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*「戸板康二ダイジェスト」制作ノート・更新メモ、2004年1月更新分(033)を当時のまま載せています。リンク切れはご容赦。




#033
2003年の戸板康二道をふりかえる(12, January. 2004)


大変遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

2004年になって早々、岩波現代文庫で『歌舞伎への招待』[*] が刊行、続いて来月は『続歌舞伎への招待』[*] も刊行、それからもうすぐ発売の季刊誌「BOOKISH」第6号は戸板康二特集号となっている。などなど、戸板さんの名前が立て続けに本屋さんに登場することとなる。これほどまでに立て続けの嬉しいニュースは、「戸板康二ダイジェスト」始まって以来のことだ。もちろんこれからできるかぎりフォローしていきたいところなのだけれども、その前に、今回の制作ノートでは旧年中のやり残しを。新年を迎えるにあたって、2003年のわが戸板康二道を振り返ってみたい。

1月:

車谷弘『銀座の柳』を入手、たいへん感激する。車谷弘も戸板康二を通して知った人物だった。前年に読んだ『句会で会った人』[*] を機に、永井龍男や車谷弘のこと、車谷弘が影の編集長だった「銀座百点」のことなどを追うにつれて、内田誠や久保田万太郎がいた「いとう句会」諸々に興味津々になっている。「いとう句会」研究は2004年以降の最大の抱負のひとつ。

1月23日、静かに没後10年を迎える。


2月:

ヴォルフガング・ライプ展のあと神保町にて『演劇人の横顔』[*] 購入。


3月:

『芝居名所一幕見 舞台の上の東京』[*] で戸板康二が東京をめぐったのは昭和28年、今年ちょうど50年目だ。と、急に思いついて、この本に挙がっている芝居名所めぐり計画を思いついて資料作成にいそしみ、さっそく目黒へ行き、月末は四谷へ。が、その後さぼってしまって、無念の頓挫。

念願の講談社文庫の『夢声自伝』上中下を入手。と、そのすぐあとで、濱田研吾さんの『職業“雑”の男 徳川夢声百話』を入手。大感激する。


4月:

濱田さんの仕事を目標に戸板康二道に邁進しようと、目標が出来たことで気が引き締まったのと新年度のはじまりが同時だったのとの相乗効果で、急にやる気満々。とりあえず、大学図書館での雑誌調査を開始。これは現在も継続中。

何の因果か御成門近くの大学病院に通院する羽目になる。御成門といえば戸板康二生誕の地のすぐ近く、戸板康二散歩をするよいチャンスではないかしらと気を紛らわしたものの、当日になってみるとさすがに病院のあとさきでは散歩する意欲わかず。またの機会にすることに。

野口冨士男を読み始める。『私のなかの東京』の始まりは外壕線。戸板康二もエッセイでなつかしそうに振り返っていた都電の路線だったのでなにかと心がスウィング。同時代の山の手の子でありながらもあちこちで伺える戸板さんとの東京への見解の相違も面白かった。以降、野口冨士男に夢中になる。

野口冨士男読みはじめは、『作家の椅子』だった。この本を買ったのは、前々からなんとなく気になっていた作家のエッセイ集であったものの、タイトルに「椅子」がついていることが決定打となった。戸板康二『劇場の椅子』[*] 、渡辺保『劇評家の椅子』、福原麟太郎『本棚の前の椅子』、高田保『二つの椅子』……といった感じに、わたしのひそかな愉しみが、書棚の「椅子」コレクション。よって、野口冨士男読みはじめも戸板康二道の一貫と位置付けたい。さらに、『作家の椅子』を機に、前年よりなにかと気になっていた、雑誌「風景」に一気に興味津々となった。→ Magazines【戸板康二が通り過ぎた雑誌おぼえ帳】作成。

筑摩書房「明治の文学」の最終配本で待ちに待っていた饗庭篁村を買ったのと同じ日、『舞台歳時記』[*] 購入。


5月:

