螺旋の鎮魂歌


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【番外編】未来へと続く道・後編




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 ミルエラは自分が最近、おかしいのを自覚していた。
 原因は分かっている。キリエがつれてきたあの彫刻のように表情の変わらない男のせいだ。
 一目見て、時が止まった。
 今まで感じたことのない衝撃。年甲斐もなく高鳴る心臓。彼のことを考えると、何一つ手につかない。

「ミルエラ……最近なんか変だけど、大丈夫?」

 店の人たちが口々にそう聞いてくるが、なんでもないよ! といつも以上に明るく答えるのだが、それが思いっきり空回りしているのも分かっていた。
 最初、すぐに元に戻るだろうと思っていたのだが……。
 ボムニスの姿が見えると、自分が自分でなくなってしまう。なにがなんだかわけが分からなくなる。
 あんな無表情の冷徹な男、どこがいいのかと自分に言い聞かせるのだが、自分の感情を制御できない。
 そして、自覚するしかなかった。

 自分はどうやら、ボムニスに一目惚れしてしまったらしい、と。


「また女将さん、やってるの?」
「ああ……もう最近は駄目だね、あれは」

 『ルシス・ルナ』の従業員たちは腑抜けているミルエラに苦笑しつつ、見守っていた。女将であるミルエラが多少働かなくても『ルシス・ルナ』はある程度、回る。
 ミルエラの悩みの種であるボムニスがぼんやりとしているミルエラに変わって働いていたお陰でもある。彼は思った以上に優秀であった。使い物にならないミルエラに代わり、なぜかボムニスが『ルシス・ルナ』を取り仕切っていた。ミルエラのやっていたことをきちんと踏襲しつつ、無駄な部分や足りないところを補うその手腕に従業員たちはいっそのことひっつけばいいのに、と噂しあった。
 ボムニスのその見た目から軽口をたたける者はだれ一人いなかったが、たまにサンクとボムニスの言い合い(本人たちは友好を深めているつもりでも端から見ると険悪なけんかにしか見えていなかったようだ)を遠巻きに眺め、見た目とは違って意外に熱い内面を持っているのではないか、と従業員たちは思い始めていた。そしてなによりも、その働きぶり。ボムニスは信頼に値する人物である、ということは認められてきていた。
 しかし、その肝心のボムニスもある日いきなり、どんよりとした空気をまとわせ、他愛ないミスを繰り返していた。

「どうした?」

 最近、ようやく通常通りになってきたミルエラだが、ボムニスのなんでもないミスにようやく自分はとんでもないことをやらかしていたことに気がついた。

「ああ、みんな。すまなかった。あの人にお礼を言わないとね」
「女将さん! 従業員一同、応援していますから!」
「は? なんのことだい?」

 ミルエラは従業員たちに気がつかれていない、と思っているらしい。妙なことを言うね、と言いながらボムニスの部屋へと向かうが……緊張しているのか、右手と右足が同時に出ている。
 ボムニスの部屋の前につき、ミルエラは何度も深呼吸を繰り返す。意を決して扉を叩こうとしたところ……いきなり開き、ボムニスがあらわれたことにミルエラは動揺する。ボムニスは目の前に立つ思いもよらない訪問者であるミルエラに視線を落とす。

「どうされましたか?」

 今まで、思いっきり無視されていると思っていた相手がいきなり訪ねてきて、ボムニスは驚いていた。

「あ……いや」

 ミルエラは身体を反転させ、帰ろうとした。やっぱり無理だ。
 しかし、その手首をボムニスに掴まれ、ミルエラは真っ赤になる。

「は、離してくれないかい!」
「なにか用があっていらしたのでしょう? 中にどうぞ」
「いや……。大した用じゃなくて、その、あたしがぼんやりしている間にいろいろやってくれたらしいと聞いて、お礼を言いに来ただけだから」

