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2014年12月
December 2014
12月31日(水)
●基本的にずっと家で雑用。午後はのし餅を買い、実家に届ける。奥と子どもとパルコで合流し、伊勢丹で買い物して帰る。毎年のことだが、大晦日の伊勢丹の地下は大変な混雑になる。そばを買い、年越しそばを作って食す。紅白を見て1年のしめくくり。
12月30日(火)
●カゼが少し良くなったので、自宅で家事など。お昼過ぎに外出し、父の携帯電話を解約し、銀行に届け出をしてきた。いったん帰ってから市役所に行ったが、もう業務が終了していた。さすがお役所(^^;。さらに買い物に出かけ、食料を調達(^^;。
12月29日(月)
●カゼが悪化し、自宅で寝込む。コンタックを飲んで何とか鼻水の症状を抑えた。料理も作れないので、家族で外出してこもれび食堂+で食事。2日前にも行ったが、奥がいたく気に入ったので。今回はカレーを食してみたが、こちらも安定の旨さである。その後、パルコに行ってプリンタ用のインク等を購入。地下で買い物をして帰る。家では断続的に寝る。
12月28日(日)
●佐川の営業所に朝イチ(8時)に電話して、ブツを午前中に届けてもらった。クリスマスのプレゼントがだいぶ遅くなってしまった。ところでいったん治りかけたカゼがまたひどくなった。のどが痛くて鼻水が出て鼻がつんつんする。薬を飲んだがだるいので1日中自宅で静養。子どもも鼻水がひどいので、うつされたのかも知れない。子どもの分の年賀状(自分の分はすべて喪中はがきにしたが、子どもの分だけは年賀状を出すことにした)をプリントアウトしようとしたところ、インク切れで止まってしまった。買いに行きたいが、体調不良で外出できない。夜は奥に夕食を買ってきてもらった。
●自分用にDSの『レイトン教授と不思議な町』を買ってみた。最初の方だけプレイして見たが、なかなか面白そうだ。また、4〜5年前に買ったパナソニックのシェーバーがついにいかれポンチになったので、「ES-LV76-A」に買い替えた。これは素晴らしい。ヒゲを剃った後の肌がスベッスベになる。しかも剃り味は軽くて爽快。なぜもっと早く買い替えなかったのか(^^;。
12月27日(土)
●子どもが学童で遊びたいというので、学童に預けた。私と奥はお昼過ぎに外出し、浦和のこもれび食堂+で食事。ここは素晴らしい。簡潔に表現すると「ヘルシーなのに旨い」(^^;。少々値は張るが、この味なら納得である。油っぽい食べ物をガッツリ食べたい場合には向いていないが、あっさり系の食事をしたい場合にお薦めできる。店を出てから奥は某ライブに出かけた。私は買い物して自宅でカレーを作り、子どもと食べた。何か物欲が増進したので、本を中心にネットで爆買い。ところでサンタさんのプレゼントが夜に届くはずだったのだが、結局届かなかった。宅配業者は佐川なのだが(笑)、荷物の追跡をしてみたところ、18時頃からずっと「配達中」というステイタスだったのに結局配達できずに持ち帰ったらしい(^^;。血管がぶち切れそうになった。ヤマトだと絶対にこんなことはないのだが。
12月26日(金)
●子どもはサンタさんがまだ来ないので不満なようだ。今年、サンタさんはいろいろあって忙しいんだ。ごめんね。午前中はAmazonや楽天でいろいろ注文(^^;。郵便局に行き、買い物して帰る。
●師匠からは丁寧なお悔やみのメールをいただいた。感謝感激である。自宅では父が年金をもらっていた私学共済やカード会社に電話連絡。某カード会社からは死亡診断書等の公的書類をFAXで送るよう指示された。カードひとつ解約するのも大変だ。そのカードからは携帯電話の料金が月々引き落とされていて、すみやかに解約しなければならないのだが、その携帯電話の現物が見当たらない。しばらくは各種手続きに忙殺されそうである。
●父はもういい歳だったので寿命が尽きたのは仕方ないのだが、痛感したのは「何か言い残したいことがあれば元気なうちに言って(書き残して)おかなければいけない」ということだ。入院する前から少々ボケが来ていたし、容態が悪化した時は吸入器を付けていて会話ができる状態ではなかった。何か言いたいことがあったのかも知れないが、ろくな話もできないまま逝ってしまった。自分も高齢になったら、たとえ元気でも遺言書は作っておき、何らかの形で家族へのメッセージは残しておきたいと思った。
