ということば……(15) Keep
the Fire Within 2/19
ソルトレーク・オリンピックも終盤です。ほとんど見ることなく終わりそうです。前回キャッチフレーズ
Light the Fire Within の話をしましたが、ぼくは先日その峯田版を思いつきました。keep
the Fire Within です。
スポーツと関係がなくても、自分の中に火をともすのはいいことです。そして、その次が肝心。その炎を燃やし続けることです。お祭りの熱狂で火をつけることは、比較的簡単なのではないでしょうか。でもお祭りが終わったあと、たとえ表面
は冷めてしまったように見えても、炎を燃やし続けていたいと思う。種火のようなものでも絶やすことなく、燃やし続けていたい。それができたら、きっと情熱は意志になり、意志は行動になり、行動は形になるはずです。
ぼくの提唱するキャッチフレーズ:Keep the Fire Within ……いかがでしょう。
ということば……(14) Light
the Fire Within 2/15
ソルトレーク・オリンピックのキャッチコピーですね。Fireをもちいるところが冬にぴったりだし、しかも動きがあります。シンプルで、誰の心にもピンとくるのだけれど、こういう副詞としてのwithin
の使い方は、日本人には思い浮かびません。Inside としたくなりますが、これは「隠しておきたい内側」のニュアンスがあるようです。
で、どんな訳がいいでしょう?「うちに火をつけろ」では放火みたいだし、「内側にともしびを」では静かすぎるし、言葉のキレもない。「内なる炎をもやせ」というところでしょうか。でもこれじゃ70年代のフォークソングみたい。これが映画のタイトルだったら、「ライト・ザ・ファイア・ウィジン」というしまりのないものになるのでしょうねえ。日本のメディアはどんな風に訳していたのでしょうか。
(後記:「内なる炎を燃やせ」という訳でした。2/25確認)
ということば……(13) 百人一首その3 2/4
先週31日(木)NHKでかるたクィーンのドキュメンタリーが放映されました。かるた人口は全国で百万人いるそうで、その頂点に立つのが今年で11連覇を果
たした渡辺令恵(ふみえ)さんという人。ぼくは実際の競技をテレビをとおして初めて見ましたが、どの世界でもトップレベルのやっていることは人間業とは思えません。百人一首の内容とは全く関係のない、知力体力の限りを尽くしたすさまじいスポーツです。今クラスで1番を一応誇っている娘もこれを見て、「あたしは趣味にとどめておこう」と言いました。
歌を記憶するときに、ぼくの頭の中になかなか入ってこなくて「こいつとは相性が合わないなあ」と思うものが10首ほどありました。逆に音の面 白いものはすんなりと覚えることができました。例えば、「滝のおとは たえて久しく なりぬ
れど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」
ということば……
(12) 百人一首その2 1/25
百人一首の歌人たちは「物思ふ」のが好きなようです。この場合の「物思ふ」は論理的に思考することではなく、恋煩いで思い悩むという、極めて感情的な世界です。こんなふうに過ごすことがこの時代の貴族たちの価値観だったのかも知れません。
ここに見られる顕著な特徴は、神や仏などの超越した存在を歌ったものが一つもないということです。非常に人間くさい。僧侶が作った歌もたくさんあるのに、内容は極めて世俗的です。「天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女のすがた しばしとどめむ」(僧正偏正)という歌はみなさんご存じかも知れませんが、娘はこの作者を「エロ坊主」と呼んでいます。
僧侶の歌で世捨て人風な趣のものはいくつかありますが、あくまでも人間のレベルです。論理性や超越性よりも「情」の世界ということなのでしょうか。
ということば……
(11) 百人一首その1 1/22
突然思い立ち、遅ればせながら、この歳になって百人一首を暗記しました。小六の娘が学校でやっているからです。クラスのカルタ取りは、娘の独壇場。ならば父親が良きライバル・壁として立ちはだからねば……というのは冗談で、中年の記憶力を試してみることにしただけです。
