ということば……(29) 国語辞典  8/29
普段使っている言葉の正確な意味を知りたくなることがあります。先日「けなげ」のニュアンスが気になり、辞書で調べると「殊勝なこと」と出ていました。この「殊勝」という言葉がまたよくわからないので、今度はそこを引くと「けなげなこと」と出ていました。ううう。
日本語の辞書は単なる言葉の言い換えに過ぎず、言葉の定義ではない、という指摘はもう30年も前からあります。語法もほとんど載せない。せいぜい言い訳程度の例文が一つ。英語のLongman Dictionary of Contemporary English のような辞書がなぜ日本語で出てこないのでしょう。言語の構造上、無理なのかな。
日本語を学ぶとき、 漢字の読み書きはもちろん大切ですが、ぼくはふと、日本人はいつもそこで
足踏みし、その先の、正確なコミュニケーションを身につけるという段階になかなか進むことができていないのではないか、と思いました。敬語の語法にだけは敏感だったりしますが。

ということば……(28)きけわだつみのこえ 8/15
終戦記念日に関連した話題を。今はほとんど読まれなくなっていますが、タイトルはご存じでしょう。『きけわだつみのこえ』。この本をぼくは20代の半ばに読み、大きなショックを受けました。それまでぼくはあの戦争は、事実を知らされない国民が軍国主義者たちに洗脳されて一億総白痴の状態でおこなったものだと、極めて単純に考えていましたが、この戦没学生の手記を読んだとき、彼らが今のぼくたちよりはるかに深く戦争、国家、自由、平和について考えていることを知らされたのです。そんな人たちが結局は時代に抵抗できず、明らかな負け戦のために命を失ったという事実を、どう解釈すればいいのだろう。ひるがえって、平和のありがたさを理解できずにいる今のぼくたちは何をしているのか、と。
ここ数年、日本は少しずつおかしくなってきていますが、こういう本を読むと、戦争は一見平和な日常生活の中に、知らないうちに忍び寄るのだということを教えられます。

ということば……(27)今年も猛暑だ!! 8/1
梅雨のさなかの6月、新宿のビックカメラで団扇をもらいました。そこには「今年も猛暑だ!! エアコン祭」と大きな文字の広告がありました。どの量 販店もTVCMや折り込みチラシで毎年同じことを言っているような気がします。そして団扇の予言どおり、今年も猛暑になりました。地球は確実に暑くなっています。アラスカで氷山が崩れているというニュースも聞きます。ぼくの記憶では、東京では1993年に冷夏がありましたが、その前も後も猛暑ばかり続いています。
20年ほど前のある夏の日、午前9時前に30度を超したというので驚いたのが、今では嘘のような気がします。異常事態があたりまえのようになっている。「今年も猛暑だ!!」といいながら、熱風製造器のエアコンを売っているのは、きっと原子力政策を推進する電力会社やエアコンメーカーの陰謀に違いない。そんなことを思いながら、ぼくはエアコンのない部屋で、この団扇をパタパタとあおいでいるのです。

ということば(26)Independence 独立 7/4
今日はアメリカ合衆国の独立記念日。 日本語だと個人レベルでは「自立」という言葉を使いますが、英語ではどっちもIndependence。
私たち日本人がindependentであることは難しいですね。言葉として聞いたことがあっても、身についていない。社会全体が依存関係で成り立っているから、自立心を養う教育はほとんど行われていません。「世間」とできるだけ波風立てずにやっていくことの方が重視されています。
作家の橋本治さんが『浮上せよと活字は言う』(平凡社ライブラリー)の中でこう言っています。「そして、人は既に十分に心細く、如何なる組織も、人を満足させてはくれない。自分というものが脆弱な人間は、集団組織の中に紛れ込み、そしてその人間の脆弱さが、その集団機能を低下させていく。会社国家日本は、自分というものが曖昧な“会社人間達”によって支えられ、その会社人間達は、会社人間でしかないことによって、会社国家日本を滅ぼす。」

ということば……(25) クローン 5/30
29日付の読売夕刊に、オーストラリアの博物館が絶滅したタスマニア・タイガーの遺伝子複製に成功、クローン技術で10年以内に再生する、という記事が出ていました。
こういうのはクローンのいい用い方かも知れないけど、一方で、イタリアではまもなくクローン人間が誕生するかも知れないという状況です。素直な感想として、人間に用いることには強い抵抗感がありますが、それもなし崩し的にどんどん広まるのでしょうか。
たまたまテレビで流れていたアニメの挿入曲を耳にしていたとき、こんなことを思いました。どの歌もほとんど区別 のつかない同じ歌詞、同じリズム、同じメロディー。歌もシンガーもタレントも、これはもうりっぱなクローンだ。そしてこういうコピー文化によって、人々の中に無意識のうちに、クローンをたやすく受け入れたり求めたりする素地がすっかりできあがっているんじゃないかと。心霊写 真より怖い話……。