祝・病院通い終了、やれ嬉しやとなんともいえない解放感を胸に、西荻へ出かけた平日の午後、よいお天気でさらに上機嫌だった。音羽館で、慶應予科の学生の頃に戸板さんが英文学の講義を聴いた戸川秋骨の『現代ユウモア全集 楽天地獄』を買う。その直後、ゴゴシマヤで六代目菊五郎の『芸』、函入りの立派な本が数百円で安いので購入。初めて読むことになった戸川秋骨の文章がとてもよくて、またもや、戸板さんに魅惑的な書き手のことを教えてもらったなアと喜ぶ。

六代目菊五郎の『芸』をめくっていたら、急に『髪結新三』が見たくなって翌日いそいそと歌舞伎座の幕見へ出かけた。そのまた翌日、『見た芝居・読んだ本』[*] をめくっていたら、「読書日記」に『髪結新三』の劇評を書くので『月草』所収の三木竹二の劇評に目を通した、云々というくだりがあって、シンクロ具合にちょいと心が躍った。森鴎外と三木竹二の『月草』は戸板さんの文章で何度も目にして、いつか欲しい夢の1冊となって久しい。その『月草』が岩波文庫で出るということを聞いたのだが、どうなったのだろう? 戸板康二の『歌舞伎への招待』の方が先になった。


6月:

谷沢永一に興奮する。

夏至の日、『ハンカチの鼠』[*] と『歌舞伎 その歴史と様式』[*] を購入。

石神井書林の目録で、内田誠著『遊魚集』購入。これは明治製菓宣伝部勤務時の戸板康二の直属の上司の随筆集、戸板康二が編集したという(『思い出す顔』[*] より)。と、「スヰート」時代の戸板康二に思いを馳せたその直後、「彷書月刊」7月号《PR誌の向こう側》特集で、紅野謙介さんが「雑誌『スヰート』のもうひとつの構図」という文章を寄せているのを発見。立ち読みして即購入。大感激する。

『武蔵屋本考』が売っているのを見つける。激しく悩む。とりあえず早稲田の演劇博物館の図書館へ出かけて実物を閲覧してみることに。いざ閲覧すると、「戸板康二氏寄贈」の文字があってジーンとなり、本を実際にめくってますますジーンとなった。それにしても、演博の図書館は、早稲田大学とは何の縁もなく演劇学徒でもないわたしのような者でも自由に資料を閲覧できるというわけで、ありがたいことだと思う。ちなみに、この日、懸案だった、益田太郎作詞の「コロッケの唄」の全歌詞も調査、だからどうした、ということもないのだけれども、「コロッケの唄」のことを知ったのは『ぜいたく列伝』[*] がきっかけだったから、これも戸板康二道の一貫と位置付けたい。


7月:

目白で『武蔵屋本考』購入。後日、記事作成。→ Special【藤木秀吉遺稿集『武蔵屋本考』のこと

五反田古書展にて、『劇場歳時記』[*] 購入。


8月:

串田孫一の『荒小屋記』と『日記』を図書館で借りる。夏休みに読んで大感激。『日記』では敗戦を挟んだ2年間ほどの戸板康二の書簡を見ることができて、この時期の戸板さんのことが少しわかって、ぐっとなる。その後もいつまでも余波が続いた。感激のあまり抜き書きファイル作成。→ Extract【串田孫一宛て書簡より・敗戦直後の串田孫一と戸板康二

「俳句朝日」8月号の、七田谷まりうすさんの連載「文人たちの俳句」にて戸板康二が取り上げられていることを、本読みの快楽の掲示板にて教えていただいた。のを、後日思い出して、立ち読みに出かけたら、新しい号が出ていて立ち読みならず。結局注文して購入。その後、いままであまりきちんと接していなかった戸板康二の俳句に親しんでいきたいと思わせることに何度も遭遇、2004年以降の抱負のひとつ。


9月:

「東京人」10月号の小津特集号の第2特集《文士お気に入りの洋菓子》にて戸板康二登場! ということを、またもや本読みの快楽の掲示板にて教えていただいて、いそいそと買いに。小津安二郎で大盛り上がりの2003年、小津安二郎大好きだけどもなんとなく避けて通っていた、出版界を含む幾多の小津喧噪だった。が、いざ読んでみると、小津特集、とても面白い。と、小津特集号を入手できたという嬉しさもあったし、戸板さんがドカーンと載っていて、しかも「戸板康二ダイジェスト」で前々から注目していた自由が丘のモンブランの紹介でわが意を得たりのよろこびもあった。よくこの手の特集にあるような、池波正太郎チックな感じに、趣味のよい東京の文人、みたいな文脈でも戸板康二の存在はもっとクローズアップされてもとよいのではと思っている。前月の「俳句朝日」に引き続いて、文人・戸板康二の紹介が続いたのは嬉しかった。

