螺旋の鎮魂歌


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【番外編】未来へと続く道・前編




「ミルエラ!」

 キリエとサンクはあの洞窟からペルペツアの背に乗り、一気にインジェまで飛んだ。さすがにこのまま街に降り立つことはできなかったので、街から離れた森の中に降り、インジェまで徒歩で向かった。
 『ルシス・ルナ』に戻ると、すぐにミルエラはキリエとサンクに気がついて駆けだしてきた。

「待っていたんだよ、帰ってくるの! 思ったよりも早かったじゃないか!」

 ミルエラは二人はもう帰ってこないかもしれない、と思っていた。生きていてくれればいい。そう思っていた。
 キリエとサンクはかなり照れくさそうにミルエラを見ている。

「あのね……ミルエラ」

 少し言いにくそうなキリエにミルエラは、

「どうしたんだい、はっきり言いなよ!」

 と肩をばんばんと叩く。キリエはその叩き方が妙に懐かしくて苦笑しつつサンクを見上げた。

「あの、お願いと報告があるの」

 興奮しているミルエラをなだめ、キリエはようやく中に入ることができた。もちろん、サンクも後ろについてきてはいる。

「あんたたち新婚にはこの部屋は狭いだろ! 少し広い部屋を用意しているから、そちらに移りな」
「し……新婚って!」
「あれ? 違ったのかい?」

 ミルエラはキョトンとした顔でキリエとサンクを見る。二人はお互い顔を見合わせ、苦笑する。

「報告ってのは……その、そのことについてなんだけど」

 キリエの戸惑った表情にミルエラは眉をひそめる。

「なんだい、おめでたい話じゃないのかい?」

 キリエは言いづらそうにしているのを見て、ミルエラはサンクを睨みつける。

「この色男はこんないい女を捨てて別の女のところにでも行くのかい?」
「オレにはキリエしかいない」

 恥ずかしいセリフを当たり前のようにさらりと言われ、聞いているミルエラが赤くなる。

「ったく、やだよ、この人は!」

 照れ隠しにミルエラはサンクをばんばんと音がするほど叩いている。

「ミルエラ……サンクが痛がってるから」

 こちらも赤い顔をしているキリエ。サンクは迷惑顔をしながらもうれしそうだ。

「あのね、ミルエラ。正式に結婚するにもその、わたし……親がいないでしょ」

 キリエの言おうとしていることが分かり、ミルエラはキリエの肩をばんばんと叩く。

「あんたの親はあたしだよ! なにを遠慮してるんだい?」

 そのミルエラの言葉に、キリエは勇気づけられる。

「わたし……まだ、未成年だから。結婚するには親の同意が必要で」

 ボムニスに親代わりになってもらおうかとしたが、断固拒否されてしまった。そこで仕方がなく、ミルエラを頼ることにした。

「ああ、いいよ。婚姻書を出しなよ」

 ミルエラに促され、キリエは懐に大切にしまっていた紙をミルエラに渡そうとしたその時。

「キリエさま! いけません! 駄目です!」

 しっかりまいて来たと思ったのに、早々にボムニスに見つかってしまったらしい。その声にキリエは焦る。

「ミ、ミルエラ、早く署名して!」

 ものすごい勢いで『ルシス・ルナ』に走り込んでくる男を気にしながらミルエラは署名した。赤い炎が突如吹き出し、婚姻関係が正式に結ばれたことを示した。

「ああああ! なんてことを!」

 婚姻書には特殊な加工が施されていて、条件を満たせば赤い炎が吹き出し、名実ともに二人は夫婦であると認められる。

「遅かった……」

 がくり、と肩を落とし、その場にひざまずくボムニスを見て、キリエは

「だって、ボムニスの往生際が悪いから!」

 と唇をとがらせて文句を言う。

「お二人がつきあうのは認めましたが、結婚までは……!」
「ボムニスが認めなくても、婚姻書は正式に認めてくれたわよ!」

 複数婚や倫理的に認められない婚姻の場合、青い炎を吹き出して拒否されるのだが、二人は問題がなかったようで、赤い炎だった。

「そんな……あり得ない」

 勇者と魔王が結婚するなんて、前代未聞だ。ボムニスは心の中でつぶやく。

「キリエさま……信じられません」

 昔はまったく感情を表に表すことのなかったボムニスだが、最近はどんな変化があったのか、以前より感情を出すようになったようだ。それでも他人からすれば無表情に変わりがないようだが、昔から彼を知るキリエはその表情の変化が楽しくて、思わず困らせるようなことをついついやってしまう。
 今回のこれは何度説得しても