 目の前で真っ赤になってお礼を言うミルエラにボムニスの氷の表情は溶けて、なぜか自然と笑みが浮かんだ。

「いえ。いきなり押し掛け、ご迷惑をおかけしているお詫びです。礼を言わなくてはならないのはこちらです。ありがとうございます」

 ボムニスは自分の顔が笑顔になっていることに気がつかない。ミルエラは笑顔のボムニスを見て、さらに真っ赤になり、そのまま倒れそうになった。
 無表情の時も綺麗な顔だとは思ったが……この笑みは破壊力がありすぎる! このままでは心臓が止まりそうだ。
 早く切り上げて立ち去らなければ死んでしまう、とミルエラは思い、早口に思っていたことをまくし立て、逃げるように戻っていった。
 その様子がおかしくて、ボムニスは思わず声を上げて笑った。それが初めての出来事だと気がつかずに。
 キリエに大嫌いと言われ、入るなと命令され落ち込んでいたのが嘘みたいに、心が軽くなった。

 それから、ボムニスはなにかと理由を付けてミルエラの元へ通った。
 『ルシス・ルナ』の従業員たちはその様子を遠くからほほえましく見ていた。
 貫禄のある女将と妙に綺麗な顔の男の奇妙な組み合わせだったが、だれが見てもお似合いと思えた。女将は二十数年前の出来事で夫と子どもを亡くしているのを皆が知っていた。女将がそれからずっと、亡くなった二人に義理立てして一人で生きてきたのを知っている。
 そろそろ次の相手を見つけて幸せになっても問題はないだろう、みながそう思い、願っていた。
 しかし。
 端で見ていてだれもがやきもきするほど二人はそっけない。周りで二人の会話を見ている従業員たちは「そこだ、いけ!」「よし、今だ!」とやっているのだが……まったく進展はなかった。


「ねぇ、ミルエラ。ボムニスのこと、好きなの?」

 ある日、キリエが真正面からそう聞いているのをとある従業員がたまたま耳にして、思わずそのまま立ち聞きした。

「なっ……!」

 ミルエラはキリエの単刀直入な質問に真っ赤になり、

「ななな、なにを聞いてくるんだい! なんとも思ってないよ!」
「そうなんだ。違ったのかぁ。サンクも嘘つきだなぁ」

 と笑っている。たまたま居合わせた従業員はそこはもっと突っ込んで聞いて! と思っているが、忙しいところごめんね、と言ってキリエは帰っていった。

 そしてまた別の日。
 別の人物がキリエとボムニスが話しているところを目撃した。

「ボムニスはミルエラのこと、好き?」

 やはり真正面から尋ねているキリエにこそこそと二人の会話を聞いた。

「キリエさま、あの方はあなたの命の恩人ですよ」
「そういう意味じゃなくて! なんて言えばいいのかなぁ」

 キリエは言葉を探して宙を見つめ、なにか適切な言葉を思いついたのか、にっこりと微笑み、口にする。

「ミルエラのこと、『愛してる』?」

 その言葉に、今まで無表情だったボムニスは面白いくらい真っ赤になり、無言で立ち去って行った。

「わたし……変なこと、聞いた?」


 キリエはどうにも納得がいかず、サンクにミルエラとボムニスとのやりとりを伝えた。

「キリエ……それは二人に直接聞いたのかい?」
「うん」

 楽しそうな返事に、サンクは頭を抱えた。
 キリエがどこかずれていることは分かっていたが、こうもずれているとは……。

「キリエ……。どう見てもあの二人は想い合ってるんだよ」
「え? やっぱりそうなの? もう、あの二人ったら、好きなら好きって言えばいいのに!」

 部屋を飛び出そうとするキリエを捕まえようとして、一瞬、遅かった。

「分かった、ボムニス捕まえてミルエラのところに連れて行ってくる!」

 恋愛の初歩から語らなくてはならないのか、とサンクはあわててキリエを追いかけた。


「ボムニス、ほら、行くよ!」

 訳が分からないうちにボムニスはキリエに腕を引っ張られ、連れてこられたのは。

「キリエさま?」
「ミルエラ、いるー?」

 能天気なキリエの声にミルエラはなんだい、と部屋から出て……ボムニスがいることに気がつき、一瞬で真っ赤になる。最近、どうにか普通に喋ることができるようになったが、不意打ちだと駄目らしい。

「ほらボムニス、さっさと気持ちを伝えておいでよ! 大丈夫だから!」
「え? あ? キ、キリエさま?」

 キリエはボムニスをミルエラの部屋へと押し込め、

「『嘘偽りない気持ちを伝えないと部屋から出られないから』」

 あれほどサンクに厳しく止められているというのに、またもや言葉に力を込めてしまった。部屋の扉を閉めて、キリエはやってしまったことに気がついてしまった。
 サンクがたどり着いた時はすでにいろいろな意味で手遅れで……。扉の前で落ち込んでいるキリエがなにをしたのか気がつき、サンクは大きくため息をついた。