9月3日は折口信夫の没後五十年。雑誌「新潮」の折口特集を購入。そのあと、『三田の折口信夫』を貸していただいて、さらに興奮。10月には「三田文学」でも折口特集が編まれた。戸板康二を読み始めたまなしの頃から愛読していた文章がまとまった、上村以和於さんの『時代のなかの歌舞伎』が発売になった。などなど、9月に入って戸板康二道がさらに盛り上がることおびただしいのだった。

福原麟太郎『芝居むかしばなし』購入。丸善の「学鐙」に連載された、筆者の大正期の芝居見物回想。あちこちでこの連載をたのしみに読んでいる戸板さんの姿を見ることができた。饗庭篁村、竹の屋主人の劇評をちりばめた構成になっていて、饗庭篁村読み始めの今年に読むのにぴったりの本だった。至福の一冊だった。これを読んで年末は奥村書店で『竹の屋劇評集』を買う! と決心したものの、他に本を買い過ぎてお金がなくなって、実現ならず。

かまくら落語会で雲助師匠の「唐茄子屋政談」を聴いた日に、芸林荘にて『写真歌舞伎歳時記 春夏』[*] を150円で購入。

隅田川文庫にて『歌舞伎十八番』[*] が復刻されているのをアマゾンで発見、えー! と、即注文。が、届くより前に昼休みの本屋で発見した。発見と同時に、表紙のルビが「Toita Kouji」となっていることに気づいて思いっきり萎える。実は「戸板康二」は「といた・やすじ」と読むのです。


10月:

反町の古書展にて、戸板康二の昭和19年の書簡、封筒付きを購入。とうとう草稿類にまで手を出してしまい、禁断の地へ突入してしまった! と猟奇的気分を味わいつつも大喜び。

戸板康二出演のラジオ放送の録音をいただいて狂喜乱舞。昭和53年の多賀之丞の追悼放送。初めて聴いた戸板さんの声はその人間の厚みというか教養がにじみ出ていて、いざ聴いてみると一言では言い表せないような、想像をはるかに越える感激があった。以降、この放送番組、夕食の時間のたびに聞きなおしすっかり中毒になる。ああら、怪しやな。これを機に、2004年以降の抱負のひとつに、戸板さんのテレビ出演のVTR視聴を掲げているのだが、実現はいつになることやら。「徹子の部屋」、大学教授役で出演した昭和44年RKB 毎日制作のドラマ『結婚式』がまっさきに思いつく。1971年の夢声追悼番組で司会をしているものの、「私だけが知っている」同様、VTRは残っていないらしい。

水木京太の雑誌「劇場」に掲載の、戸板さんの「菊五郎と梅玉」というタイトルの劇評が面白いですねというメイルをいただいて、『今日の歌舞伎』[*] を読み返してハマる。「菊五郎と梅玉」、舞台が見えてくるようだった。昭和20年代の歌舞伎とその時代および戸板さんの劇評の整理というのも今後の抱負となる。

大伴昌司に関するメイルをいただいて、彼が「宝石」で連載していた「ある作家の周囲」の戸板康二登場号、昭和37年11月号を何年ぶりかでめくって、その名編集ぶりにあらためてうっとり。大伴昌司の名前を心に刻む。


11月:

さる方から、戸板康二の学生時代に住んでいた仙石山のアパートが荷風の偏奇館のわりかし近所ということも教えてもらった。歌舞伎座の初日の翌日、富十郎の『船弁慶』を幕見席で見たあと、日比谷線に乗って神谷町に出かけて、初めてかの地を歩いて感激する。戸板康二の仙石山のことは前々から大好きな挿話だった。デジカメを持参して、戸板康二散歩の記事を作りたかったなあとちょいと悔恨。戸板康二散歩は2004年以降の抱負としたい。(と、抱負だけはたくさん)