「認めません!」

 と頑固親父そのもので、こうなったらミルエラにお願いしようとサンクと相談して、どうしてもインジェについていく、というボムニスをまいてここにやってきた。それなのに早々に見つけられてしまった。

「街に入りたくないって言ってたから油断してた!」

 サンクはボムニスとキリエのやりとりに慣れているようで、なにも言わないで二人を見ている。そこでミルエラをふと見て、サンクは首を傾げる。
 ミルエラは……そう、まるで恋する乙女のような表情であの無表情でなにを考えているのか分からないボムニスを見つめていたのだ。

「……ミルエラ?」

 疑問に思い、サンクはミルエラに声をかける。しかし、まったく反応がない。

「キリエ、ミルエラの様子がおかしいのだが」

 サンクのその言葉にキリエはミルエラを見て、その表情に驚いてミルエラの身体を揺さぶる、しかし、反応がない。

「ミルエラ? ねえ、どうしちゃったの? ミルエラ!」

 キリエがいくら呼びかけても、揺すっても反応しない。

「ミルエラ……どうしちゃったんだろう?」
「ああ、彼女がミルエラですか。キリエさまが大変お世話になったという」
「そうだよ。ミルエラはね、すごいんだよ!」

 キリエは自分のことのようにミルエラの今までの偉業を得意げに語る。ボムニスはうれしそうにキリエの話を聞いていた。しかし、その間ずっと、ミルエラはぼーっとしたままだ。

「ミルエラぁ」

 キリエの情けない声にミルエラはようやく気がついたようだ。

「はっ! あたしは……ああ、いけない! 仕事があるんだった!」

 ミルエラはあわてたようにばたばたと戻っていった。ボムニスには一切、視線を向けずに。

「ミルエラでも怖いものがあるんだ」

 論点が少しずれているような気がサンクはしたが、ミルエラの今まで見たことのない行動が面白くて、あえてなにも言わないでおいた。

「キリエさま! 本当にあなたというおてんばは……! わたくし、決めました!」
「決めたって……なにを?」
「あなたたち二人を野放しにするのは危険です! わたくしが今日から監視、いたします!」
「なっ、なんでよ! 冗談じゃないわよ!」

 ボムニスは勝手に『ルシス・ルナ』の従業員棟へと立ち入り、キリエたちの部屋はどこかと聞いている。その隣の部屋が幸いなことに空いていることを知り、勝手にそこで寝泊まりすると宣言した。

「ちょっとぉ」

 あの洞窟にいるときも奇跡的に一度だけ身体を合わせることが出来たのだが、その後はボムニスの監視の元、口づけを交わすくらいしかできていなかった。
 サンクは見られていてもいいと言ったが、キリエは嫌だと言い張り、それならばボムニスの目が届かなくなる『ルシス・ルナ』に行こう、と来たのに。

「キリエ……」

 部屋に二人きりになり、甘い空気が流れると……。

「失礼いたします!」

 とボムニスが遠慮なく入ってくる。

「ボムニス! 入ってこないでよ!」

 とキリエが怒っても、ボムニスは涼しい顔をして理由を付けて入ってくる。
 サンクはキリエがボムニスが来ても気にしないようになるのを待つことにした。ボムニスをどうこうするのはあれはもう無理と諦めた。
 ボムニスはキリエのことが好きなのだ。だけど立場上、その気持ちを表に出せない。キリエは鈍感すぎて気がついていないようだが、サンクは気がついていた。嫉妬の炎を燃やしながらにらみつけてくるのを見て、サンクは優越感に浸りつつ、嫌がるキリエに無理矢理口づけをすることで心を満たしていた。
 しかし。
 ボムニスの「嫌がらせ」は日に日にひどくなる。