「キリエ……だからあれほど」
「ごめんなさい。だって……」
「だって、じゃない。お仕置きだな」

 と言ったサンクの瞳が妙に甘くて、キリエは頬を赤く染めた。

「オレたちがここにいたら二人も出辛いだろうから、行こうか」
「あ……うん」

 サンクに手を引かれ、二人は部屋へと戻った。

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 キリエに強制的に部屋に押し込められ、告白されることを強要されてしまったボムニスだが、部屋に背を向け、扉をじっと見つめていた。ボムニスに感情がないわけではない。今まで、感情を表に出さないように努めてきたのだ、気が遠くなるほど長い間。それなのに、ミルエラという女性はいつもその努力を泡と化してくれる。

「まったく、キリエはびっくりするくらい強引だね!」

 ミルエラは平静を装っていつも通りのようにふるまうが、かなりぎこちない。

「あんたも忙しいんだろ? ほらほら、はやく仕事に」

 戻って、と続けようとして背中を押して部屋から出そうとしたところ、意を決したボムニスがくるりと振り向き、背の低いミルエラを見下ろす。

「なっ、なんだいっ」

 きれいだけど相変わらず冷たい表情のボムニスの顔を見上げると、心なしかその頬が赤く染まった。

「キリエさまに強要されてしまいましたから……素直な気持ちを申し上げます」

 堅苦しい言い方にミルエラは少し笑うと、ボムニスはますます赤くなる。恐ろしいほど白い肌をしているため、赤くなると分かりやすい。

「改まってなんだい」
「わたくしはどうやら、あなたのことが好きなようだ」
「は?」

 率直過ぎるその言葉に、ミルエラは聞き間違いかと思い、聞き返した。ボムニスは真っ赤になりながらも、

「分かってもらえるまで何度でも言います。ミルエラ、好きです」
「なっ、なに言ってるんだい、こんなおばさん相手に! からかわないでおくれよ! あんたみたいなきれいな人がこんな中年のおばさんを捕まえて、なにを」

 ボムニスはミルエラの肩をつかみ、じっとその顔を見つめる。

「本気です。歳だとか見た目はどうでもいい」

 それはそれで傷つくな、とミルエラは思う。

「内面の美しさと魂の輝きにわたしはあなたに惹かれた。歳のことを言ったら、わたくしなんて気が遠くなるほど長い年月を生きてきた。あなたたち人間の観念から言えば、おじいさんを通り越して風化している存在だ」
「そんなこと」

 ボムニスは目を細め、口調を改める。

「キリエさまからはご両親のお話があったと思います。わたくしは気が遠くなるほど長い間、キリエさまの父上に仕えていました」

 キリエから直接聞き、だれにも話さないで胸の内に秘めていた事実を、ミルエラは思い出す。

「あれは……本当、なのかい?」
「信じようが信じまいが、事実は事実。あなたはわたくしたちに対して優位な立場にいるのです。お好きになさってください。逃げも隠れもしませんから」
「え……いや、そういう、意味で聞いたわけ、では」

 あまりにも堂々とした態度のボムニスにミルエラは逆にしどろもどろになる。キリエを保護したばかりの頃はともかく、彼女の出自を知りながらもミルエラはある意味、利用していたのだ。今さら言いふらしたところで、不利なのは自分だ。迷惑をかけるような親類縁者はあの二十数年前にほとんど亡くなっている。しかし今のミルエラには守らなくてはならない存在がある。そう、この店で働く人々だ。従業員たちとその家族が路頭に迷う。キリエを守ることは、自分の身も守ることになる。

「そう、よくお分かりですね」

 ミルエラはとんでもない物につかまってしまった、ということを改めて知ることとなった。

「それでは、今後もよろしくお願いしますね」

 ボムニスは一方的に想いを告げ、ミルエラの返事も聞かずに部屋を出て行った。

「なっ、なんだい、一体」

 あの告白が本心だったのかどうかも確かめられず、しかし、ミルエラはそれでもいいか、と苦笑した。
 いつかボムニスに自分の気持ちを伝えられる日が来る。それで今はいいじゃないか。