12月25日(木)
●1日中雑用。浦和方面に出て、薬局で子どもの薬をもらっておいた。ついでにパルコに寄って、オリーブハウス中村屋でパフェを食してきた(^^;。自宅では奥がケーキの台を買ってきて、生クリームをホイップしてイチゴサンタを作り、ケーキを作った。割と良くできた(^^;。
12月24日(水)
●午前中に喪中はがきの宛名印刷を済ませ、さいたま中央郵便局にまとめて出した。自分の分はとりあえず終わった。郵便局の隣の7th Ave.の中にある「Grill&Kitchen eee(イースリー)」で昼食。国産牛サーロインのローストを注文した。この店はサラダビュッフェがあり、サービスも内装も良くて好感が持てるのだが、ただ一つの問題は出てきた肉が冷めてぬるくなっていたことだ。冷たくなっていたわけではないので許容範囲とも言えるが、なぜこんなことになったのかと言うと、(1)焼き上がってからそれを給仕するまでの間に何らかの理由で時間がかかってしまった、(2)皿が冷たかったので肉が冷めてしまった、(3)ソースが冷たかったので肉が冷めてしまった、のいずれかだと思うが、いずれにせよあまり褒められた話ではない。肉の味はおいしかった。ぬるくなってしまったことを除けば他の要素は完璧だっただけに残念。機会があれば再訪して、もう一度確かめてみたい(^^;。買い物していったん帰る。
12月23日(火)
●朝早くからタクシーで浦和斎場へ。セレモニーは行わないので待合室は使えないらしく、ロビーのイスに座って待機した。準備ができたので会場に行き、棺の前でお焼香をしたあと最後の対面をした。棺に花を詰め、全員でふたを閉めた。斎場では儀式が終わって火葬の準備ができたら直ちに焼き場に移動するようにしているらしい。他の団体は会葬者が多いうえに僧侶を呼んで読経などさせるために時間がかかっているらしく、私たちが最初に火葬する運びになったようだ。10基ある焼却炉の真ん中(なぜか炉の番号は10番)を使わせていただいた。焼却は1時間程度かかる。ロビーでずっと座っているのも何なので、姉や子どもたちと一緒に外を散歩した。土手まで上がっていくと秋ケ瀬公園が見渡せた。天気が良く、はるか向こうには富士山がよく見えた。斎場の方向を見ると、焼却炉の建物には煙突がなかった。熱で空気がゆれているのがわかったが、煙は出ていなかった。最近の焼却炉はハイテクで、無煙で焼けるようになっているらしい。寒かったので戻ると、ほどなくして焼却が完了したとの連絡があった。焼却炉別室で骨を拾い、骨壺に入れた。骨壺を受け取って火葬は終了。タクシーで実家に戻った。実家では寿司を出前してもらってみんなで会食。まったりしてから帰る。帰りがけに楽風に寄って一服。帰ってからちょっと仮眠しようかと思ったが、眠いのに眠れず。夕食は景気づけにプルコギを焼いて野菜を巻いて食べた。とりあえず葬儀は無事に済ませたが、これからの各種手続きが大変なのだ。ひとつひとつ片付けていくしかない。
12月22日(月)
●午前中は喪中はがきの打ち出し。午後から大学に行く。3年ゼミ/4年ゼミの作品提出日だったので、研究室で待機。ほぼ全員提出した。事務局でとりあえず弔事報告書をもらったが、葬儀の前に提出すると何かと気を遣わせてしまうため持ち帰った。帰宅して肉じゃがを作る。圧力鍋を使ったら圧力をかける時間が長すぎて、ジャガイモがとろけてしまった(^^;。
12月21日(日)
●年賀はがきを200枚買ってあったので、さいたま中央郵便局に行ってみたところ、申請書を書けば無料で喪中はがき(切手部分が胡蝶蘭の普通はがき)に交換してくれるという。初めて知った。ネットで喪中はがきのテンプレートをダウンロードして、自宅で作成。慌てて印刷屋に注文しなくて良かった(^^;。午後から奥と子どもはガールスカウトの行事に参加。タクシーで送った後、私だけ実家に行く。実家には父の蔵書も雑誌も服も山ほどあり、これらをどう処分するかという問題もあるのだが、年金や保険、銀行関連の手続きを早急に進めなければならない。22日まで授業があるため、祝日をはさんで24日から本格的に動かなければならない。パルコで買い物してから帰る。夕方に奥と子どもと待ち合わせ、ヨーカ堂で買い物。行くたびに『妖怪ウォッチ』の売り場が広くなっているのでびっくり(^^;。夕食は残り物で済ます。
12月20日(土)
