挙げられている点で注目される。

 2001年には農業省が2010年までの食糧安全保障の計画を打ち出した。この計画は、これまでのコメの単純な生産拡大よりは生産効率と品質向上を奨励している事から、ベトナムの農政上の大きな方向転換と言える。



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