【二十六章】救出に向かう者
次の日、ボムニスに起こされ、キリエは目を覚ました。簡単な朝食を摂り、二人は洞窟に帰ることになったのだが。
「ボムニス、お願いがあるの」
「キリエさま、そのお願いに関しては聞きません」
なにを言われるのか予想のついたボムニスにそう言われたが、キリエは聞こえていなかったように口を開く。
「レコルダに行きたいの」
「キリエさま、駄目です」
「どうして? サンクは確かにわたしの両親を殺したわ。だけど……好きなの」
「キリエさまっ!」
ボムニスはキリエの言葉にあわてる。
「あの男は……天敵なのですよ? おわかりになっていらっしゃるのですか!」
「分かってるわよ。……分かってる。素直に憎めたら……楽だったのに」
キリエは苦しい気持ちをボムニスに吐露する。
恋い焦がれていたサンクにようやく会えたのに、また引き裂かれてしまった。
前にサンクと別れたのは、自分の意志でだった。サンクを斬りつけ、繋いでいた手を離して……。そのときのことを思い出すと、今でも胸が締め付けられる。
なにも知らないでサンクのことを信じていた。サンクはだましていたつもりでも嘘をついていた気もなかったのは、今になれば分かる。だけどあのときは、だまされたとしか思えなかった。キリエはサンクしかいない、離れることはすなわち死を意味すると信じていた。自分を保護してくれている人物がまさか仇だった、とは普通は思わない。
ミルエラと出会えたから苦労せずに生きてこられたのだが……。だれかに依存しなくては生きていけない、そのことだけは分かった。
「あの男は世界の均衡を破ったのですよ? なにが『勇者』ですか。真の勇者とは、ミサさまのことを言うのです。それなのに、勇者の血を引くというだけでミサさまと魔王さまを殺すとは……間違いであり、彼こそが真の魔王ではないですか」
ボムニスの言っていることは正しいかもしれない。キリエはその言葉に揺れる。
「ずっとずっと……考えたの。考えたけど、好きという感情は頭ではどうすることが出来なかった」
キリエの苦しそうな告白に、ボムニスは大きく息を吐く。
サンクが側にいない、それだけで苦しい。自分で制御できないなにかが心の奥で暴れそうになる。
「キリエさま……わたくしはあなたさまが小さい頃よりずっと成長を見守ってきました。ミサさまによく似て、お美しく成長され……」
ボムニスはそれ以上、言葉を紡げなくなった。自分は執事であり、魔王に仕える身。自分の気持ちは常に押し隠し、忠実に職を全うしてきた。この気持ちは……例えあふれてきたとしても、押し込めて隠し通さなくてはならない。
「キリエさま……茨の道どころの話ではないと思いますが、覚悟は出来ておいでなのですか?」
自分の気持ちを隠すため、キリエにそう聞く。
「覚悟はできている。それに……それならば、世界を正すのはわたしの役目だと思うの。昔、この世界を破壊から守った母の血を引くわたしの、役目……」
力強いまっすぐな瞳でそう宣言されてしまうと、ボムニスにはもう、なにも言えなくなる。止めたところでキリエはきっと、聞かないだろう。それどころか、また、ボムニスの手の届かないところに行ってしまう。それだけは避けなければならない。
「……分かりました」
ボムニスは諦め、キリエの願いを聞き入れることにする。
「ありがとう!」
キリエは昔と同じようにボムニスに抱きついてくる。女性らしく成長したキリエの柔らかな身体にボムニスはどきりとする。
勇者の血を引くというあのサンクという男はキリエともう──。そう思うと、ボムニスの心には嫉妬の嵐が吹き荒れる。
あの洞窟にいるときに想いを告げていたら……変わっていたのだろうか。想いを伝える勇気を持たないボムニスは、そんなことを考えてしまった。
「キリエさま、わたくしたちだけでは危険です。仲間を呼びましょう」
「え……。だって、あの子たち」
「魔王さまはたぶん、こんな日が来ることを予想していたんだと思います。わたくしたちに逃げろ、と。次のおまえたちの主はキリエさまだと告げられ……」
「う……そよ。父さんが」
勇者が来たらどうするの、と聞いた母に対して儚い笑みを浮かべていた父を思い出す。
「キリエさま、あの物たちを呼び寄せますので、少しお時間をいただけますか?」
キリエはうなずく。
ボムニスとキリエは川沿いを歩き、レコルダへと目指す。
ボムニスは笛を口にくわえ、吹く。ピーッと甲高い音があたりに響き渡る。見覚えのあるシルエットが空からやってきた。一羽の巨大な鳥だった。それは、あの洞窟にいたペルペツアという怪鳥だった。人語を解し、背中に人を乗せて飛ぶことが出来る。キリエの前に降り立ち、その大きな羽を広げ、挨拶をする。その動きだけで髪を乱し、服をあおる。