●奥は仕事、子どもは学童。年末で仕事が忙しく、しばらく見舞いに行っていなかったし、11月分の入院費を支払わなければいけないため、病院に行こうと思った。なぜかステーキが食べたかったので、病院に行く前に腹ごしらえをしようと思い、北浦和の肉の万世に行って食事しはじめた。すると姉から電話があった。タクシーで病院に駆けつけたが、すでに父は亡くなっていた。日記には書かなかったが、2週間前から容態が急変し、いつ亡くなってもおかしくない状態だった。医師からは「今後は治療というよりは苦痛を取り除く措置が中心になります」と告げられていた。覚悟はできていた。むしろ、よくぞ授業がほぼ終了する時期まで持ちこたえてくれた。その点に感謝したい。最初に駆けつけた私が家族を代表し、医師とともに臨終の確認をした。死亡診断書に記載される「死亡時刻」は、医師が家族の立ち会いのもとで死亡を確認した時刻であって、実際に死亡した時刻とは必ずしも一致しないということを初めて知った。呼吸と心臓が止まったのは12時頃だったらしいが、正式に死亡を確認したのが12時53分である。享年85歳。病院の方で体を拭いて着替えさせてくれるということで、家族はそれまで談話室で待たされた。その間、家族で葬儀のことなどいろいろ相談した。入院費の精算をしなければならないが、金額がまだ確定しないので病院にはとりあえず内金を支払い、それと引き替えに死亡診断書を受け取ることになっている。この死亡診断書がないと、葬儀社への依頼もできないし各種の手続きもできない。「地獄の沙汰も金次第」ということわざがあるが、金がないと天国に行くのもままならない。14時過ぎに準備ができたというので、家族が遺体と対面した。ちゃんとひげも剃り、きれいな状態にしてくれていた。その場で姉があらかじめ見積もりを取っていた葬儀社に連絡。15時に引き取りに来てくれることになった。姉と姪はいったん帰宅したので、母親と一緒に遺体の前で過ごす。15時過ぎに遺体を病院の霊安室に移し、そこで看護婦と担当の医師がお焼香をしてくれた。葬儀社の車が来ていたので、私と母親は遺体とともに葬儀社に向かった。外は冷たい雨が降り続いていた。葬儀社に到着すると、遺体を葬儀社の霊安室に安置した。そして葬儀の打ち合わせをした。父は生前、葬儀は要らないと話していた。墓も要らないとさえ話していた。そのため家族の話し合いで葬儀は近親者だけで行う事とし、火葬場で簡易な式だけ行う「直葬」という形式を取ることとした。父は往年のマルクス主義信奉者らしく無宗教だったため、坊主は呼ばない。戒名も付けない(本来、檀家でなければ戒名は必要ないと個人的には考えている)。直葬の場合は遺影も必要ない。そして弔問・献花・香典など一切を辞退することとした。気を遣わせてはいけないので、勤務先や同僚などに通知するのは葬儀が終わってからということになる。冷たい雨の中、タクシーで帰った。家に帰ってから、子どもにじいじが亡くなったことを話した。子どもは泣いた。じいじのために泣いてくれてありがとう。優しい子だね。長い一日が終わった。
12月19日(金)
●午前中に非常勤の授業。無事終了した。忌引で休講にならなくて良かった。歯医者に行った後、実家に行って母親と会う。その後、郵便局で父の口座から代理でお金をおろした。これで入院費は何とかなりそうである(^^;。
12月18日(木)
●びんでぃ→大学。大学では粛々と授業。
12月17日(水)
●授業の合間に某雑用。だいぶはかどった。5限の授業が終了した後、2年ゼミのお食事会を実施。19人の参加があり、割と盛り上がって楽しかった。ところが帰りがだいぶ遅くなったので奥がつむじを曲げてしまった(^^;。
12月16日(火)
●年内では最後の基礎演習とプレゼミ。無事に終了。夕方から某会合。仕事が追いつかない(^^;。
12月15日(月)
●びんでぃ→大学。授業の準備とゼミ。
12月14日(日)
●奥は1日中仕事。子どもを連れて日舞へ。衆議院選挙のため公民館が使用できなくなり、今回は埼玉会館の和室を利用した。お稽古の合間に選挙に行く。毎年恒例の先生宅の大掃除があったので、いったん自宅に帰って食事してから子どもを連れて行った。私はパルコに行って本を買って帰る。子どもを迎えに行き、伊勢丹に寄って子どもの本を買い、食料品を買って帰った。奥の帰りが遅くなったため、武蔵浦和で待ち合わせて駅ナカを見て回り、一家で回転寿司(海鮮三崎港)に入って食事。食事中に湯飲み茶碗をひっくり返してしまったのだが、この茶碗はプラスチック製で軽く、倒れやすい。見た目もチープだ。醤油皿も同様である。まあ駅ナカだからしょうがないか。帰宅途中から、奥と子どもの胃腸の調子が悪くなった。なぜだろう(^^;。