「あたしもあんたのこと、好きだよ」

 だれもいない部屋でミルエラはつぶやき、

「なっ、なんて恥ずかしいんだ、あたしはっ!」

 ミルエラはかつての伴侶とその息子の遺品を見つめ、訊ねる。

「そろそろ、次の人を見つけても……許してくれるよね?」

 答えは返ってこなかったが、ミルエラはふっ切ることにした。

「いつまでもあんたたち二人に付き合ってられないよ!」

 ミルエラはぱたぱたと埃をはたき、口づける。

「たまには思い出してあげるから、いいよね?」

 ギュッと抱きしめ、元の通りに戻し、ミルエラは両頬を叩き、気合を入れる。

「よしっ! 仕事に取り掛かろう!」


     * * *

 隣の部屋にボムニスが帰ってきた気配がしたことで想いを告げたことを知ったキリエとサンク。

「あーあ、失敗だったなぁ」

 と先ほど、散々サンクから説教を食らったにも関わらず、懲りていないキリエはぼそりとつぶやく。

「ミルエラからきちんと気持ちを聞いてくるまで出ちゃダメ、にすればよかった」
「キリエ……」

 サンクは呆れて脱力した。

「だってあの様子だと、ボムニスは一方的に自分の想いを告白して返事も聞かずに帰ってきてるよ。それじゃあ意味がないじゃない」
「キリエ……。人の気持ちはそう単純にはいかなくて」

 説教を再び始めそうになったサンクにキリエは飛び付き、

「もう、そう固いこと言わないの! そんな難しいことばかり言ってると、おじさんに思われちゃうよ」

 キリエに気にしていることを言われ、サンクは思いっきり落ち込んだ。

「あ……ごめんね、サンク。サ、サンクはまだ若いよ! 大丈夫だから!」

 慰めになってないキリエの言葉にサンクは大きくため息をついた。
 怖い物なんてなにもない魔王の血を引く世間知らずなお嬢さまを好きになってしまったのが運の尽き。キリエのことは嫌いになれないのだから、この奔放さを受け入れるしかなさそうだ。
 楽しそうに笑っているキリエを見ていると、愛しさがこみ上げてくる。

「キリエ」

 愛しの彼女の名を呼び、サンクはその身体をベッドに沈みこませる。

「ちょっと、サンク! 隣にボムニスいるし、しかも昼間からっ!」
「ミルエラとボムニスの二人に幸せになってほしいんだろう?」
「そ、そうだけど……。それとこれと、どう関係が」
「オレたちが幸せだというのを思い知らせてやればいいのさ」

 言い訳のような気がしたけど、キリエは能天気にまあ、いいかなぁ、とサンクを受け入れる。

「もう……サンクの馬鹿」
「その馬鹿が好きなのはどこのだれ?」
「サンクって意外に意地悪だったんだね!」
「好きな子には意地悪したくなるものなんだよ」
「そうなの?」

 見上げたサンクの顔はいつも通りの甘い笑みが浮かんでいて、キリエは両腕を伸ばしてサンクの身体に腕を回す。

「サンク、大好きだよっ!」
「オレはキリエのことを愛してる」
「えー、わたしだって、サンクのこと、愛してるもん!」
「オレの方がずっと愛してるな」
「そんなことないよ、わたしのサンクに対する愛は世界より重いんだよ!」

 二人は視線を絡ませ、くすくす笑う。

「キリエには負けるよ」
「ふふっ、サンクには一生勝たせてあげないんだから!」
「最初から負けてるよ」

 サンクの敗北宣言にキリエは破顔する。

「ずっと側にいてね?」
「ああ、約束するよ」

 サンクはキリエに誓うように口づけを交わす。

「キリエは繋ぎとめておかないとどこに行くか分からないから」

 その言葉の意味することを知り、キリエは

「ほっ、ほんとにするの?」
「駄目なの? 遠慮するところ?」

 もうこうなったら止められないことを知っているキリエは、もう、と言いながらもサンクの行動に協力する。

「夜の舞台に支障がないくらいにしておいてよ」
「……努力はする」

 キリエはサンクに抱きつき、その頬にキスをした。

【おわり】


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