#022
一周年のごあいさつ、内田誠『遊魚集』のこと(27, August. 2003)
■ この8月で「戸板康二ダイジェスト」は一周年を迎えました。
■ わたしが戸板康二の名前を初めて知ったのは深い考えもなくこのウェブサイトを始めたのと同じ年、1998年のことだった。その後激しく戸板康二に夢中になり、そんなこんなでせっかくウェブページが続いているのだから、これを道具として使わない手はないと、戸板康二の特集ページを作ろうと思うようになって幾年月。やっと今のかたちで公開にこぎつけたのが、去年の8月だった。
■ ところで、『六段の子守唄』[*] という本がある。戸板康二のエッセイをたくさん発行してくれて戸板読みの歓びをふんだんに提供してくれている三月書房発行の最後のエッセイ集で、吉川志都子さんによるあとがきによると、三月書房18冊目の戸板本『六段の子守唄』に収録の77篇の編集は生前に完了していたとのこと、帯によると《……著者31歳の手作りの「絵本」から無断で扉絵を選び記念とした。ちょっと首をかしげて苦笑されるかもしれない。》というわけで、本のページを開くと章ごとに若き日の戸板さんの挿画を見ることができるという仕掛け。天国の戸板さんの微笑が目に浮かぶよう。発行は一周忌にあわせて「1994年1月23日」となっていて、吉川志都子さんのあとがきの日付けは戸板さんのお誕生日の12月14日だ。と、隅から隅まで戸板さんへの敬愛にみちた仕上がりでうっとりするあまり、わたしも真似をして、戸板康二特集ページの公開はぜひとも12月14日にしようと心に決めたものだった。それが結局8月6日になってしまったのは、ひとえにわたくしの怠惰ゆえである。
■ それから早1年、現時点では単なる個人的な戸板康二お買い物記録のメモになってしまっているけれども、まあなにはともあれ、これから先ものんびりと続けていきたいなあと思っているところ。いろいろ計画していることもあるけれども、さあどうなることやら、更新を続けることが唯一の目標なのでした。
■ 旧聞になってしまうけれども、「彷書月刊」7月号の《特集・PR 誌の向こう側》に、紅野謙介氏の「雑誌『スヰート』のもうひとつの構図」が目が覚めるくらいに面白かった。「ガッチリ太郎」(←獅子文六『金色青春譜』より)なわたくしとしたことがつい衝動買いしてしまったくらい。と、いつも節約して買い損ねている「彷書月刊」をゆっくり堪能できたので、めでたしめでたしだった。
■ 「彷書月刊」で「スヰート」に関する記事を見つけたのは、石神井書林で内田誠著『遊魚集』(小山書店、昭和16年)をえいっと思い切って買ったばかりというタイミングだったから、さらに大感激だった。石神井書林の目録が届くたびに、ふだんは買わないような高い本を1冊だけ買っている。今回は何年も前から憧れていた『遊魚集』、内田誠の本を買ったのは今回が初めてだ。
大学卒業後の1939年4月に戸板康二は明治製菓に入社、PR 誌「スヰート」の編集に携わることで多くの文人と交流する機会をもった。その直属の上司が内田誠で、彼は久保田万太郎の友人の大場白水郎とともにいとう句会を始めた人物、「いとう句会」の洒脱な空気は戸板康二のたとえば『句会で会った人』[*] でヴィヴィッドにたどることができる。戸板康二は明治製菓入社の前年に久保田万太郎と対面している。翌年戸板康二が明治製菓に入社し内田誠のもとで働くことになったのは万太郎人脈がひとつのきっかけになったようだと紅野謙介氏は書いている。それから、「彷書月刊」の紅野謙介氏の文章では、わりかし国策に忠実だったはずの「スヰート」の、「奇妙なインディアンサマー」とも言える時代に居合わせたのが戸板康二だったということが書かれてある。文人としての戸板さんにいろいろな意味で影響を与えたともいえそうな内田誠はお金持ちのディレッタントで、徳川夢声と府立一中で同級だったとのこと。そんな彼の趣味性がいかんなく発揮されたのが「スヰート」で、岡鹿之助や小村雪岱の画が表紙に使われ、その画は内田誠のポケットマネーでまかなわれたという。「スヰート」に登場する文人の豪華さにも目を見張るものがあって、とりわけ戸板さんが郵船ビルへ百聞先生の原稿を取りに行ったエピソードがわたしは大好きだ。
■ 今回買った『遊魚集』を編集をしたのがほかならぬ戸板康二で、その御褒美として内田誠から岡鹿之助のカトレアの絵をもらったとのことだが空襲で焼けてしまったとのこと、本当に残念。というわけで、内田誠の『遊魚集』は戦前の戸板康二のひそかな仕事ということになる。表紙は梅原龍三郎の絵が使われ、見返しは木村荘八、本文の挿絵は宮田重雄と、あっと驚く豪華仕様。A5の函入りでかなり立派な本で、中身も実に洒落ている。
■ 大きな本なので寝転がって読むわけにはいかず、机の上で姿勢をただして少しずつページを繰っている。心に留まったことを挙げるとキリがなくなってしまうのでひとつだけ挙げることにして、夢声主演の映画『彦六なぐらる』のことを書いた文章のことを。いとう句会の席上で夢声に「これを見て貰いたい」と言われていたのについ見損ねていた『彦六なぐらる』を熱海の映画館で見ることになったこと、ほんわかと楽しんでいる自分を発見したこと、この映画に「平常の徳川氏がにじみ出ていること」を楽しんだこと、《着物をいささか、つんつるてんに着て、両手をぶらぶらふり、少し猫背で歩く癖が、林間に謡をうたいながら逍遥する彦六に、老壮士の風貌らしい味を与えているのだった》。「これを見て貰いたい」と夢声は言ったけれどもふだん彼はめったにこんなことを口に出す人ではなかったことを思い出して、彦六について「徳川氏の小説を読むような面白み」を感じたというくだりがとてもよかった。この映画、いつか見たいなあと思う。濱田研吾さんの『職業“雑”の男 徳川夢声百話』には、おなじく彦六の『彦六大いに笑ふ』について《ビデオで見るかぎり志村喬と東野英治郎を足して二で割ったような印象》というふうに書いてあって、まあ! そんなことを言われるとかえってますます見たくなってしまう。
■ 戦前、戸板康二が編集した本というと、小村雪岱の『日本橋檜物町』(高見沢木版社、昭和17年)という大物がある。いつか手にしたいのはもちろんだけれども、これを機に「スヰート」のことをいろいろもっと突っ込んでみたい気がする。戸板康二が編集部に居合わせた時代の「スヰート」をいつの日か手にしたいものだ。などなど、欲望は果てしないが、とりあえず内田誠の『遊魚集』は嬉しい買い物だった。
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