12月13日(土)
●奥も私も仕事だったので、子どもを学童に預けた。私は大学でAO入試の面接。つつがなく終了。合否判定教授会がなかったので速攻で帰る。お昼は武蔵浦和の駅ナカで「舎鈴」のつけ麺を食す。鰹節のダシが効いており、ネギも大量に入っていて結構辛いが、ネギは大好きなので割と気に入った。津気屋よりも旨いかも知れないが、津気屋にはシメのご飯とかカレーパウダーがあったり、大盛り無料だったりして、サービスも含めてトータルに見ると津気屋の方が少し上か。夕方に子どもを迎えに行ったが、夕食を作る気になれなかったので、栗ごはん以外は残り物で済ます(^^;。
12月12日(金)
●非常勤の授業の後、大崎で食事せずにすぐ帰る。武蔵浦和は昨日から駅ナカがオープンして、いまだに客でごった返していた。その中で、回転寿司(海鮮三崎港)に入る。銚子丸と比べてネタの種類も少ないし質もいまいち。何よりもネタをシャリの上に乗せているだけで握っていない。ただタッチパネルで注文すると、席の前までレールで皿を運んでくれるのは面白い。子ども連れに向いていると思うが、テーブル席はなくすべてカウンター席である。ちょっと狭い。いったん帰宅してから、月1で通っている某クリニックへ。父親の容態は少し良くなったようなので、見舞いに行かずに帰る。
12月11日(木)
●父の代理で預金をおろすため、朝イチで銀行と郵便局に行った。名義人の保険証と印鑑、代理人の身分証明書があれば少額ならおろせるという(高額の場合は委任状が必要である)。手続きは無事終了。びんでぃ→大学。午後まで雨が降っており、大変に寒かった。授業終了後、劇団SHOWの公演を観た。帰りがけに昨日に引き続き病院へ。姉と今後のことについていろいろ話す。ところで武蔵浦和駅は本日から駅ナカの「ビーンズキッチン」がオープンした。大変な混雑になっていた。ざっと見てすぐに帰った。もっと空いている時にゆっくり回ってみよう(^^;。
12月10日(水)
●大学で粛々と授業。入院中の父の容態が悪くなったとの連絡があり、授業終了後に病院に行った。姉も到着。確かに悪かったが、緊急ではなさそうなので、担当の先生の話をうかがってから帰った。帰りがけに実家に寄る。そんなわけで帰りがだいぶ遅くなった。
12月09日(火)
●基礎演習とプレゼミを粛々とやる。終了後は委員長会議→教授会。少し授業の準備をしてから帰る。
12月08日(月)
●びんでぃ→大学。4年生の卒論/卒制はおおむね順調に進んでいるようである。
12月07日(日)
●奥が仕事のため、ガールスカウトに子どもを連れて行った。まだ正式に加入していないが、近いうちに入団する予定である。子どもを預けてからマツキヨに行って風邪薬を購入。お昼に迎えに行き、浦和駅前のデニーズに行って食事。なぜデニーズかと言うと、デニモバで8%割引クーポンがあったからである(^^;。あとは自宅でうだうだ。
12月06日(土)
●朝から公募推薦入試の面接。つつがなく終了。帰ってから実家に行き、パルコで買い物。カゼがひどくなったので薬を買う。鼻水のため、夜はほとんど眠れず(^^;。
12月05日(金)
●非常勤の授業。父親が入院しているので、夕方に一家で見舞いに行く。姉と甥、姪も来ていたので一緒に帰る。浦和伊勢丹のCiao(チャオ)という店で食事。初めて入ったが、量が多いし味もそんなに悪くない。でも席が狭くて居心地が悪い。そのせいかどうか知らないが、いつ前を通っても空いている(^^;。ところでカゼが悪化し、ノドが痛くなった。声が本調子ではない。いかんな。
12月04日(木)
●びんでぃ→大学。3限の時間に卒業生が来訪。しばし談笑す。授業のためあまり時間がなかったのが残念。夜は母親と一緒に入院中の父を見舞いに行く。容態はあまり良くないが、安定しているようである。母と一緒にタクシーで帰る。
12月03日(水)
●粛々と授業。これまでずっと風邪気味だったのだが、カゼの症状がいよいよ本格化してきた(^^;。
12月02日(火)
●基礎演習→プレゼミ→総合演習二次募集の面接→ハラスメント防止委員会→某飲み会。ああ忙しい。疲れた。
12月01日(月)
●びんでぃ→大学。相変わらず出席者が少ない。みんな忙しそうだ(^^;。