覚えてみて、若い頃には気づかなかった(関心もなかった)日本の古代文化の一面 が見えてきました。独断による正直な感想を書かせてください。 内容は恋の苦しさを詠んだ歌がやたら多くて、このころの貴族はこんなことで競い合って毎日暮らしていたのかなあと、ちょっとばかばかしい気がしました。人情の機微が表されていると言っても、そこには一定の決まり事があり、その点では、現代の日本人がやたら元気で忙しいことを良しとするのと似たようなものですね。
ということば……
(10) UFJ銀行 1/15
三和銀行はぼくのメインバンクです。それがこのたび東海銀行と合併して、UFJ銀行になりました。数か月前から、銀行のあちこちに予告のスティッカーやポスターが貼ってありましたが、最初にそれを見て以来ずっと、うんざりしているのです。
いくら何でもこんな名前はないでしょう。言語感覚がなさ過ぎるんじゃないか、と全く頭に来てしまいます。公共料金の口座を変更しようかなと思うくらいです。
ま、ぼく一人がそんなこと憤っていても、名前を変更しないことは百も承知だけど(でも変化の激しい金融業界のこと、またすぐにでもどこかと合併して別
の名称になるかも。それに期待しよう)。だいたいこんなアルファベット混じりの名称では、文字を打つのもめんどうです。で、ぼくは「うふじ」と入力すれば「UFJ銀行」と変換されるように登録しました。
……ということば
(9) W杯 1/11
今年はサッカーW杯の年。日本代表にはぜひベスト8まで勝ち残ってもらいたいと思います。マスメディアではサッカーに限らず、ワールドカップを「W杯」と書きます。たった2文字の表現で、みんなふつうに「ワールドカップ」と読むわけです。先日テレビにこの文字が出てきたとき、このアルファベットと漢字の組み合わせを誰が考えたんだろう、って思いました。
例えば両方漢字で「世杯」はどうか?面 白いと思うけど「せはい」と読んじゃうかも知れない。それに今の時代、これはほとんど受けない。それじゃあ、両方アルファベットにしたら?「WC」……あ、そうか、これじゃあだめだ。そうなると、やっぱり「W杯」。なるほど、と感心したひとときでした。ちなみに英文記事で省略表現は今のところ見たことがありません。World
Cup そのままで表現しているようです。
……ということば
(8) 新書がいっぱい 1/7
ここ2年ほど新書ラッシュです。今や本屋さんではスペースがなくて、岩波新書なども過去のものはどこかに消えてしまっています。雨後の竹の子みたいに出ていて、似たような題材が多いけれど、面
白いものも結構あります。最近では、中公新書の『映画の真実』(佐藤忠男・著)が読ませます。これは映画評論ではなく、映画と社会の関わりを論じたもので、特にアジア映画の面
白さをていねいに説明しています。このごろハリウッド映画に食傷気味なので、新鮮でした。いずれ
「この本が面白い」で紹介しようかな。
値段や時間のことを考えると新書は手頃な存在で、つい手が伸びます。それにしても、新書というと1割くらいは英語関連のものが企画されているのではないでしょうか。料理本と同じく、英語関連本は永遠のマンネリズムと言うことでしょう。
……ということば
(7) 指輪物語 1/2/02
去年の初めに、amazon.comでThe Hobbit, The Lord of the Rings を買いました。ずっと前からこの小説は読みたいと思っていたのですが、何しろこの長さ。本棚に飾ってあるだけでした。ところが年末に映画が公開されたじゃありませんか。加えて昨今のファンタジーブームで人気再燃。Harry
Potterは別に見たいとは思わないけど、こちらにはちょっと関心があります。 日本での公開は3月。それまでにThe Fellowship of
the Ring くらいは読んでおかなくてはと思います。
読書がいかに能動的行為であるかは、若い頃から認識しているつもりですが、このごろはさらに強くそう思います。そして、読書の時間は意識的に作り出さなければならないものであることも痛感しています。
今年の目標の一つは、『指輪物語』を読破することです。
……ということば
(6) うま年にちなんで 12/20
すてきな詩を紹介しましょう。吉野弘さんの詩です。多くの詩人と同じく、この人も言葉や漢字で遊んだ、たくさんの詩を作っています。その一つ。
午と馬
午は
牛から角を取り去っただけの地上の動物
という感じですが
馬は
鳥の仲間に見立てたい動物
その疾走は飛翔に近く
多分、隠した翼を持っています
来年はサッカーW杯が開かれます。馬にはいやなことや憂鬱なことぜーんぶ蹴っ飛ばしてもらい、高く飛翔しましょう。
……ということば
(5) Winner
takes all, but... 12/15