「サンク! もうわたし、完全に頭にきた!」

 部屋に鍵をかけてもボムニスは易々とそれを開けて中に入ってくる。
 一度はキリエが上半身裸のところにボムニスが入ってきて、しっかり見られてしまった。

「乙女をなんだと思ってるのよ!」

 ボムニスはキリエの親代わり以前に恋しく思っている。しかもキリエが想う人が自分のような不良勇者ならば……ボムニスの心境は複雑だろう。

「サンク、止めないで! ボムニスを懲らしめてくる」

 懐からナイフを取り出したのを見て、さすがのサンクもキリエを止めた。

「大丈夫、殺しはしないから。半殺しくらいの目に合わせて」
「待て。お願いだから……待って」

 サンクはキリエと何度か剣を交えたが、結局、一度も勝てなかった。そのキリエが「半殺し」というから……阿鼻叫喚の恐ろしい惨状しか考えられず、止めた。

「ミルエラも最近、なんだか変だし! ボムニスを見たら逃げるし!」

 ボムニスは本来、招かざる客のはずである。それなのにミルエラはなにも言わず、むしろ彼のことを避けている。
 一度、どうして? と率直に聞いたら、ミルエラに逃げられた。

「止めないでよ!」

 キリエはナイフ片手にサンクに羽交い締めにされ、暴れている。キリエ以外の人間なら刃物を振り回していてもまったく怖くないのだが、キリエは唯一、自分のことを傷つけられる。サンクは慎重にキリエを扱うが、ナイフの切っ先はサンクの髪を少し切り、頬をかすった。

「──っ」

 キリエはサンクの頬にナイフがかすり、血がにじんだのを見て、少し冷静になった。

「ごめん、サンク!」

 キリエはあわててナイフを机の上に置き、サンクの頬に口づけ、舌で血を舐め取る。

「サンクの血って甘いね」

 以前、キリエの血を舐めたときに同じことを思ったサンクはその言葉に目を細めた。

「わたしが暴れたら……サンクが殺してね」
「そんな日はこないよ。オレが──キリエを守るから」
「うん……守ってね」

 そのまま唇を重ね、舌を絡めたその時。
 いつものようにノックもせず、ボムニスが入ってきた。

「ボムニス……! 今日という今日は!」

 キリエはサンクの腕を逃れ、机に置いたナイフを片手に即座に斬りつける。

「キリエ! やめるんだ!」

 サンクもさすがに頭に来ていたが、今は止めないとまずいと思い、キリエへと向かう。
 ボムニスは予想していたのか、長剣を抜き、応戦している。
 こうなったらサンクの手に負えない。ボムニスの怪我が少ないことをただ祈るしかなかった。

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「たたた……」

 ボムニスは目の前で自分の傷の手当てをしているサンクをにらみつけていた。サンクはなんでもない表情でボムニスが痛むように手当をしている。

「あんたも大人げないな。キリエ相手に敵わないことぐらい、知っているだろう」
「……うるさい、黙れ」

 だいぶうち解けてきたのか、ボムニスは最近、サンク相手に少し軽口を叩くようになった。

「ボムニスの手当なんて適当でいいよ。ほっといても治るんだから」

 ボムニスがぼろぼろになる手前でサンクが割って入り、キリエを止めた。その時、キリエの手の甲を少し傷つけてしまった。手当てする、というサンクの手を振り払い、キリエは部屋の隅で膝を抱えていた。

