螺旋の鎮魂歌


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【終章】始まりの洞窟で




 キリエとサンクの二人はペルペツアの背に乗り、上空の住人となった。

「キリエ」

 サンクはペルペツアの背の上だというのにキリエを抱きしめ、唇を重ねてくる。

「サンクっ!」

 キリエは身をよじり、サンクの腕から逃れようとするが、あまり動くとペルペツアの背から落ちてしまう。
 先ほども違和感を覚えたが、やはり、サンクの身体が妙に熱い。触れた唇も絡められた舌も、いつも以上の熱をはらんでいる。

「サンク……大丈夫?」

 赤い顔をしたサンクにキリエはおでこに手を当てる。

「熱い……!」

 サンクは苦しいのか、肩で息をしている。キリエはペルペツアの背にサンクを横たわらせた。

「キリエ」

 朦朧とした意識の中、サンクはキリエの名を呼ぶ。

 サンクがいなくなったら……。サンクのいないこんな世界。要らない。
 少し離れていただけでこんなに辛いのに。サンクがこの世からいなくなってしまったら、こんな世界──価値はない。
 自分の過激な考えにキリエは首を振るが、心の底からそう思ってしまっている自分の感情を制御することができない。
 もしもサンクが死んでしまうことがあるならば、こんな状態にした国王を最初に血祭りにあげ、激情に駆られるまま、世界を破壊してしまうだろう。
 やはり自分は魔王の血をしっかり引いている。
 それを止めることができるのは、熱にうなされているサンクしかいない。
 キリエはそのことを自覚した。
 サンクは自分の両親を殺したけど……心の底からサンクを望んでいるのも確かだ。
 複雑な気持ちを胸に、キリエはサンクの手をギュッと握りしめる。
 ペルペツアは迷いなく、どこかへと向かっている。キリエは行き先を気にする余裕などなく、つらそうに目を閉じて浅い息を繰り返すサンクを、じっと見つめていた。

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 ペルペツアの向かった先は、あの洞窟だった。すべての事の始まりだった、この洞窟。
 キリエの迎えに出てきたボムニスはサンクを見て、眉をひそめた。キリエはボムニスのその表情を見て、瞳を潤ませる。

「お願い、サンクが死んじゃう……!」
「それこそ本望ではないですか。ご両親の仇を討つことができますよ」

 ボムニスの冷たい声にキリエは涙を浮かべた。ボムニスの態度はキリエには分かるが、それにしても冷たすぎる。例えそうだとしても、もう少し考えてくれてもいいのに。

「ボムニス……。どうしてそんなことを言うの?」
「キリエさま、もう一度考え直してください。この男は、ご両親を殺したのですよ。それでも、あなたは生涯、愛していくというのですか」
「そうよ。サンクがいない世界なら、なくていい。父さんがなしえなかった世界の破滅を──わたしは望むわ」

 キリエは潤んだ瞳で笑みを浮かべ、ボムニスを見つめている。それが本気だと知り、ボムニスは目を細める。

「あなたは……魔王さまより恐ろしいですね」
「サンクがいない世界なんて、なくていい」

 ボムニスは首を振り、キリエの抱えているサンクの身体に手を添えた。

「ボムニス!?」

 キリエは非難の声を上げる。キリエは身体の奥から妙な熱さを覚える。
 ボムニスはキリエの瞳に浮かびあがる怒りに内心、身を縮まらせながら声が震えないように言葉を発する。

「キリエさま、このままここに置いていてはよくなりませんよ?」

 戸惑いの表情を向け、キリエはボムニスを見た。
 ボムニスは諦めたようにため息を吐き、大げさに頭を振ってみせる。

「あなたには負けました。こんな世界、なくなってもいいとわたくしは思いますが……キリエさまに辛い思いをさせるのは忍びないので」

 ボムニスは分かっていた。キリエの横に自分が立つことは一生ないということを。キリエと人生を共に歩むのは、天敵であるこの『勇者』の血を引く男。
 切ない気持ちを胸に秘め、ボムニスはサンクを抱える。少し乱暴に介抱してしまうのは多めに見てほしい。
 キリエの奥に湧きあがった妙な熱はボムニスの一言で引いていった。
 サンクは助かる。
 キリエはサンクの横でずっと手を握っていた。サンクが目を覚ました時、一番にその視界に自分を入れてほしくて。