9.11のテロ以来、アメリカで心身共に深い傷を負った人たちが、カウンセリングを受けているそうです。その報道の中で、ちょっと気になったことがありました。NY証券取引センターで働く人たちの中には、カウンセリングを受けていることが知れると、弱い人間だと思われて職を失うかもしれないと恐れている人たちがいるというのです。悲しい話です。そういう論理で生き残れる人たちが世界経済を動かしている。
Winner takes all という言葉がありますが、ぼくはそのあとに、but often loses human heart. という言葉も付け加えたくなります。テロはもちろん許せないけれど、貧しい国々からこれほどまで憎まれていることを思うとき、これを機会に、自分たちも含めた人間の弱さを見つめ直してみてはどうかと、一人の平凡な人間として、ぼくは思います。
ということば……(4)11/8
今朝の新聞に新刊の広告が出ていました。
『リトルターン』ブルック・ニューマン作、五木寛之訳、リサ・ダークス絵、集英社刊。「ぼくは再び飛べるだろうか。『かもめのジョナサン』から30年。未来へ羽ばたく愛と友情の物語」というコピーといい、訳者の選択といい、いわゆる癒し系の内容だろうと想像されます。
モノクロで印刷されていましたが、水彩画が美しそうです。その部分には惹かれたけれども、面
白いのは作者よりも訳者の名前の方が大きく出ていること。そして、原題のLittle
Tern(小さなアジサシ)を片仮名で表しただけの妙な邦題。映画の邦題と同じ発想です。五木寛之さんがこんな情けない題を考えたんでしょうか。
つまり、初めからマーケットしか考えていないということがバレバレの本。読む価値ないだろうな。
ということば…… (3)
10/28
9月11日の同時多発テロ事件で、ハイジャックされた飛行機に乗っていた人たちが、携帯電話で家族に伝えた言葉に、"I
love you."というのがたくさんあったようです。
新聞の投書欄に、感動したと書いていた人がいました。ぼくはそれを読んで、日本人ならなんて言うのだろう、と思いました。最も単純な訳語の「愛してるよ」という表現は、若い恋人同士には似合うかもしれませんが、長年連れ添ってきた夫婦間では、ちょっと言いづらいのでは? あるいは子どもに対しても使いづらい表現です。I
love you. と「愛してるよ」では意味も語感も違うのです。
でも、誰しもこんな時、自分の持つ思いを何とか言葉に表して伝えたいと思うでしょう。普段の生き方や相手との関係が、こんな状況での一言に凝縮されるのです。心を託せる言葉を、日頃から育てておきたい。
ということば…… (2)
10/24
いじめや虐待に関連して、言葉による暴力、ということをよく聞きます。 優しさや励ましの言葉で人にふれるのは難しいけれど、人を傷つける言葉は、借り物であっても簡単にふれることができてしまいます。口にした人が「心にもないこと」と弁解しても、容易に傷つけるのです。
もしかすると、軽蔑とか憎しみとか非難の言葉は、レンタル自由の、人間の共有財産なのかもしれません。人間の心の地下水脈でつながった倉庫にあふれているもの。誰でも使える。だからそれは決して「心にもないこと」ではない。
では、優しさとか励ましとか慰めの言葉は、共有財産ではないのでしょうか? そんなことはない。間違いなく共有財産です。でもこれらの言葉は、時間をかけて自分のものにしなくては、使うことができないのです。
ということば…… (1)
10/21/01
このタイトルは「という事は」と「という言葉」を引っかけたものです。毎度追求している言葉の問題を取り上げます。
言葉を発することは、言葉によって相手にさわっていることだ、と竹内敏晴氏が『ことばが劈(ひら)かれるとき』(理想の科学社)という本の中で指摘しています。ぼくは若い頃これを読んで、目を見開かれました。体、言葉、心の関係が見事に説明されていたのです。この本から学んだことは多いのですが、それ以来ぼくがずっと努力している(必ずしも成功していないかもしれないけど)のは、言葉を少しでも相手に届くように語ることです。そのためには語る言葉が自分と等身大になるように絶えず調整し、また、つくりあげていく必要がある。借り物ではいけないのです。
気を抜くと、命のない言葉を自分も使っていたりします。
ということば……B(16〜29)
C(30〜45) D(46〜)
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