同じ方より、初めて買った戸板康二の本、『芝居名所一幕見』の東京篇 [*] をめくっていたら、高輪細川邸跡のところに「黒門」のことがあった、この本執筆当時の昭和28年には上野の博物館へ移築中の最中という記述が目にとまった、という内容のメイルをいただく。その直前にその方と小津安二郎の『東京物語』がらみで東京国立博物館のことを話題にしていたばかりだったから、『芝居名所一幕見』を機に小津の『東京物語』へと思いが及んだ。と、その「黒門」のあとで戸板康二が『芝居名所一幕見』の取材で東京をめぐっていたのと、小津が『東京物語』のロケハンをしていたのがまったく同時期の昭和28年6月から8月にかけて、ということを御指摘いただいて、とにもかくにも大興奮。今まで、わたしはまったく見逃していたことだった。そんなこんなで、『全日記小津安二郎』を読み返して、『東京物語』のロケハン時期の欠落にあらためてがっかりしてみたり。と、この問題に関しては、その後特に突っ込むことなく、昭和28年の50年後の平成15年が終わってしまったのだったけれども。これを機に、11月下旬は、数年ぶりに東京国立博物館へ出かけた。黒門をくぐった。

『思い出す顔』[*] を読み返して、にわかに岩佐東一郎のことが気になり、『書痴半代記』と『ちんちん電車』を取り寄せた。これが大当たり。戸板康二がきっかけでまたもや新たな書き手を知った。当初はモダンボーイという印象だったのだけれども、『書痴半代記』を読んでみたら下町の若旦那の道楽としての書物、という感じで、その若旦那ぶりがとてもよかった。『ちんちん電車』はタイトルだけだと東京エッセイかなと思ったのだけれども、よくよく見てみると、この本はあまとりあ社の新書。よって内容はいかにも「あまとりあ」な艶笑読みもので、随所に漂う落語や芝居への造型がいかにも下町の若旦那だった。わたしの本棚にあるあまとりあの新書本はもう1冊あり、それは神保朋世の『痴談』。神保朋世といえば、戸板さんとは戦前の句会で顔を合わせた間柄、初期の推理小説の挿絵を書いていて、その装幀もしている。というわけで、戸板さんゆかりの人物のあまとりあ社コレクションも今後の抱負にしたい。この2冊以外に該当はあるのか、ないのか。

石神井書林から、三田文学ライブラリー発行の非売品、久保田万太郎没後20年記念刊行『青みどろ』が届いたのと同じ日に、神保町にて『久保田万太郎』[*] 購入。これより少し前、『あの人この人』[*] をいただく。


12月:

3月に入手した『職業“雑”の男 徳川夢声百話』に続いて、徳川夢声研究家の濱田研吾さんの著書、『徳川夢声と出会った』が晶文社より刊行され即購入。ホクホクと読んだ。戸板康二がきっかけで興味津々になった人物の代表格が徳川夢声だった。

雑誌「暮しの手帖」の保存版として刊行された花森安治特集号を思わず発売日に買ってしまった。なんとなく自分のなかで一段落ついたと思っていた花森安治だけれども、なにかと心躍る充実ぶりがすばらしい1冊で感激だった。『あの人この人』[*] 所収の「花森安治のスカート」も収録。そんなこんなで2003年が終わり、2004年1月は、岩波現代文庫として、『歌舞伎への招待』[*] が本屋さんに並ぶ。生前もずっと再刊を拒んでいた伝説の本。わたし自身も戸板康二に夢中になったのは『歌舞伎への招待』がきっかけで、この本を作ったのは花森安治だ。

と、ざーっと2003年を振り返ってみて、他の人々にいかに助けてもらったかがよくわかって、あたらめてジーンとなった。ここで言及した方々のおかげで、戸板康二に関しては、とてもよい1年になった。ここで言及した方々(と今このページをご覧になっている方)のますますのご活躍とご多幸と心よりお祈り申し上げて、新年のご挨拶に。2004年の「戸板康二ダイジェスト」はどんな1年になるのだろう。とりあえずは「精進」かなあ。が、初っぱなから新年の挨拶が大幅に遅れてしまって、さい先はあまりよろしくない。



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