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*「戸板康二ダイジェスト」制作ノート・更新メモ、2004年7月更新分(039)を当時のまま載せています。リンク切れはご容赦。




#039
網野菊さんの書評、街の背番号と東京味覚地図(01, July. 2004)


References【戸板康二を語る人びと・レファレンス】に網野菊さんの書評を追加。

先日、図書館で「週刊読書人」を閲覧していたら、戸板さんの記事がザックザクでホクホクだった。一心不乱にコピーにいそしんだなかから、今回の更新では、網野菊さんの書評をピックアップ。大好きな網野菊さんが大好きな戸板さんの書評を4冊も書いていた。こんなに嬉しいことはなかった。そして、いざ読んでみると、その衒いのなさ具合がいいなアと、にんまりの連続だった。わたしもこういうふうな感じで戸板さんの本に接していきたいものだ。それから、4冊のうち3冊も、定価への言及があるという、こういう書評はけっこう珍しいような気がする。飄逸というかなんというか、いいなア……。たいへん和んでしまった。ますます網野菊さんが大好きになった。

と、網野菊さんの書評はたいへんツボで、抜き書きファイルを怒濤の勢いで作成してしまうほどだったのだけれども、このほかには、武智鉄二が『街の背番号』[*] の書評をしていて、クスクスッとなった。ついでに抜き書き。
「興味深い風俗資料」
 戸板康二君の話術のうまさは、友人仲間に定評がある。短いエピソードを話しても、起承転結がちゃんとあるのだ。人称してこれを「戸板講談」という。
 几帳面な性格の戸板君が、几帳面にオチをつけて行くおもしろさが、この『街の背番号』からはっきりうかがえる。
 相撲取が野球を観に行って一番好きなのは二死満員だと答えた。『「満塁」といわずに「満員」といったのが、ゆかいである。――満員御礼という国技館の垂れ幕を思い出した。』といった具合に、安心して話術にもたれかかって行ける文章なのである。
 これは「週刊東京」に二年にわたって連載されたもので、三百二十六の話を、三十項目に分類して編集している。戸板君の専門である「演劇」の項目は案外少く、「宣伝」「発明」というような変ったものから「街頭」「女性」などという一般的話題にまで及んでいる。
 どれを読んでもおもしろいし、ことに身近かな話題を改めて著者に指摘されて見なおす新鮮さも味わえるし、また読者自身を昔の思い出のノスタルジーにさそうようなところも多い。
 しかし、何よりもありがたいのは、戸板君が、几帳面でソツのない記述で、現代風俗を記録しておいてくれたことだ。こういう小さな風習や出来事が、あとになるとわからなくて困ることが多い。すぐれた昭和風俗資料として残ることだろう。
(「週刊読書人」昭和33年10月13日)

東京味覚地図 昔の新聞や雑誌を眺めていると、目当ての記事だけではなくてその周辺の記事や広告で同時代のことに思いを馳せることができるのが毎回毎回たのしいのだけれども、この武智鉄二の『街の背番号』書評と同じ誌面に、奥野信太郎編『東京味覚地図』(河出書房新社、昭和33年9月)の紹介があって、「おっ」となった。ここに載っているお店をめぐってみよう、という記事が「東京人」や同じような読者層の雑誌でよくありがちで、今でもちょくちょく雑誌などで目にする本。現にわたしも、この本を知ったのは、戸板康二に夢中になったまなしの頃、叔父宅にあった今はなき毎日新聞社発行の「アミューズ」という雑誌がきっかけだった。ほんの気散じに眺めていたところ、奥野信太郎編『東京味覚地図』という本、戸板康二が「新橋」を執筆している! ということを知って、帰宅後ネットですぐに取り寄せたのだった。以来、ずっとお気に入りの本で、この本で当時の東京の町に思いを馳せるときの感覚は、なにがしかの好ましい昔の日本映画を見ているのとよく似ていて、そんな「銀幕の東京」気分がいつも大好きだ。
と、目次はこんな感じ。奥野信太郎編『東京味覚地図』は奇しくも『街の背番号』[*] とおなじ、昭和33年9月の発行。さらに奇しくも、装幀は2冊とも岡村夫二! と、わたしは推測している。『東京味覚地図』の方には装幀者の表示がないのだけれども、中をめくるといくつもの東京の町を描いた挿絵があって、その片隅にはいずれも「夫二」とサインがあるから、たぶんすべて岡村夫二による挿絵で、表紙の字の感じもとっても岡村夫二ふうだ。なので、かぎりなく確信に近い推測。


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