ということば……(24) インターネット用語 5/16
Eメールやら掲示板で用いる独特の表現があります。カキコ、レス、トピ、ロムる、など。その他(^^)のような絵文字。ぼくはこの点に関しては極めて保守的なので、ほんのたまーにしか使いません。先週、ここでちょっと紹介した2ちゃんねるには、意味のわからない表現が至る所に見つかります。しかし、ふざけた表現の割には内容は意外にまともです(議題にもよる)。くそまじめに陥らずあくまでお祭り、でもジョークが通じないヤツは容赦しない、という雰囲気がある。
どの世界でも、隠語を使うとオタクっぽくて、グループへの帰属感も出てきます。仲間同士で通 じる言葉を使うのは楽しいことですが、隠語を安易に多用するのは排他的・内向きな印象を与え、それはまるで、似合わないたばこを吸っている十代の集団のようにも見えます。
絵文字の使用も、コミュニケーションであるよりは仲間同士の安心感。ぼくは極力それに頼らず、あくまでも言葉で表現し切ってみたいという欲求にかられるのです。
こんなことにこだわるから、ぼくはいつまでたってもアウトサイダーなんだろうな。

ということば……(23) apprivoiser 4/26
大学1年の春、フランス語の授業で "Le Petit Prince" (星の王子様)を習いました。これは入門書として最適のテキスト。キツネとの会話の中で、仲良くなるためのキーワードとしてキツネが使っていた「飼いならす」という言葉の原語がapprivoiser(アプリヴォワゼ)です。ややこしい単語だったので、逆にずーっと記憶に残っています。
ふつう「飼い慣らす」という言い方には抵抗を覚えるものですが、ここでキツネは、
友情や愛情が育つために時間や決まり事が必要であることを語るのです。今の時代は誰もが自由であることだけを最高の価値とみなしたがりますが(でもほとんどは、自由というより単にわがままなだけ)、実際に動物と人、人と人(家族でも友人でも)の関係で、時間をかけて世話をすることが、つながるためにどれだけ大切かを、このごろ思います。apprivoiserしたジャコウアゲハは、羽がボロボロでも、外を飛ぶアゲハよりかわいく見えます。

ということば……(22) 対句タイトル  4/18
「〜する人、〜しない人」といった対句タイトルの
本、そろそろ下火とはいえ、今も時おり見かけます。『他人をほめる人、けなす人』(草思社、97年)がブームのきっかけだったように思います。この種のタイトルは、店頭で本をつい手に取りたくなるようにつけられています。でもほとんどは立ち読みだけで十分でしょう。
最近新聞広告で見たタイトル『1度の失敗であきらめるヤツ、10度の成功でも満足しないヤツ』(落合信彦著、青春出版社)内容紹介を見ると、後者の方がいい生き方であると主張しているようです。いや、ちょっと待てよ。これは対句じゃないんじゃないか? どっちのタイプもまわりの人たちからは「困ったさん」なのでは? もしかしてこれはジョークか? ……と深読みをしていたら、頭が混乱してきました。
ここでタイトル一案『こんな言葉でわかった気になるヤツ、混乱するヤツ』
 

ということば……(21) お父様的には 4/11
いろんな勧誘の電話がかかってきます。最近何度かあったのが、大学生(女性ばかり)の家庭教師ご用聞きです。流行ってるんですかね。どこで名簿を手に入れるんだ? 今回の人、発音はOLなみにはっきりしていました。が……
「中学一年生を対象に、家庭教師のご案内をさしあげているのですが、お子さまの学習は順調でいらっしゃいますか。」
「そうですね。ちゃんとやってますよ。」
「すると、お父様的には、問題はないということでしょうか。」
「ええ、別に問題はありません。」
「お子さまは、塾さんとかには行ってらっしゃるんですか?」
「いいえ。経済的にも通わせる余裕はありませんので。」
そう答えて、会話は終わりました。
どんな人でも、言葉の使い方でどの程度の知性かだいたい推測できるものです。こういう人に子どもの家庭教師を頼もうなんて、誰が考えるんだろう。それだったらぼくが教える方がよほどましだと思いました。