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「キリエ?」

 サンクは夢も見ることなく、久しぶりに穏やかな気分で眠ることができた。目が覚めた時、その視界にキリエのピンクホワイトの髪の毛が飛び込んできた。

「ん……。あ、サンク! 気がついた?」

 サンクの声にキリエはすぐに目を覚まし、驚いて起き上がる。サンクの横で、眠ってしまっていたようだ。

「ここは?」

 サンクはすっかりきれいな服に着せかえられているのを知り、さらに見覚えのない場所にいることに戸惑う。

「わたしのおうちだよ」

 無邪気なキリエの声に、サンクはここがあの洞窟だと知る。自分の着ている服の持ち主がだれか考えて……頭を振る。

「ごめんね、サンク。服は修復不可能なほど破れていて……ここには男物の服は父の物かボムニスの物しかなくて、ボムニスの服はサンクには小さかったから」

 そう言われ、やはりそうかとサンクは複雑な気分になる。
 質の良い布で作られた服。サンクの身体にちょうどよく、複雑な気分になる。

「お目覚めになられましたか」

 トレイに食べ物を乗せて、ボムニスが音もなく現れた。

「軽いお食事をどうぞ」

 無表情なボムニスにサンクは眉を少し動かしただけで、無言でトレイを受け取る。鼻腔をくすぐる食べ物の匂いに、サンクの胃は急に動き出した。
 食事を始めたサンクを、穏やかな笑みを浮かべたキリエが見つめている。

「サンクが無事でよかった。サンクが死んだらわたし……世界を今度こそ滅亡に追い込んでしまいそうだったから」

 その表情とは似合わない物騒なことを言っているキリエに、サンクは一瞬とまどいを覚え、なんと答えればいいのかわからない。
 それに、もし仮にキリエと自分が逆の立場なら……自分もきっと、世界よりもキリエを取るだろう。勇者の血がなんだというのだ。世界とキリエを天秤にかけた時、世界なんて訳の分からないものよりキリエが大切だと思えた。世界が滅びたって横にキリエさえいてくれれば自分はなにがあっても生きていける。キリエもきっと、それと同じ気持ちでいるのだろう。

「キリエ、キミのことを守るから」

 魔王に救いだされた勇者はキリエの耳元にそう囁く。

「うん……」

 サンクに守られなくてもキリエは強い。そのことをキリエ本人は自覚していたが、それは口に出さなかった。
 サンクが守るのは、自分ではなくてこの世界。サンクはやはり勇者だ。サンクがいなくなれば、キリエはこの世界を滅ぼすだろう。

「サンク──守って」

 美しくて音にあふれたこの世界を、守って。

「守るよ」

 サンクはキリエに唇を重ねる。キリエはやはり苦しくて、サンクの右腕を握りしめる。サンクはキリエに握りしめられた腕に甘い痛みを感じる。

「守るから、キリエ」

 腕を引き、キリエを抱きしめようとしたところにボムニスが食器を下げるために部屋へと入ってきた。キリエはあわててサンクから離れようとしたが、サンクは腕をゆるめなかった。

「あなたにキリエさまを託すのは大変遺憾でございますが……キリエさまが望む以上、これ以上お止めすることが出来ません。くれぐれも、キリエさまを悲しませるようなことはされませんように」

 冷たい表情の感情が分からないボムニスと目が合う。一瞬だけその瞳の奥に見えた感情は……嫉妬?
 サンクは眉をひそめ、ボムニスをにらみつける。キリエが苦しい、と腕の中でもがいているにも関わらず、さらに力をこめて抱きしめた。
 それを見てもボムニスは表情を変えず、トレイを手に取る。

