#016
山口瞳と志ん生の大津絵(03, May. 2003)
■ 昨日、嬉しいおすそわけが届いた。そのなかのひとつが「文藝春秋」1000号記念の『文藝春秋壱千号歴代執筆回数番付』。戸板康二は117回執筆、なんと東の関脇! えー! えー! ちなみに西の関脇は小泉信三よッ! と、しばし大興奮。ほかにも大興奮が目白押し、なにはともあれありがとうございます、なのでした。
■ List【戸板康二・全著書リスト】に『舞台歳時記』(東京美術)[*] と『孤独な女優』(講談社)[*] の書誌データを追加。
■ Chronology【私製・戸板康二年譜 1915-1993】に追加修正。
■ またもやひさしぶりの更新となってしまった。更新をさぼってこの一ヵ月何をしていたのかというと、落語のディスクをあれこれ聴きまくっていたのだった。と、そんな折、なんとはなしに繰っていた、矢野誠一著『落語読本』(文春文庫)の「羽衣」のページに目が釘付け。こんな一節があったのだ。
1967(昭和42)年の夏だった。山口瞳さんが、古今亭志ん生の大津絵「冬の夜に」をききたいといっているのだが……というはなしが江國滋からあって、明神下の「神田川本店」の座敷で会をひらいた。当日は二十名くらいのひとが、山口瞳さんに招かれたかたちで集まった。会費五千円の持ちよりである。江國滋と私も、世話人のような格好でこれに連なったのだが、山口さんがどんなひとを招いたのか、戸板康二さんがいらしたこと以外、ほとんど覚えていない。
「きょうは大津絵をという御注文ですが、大津絵だけというのもなんですから……」
という語り出しで、大津絵の前に『羽衣』を一席、志ん生はしゃべった。洒脱な、艶笑風な色つけのされた、いい『羽衣』だった。あとにも先にも、私がこのはなしにふれたのは、このときしかない。
と、この一節に大感激。なんとまあ、ぜいたくな一夜であることだろう。こんな一夜に戸板康二も居合わせていた、そのことを書き留めてくれた矢野誠一さんに大感謝、こんな会を実現してくれた江國滋に大感謝、そもそもの言い出しっぺの山口瞳に大感謝、とむやみやたらにひとり大感激であった。……というわけで、年譜にこのくだりを追加。そのほかにもいろいろ訂正。
■ 志ん生が唄った大津絵とは何かをちょいと調べてみると、いろいろなことがわかって、さらに大感激だった。大津絵節というのは、大津絵の画題を詠み込んだ俗曲のことで、志ん生の「冬の夜に」は特に有名なのだそう。安藤鶴夫「志ん生復活」によると、その歌詞は、
冬の夜に風が吹く
しらせの半鐘がじゃんと鳴れア
これさ女房わらじ出せ
刺ッ子 襦袢 火事頭巾
四十八組追追と
お掛り衆の下知を受け
出ていきゃ女房はそのあとで……
という感じになっていて、安藤鶴夫は《よっぱらって、志ん生の、こんな大津絵をきいていると、なんだか、そくそくとかなしくなった。なんだか、志ん生の大津絵には、瓦斯灯のともった、明治の、東京のようなあわれが、あるのである。》と言っているのだった。この一節も妙に心に響く。
■ それから、おなじみ竹本葵太夫HPに「大津絵」に関する文章があって(今月のお役2001年)、ここの葵太夫さんの文章もとてもよかった。さらに、柳宗悦の文章が紹介されていて、そのなかの《同じ絵を繰り返して描く。なぜこんな平凡な事情からよく美しい絵が生まれるのか。結局仕事が型に納まるからである。》というところがいいなあと思った。ひさしぶりに駒場の日本民藝館に出かけて大津絵を見ようかと急に思ってしまった。
■ このところ、大学図書館で昔の雑誌をいろいろ眺めている。自称「調査」なのだが、どうもあまりうまくいっていない。が、続けてはいる。芸能学会の機関誌「芸能」を眺めていたら、渡辺保さんが『百人の舞台俳優』[*] の書評で、寝酒がわりに毎晩少しずつめくっている、というようなことを書いているのを見つけて、嬉しかった。本当にそう、まさしくそんな本なのだ。と、そんな感じに、最近買った『舞台歳時記』[*] は「寝酒」がわりに現在、寝床近くに置いてある本。『百人の舞台俳優』と同じく、見開き1ページという構成で、吉田千秋による舞台写真が実に素晴らしい。
■ 『孤独な女優』[*] も嬉しいお買い物だった。巻末に山口瞳と戸板康二の対談が収録されていて、さっそく読んで二回ゲラゲラ笑ってしまった。山口瞳といえば、最近『還暦老人極楽蜻蛉』(新潮社、1991年)を買って読んで、「男性自身」の日記シリーズ、全四冊をようやく制覇した。初めて読んだのは戸板康二の追悼文目当てだった『年金老人奮戦日記』だったから、かれこれ二年がかり。戸板康二が登場するのは平成元年8月14日《直木賞受賞式に出席。於東京会館。戸板康二先生にお目にかかる。七十四歳でパリに行ってこられた由》。それから平成2年11月5日に《大昔に折口信夫先生が大坂屋に下宿していた。酒が飲めないで甘いものが好きだった折口先生が大坂屋に下宿していたという話は、なんとなく可笑しい。》というくだりがあって、「へー!」と思った直後、文末に《注・折口信夫先生が大坂屋に下宿していたという件につき、戸板康二先生からそういう事実は無いという注意のお手紙を頂戴した》とあって、こ、これは例の「手紙で僕の文章の誤りを指摘されることもあった。叮嚀で綺麗な字だが、仮借なくやっつけられる。」というやつではないかッ、となんとなく可笑しくて、ニヤニヤ。
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