「上空からレコルダへと入りましょう」
「空から? 入れるの?」
「キリエさま、勇者を救いたいのですよね?」
キリエはうなずく。魔王に救われる勇者なんてちょっとおかしいな、とキリエは思う。
「他の物たちもレコルダ入りします。さあ、参りましょう」
ボムニスはキリエに怪鳥・ペルペツアの背に乗るように促した。
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サンクは長い夢を見ていた。
幼い頃の出来事。父は魔王に殺されたと母に言われたこと、その母の死に顔。思い出せない初めての女。ミサの顔。魔王の顔。その二人が血の海に幸せそうに沈んでいる姿。その二人が血の海から立ち上がり、こちらに歩いてくる。血まみれの顔。恨めしそうな表情。
「!」
そこでサンクは気がついた。
「ようやく気がついたか」
ぞくり、と背筋を凍らせるほど冷たい声。サンクはしかし、身体を動かすことが出来ずにいた。頭も固定されているのか、動かせない。手足も繋がれているようだ。
「余の命令に背くとどうなるか、身体にしっかりと教え込まないといけないようだな」
サンクの視界にようやく、男が一人、入った。グラデュアル国国王その人だった。
「陛下……」
サンクはかすれる声をどうにか絞り出し、口を開く。
「今すぐ戦争はおやめください……! 戦争は悲劇しか産みません!」
サンクの言葉に、国王は目を細める。
「だれに意見しているのだ?」
冷たい瞳に固い言葉。しかし、その瞳の向こうには狂気の色が見える。
「余はだれの指示も受けない! 余のすることは正しい!」
国王は手に持っていたムチをサンクにたたきつける。するどい音がなり、サンクの身体を打ち付ける。
「うっ……」
サンクの口からは思わず、うめき声が漏れる。
「余はいつでも正しい! そして強い! 負けるはずがない!」
国王は狂ったようにサンクへムチを何度も振り下ろす。めちゃくちゃなムチ裁きだが、サンクの身体に振り下ろされる。
「うっ」
少し眠ったことで体力が回復したため、気絶することも出来ない。痛みに意識がはっきりしてくる。
「陛下……」
サンクはしかし、それでもまっすぐに国王へ視線を向ける。
「ええいっ! だれか、この無礼者に目隠しを!」
国王はサンクの視線に耐えられず、目隠しをするように言う。サンクはすぐに目隠しをされた。
「陛下、戦争を今すぐやめて……っ!」
目隠しをされたため、ムチがいつふるわれ、どこに来るのか全く読めなくなってしまった。
国王はサンクの視線を感じなくなり、呪縛から解かれたかのように先ほどより激しくムチをふるっている。
「その減らず口、聞けなくしてやる」
国王は気の赴くままにサンクへムチをふるう。
「陛下……!」
それでもサンクは進言することをやめない。
「口もふさげ!」
サンクの口に猿ぐつわを噛まされ、言葉を発することができなくなった。視線も言葉も感じることが出来なくなり、国王はさらに気を大きくしてムチをふるう。しかし……。
「なんだというのだ! なぜこの男は……まだ余を責めるというのだ!」
剣を持て、と言われ……国王は渡された剣を鞘からぬき、サンクへと斬りつける。が、服は切れるが皮膚はまったく傷が付かない。
「勇者の血を引くというのは誠だったのか」
国王は剣の切っ先をサンクへと突き立てるが……サンクの身体には鋼でも施されているかのように、皮膚が剣を阻止している。
「魔王の娘をとらえて連れてこい。殺し合いをしてもらおう」
国王は残虐な笑みを浮かべる。
サンクはやめろ、と叫ぶが、猿ぐつわに阻止され、言葉にならない。
「魔王も勇者もこの世界にはもう要らぬ。これからは余がこの世界の支配者」
サンクは必死になって首を振るが、頭を固定されているため、動かせない。
キリエはどうしているだろう。男たちに乱暴はされていないだろうか。自分と同じようにこんなひどい目にあっていないだろうか。助けに行くことのできない自分が歯がゆい。
キリエ……。
目隠しされているからか、目の前には妙に鮮明なキリエの姿が浮かび上がる。
ピンクホワイトの髪にプラム色の瞳。花がほころぶようなあの笑み。柔らかな皮膚の感触。キリエの香り。唇の感触に熱い舌のぬめり。
ああ、こんなにもキリエを欲している。
キリエがだれだっていい。キリエはキリエだ。心も身体もこんなにもキリエを求めている。
キリエ……。
もう独りにはさせないから。
ずきり、とキリエに斬られた腕が痛む。
ああ、キリエ。
この痛みだけが真実。
ムチの痛みなど、幻。偽物。
本物の傷みも甘さもキリエにしか与えることができないのだから。
キリエ、今すぐ逢いたい。