「熱が下がるまではおとなしく寝ておくんですよ」

 と少し、馬鹿にしたような口調でそれだけ告げ、部屋を出ていった。

「なによ、あれ! おとなしく寝ているに……ってサンク!」

 ボムニスが部屋を出ていったと同時に、サンクはキリエをベッドへと押し倒した。

「……サンク?」

 サンクはキリエの肩に手をかけ、うつむいている。アッシュグレイの髪の毛が顔にかかり、キリエからはサンクの表情がよく見えない。

「サンク、まだ身体がだるいでしょ? おとなしく寝て、早く元気に……」

 キリエは最後まで言葉に出来なかった。サンクの身体が自分の上にのしかかり、唇をふさがれたからだ。

「あ……んっ! サンクっ!」
「キリエ……もう、オレ」

 キリエの服に手をかけた瞬間、キリエに頬を思いっきり叩かれた。

「サンクの馬鹿っ! まだ熱があるじゃない! おとなしく寝ておかないと、サンクのこと、嫌いになるから!」

 キリエのその言葉はサンクにとっては衝撃が大きく、しょんぼりと肩を落としてキリエの上から身体を動かし、ベッドの縁に腰掛けた。

「あの……ごめんね、サンク。だって、このままサンクに死なれたらわたし……どうすればいいのか分からないから」
「キリエは……オレのこと、嫌い?」

 なんとなく伺うような上目遣いでサンクはキリエにそう問う。前にも同じことを聞いた覚えがあるが、あの時は答えが分かっていたから堂々と聞けたのに、今は「嫌い」と言われたらどうしよう、と思いつつもついつい聞いてしまう。

「嫌い……なわけ、ないじゃない! どれだけ、何度、サンクのこと、嫌いになれたらいいのにと思ったか、サンクは知らないでしょう? 素直に憎めたら楽だったのに! だから早く元気になって」

 サンクの身体に急に血が巡り始める。どくどくと音を立てて流れる音が聞こえる。

「キリエ……オレのこと、好き?」

 我ながら女々しいと思いつつも、サンクはそう聞いていた。

「すっ、好きに……決まってるじゃないっ! なんてこと聞くのよ! そんなこと聞くなんて、サンクなんて!」

 サンクはキリエを抱きしめて、その唇をふさぐ。

「キリエ……好きだ。ずっとオレの隣にいて。もう離さないから」

 サンクの再度の告白にキリエは頬を真っ赤に染める。

「それなら、わたしのために早く良くなって」

 キリエはにっこり微笑み、サンクの腕の中から逃れる。サンクをベッドに押し倒し、布団を掛ける。

「早く元気になってね」

 キリエの花がほころぶような笑顔を見て、サンクはキリエには敵わないな、と苦笑しながらキリエを見つめる。一部は元気なんだけどな、と一人ごちて。

「子守歌、歌ってあげようか?」
「子守歌より明るい歌がいいな。あの花の歌」

 サンクのリクエストにキリエはにっこりと微笑む。旅の途中、サンクとよく一緒に歌ったお気に入りの歌だ。
『一人の少女は小さな花壇に花の種を蒔きました』
 明るい曲調の元気になれる歌。

「今度、一緒に花の種を蒔こう」

 サンクは歌の途中でそうぽつりとつぶやいた。キリエは歌をやめて、そうだね、と同意する。

「おやすみ、キリエ」

 サンクは微笑み、瞳を閉じる。キリエは歌の続きを少し小さく歌い続けた。

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 サンクの身体は思っていた以上に傷めつけられていて、なかなかベッドから起きあがることが出来なかった。
 キリエは寝るとき以外はずっと、サンクの枕元にいた。サンクが寝ていても片時も側を離れることをせず。
 ボムニスはそれを見て、キリエを説得することを諦めた。
 いくら言ったところで、あの頑固なお嬢さまは聞かないだろう。聞き入れられても困るかもしれない、とここのところは思うようになっていた。

 サンクは徐々に体力が回復してきた。ベッドから離れることが出来、そろそろミルエラの待つ『ルシス・ルナ』に戻ろうという話が出た頃。
 キリエは、サンクの楽器になった。サンクの予想を超すキリエの「音」に内から喜びを感じる。

「キリエ、愛している」

 サンクの囁きにキリエは音を奏でる。

「サンク、愛してる。今も、これからもずっと──」

 二人の影は重なり、ひとつになった。

【おわり】


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