「ボムニスなんて、嫌いよ」

 その言葉は、ボムニスにとって切られた傷口より痛い言葉。

「なんで邪魔するの? 信じられない!」

 サンクは包帯を巻き終わり、わざと傷口を叩いて終了を伝える。

「おまえ……! 今のはわざと」
「ん? なにか? 終わったぞ」

 サンクは分かっていながらもう一度叩き、道具をしまう。ボムニスは痛みに顔をしかめ、キリエの元へと歩いていく。

「キリエさま」
「…………」

 キリエは部屋の隅で膝を抱え、壁に向かって座っていた。

「わたくしは今までのこと、謝りません。これからも邪魔しますから」

 キリエはボムニスの言葉にかーっと頭に血を上らせる。

「どうして! ひどいよ、ボムニス!」
「キリエさま……。わたくしはあなたさまの執事でございます。あなたさまの幸せを祈るのがわたくしのつとめでもあると思っています。この男と離れることはあなたが嘆くことであると理解しました。しかし、身体を合わせたり、ましてや婚姻関係を結んで新たな家族を作ろうなんて……許されないことです!」

 キリエは立ち上がり、ボムニスをにらみつける。

「婚姻書はわたしとサンクの結婚に同意した! なのにどうしてあなたは反対するの? なにか知ってるの?」

 キリエの問いに、ボムニスは大きなため息をつき、口を開いた。

「あまり知られていませんが、『勇者と魔王が重なる時、世界は混沌へ巻き込まれる』という言い伝えがありまして」
「そ……そんなの、嘘よ! ボムニスがわたしとサンクが仲良くなるのが嫌で、そんなでたらめ言うんでしょう? ボムニスの馬鹿! 大っ嫌い!」

 キリエはそういい、枕をつかんでボムニスに投げつける。

「出てけ! この部屋に『入ってこないで』!」

 キリエの言葉にボムニスは目を大きく見開き、うなだれたまま部屋を出ていった。

「キリエ……ボムニスにあんなこと言って、いいのか?」

 あまりの落ち込みようにさすがのサンクもボムニスに同情した。大嫌いと言われ、拒否の言葉まで言われてしまった。

「あんなひどいこというボムニスなんて……大嫌い」

 サンクはキリエの言葉に安堵しつつ、頬に手を当てて瞳を見つめる。

「キリエ、そんな心にもないことを言ったら駄目だろう?」
「だって……ボムニスはサンクのことがその……」
「そんなこと、ないよ。最近では認めてくれているよ。だけどオレがふがいないから……ボムニスはきっと、不安に思っているんだよ。ごめん、キリエ。オレがしっかりしてないばかりに大切な人とけんかさせてしまって」

 キリエの瞳は揺れていた。サンクは笑みを浮かべ、キリエを見つめる。

「キリエ、キミの言葉には力がありすぎる。簡単に負の言葉は口にしては駄目だ」

 最近、気がついたのだがキリエの言葉には一種の力が込められている。それは歌と合わさるとさらに力を持ち、人々の心に作用する。特にサンクの演奏に乗ると強くあらわれるようで、少し危険かもしれないとサンクは思っていた。
 そのことを自覚させるいい機会だと思い、サンクはキリエに言い聞かせる。

「キリエ、世界を守りたいのなら、負の言葉を口にするときは特に気を付けて。キリエの一言には力がありすぎる。そのことを自覚してほしい」
「どうして?」

 言われている意味が分からないのか、きょとんとした表情でサンクを見つめている。

「ボムニスはきっと、キリエが許可をしない限り、もうこの部屋には入ってこられない。キリエは今、そういう言葉の縛りをボムニスに無意識にかけてしまったんだ」
「う……そ」

 キリエは信じられなくて、口に手を当ててサンクを見る。

「キリエがオレに向かって触れるな、と言えばきっと、オレは自分の意志に関係なく、キリエに触れることが出来なくなるだろう」
「やだ。サンク、そんなの嫌だ」
「キリエ、キミはもう少し魔王の血を引くことを自覚した方がいいのかもしれない」

 サンクに言われ、キリエは落ち込む。

「キリエ……」

 目の前には身を焦がしそうなほど情熱的な瞳をしたサンク。キリエは無意識のうちにサンクに対して言葉で縛り付ける。

「サンク……ずっと側にいて。離れないで」

 サンクはそれを知りながら、うなずく。

「ずっと側にいて、キリエのことを守るから」

 それを約束するかのように唇を重ね合わせる。

「サンク……」

 キリエから漏れる吐息にサンクは止まらなくなる。サンクはそのまま、欲望の赴くまま、キリエを抱いた。



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