ということば……(20) Not bad, huh? 4/4
シアトル・マリナーズ球団のCMでイチロー選手が登場しています。これがかっこいい。見ましたか?
脇にかかえたバットでボールを何度かコンコンとトスしたあと、空高くフライを打ちげて、ダッシュ。一塁ベースにおいてあったグローブを拾い上げ、さらに全力疾走。外野に達したところで振り向き、落ちてきたボールを背中でキャッチ。最後にイチローは笑顔で "Not bad, huh?"(悪くないだろ?)。しゃれたアイデアとリズム感のある映像です。イチロー選手のキャラクターを見事に生かしています。
彼ならこんなことできるかも知れない、と思わせる内容。そして最高の決めぜりふ、"Not bad, huh?" 。まさに "Ichi-rific!" 。日本国内は去年も今年も、うんざりする言葉ばかり。あの腐れ切った「いかがなものか」を聞かされると、サッカーの小野、中田、メジャーリーグの新庄、野茂……こういう人たちの、言葉を超えた活躍がまぶしく輝きます。

ということば……(19) 日本人ムネオ 3/18
ムネオ氏関連のニュースを見聞きしながら思うのですが、まともにこの人を批判できる清廉潔白な人がどれだけいるのでしょうか。確かにうんざりする話ですが、どの組織、どの年齢層にも大なり小なりこんな現象は見受けられるでしょう。つまり僕たち一人一人の心の中に潜む日本的権威主義(権力ある者にへつらい、ない者を徹底してさげすむ)とか利己主義(自分だけは損したくない、できれば他人を出し抜きたい)が、こんな人物や事件を生み出している、ということです。ぼくも実際にそういうことを体験しています。
アンネ・フランクは日記の中で戦争についてこう言っています。「戦争の責任は偉い人たちや、政治家、資本家だけにあるのではありません。そうなんです。責任は名もない一般 の人たちにもあるのです。」わずか14歳でこの洞察力。日本の若い世代にこんな人がもっと増えれば、世の中はもう少しましになるでしょうね。そうなっていると信じましょう。

ということば……(18) へこむ 3/6
このごろどうやら若い人が使っているらしい言葉のひとつが、「へこむ」という表現。ちょっと前の「落ち込む」です。「落ち込む」にさえ15、6年ほど前は慎重な態度をとる人がいたものですが。意味は全く同じ。
先日、読売新聞で「立ち上げる」や「生きざま」などの表現に不快感を示す記者や読者の意見がありましたが、その数週間後、1面 の記事で「意外と鈍足」という見出しがありました。これに不快感を示す人はどれくらいいるでしょうか。 三島由紀夫は1970年、遺作『豊饒の海』第4巻の中で、当時の若者について、「わりかし」とか「意外と」とか、何気なく口をついて出る流行言葉に耐えられない、と作中の人物に言わせていました。隔世の感があります。
これらの表現にそれほど抵抗のないぼくも、今あのときの三島と同じ年齢です。さすがに「へこむ」は使いたくない。

ということば……(17) 共存 3/1
先日、NHK『ためしてガッテン』でガン予防がテーマに取り上げられました。その中で、新しい治療法としてガン細胞との共存という方法が紹介されていました。今までの抗ガン剤は、ガン細胞を撲滅することが目的でしたが、それは正常な細胞にも影響を及ぼすため副作用が生じます。でもガン細胞を完全になくしてしまうのではなく、増殖を止めて共存すれば、よりよく生きていくことができるというのです。
これを聞いてなるほどと感心しつつ、このことは単に医学だけにとどまらず、例えば異なる文化や人種との共存という、私たち人間そのもののこれからのあり方にも共通 しているのではないか、と思いました。私たちの身近なところでも、自分と異なるものは敵、自分の敵は抹殺か撲滅しかない、という考え方では結局自分をも危機に陥れることになるのですから。

ということば……(16) 目からうろこ 2/25/02
キリスト教文化がマイナーである日本では、聖書から一般 の日本語に取り入れられた表現は欧米語ほど多くありませんが、ここ数年隠れた流行語みたいになっているのが、これです。NHK『ためしてガッテン』が 震源地ではないかな。最近の特徴は、この省略された言い回しで使われていること。「目からうろこ……」のあとを知らない人が多いようです。「のようなものが落ちた」と続くのですが、もしかしてこれはコンタクトレンズ? あ、それじゃ、ますます見えなくなる(すみません、オヤジギャグです)。
つい先日、ラジオでリスナーからのお便りに「目にうろこでした」という全く逆の言い方をしていたものがあって、そのときイラストを描いていたぼくは、線がゆがみそうになりました。でも、こういう誤りは誰でもやっていて、やがてもとの意味から断ち切られて、誤った言い方が広がることはいくらでもありますね。

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